第三・五話 小学部時代の苦労
これはエマちゃんがエマ先生になる前の話だ。
「オリビアちゃん!おはよう!!」
小学部の教室に入ると、同時にオリビアに声をかけた。
窓から射す朝の光が、木机の表面を白く照らしている。
「おはよう、フェリシアちゃん」
エマちゃんがいじめられ始めたのは、オリビアといつも通りに会話していた、なんでもない一日だった。
……いや、違う。あの日は基礎古代魔法文字のテストが返された日だった。
「それでは、テストを返却します」
担任の先生の声を聞いて、教室のみんなは机の上を綺麗にした。名前を呼ばれたので、私も答案を取りに行った。
私は八十八点、オリビアは九十五点だった。
HRが終わり、帰り支度をしていると、後ろからドンッという嫌な音がした。私もオリビアもびっくりして、音のした方を見た。
そこには、エマちゃんが倒れ込んでいたのだ。
突き飛ばした犯人の手には、先程返されたテストがあった。原因はこれだ。名前の欄に「エマ・ノクティス」と書かれた解答用紙は満点だった。
エマちゃんは顔を伏せて、ノートの端を握りしめた。
「なに? 泣いてるの?」
エレノアの声が刺さる。
「……や、やめてよぉ」
頑張って出したであろうエマちゃんの声は、驚くほど小さかった。
取り巻きたちがくすくすと囁き、教室の空気が冷たくなる。
そんな空気を変えたのはオリビアだった。
「何をしているのですか!?」
オリビアはガタンと椅子から立ち上がり、エレノアとエマちゃんの間に割って入った。私もクラスの一人に先生を呼ぶようにお願いし、オリビアの隣に立つ。
「邪魔なんだけど」
私とオリビアは、エレノアを無視して、エマちゃんに駆け寄る。
「エマちゃん、大丈夫?」
私がエマちゃんに手を差し伸べると、エマちゃんはその手を掴んで、立ち上がった。
「あ、ありがとう……フェリシアちゃん。それにオリビアちゃんも」
私とオリビアはエマちゃんににっこり微笑んだ。
しかし、エマちゃんのテストはエレノアに取られたままだ。
「こんなもの……!」
ビリビリと紙が破れる嫌な音が教室に響いた。
「っ!あなたね!!」
オリビアがエレノアに詰め寄った。
「エマちゃんにいじわるする理由はこれでしょ?」
私はオリビアがエレノアに詰め寄ってる隙に、エレノアの机の中にあったそれをみんなが見えるように、高い位置に持った。
「なっ!」
エレノアはこちらに気付き顔が真っ赤になった。当然だ。エレノアのテストの点数は三十五点だったのだから。
「自分の点数が悪いからって、恥ずかしくないんですか?」
オリビアは冷ややかにそう言った。
エレノアは顔を真っ赤にして、オリビアに思いっきりビンタをした。
「オリビアちゃん!」
床に膝をついたオリビアを見て、さぁと血の気が引いた。
――私は詠唱を口にする。
『大地に癒しを与えし光よ、その力を我が手に。ヒール』
オリビアの真っ赤になっていた頬がみるみるうちに元通りになる。
エマちゃんに支えられて、立ち上がるオリビアを横目に、今度は私がエレノアに詰め寄った。
「先に手を出したのはそっちだから」
そう言って、私はエレノアを睨んだ。
『吹き荒れる風よ、鎌となりて進め。風の斬撃』
エレノアは、私の風魔法によって足や手に切り傷を負った。
その目から一筋の涙が落ちる。
「安心して?ちゃんと治してあげるから」
私はオリビアの傷を癒したのと、同じ詠唱を口にして、傷を跡も残さずに綺麗に癒した。
そのまま、傷つけては癒しを数回繰り返した。
『氷よ、我が敵を凍らせよ』
次の瞬間、教室内の温度は一気に下がり、エレノアの足元には発動前の氷魔法が広がる。
「お願い!フェリシアちゃん落ち着いて!!」
オリビアはそう泣き叫んだが、私の耳には届かなかった。
「どうする?エレノアちゃん、エマちゃんに謝る??」
当時の私は規格外の化け物だった。
普通は小学部から詠唱魔法を使える者などいない。その年齢なら魔力の流れを感じるだけでも、凄いと言われているのだ。
「⋯⋯」
エレノアは恐怖で震えている。
『凍結』
私はそんなエレノアに容赦なく、魔法を発動させた。
しかしそれは、エレノアに届くことはなく、相殺される。
駆けつけた先生が、防御結界を発動させたのだ。
「フェリシアさん、魔法を使えない相手を一方的に攻撃してはなりません!」
先生の言葉で、私は正気に戻った。
そして事情を説明し、エレノアは先生から指導を受けたはずだ。
(……私もこっぴどく怒られた。あの時の先生、本気で怖かったなぁ)
――その日をきっかけに、エレノアは私とオリビアがいない隙を見計らって、エマちゃんに嫌がらせをするようになった。
鞄に入れたお弁当が消えたり、廊下で滑って泥だらけになったり、
取っ手に画鋲を仕込まれたり、ロッカーに閉じ込められたり、
鞄の中に虫を入れられたり――
私はそのたびに怒って、オリビアに止められた。
そして、オリビアの冷静さと、エマちゃんの笑顔に救われた。
「大丈夫、フェリシアちゃん。私、平気だから」
そう言って笑うエマちゃんの声が、今でも頭に残っている。
……あの頃の私は、何もわかっていなかった。
彼女の強さも、優しさも。
その笑顔が、どれだけ痛みの上に成り立っていたのかも。
一年が過ぎて、エマちゃんは飛び級した。
ようやく平穏が戻ったと思っていた。
けれど、彼女はその後も上級生たちにいじめられていたという。
私たちはもうどうすることもできず、ただ噂を聞いて胸を痛めるしかなかった。
そんなある日、エマ・ノクティスが新しい魔法を開発した、という噂を耳にした。
炎と雷――相反する二つの属性を、常人には制御できない魔力密度を、祈るように束ねた複合魔法。
天才少女は、誰も見たことのない“白い炎”を作り出した。
これがエマちゃんが〈ノアリスの白焔姫〉と呼ばれる所以だ。
私は少し息を吐いた。あの小さくて泣き虫だったエマちゃんが、今や〈ノアリスの白焔姫〉として語り継がれる存在になった――と、心の中で静かに思う。
めでたしめでたし……のはずだった。
だって、エマちゃんが数年後に教師として戻ってくるなんて、誰が想像できただろうか。




