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第四話 籠の鳥


 教室の片隅で、フェリシアは過去の話をしていた。フェランディ先生の前で、幼い頃のエマ先生との出来事、そして自分の暴走までを包み隠さずに。エレノアを魔法で傷つけては癒す――あの事件のこともだ。

 フェランディ先生先生は眉をひそめ、こめかみに手を添えている。静かな教室に、微かに紙や衣擦れの音が響く。


「そんな事があったのか」

 低く呟いたその声には、驚きと困惑が混じっている。

「それにしても君は一体何を考えている」

 フェランディ先生の声が、静かに、しかし確かな圧力を帯びてフェリシアに向かう。

心の中でフェリシアは、ひそやかに悪態をついた。「素直に全部話した私を褒めて欲しいですね」と。

 

「あの時はエマ先生を助けようと必死だったんです」

 

 声に出すと、過去の自分が目の前に甦る。

(あの時の私は、どうかしていた)

 怒りに任せて冷静さを失い、魔法を使うなんでありえない。

 エレノアがエマ先生の解答用紙を破ったこと、オリビアに暴力を奮ったこと、に過剰反応していた。

 それにしても――エレノアは、これからも何かとエマ先生に突っかかってくるだろう。フェリシアはそれを無言で覚悟する。

 

「これからどうしたらいいでしょうか……?私は小学部時代のように過ごすのはごめんです」

 お昼を分けたり、床を掃除したり、鞄についた画鋲を剥がしたり、授業を抜け出したり、森に虫を返したり――もう、あんなことはしたくない。

 それに小学部の時とは違い、勉強も鍛錬も忙しい。そんなことをしている余裕はフェリシアには無い。

 

「……それはしなくていい。暴走されたら面倒だ」

 先生の声が静かに、しかし確実にフェリシアの胸を打つ。

 ――子供じゃないのだ。もう、あんなことはしない。

「当時のようにはなりませんよ。もう、子供じゃないんです。それにあの時の事は本当に反省してますし……」

「その言葉信じるぞ」

「はい」

 考えただけで背筋が寒くなる。

 当時のフェリシアは、考えなしにも程があった。ヒールをかければ問題ない、と本気で思っていたのだ。

 最後に展開した氷魔法は、下手すれば即死をもたらす危険なものだった。

 魔力の流れすら感じられない相手に攻撃することは、それほど危険なことだ。

 それに命のないものを癒すこともできない。

 取り返しはつかないんだ。

 

「話を戻しますよ?」

 エマ「先生」になった今、生徒であるフェリシアとオリビアに助けられては、プライドが傷つくだろう。

 だから、生徒としての自分たちは出しゃばるべきではない。だが、放っておくわけにもいかない。

「フェランディ先生、エマ先生を気にかけて貰えませんか?元教え子なんですよね?」

「了解した」

 まさか、二つ返事で引き受けてくれるとは思っていなかった。

 やはり「元教え子」という一言が効いたのだろうか。

 周りに興味の薄いこの教師が、どれだけ助け船を出せるかは分からない。しかし、何もないよりはマシに違いない。

 

「自覚……していますか?」

 この人はきっと、言わなければこの先もずっと気が付かないのだろう。だから、一言もの申したい。

「フェランディ先生は、周りが見えていないです」

 眉間にシワが寄り、視線が少し険しくなる。

 ――怖い。だが、これはフェランディ先生自身の問題であり、フェリシアのせいではない。だからそんなに睨まれても困る。

「そんなことは無い」

「いいえ!事実です」

 

 フェリシアは人差し指をぴんと立て、力強く言い切った。

「現に私が受けている扱いにも、気づいていないのでしょう?」

 それでも、先生が自分の金髪を気にせず接してくれていることは、静かな喜びを伴っている。

(まぁ、フェランディ先生は黒髪だならなぁ)

 珍しい髪色を持つ者同士の、理解のようなものかもしれない。

「君もなにかされているのか?」

「はい、そうですけど」

 

「私のはエマ先生とは種類が違います。人が鳥籠の鳥を見るのと同じようなものですよ。誰も鳥をいじめているとは思っていないし、籠に入れることに疑問を持ちません」

 

「……?何が言いたい」

 転移魔法でここまで来る間、ずっと見られていたのに、この教師は周囲の視線に鈍感なのか。

それとも、それを気にしていたら生きていけない環境に長くいた副作用なのか――

 

