第三話 砕けた剣と厄介事
「はあ、はあ、はあ……」
フェリシアは息を切らして、森の中で立ち止まった。
授業が終わり、放課後。
フェランディ先生と学園の森で稽古中だ。
「まだまだ、行くぞ。息を整えろ」
フェランディ先生は涼しい顔でそう言った。
「は、はい……!」
フェリシアは心の中で泣きそうになりながらも、剣を握りしめる。
――本当にこの先生、化け物だ。
フェランディ先生は、的確なタイミングで的確な場所に闇魔法を展開してくる。そのせいで全然間合いに入れない。
魔法付与された制服のおかげで軽傷で済んでいるが、普通に戦えば致命傷は確実だ。しかも、今フェリシアは真剣を持っている。
対してフェランディ先生は丸腰。
しかもスーツ姿。
なのに、隙を突かれては翻弄される。
「……なら!」
フェリシアは深く息を吐く。
そして、片手を前に出した。
『凍てつく氷よ、結晶となりて我が敵を凍えさせよ!』
周囲の気温が一気に下がり、辺り一面に氷魔法が展開された。
(手数で押し切る!!)
「ほう?」
それでも、フェランディ先生は涼しい顔をして立っている。
『氷晶!!』
無数の氷がフェランディ先生に降り注ぎ、土ぼこりが舞う。
フェリシアは土ぼこりを煙幕替わりに距離を詰める。
間合いに入った、と思った瞬間――
「ん?暑い⋯⋯?」
フェランディ先生の炎魔法で氷は消されていた。
(……中級魔法を無詠唱!?)
やっぱり、化け物だ。
『闇よ、微風を纏いし者となれ』
闇と風の複合魔法。
気づいた時にはもう遅く、フェリシアは発動前の闇魔法に包まれた。
「暗黒の微風」
間一髪上空に飛んで回避した。
しかし、遠隔魔法が展開され、為す術もなく地面に叩きつけられた。
「まだまだ……!!」
(つうぅぅ、痛っ!)
立ち上がろうと力を入れた右足は、膝から踝までパックリと切れていた。
『大地に癒しを与えし光よ、その力を我が手に!ヒール!!』
フェリシアは、いつもよりも早口で詠唱した。
グロいことになっていた足の傷は塞がり、フェリシアは再び剣を構えた。
「先程から魔法に振り回されているようだが。その剣は飾りか?」
(ぐんぬぅぅぅぅ!)
フェランディ先生相手に手数で押し切るなんて、やけクソは通用しない。頭を使わなくては。
フェランディ先生は、こちらの出方を伺っている。フェリシアは剣を構えた姿勢のまま、思案する。
風魔法で身体強化をするのが得策だろうか。いやそれじゃ足りない。もっと何か――
『風よ、我が力となりて進み給え!飛翔!!』
フェリシアは、詠唱で透明な翼を形成した。
風の上級魔法――飛翔。
消費魔力は高いが、他の風魔法に比べ物にならないほど素早く動ける。
闇魔法を素早く交わし、再びフェランディ先生の間合いに入り込む。
(今度こそ……!)
しかし、剣は届くことなく砕け散った。
フェランディ先生は無詠唱で闇魔法の盾を形成したのだ。
さらに、無数の闇槍が襲いかかる。
(……殺す気!?)
もう魔力は残っていない。
透明な翼も消えて剣も失った今、この槍どもを回避する手段なんて残されていない。
フェリシアは目をギュッと閉じるしか無かった。
「今日はここまでにしよう」
フェランディ先生はそう言って、槍を既のところでピタッと止めた。
槍に刻まれた魔法は意味をなさなくなり、サラりと崩れた。
フェリシアは、額の冷や汗を拭ってから、立ち上がる。
「今回の反省点は何だ?」
最近のフェランディ先生は、こうして反省会をしてくれるようになった。
「やはり数で押し切ろうと、氷魔法を展開したことでしょうか」
「そうだ。あれは魔力消費が激しい」
あの魔法は、威力は凄いが中級魔法で魔力の消費も激しい。
「それにあの風魔法もだ。距離を詰め、間合いに入ってくることがバカでも分かる。頭を使え」
(使いましたが⋯!?)
