悪役令嬢にならなかった天災公爵令嬢
カストレミア王国の公爵令嬢ウィルミーナ・エル・イゼルフォルトは、幼い頃はそれはそれはもう典型的なわがまま令嬢だったそうな。
王室に次ぐ権威をもち、財産だけならその王室を凌ぐ豊かな家。幼い頃から大人をも魅了し、「妖精」とすら呼ばれる美しい容姿。100年に一度の存在と嘯かれる、類まれなる魔法の才能。10歳にも満たない年齢から高等学問を修め、時に大人すら論破する高い知性。そして4人目にして待望の娘を授かり、天才だ妖精だと褒めそやしダダ甘に甘やかしまくる両親と使用人たち。
いかに天然チートのお嬢様といえど、超わがままに育つのは当然と言えば当然だろう。
転機は13歳になり、王国経営の学園に入学した時。
入学するやいなや当時の生徒会長を蹴落として自身がその座につくと、そこら中の派閥を吸収しまくって実質学園の支配者となったウィルミーナ。
婚約者である第一王子をはじめ、騎士団長やら宰相やら魔道士団長やらの息子たち(全員イケメン)を侍らせ、派閥を取り仕切り、自分に従わないものは犬猫や奴隷のように扱う。教師ですらウィルミーナの機嫌を伺い、媚びへつらうようになった。
学園の頂点に君臨する様はまさに女王様といった風格だったそうな。第一王子は泣いていい。
もしここが乙女ゲームの世界で、主人公的な転生者がいたらこう思うだろう。
あれがこの世界の悪役令嬢だ、と。
そんな(本人にとって)順風満帆の学園生活を送っていたある朝、ひとりの女子生徒と出会ったウィルミーナ。
その生徒はいかにも貧乏くさく、パッとしない容姿の、典型的な平民だった(貴族向けの学院だが、厳しいテストを合格して規定の寄付金を払えば平民でも入学が許されるのだ)。制服は明らかにサイズが合っていないし、髪も眉も整えた形跡がほとんどない。基本的に貴族たちの学び舎である高貴なる学園において、その姿はあまりにも異質すぎた。
ソレを見た傲岸不遜なわがまま令嬢の行動はただひとつ、テンプレのアレだ。
「何故こんな子がここにいるのかしら? ここはあなたのようなみすぼらしい平民が通っていい学園ではなくってよ」
右手の扇子で顎を仰角にあげ、ナチュラルに人を見下すお嬢様ポーズ。そんなポーズでも抜群の容姿をもつウィルミーナは輝くように美しく、周囲を囲っていたシンパや周りの一般生徒もうっとりと見惚れていた。
「…あたしはテストにも合格して、学園にちゃんと認めてもらったから通っています。同じ生徒にどうこう言われる筋合いはありません」
「そういう問題ではないのですわ。格式が合わない、と言っているのです。それに、同じ生徒?このウィルミーナ・エル・イゼルフォルトとあなたのような平民が同じ生徒ですって? 面白い平民ジョークですこと」
おほほほほ、とウィルミーナが高笑いすると周りの生徒達も同調するように笑う。ウィルミーナを称えるように、平民の生徒を嘲笑うように。女子生徒は下を向いて手を握りしめ、じっと耐えている。
ひとしきり笑って満足したのか、再び女子生徒を睨みつけるウィルミーナ。
「それにしても入学に必要な寄付金はどうやって用意したのかしら。とても裕福な家庭の出身には見えませんことよ。…あぁ、お父様がギャンブルでひと山当てたのかしら?それともお母様がそういうお店で働いてらっしゃるのかしら?」
「…今、なんて言った?」
急に雰囲気が変わった女子生徒に驚くウィルミーナと取り巻きたち。
さっきまで下を向いて典型的な虐げられる平民だった少女が、今や歴戦の騎士のような風格と威圧感を持って立っている。
「あたしのことはいい、うちが裕福でないのも事実です。だけど、あたしのために必死で働いてお金をためてくれたお父さんとお母さんをバカにすることは許さない」
「…許さなければ、どうしますの?」
女子生徒はウィルミーナに拳を突き出して宣言した。
「決闘を申し込みます」
ウィルミーナはその決闘を受けた。
多少威勢はいいようだし、腕に覚えもあるのだろうが、所詮は平民。対して自分は100年に一度と呼ばれる大天才魔法使いである。
極大魔法の一つでも見せてやればビビって腰を抜かすだろう。殺しはしないが、身分の差というものを甘く見た罰は受けてもらう。
立会人の元、二人が距離をあけて立つ。周囲を囲んでいる野次馬のウィルミーナの声援と平民生徒への罵倒が騒がしい。
立会人が決闘の開始を告げる。
さぁ教育してあげましょう。豚のような悲鳴をあげなさい。
詠唱もイメージ構築もマナ集束も不要。出そうと思えば即座に発動する極大魔法。これで──
「はじめ」の直後、視界がぐるりと回転した。
鼻の奥に、嫌な鈍痛と鉄の匂い。
地面の味とともに、ウィルミーナの意識は途切れた。
ウィルミーナは自室で目を覚ました。
強い衝撃を受け、おそらく折れたであろう鼻は何の痛みもなかった。
