五・五話 フェランディ先生の朝は早い
ノアリス女学園の職員室は、朝の光に淡く染まっていた。机の上の書類をわずかな風が揺らし、静かな空間に影を描く。
ノアリス女学園の教師歴十年。魔法戦闘学担当教師――フェランディ・オルレアンは、いつもの粗末な紺色のローブを身にまといながら、手に持った書類を無造作に揺らす。
「……はぁぁぁぁーー」
「早朝から、なになにぃ」
フェランディのため息を面白がっている、この不届き者は――ラファエル・ルミアン。精霊学や精霊基礎学の担当教師。フェランディの学生時代からの友人だ。
「も・し・か・し・て!補習のこと〜?」
「……そうだ」
フェランディは眉をひそめ、懐から折りたたみの書類を取り出した。そこには、生徒たちの成績や補習計画が記されている。
「はよ。お前、また眉間に皺寄せてんのな」
魔法戦術学教師――ウィリアム・ハーディングは「くくく」と声を転がしながら、フェランディの横に座る。彼もまた、学生時代からの友人だ。
「……おい、笑うな、ウィリアム」
「おぉー、怖い怖い」
フェランディの眉間のしわが、さらに濃くなるのを見るなり、ウィリアムは両手を挙げて冗談っぽくそう返した。
後から来たウィリアムに「なんか〜補習のことで悩んでるらしいよぉ」とラファエルが説明する。
ラファエルは、書類に目を走らせるフェランディの肩を軽く叩いた。
「で、結局なんなのさ。補習の件、具体的には?」
フェランディはため息を一つ吐き、紙の束を机に叩きつけるように置いた。
「少し事情があってな……。エルダンが補習に参加することになった」
「エルダン?あぁ、お前がいつも稽古をつけているやつだな」
フェランディはこくりと頷く。
「あ、でもでも。フェリシア・エルダンって優秀じゃなかったぁ?」
「それは、俺も耳にしたことがある。優秀な光魔法の使い手らしいな。だが、そんな彼女がどうして補習に?」
「彼女自身の補習ではない……」
ラファエルとウィリアムは、顔を見合わせる。
「昨日、エルダンが後輩の補習を一日で終わらせる、と言い出したんだ」
次の瞬間――ラファエルが「ぐふ!」と吹き出した。
「君のっ、スパルタのっ、補習をっ!一日でっ!!あははははっ、それは傑作だよっ!!」
ラファエルが爆笑している横で、ウィリアムは「なんだか、嫌な予感しかしない話だ……」と呟く。
フェランディは、その呟きに頷くしかなかった。
「……あいつなら、やるだろうな」
フェランディの言葉には苛立ちと諦観が混ざっていた。
ウィリアムは唇を緩め、机に肘をついて目を細める。
「お前。なんだかんだ言って、楽しみにしてんだろ」
「……否定はできないな」
フェランディはふっと笑いつつ、そう言った。
そんな会話を他所に、ラファエルはまだ「ゲラゲラ」「ぐはぐは」と笑っている。
「お前いつまで笑って――」
ふと、ラファエルの持っているチラシが、目に飛び込んできた。
フェランディは、そのチラシを乱暴に奪い取る。
「これ……エルダンの字か?」
魔法インクで、丁寧に書かれた小さなチラシには「飼い主募集中」と書かれている。手書きの文字はまるで笑っているような、少女らしい丸文字だ。
「おぉー、さっすがー!生徒思いの、せ・ん・せ・い」
頬をぷにぷにしようとしたラファエルを交わしつつ、フェランディは口を開く。
「それ、どうしたんだ?」
「食堂で見つけたんだよぅ」
ウィリアムも肩越しにチラシを覗き込む。
「全く、この猫たちは……何処から連れてきたんだ…………」
フェランディはチラシに目を落とし、写真の中の子猫たちを見る。
「後日、お前の使い魔が増えたら、笑っていいか?」
「はっ……笑えないな」
フェランディの頭の中で「フェランディ先生!使い魔、欲しいとか思ってませんかぁ?」という、エルダンの声が聞こえてくるようだった。
(はぁぁぁーー)
フェランディは、机に広げられている書類よりも、丸文字のチラシに力を感じてしまった。
苛立ちの混じったため息が、職員室の朝の静けさに溶けていく。




