62話 アオイ過去編 デート
夏祭りの夜、ぎこちなく交わした初めてのキスは、アオイの心に深く刻まれていた。
それは決して長くも情熱的でもない、ほんの一瞬の触れ合いだった。だが、その一瞬が世界を変えた。彼女の笑顔を思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
それからの日々、アオイと綾乃は自然と一緒にいる時間が増えた。朝の登校時、校門で顔を合わせて「おはよう」と交わすだけで、心が浮き立つ。授業中に目が合えば、綾乃は少し恥ずかしそうに微笑み、アオイは照れ隠しにノートに落書きをした。
放課後、部活の練習が終わると、綾乃が校門で待っていてくれることもあった。
「お疲れさま。今日、寄り道してもいい?」
「もちろん」
二人で近くの文房具屋に寄り、消しゴムやノートを見て歩く。買い物の用事はほんの少しでも、並んで歩くだけで嬉しかった。
ある日、綾乃が小さな声で言った。
「……アイス食べて帰ろうよ」
駄菓子屋の前で立ち止まり、冷凍ケースを覗き込む。アオイは笑って財布を出し、二人分のアイスを買った。ベンチに腰掛けて食べながら、綾乃がふと空を見上げる。
「こうやって一緒にいると、なんか普通の毎日が特別になるんだね」
その言葉に、アオイの胸はぎゅっと締めつけられた。自分も同じ気持ちだったからだ。
休日には、少し足を延ばして大きな図書館に行ったり、近くの公園で本を読んだりもした。
「九条君って、本読むの?」
「うん、昔は兄貴に負けたくなくて勉強もいっぱいしてたから、本も読んでた。でも最近はあんまりかな」
「そっか。……でも、話してるとすごく知ってること多いよ」
綾乃は素直にそう言ってくれる。その何気ない肯定が、アオイの心を救っていた。
秋になると、文化祭の準備が始まった。クラスの出し物は劇。舞台の大道具を作る係に、たまたまアオイと綾乃が一緒になった。放課後、図工室で二人きりになることもある。
「ここ、もうちょっと赤く塗ったほうがいいかな?」
「……ああ、貸して」
綾乃の手から筆を受け取ると、指先が触れた。その瞬間、互いに少し顔が赤くなる。
窓から射し込む夕陽が、綾乃の横顔をオレンジ色に染めていた。アオイは胸の奥で「この子を守りたい」と強く思った。
文化祭当日、劇の大道具は好評だった。片付けのとき、綾乃が「一緒に作れて楽しかった」と微笑んだ。アオイは「俺も」と答えるしかなかったが、心の中ではもっと大きな言葉を叫んでいた。
その後も、小さなデートのような日々は続いた。寒い日には並んでホットココアを飲んだり手を繋いだり
どんな瞬間も、アオイにとっては宝物だった。
だが同時に、周囲の視線も強まっていた。
教室で二人が話すと、すぐに冷やかしの声が上がる。休み時間に隣に座れば、からかいの笑いが飛んでくる。綾乃は笑って受け流そうとしたが、アオイには彼女の小さなため息が聞こえていた。
それでもアオイは思った。
(絶対に、この子を守る。何があっても)
中学二年の秋。
まだ幼い二人の恋は、まっすぐで、不器用で、それでも確かに輝いていた。