あの時、何が起きたのかはわからない。分かっているのは自分が敗北した、という事実だ。
ウィルミーナはシーツを握りしめて歯噛みする。偶然だ、油断していただけ、運が悪かった、そもそもあの平民が決闘のマナーを守らなかった──そんな“もっともらしい理由”を口にしかけて、途中で言葉を飲み込んだ。
ノックの音がして、許しを出すとに二人の人物が入ってきた。
噂に聞いたことのある聖女と、そのお付きでこちらは顔馴染みのシンプソン神父だった。ウィルミーナの鼻を治したのはこの聖女なのだろう。娘の怪我に、血相を変えて教会に駆け込む両親の姿が眼に浮かぶ。
いつの間にか額から外されて床に置かれている自分の肖像画は、治す時に元の形を参考にでもしたのだろう。
「……傷は、痛みますか?」
神父は、いつもの柔らかな声で問いかけた。
声をかけられて、ウィルミーナはわずかに顔をしかめが、応えはない。
シンプソン神父は傍に腰を下ろし、柔らかな声で言った。
「痛むのは、身体だけではないようですね」
彼女が沈黙を保つ中、神父はほんの微笑を浮かべた。
「よろしければ、話だけでも。聖女様のおつきとして、多少の耳と口は持ち合わせておりますので」
しばらくして、ウィルミーナがぽつりと呟いた。
「……あんな、平民ごときに」
神父は静かに頷いた。
「あなたにとって、身分とは絶対のものだったのでしょうね。公爵家の令嬢という立場からすれば、それも無理からぬことです」
少しだけ眼差しを厳しくして、しかし穏やかに言葉を続ける。
「ですが、生まれが高くとも、低くとも、人は等しく女神に造られ、やがて同じ土に還ります。──ならば、あなたとあの生徒に何の違いがありましょう?」
ウィルミーナの手がわずかに動いた。
「それに――身分と、人間としての“質”は、必ずしも比例するものではありません」
ウィルミーナの指先がぴくりと動く。
「高貴な生まれであれば人格も高潔、というならば、我々聖職者は失言ひとつ致しませんし、王も時に間違えなど犯さぬはずです」
「“女神様は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお与えになる”──聖句です。あなたは今日、その意味を少しだけ知ったのかもしれませんね」
神父は優しく微笑みながら、言葉を締めくくった。
「敗北を恥じる必要はありません。大切なのは、そこから何を得たかということです。あなたの人生を、より豊かなものにするための糧としてね」
神父の言葉が終わった後も、しばらく沈黙が続いた。
ウィルミーナはふと、傍らに静かに座る少女──聖女に目をやった。
小柄な身体。年はウィルミーナより下か、同じくらい。けれどその身には、生まれつきの障害があると聞いた。脚に力はなく、言葉もままならない。
なのに。
ウィルミーナの視線に気づいたのか、聖女はゆっくりと目を合わせ、ほんのわずかに微笑んだ。
それだけだった。
何も語らず、何も誇示せず──けれど、そのまなざしは、どこまでも静かで澄んでいて、優しい。
威圧も、憐れみもない。あれは、上でも下でもない“同じ高さの目”だった。
ウィルミーナを責めるでも、嘲笑うでも、哀れむでもなく。
ウィルミーナは思わず、顔を背けた。
拳を握る。
自分の手は、つい先日まで人を叩き、見下し、支配するためのものだった。
聖女の手は、誰かを拒まず、傷つけず、ただ静かに膝の上に置かれている。
何もかも自分のほうが恵まれているはずだ。身体の不自由さなど想像したこともない。財産だって、身分だって。
だというのに、この聖女のまえでは自分が酷くちっぽけで惨めな存在に思えた。
「……こんな気持ちは、初めてですわ」
ぽつりと、ウィルミーナが呟いた。
神父は優しい声で「そのお気持ちを、どうかこの先もお忘れなきよう」とだけ返した。
二人が帰った後、公爵夫妻がウィルミーナの見舞いに来てこう言った。
可哀想に、ウィルミーナは間違っていない、あの平民はきっと卑怯な手を使ったのだ、あの者は退学処分にしよう、既に学園で圧力をかけさせている、あの者の両親の働き先にも圧力をかけよう。
ウィルミーナは激怒した。敬愛する両親を生まれて初めて怒鳴りつけた。
「あの者は正式な決闘の作法に則ったうえで上でわたくしに勝利したのです!わたくしが敗北したのは偏にわたくし自身の未熟! それを貶め、嘲るなど! まして退学にして家族まで追い込むなど言語道断! あの者だけではなく、わたくしへの侮辱ですわ!」
ちなみに、見舞いに来るかと思われた第一王子の姿はなかった。あれほど熱心だった取り巻きたちも、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。