確かに、あの上級魔法は物資の運搬に使われることが多い。戦闘で使われることは少ないだろう。
それでも、機転をきかせたつもりだった。
フェリシアはフェランディ先生を睨む。
「あれで頭を使っているつもりなら、それはただの勉強不足だ。もっと魔法戦闘学の理論を勉強しろ」
「先生が『その剣は飾りか?』って言ったんじゃ……」
「あんな安い挑発に乗るな。足を掬われるぞ」
「……出直してきます」
この場で叫びたい程悔しいが、フェランディ先生の言っていることは全て事実だ。自分の力不足を痛感して不甲斐なくなる。
このまま、勝ちなしで卒業するなどごめんだ。
ここは素直に受け止めて魔法戦闘学の勉強をしようと思う。
フェリシアは、フェランディ先生の綺麗な顔に、傷をつけることを密かに誓った。
「期待して待っている」
* * *
フェリシアはしゃがみ込んで、地面に散らばった剣の破片を見つめる。
新調したばかりの剣。
半年分の店番のお小遣いと、薬草を手に入れるための崖登りの努力が詰まった剣。
それが粉々になっている。
「フェランディ先生」
フェランディ先生は自分が、なぜ呼び止められたのか理解していない様子だ。
「……剣」
フェリシアは掠れた呟く。
目の前にある無惨な破片が、どうやら先生には見えていないらしい。
「剣が破損しました!」
今度はフェランディ先生に聞こえるような、大きい声で叫んだ。
フェリシアは散らばっている破片を指さす。
「ああ」
再び、フェランディ先生は淡々と歩き出してしまった。
「あの!弁償して下さい!!」
「…………」
(あぁぁぁーー、無視ですか?もう!!!)
止まってくれないのでフェリシアは、早足で追いかけながら声を張る。
「『ああ』って……それだけですか!?新調したばかりの剣なんですよ!!」
「剣が……可哀想だな」
壊した本人が言うセリフだろうか。
「使い手に恵まれていたら、あと数年大事に使われていただろうに」
フェリシアの眉がピクリと動く。腹立たしいにも程がある。
「フェランディ先生、そういうことを言うから生徒に嫌われるんですよ?」
「興味無いな」
(⋯⋯ええ、知っていますとも)
怒りも呆れも入り混じった感情が渦巻く。
「……あの時の、中級魔法ですよね?あんなに強力な結界、わざわざ発動させる必要があったんですか……?」
初級魔法でも充分、力を相殺できたはずだ。
「俺がどんな魔法を使おうと俺の勝手だし、剣が折れたのは君の責任だ」
確かにその通りだ。
しかし、交渉は諦めなるつもりなんてない。
後期からは王立騎士団で実習が始まる。切り詰めれば、何とか間に合うかもしれないが、そんなのごめんだ。
それに、学園の経費で代わりを手に入れる方法がある。
本当はムカつく発言をしたフェランディ先生に自腹で弁償させたい。
しかし、それだと交渉は決裂してしまいそうなので、仕方ない。
「確かに私に責任があることは認めます。ですが!フェランディ先生との稽古中に破損したんです、この学園内で!」
フェリシアは、両手をバッと広げた。
大袈裟なその動きは、まるで舞台上の役者のようだ。
「つまり、学園の経費で代わりの剣を買ってくれと、そう言いたいわけか?」
フェランディ先生は、ため息をついた。
「その通りです」
あと、もう一押しだ。
フェリシアは、フェランディ先生の行く手を阻み、上目遣いで見上げた。切り札は最後まで残してある。
「それに、このままだとフェランディ先生の授業が受けられないかもしれない……」
少し悲しげに声を伸ばす。授業への影響をチラつかせる、交渉の奥の手。
実は家にお古の剣が一本残っているのだが、それは秘密にしておく。
「はぁ……分かった」
勝った。
フェランディ先生は少し複雑な表情で、再び歩き出す。フェリシアは満面の笑みで後を追う。
「何故、着いて来る?」
「話があるんです」
「話なら終わっただろう?」
「いや、別に話があるんで」
今日、新しい担任として現れた、かつて〈ノアリスの白焔姫〉と呼ばれたエマ先生の話をしたいのだ。
フェランディ先生は、嫌な予感がしたのかこめかみに手を添えて、深く息を吐いた。
* * *
学園の森を出て、校舎内に入るとまだ残っている生徒が所々にいる。
「何だ?」
「えーと、話を聞いてくれるのは嬉しいんですが……」
フェリシアは周囲の目を気にするように、キョロキョロした。フェリシア一人でも注目を集めるのに、フェランディ先生と一緒に居て、目立たないわけがない。
残っていた生徒はこちらを見物している。
こんな中でエマ先生の話をしたら、自分が相談したことが丸分かりで、後々面倒な事になりそうだ。