「そのままの意味ですよ。この金髪は光属性魔法を上級まで習得できる証拠。それだけで十分説明になっていますよね」

 フェリシアは自分の髪を摘み、静かに見つめた。

 フェランディ先生も自身の黒髪を見つめ、複雑な表情を浮かべる。髪色よりも深い何かを物語る表情。

 きっと、この教師も知られざる苦労があるのだろう。

「お互い苦労しますね」

 フェリシアは、にっこりと笑ってそう言った。

「ああ」

 その瞬間、フェランディ先生は、フェリシアが知る限りで一番、優しい顔をしていた。


「ごほん。エマ先生の初授業は来週からです」

 私は咳払いをして話を戻すと、フェランディ先生の表情は、見慣れたものに戻っていた。

「来て頂くことは出来ますか?」

 この学園では自由に他の先生の授業を見学しても良いようで、私のクラスにもよく見学の先生が来たりする。フェランディ先生がいたらエレノアもさすがに何もしないだろう。

「来週のいつで、何コマ目だ?」

 フェランディ先生は黒のカバーがかかっている手帳を出した。

「あー、ちっと待って下さい」

 フェリシアは机の上に授業一覧表を広げる。

 オリビアと確認したが治癒魔法学の授業中だったので、サッと見ただけで細かくは覚えていない。

 色んな学科の授業が乗っているのに、一瞬で覚えるなんて不可能だ。

「えーと……来週の初めで、四コマ目ですね」

 フェランディ先生は黒のカバーがかかった手帳を取り出す。ページをめくる音が、静かな部屋に響いた。

「無理だ」

「え」

「高等部一年の授業が入っている」

 フェリシアは肩をすくめる。

 運が悪かった。文句を言っても始まらない。

「分かりました。その日の放課後、会えますか?初回授業の様子も伝えたいですし……」

 エマ先生の初回授業の報告をして、今後の対策を考える。フェリシアはそう決めた。

 だが、フェランディ先生は静かに告げる。

「放課後は寮の門限前まで、高等部二年の補習をする予定だ」


(意外とこの先生、忙しいんだな)

 

「どうするんですかぁーー」

 フェリシアは授業の一覧表をしまいつつ、つい文句を言ってしまった。

 

「そんなことを言われても困る」

 何処のどいつだか知らないが、悪い成績を取った二年生を恨む。

 こうなったらやるしかない――

 

「補習はいつからですか?」

「明日からだ」

 放課後の予定は一つもない。フェリシアは心の中で拳を握る。休日は店番があるが、それ以外の日は自由だ。勉強の時間は、一旦忘れよう。

「その二年生の補習、私も行っていいですか?」

「何故そうなる」

 フェランディ先生の頭の上に「何を考えているんだ。こいつは」という吹き出しが見えそうだ。

「早く補修を終わらせます。私が全員明日中に合格させてみせますよ!」

 この時期の、高等部二年生の魔法戦闘学は――

 実践における、魔法の行使と剣術の併用。

 剣に魔力付与を施し戦う。

 というものだ。

(私の得意分野だね)

 フェリシアはにんまりと口角を上げる。

「明日中に全員合格は厳しいと思うぞ。なんせ今年の二年生は問題児揃いだからな」

 絶望的な状況に心がざわつくが、フェリシアは目を細める。

「私を誰だと思っているのですか?」

 フェリシアは、魔法戦闘学で常に一位を取り続けた女。

 どんな後輩が来ても必ず全員揃って合格させてみせる。

(私ならできる!頑張れ私!!)

 

「それに先輩である私と剣を交えることは、後輩ちゃんのためにもなりますよね?」

 フェリシアは諦める訳にはいかないのだ。オリビアとの平穏な学園生活のために。

「はぁぁぁーー、分かった。好きにしろ」

 フェリシアは心の中で小さくガッツポーズ。――待ってろよ、可愛い後輩ちゃんたち!

 

 その時、ジリジリジリジリィィィィ――と魔導具が鳴った。

 教師の退勤時間を告げる音。

「フェランディ先生……今の幻聴ですよね?」

 現実逃避をするフェリシア。だが、フェランディ先生は首を振る。

「あー、ヤバい。時間を全く気にしていなかった!」

 門限はとっくに過ぎていた。

「やってしまった……」

 かくなる上は――

「フェランディ先生!転移する場所は私の部屋でお願いします!!」


「同室の者にあらぬ誤解が生まれるのだが?それに俺は君の部屋を知らない」

 夜遅くに転移魔法で届けられる。つまり、そういうことだ。

(あうわぁぁぁぁ!それは困る、非常に困る!!)

 だが、寮母に叱られる方がもっと怖い。

「だ、大丈夫ですよ。同室は昔から仲のいいオリビアです!誤解は私が解きますのでご安心を」

 フェリシアは早口でそう告げる。

「その言葉信じていいのか?」

 フェリシアはこくりと頷き、部屋番号を教えた。


 * * *

 

「うわぁぁぁぁ!?」

 転移魔法で突然現れたフェリシアとフェランディ先生を見て、オリビアが叫んだ。

 (……そりゃあ驚くよね。ごめん、オリビア)

 

「フェリシア!?全然帰ってこないから心配してたんだよ。て、てゆうか、フェランディ先生……。こんな遅くまでフェリシアと何をしてたんですか?」

 

(あぁぁぁぁぁーー!違う、違うんだオリビア!!)