ウィルミーナが学園に復帰すると、両親の言葉通り、あの平民へのいじめのような圧力がかけられているのを確認した。教科書が破られていたり、トイレに入っていれば水をかけられたり、歩いているだけで冷ややかな目線や聞えよがしな悪意ある囁きを浴びせられたり。
ウィルミーナは激怒する。誰がこんなことを命じたのか、見つけ出して処罰しなければ。
だがその前にやるべきことがあった。
ウィルミーナは単身、平民クラスに乗り込んだ。平民生徒達がギョッとした目で見てくるが眼中にない。
件の女生徒は涙をじっと堪えながら、ビリビリに破られた教科書を繋ぎ合わせていた。周りの生徒は誰一人手伝うことなく、遠巻きにして、厄介者に関わらないようにしているようだった。
「手伝いますわ」
「え、なんでここに」
「いいから」
ウィルミーナは修復魔法で教科書をあっという間に直した。大天才魔法使いであるウィルミーナはこういう魔法だって使えるのだ。
「…ありがとうございます?」
「お礼の必要はございません。むしろわたくしの手の者がこのようなことをしでかしたことを、お詫びしますわ」
女生徒は眉をひそめた。聞き耳をたてていた周りの生徒も驚いている。
あの傲岸不遜の悪役令嬢が、平民生徒に謝罪するなど。
「それから、あなたのご両親を侮辱したこと、重ねてお詫びします。…謂れのない侮辱でした」
「え、その」
「謝罪は受け取らなくて結構よ。モノは直せますが、あなたの傷ついた心まで治すことはわたくしにはできませんから。これはただのケジメです」
「いや、だから」
「それと、わたくしは決闘でわたくしを打ち負かしたあなたを、正式にライバルと認めます。平民のあなたが、このイゼルフォルト家令嬢であり、大天才魔法使いのわたくしに認められたのです。存分に誇ってよろしくてよ」
「え、いや、ちょ」
「学園なんて退屈なだけかと思っていましたが、あなたのような気骨のある生徒がいるなら少しは楽しめそうですわね。ところで、お名前を伺ってもよろしくて?」
「あ、あたしは」
「あぁ、先に名乗るのが礼儀ですわね。失念しておりましたわ。ウィルミーナ・エル・イゼルフォルトです。まぁ、ご存知でしょうけど。それで、あなたのお名前は?」
「あ、アニス」
「アニス…アニスね、しかと記憶しました。ではアニス、あなたへのくだらない仕打ちは今日中に終わらせますわ。用も済みましたし、今日はこれで失礼」
「え、ちょっ」
オーッホッホッホと高笑いをしながら、言いたいことだけを一方的に言って去っていくウィルミーナ。
その背中を見送った一人の生徒が言った。
「…天才じゃなくて、天災じゃね?」
その場にいた全員が無言で同意した。
これが後に、勇者パーティーの華の双璧と呼ばれる二人の馴れ初めである。
とはいえ、すぐに大きな変化があったわけではない。
ウィルミーナが反省していい子になったとかはなく、相変わらず傲岸不遜な学園の女王として君臨している。
少しだけ変わったとすれば、貴族子女たちの間に蔓延していた平民クラスへの潜在的な差別意識が、少しだけ和らいだことだろう。
原因はもちろんこの二人。
「だから、そうではないのです。この問題はこの公式を使うのですわ!」
「解ってるよ! ミーナはうるさいなあ」
「なんですってアニー! 人がせっかく教えてあげていますのに!」
「ミーナは教え方がヘタクソだって言ってるんだって!」
「なんてことを言いやがりますの!」「なんだよ!」
「やりますの!?」「やるか!?」
「「決闘ですわ(だ)!!!」」
公爵夫妻は語る。
あんなに心の底から楽しそうなウィルミーナの笑顔を見たのは初めてだ、と。
悪役令嬢は、もうどこにもいなかった。
余談というか蛇足のオチ。
アニスへのいじめに率先して手を回していたのは、他ならぬ第一王子だった。
自ら指示を出し、その証拠を密かに押さえたうえで、頃合いを見て全てをウィルミーナに擦り付ける計画だったそうな。
学園内の権力闘争で彼女を失脚させ、生徒会長の座を奪い取り、さらに好みの「たおやかで淑やかな令嬢」へ婚約者をすげ替える――王子主導の“ざまぁショー”を自作自演で開催するつもりだったらしい。
だがその目論見は、ウィルミーナの丹念で綿密で、それはそれは執拗な、蛇のような執念深い調査によって潰えた。
報告を受けた国王陛下はただ一言、「浅はかなり」と吐き捨てたという。
第一王子は一か月の謹慎処分。婚約も、双方の強い意志で正式に解消された。
曰く――
「婚約解消? どうぞご勝手に。あなたのような誇りも持たぬ卑劣漢など、こちらから願い下げですわ」
……とは、ウィルミーナの談。
そして、後ろ盾を失った第一王子と、台頭著しい第二王子の派閥による後継者争いが加速し、国王陛下が頭を抱えることになったのは、また別の話である。
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