すると、フェランディ先生は肩に手を触れ、無言で転移魔法を発動させた。
瞬く間に二人は安全な部屋に移動する。
広さは程よく、机と椅子、本棚にはぎっしりと本が並んでいる。
フェランディ先生は手で、ソファーに座るように指示した。
「こんな部屋あったなんて驚きです。それにしても、フェランディ先生、なんで転移魔法を?」
「ここは試験の問題を作っている場所でもある」
つまり、その試験を受ける生徒である私に、場所が知られると不味い。だから、わざわざ転移魔法を使ったようだ。
「そういうことなら、周りの物を見ないよう配慮しますね」
今はまだ試験前では無いが、フェランディ先生のことだ。既に試験問題を作り終わっているだろう。
「それに……エルダンに場所が知られれば、定期的に厄介事を持ち込まれそうで敵わん」
なるほど、それは間違っていない。
フェランディ先生は、フェリシアの事をよく分かっているようだ。
あまり厄介事を持ち込むな、と釘を刺されてしまった。
「それで、話とは何だ?」
フェランディ先生はなくなく話を切り出した。
環境は整った。
「エマ先生を私たちの学年が、在学中に教師にするなんて、頭おかしいんですか?」
「人事に関しては俺の首の挟むところでは無い」
フェランディ先生は今年で二十八。まだ若いが、教師歴は十年。
フェランディ先生もまた、エマ先生のように飛び級をしまくった天才だ。
ベテランのフェランディ先生なら、人事にも関わっていると思った。
そうで無いということは――
「学園の噂話は本当だったんですね」
この学園の教師は、学園長の独断で決まっていると聞いたことがある。
今まで噂話の域を超えていなかったが、フェランディ先生のこの発言で事実だと分かった。
学園中に広まっている、教師になりたかったら「学園長に気に入られろ」や「保守派につけ」というのは正しかったらしい。
ということは、フェランディ先生も保守派なのだろうか。
「学園長に直訴した方がいいですね。ここから出して下さい」
フェリシアは、勢いよく立って、握りこぶしをブンブンして見せた。
「何故そうなる。学園長の会うのは止めておけ」
フェランディ先生は「俺は知らん。学園長に言え」と言ったのだと思っていた。けれど、違ったらしい。
「学園長に失礼をすれば、首が飛ぶぞ」
これがフェランディ先生流の冗談だとしたら、全く笑えないことを伝えなくては。
「それは比喩ではなく、物理的に……ですか?」
「物理的にだ」
(何それ!?怖っっ!!……ん?待てよ、もしかして)
この国は嫌という程の魔法絶対主義である。
魔法が使えない下級貴族よりも、魔法が使える上級平民の方が優遇されるほどに。
学園長に失礼をした場合物理的に首が飛ぶ。それってつまり――
「学園長は中級貴族だ」
この学園は上級平民専用の魔法学校。
生徒は勿論、教師だってみんな上級平民だ。まさか身分差がある人物が、学園内にいるとは思わなかった。
学園長は何故ここにいるのだろうか。
中級貴族なら、中級貴族専用の魔法学校で学園長を目指せばいい。わざわざ、上級平民の魔法学校で学園長をやる理由などないだろう。
なんだか、きな臭い何かを感じてしまう。
それにしても噂を信じて学園長に会いに行った生徒を思うと、なんとも言えない気持ちになる。
教師になるべく、気に入られようと学園長に会いに行ったら目の前にいたのは中級貴族でした。なんて血の気が引く話だろう。
とにかく、学園長とは出来るだけ接触はしない方がいいだろう。
「学園長に会いに行くのは止めておきます。まだ胴体とは仲良くしていたいので」
そう決め、椅子に腰を下ろす。
「ああ、そうしてくれ。で、エマ先生が、君の学年の生徒が在学中に、教師になるのが、どうしていけない?」
「……え、うっそ」
フェリシアは心の中でため息をつく。
「本気で言ってます?」
「至って真面目に話をしているつもりだが」
フェランディ先生は教師歴が長い。だから、当時のことを知っている前提で、話を進めてしまった。
エマ先生が過去に虐められていたこと。
騎士学科を専攻していたこと。
それを知らないのかもしれない。
「エマ先生ってフェランディ先生の教え子じゃないんですか?」
「その通りだが」
この調子だと、フェリシアが周りから、どんな態度を取られているかも知らなそうだ。
「よく、分かりました」
とはいえ私が直接エマ先生と関わりがあったのは小学部三年だけだ。
それ以降はただの噂話で、当時この学園にいた生徒なら誰でも知っていると思う。けれど、情報の出処が分からない話をするのは良くない。
なのでとりあえず、自分の目で見た事だけを話そう。
「これは私が小学部三年の時の話なのですが」