 

「……フェランディ先生、帰って大丈夫ですよ。オリビア以外の人に見られたら、もっと面倒なことになるんで」

「了解した」

 フェランディ先生でも、さすがに転移魔法を連続無詠唱はきついらしく、今度は詠唱をしてから帰っていった。魔力消費の問題は教師でも変わらないらしい。

「よし!!オリビア、夕飯食べに行こうか!」

 この学園には二つ食堂がある。昼間だけ営業している本校舎の食堂と、朝昼晩と開いている寮内の食堂だ。どちらも学生価格でお財布に優しいが、寮内の方はメニューが豊富で人気が高い。

 だから、早く行かないと食べたいものが売り切れてしまうかもしれない。

「フェリシアちゃん?」

 オリビアが、ドアノブに手をかけたフェリシアを止めた。

 肩に伝わってくる怒りを感じ、フェリシアは恐る恐る口を開く。

「オリビア?なんで、昔の呼び方……」

 オリビアは、無言で椅子を指さす。

 きっと「説明しないと、ずっとこう呼ぶから。そこ座って?」と言いたいのだろう。

(……誤魔化せなかったかぁ)

 フェリシアは素直に、ちょこんと座った。

 そして、フェランディ先生との一部始終を説明する。

 

「なるほどね。事情はわかった」

 オリビアは息を吐き、ポニーテールを解いた。

 その動作に、フェリシアはちょっとだけ背筋が伸びた。――あれはお説教が始まる合図だから。

「時間を忘れるほど、エマ先生のことを考えてくれたのは嬉しいです。ありがとうございます。でも、私が帰って来なくて心配するのは、分かりますか?」

 

(あぁー、これは大分キレてる)

 オリビアは怒ると敬語になる。以前理由を聞いたら「家族とは敬語で話すから、感情が高ぶるとついね」と言っていた。そういえば、あのエレノアの教室事件のときも敬語だった。

 

「はい、分かります。これからは気をつけます」

(……だから許してください)

 オリビアにつられて私も敬語になる。

「そうしてください。それから」

(……まだ、あるの?)

 フェリシアはお腹が鳴りそうなのを必死に抑えながら、さらに姿勢を正した。

「フェランディ先生は教師ですが、男性ですよ?外聞を気にしてください」

「はい気をつけます」

 フェランディ先生とどうにかなる事は一生ないが、確かにこの学園が「女」学園であることを考えると、注意すべきだろう。

 女子という生き物は、基本頭の中がお花畑で、恋バナというのが大好物だ。

 出会いが少ないこの環境では、男性教師に恋する生徒がいてもおかしくない。後期から来る教育実習生とか、毎年なにかしら事件を起こすし。

 

(……まぁ、フェランディ先生を好きになる生徒はいないと思うけど)

 

 このあともしばらく、お説教は続いた。

 

 一、遅くならないこと

 二、外聞を気にすること

 三、何かあったら隠さずに話すこと

 四、今後はエマ先生の話し合いにオリビアも参加すること

 五、あの時みたく暴走しないこと……

 

 この五つをオリビアに約束した。

 

「分かってくれて嬉しいです。ではフェリシア、夜ご飯を食べに行きましょう」

 フェリシアは心の中で踊った。

(待ってましたー!!)

 敬語はそのままだけど、呼び方は戻った。たぶん明日には敬語も戻ってるはず。

 稽古に相談にお説教と、すでにお腹はペコペコだ。

(えーと、魔力回復用ポーション……。あったあった)

 棚から取り出して一口。魔力がじんわり戻っていく。

 寝れば自然回復するが、こういうときは即効性が欲しい。

 

『光よ、雫となりて我が道を照らせ!蛍光(ルクス)


 掌から零れた淡金色の光が、石造りの壁を滑り、古びた肖像画の額をかすめる。

 天井のアーチには、昼間の熱気を忘れた冷たい空気が満ちていた。

 魔力の粒子が光に反応してふわりと浮かび上がり、まるで星屑が漂うみたいだ。


 昼は学生たちの笑い声が響くこの回廊も、今はしんと静まり返っている。

 遠くで、時計塔の鐘が一度だけ鳴った。

 その音が石の壁に反響し、静寂をより深くする。


 ノアリス魔法学園のライトは門限までしか灯らない。

 時間外は、こうして生徒が光か炎の魔法で移動する決まりになっている。

 フェリシアが魔力を回復させたのは、だるさを感じたのもそうだが、このためでもあった。

 

「今日の日替わりディナー美味しかったね〜」

 すれ違った女子生徒がそう話しているのが聞こえた。

 今日のメニュー、なんだろう。

 フェリシアは小さく息を吐く。

 食堂には日替わりメニューがあり、それを密かに楽しみにしている。

 昨日はさっぱりしたスープと、食用魔物の肉を香草で焼いたもの。

 それに、外はサクッ中はふわりとしたパンだった。

 

「そういえばここ最近、魚料理がよく売り切れますよね。今日もなかったら四日連続ですよぉ……悲しいです」

「仕入れが上手くいってないのかな?」

「そうかもしれませんね」

 今の季節は魚が一番取れるはずなのに。

 不思議なこともあるものだな。

 

 廊下の奥で、誰かの足音がまたひとつ響く。

 フェリシアは光を少しだけ強め、オリビアと食堂へと続く階段を下りていった。

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