第八話 オリビア先輩の図書室大戦争
森を抜けると、湿った空気が少しずつ乾き、遠くから鐘の音が聞こえてきた。
鐘の回数は三。
この鐘が鳴ったということは、寮の門限まで残り三時間。
オリビアは額の汗を拭いながら、学園の本校舎を見上げる。
重厚な石造りの塔。窓には古びたステンドグラス。
昼下がりの光が斜めに差し込み、埃の粒が金色に輝いている。
オリビアは名簿に視線を落とす。
Ⅱ C イレーネ・ドゥヴァル 真面目 属性水・氷
ⅣC ミレーナ・ドゥヴァル すぐ寝る 属性水・氷
ⅣC シャーロット・ラモン 気だるげな皮肉屋 属性風・雷
(まだ補習に来てないのは、この三人)
三人が何処にいるのか全く検討がつかない。
適当に歩くのも時間の無駄。
そうしたらやるべき事は一つ――聞き込みだ。
オリビアは名簿を胸に抱えながら、石畳の廊下を歩き始めた。
校舎の奥へ進むにつれ、静寂が増していく。足音が反響し、少し冷たい石の香りが鼻腔をくすぐる。
(ここなら)
オリビアは図書室の扉を開ける。
その瞬間、図書室特有の本の香りがふわりとオリビアを覆い、心を満たす。
窓から差し込む昼下がりの光が、埃にまみれた空気を柔らかく染めている。
無数の書架が整然と並び、背の高い魔導書が所狭しと収められた光景は、日常の一部だ。
「あら、オリビアちゃん」
茶色い髪に、グレーに一滴緑を落としたような瞳――彼女は図書館司書のアルマ先生だ。
属性は土と風。
けれど彼女には魔法を行使できるだけの魔力はない。
「今時間あるかしら……?」
そう言ったアルマ先生は、眉を下げて部屋の隅に置いてある包みを見る。
包みの中に入っているのは、新しい本だろう。
包の数は八つ。一つの包みに数十冊は入っていそうだ。これを一人で本棚に移すのは、相当骨が折れるだろう。
オリビアは「手伝います」とにっこり微笑む。
新しい本が来れば、長く誰にも借りられていない古い本は、地下にある保管室へと移動させられる。
だから、単に本棚に本を詰めればいい訳では無いので、この作業は割と大変だ。
なぜこんなに詳しいかと言うと、小学部時代から何回か手伝いをしているからだ。
アルマ先生が「オリビアちゃんはそっちの棚からお願い」と、オリビアに声をかける。
今回は既に、保管室に移動になる本をリストアップしているようだ。
オリビアはその一覧表を受け取ると、小さな踏み台を取り出す。
棚は高さがあり、上段は脚立がないと手が届かないのだ。
本が手の届く高さになったところで、オリビアは背の高い魔導書を一冊ずつ丁寧に手に取った。
埃が積もった表紙を柔らかい布で払うと、革や古紙の匂いが立ち上る。
(この本……かなり古いものだ)
オリビアはその中の一冊が何となく気になって長机に戻り、本を開いてみた。
そして――思わず息を呑む。
精緻に描かれた魔法陣。
ページをめくる指先に伝わるわずかな凹凸。
そしてそこに残る古墨の感触。
墨の濃淡や、紙に染み込んだ微かな色彩がオリビアの瞳を彩る。
それはまるで、描き手の手の動きまでも記憶しているかのように長い年月を経てもなお、輝いていた。
オリビアの手に汗が滲む。
(こんなにも精緻で……。初期の水魔法の理論、そして応用例まで……)
書き込みはただのメモではなく、先人の魔法使いたちが実際に試行錯誤した痕跡だ。
実験の結果や失敗例、成功例まで、隅々に書き込まれている。文字の形や線の強弱から、作者の熱意や苛立ち、そして発見した喜びまで、まるで手に取るように伝わってくる。
「この本は百年以上前の水魔法の原典なのよ」
オリビアが本を読んでいると気づいたアルマ先生は、いつもと変わらず柔らかく声をかけてきた。
魔法陣の複雑さ、注釈の緻密さ、巻末に描かれた図解。すべてが、現代の教科書では触れられない深淵な知識の世界を映していた。
「この本、本当に保管室に移しちゃうんですか……?」
「そうね」
「こんなに、素敵な本なのに……」
「オリビアちゃん?保管室に移すのは――」
『本のためでもある』
オリビアとアルマ先生の声が重なる。
「……わかってますよ、アルマ先生。この子は引退するだけ」
この本は、精密で素晴らしい。もっとたくさんの人に読んでもらいたい――オリビアはそう思った。
そしてこの本もたくさんの人に読まれることを望んでいるはずだ。
けれどこの本は紙がかなり劣化している。
このままここに置いていたら、破れかねない。
それが現実だ。
オリビアは開いていた本を閉じ、右手で優しく撫でる。
それから目を閉じ、小さく呟く。
――「お疲れ様です」
「さて、オリビアちゃん!作業を続けましょう。この調子でやっていたら終わらないわよ」
アルマ先生の言葉にオリビアは「はい」と頷く。
* * *
「ふぅ、ひと段落着きましたね」
オリビアは自分の肩をぽんぽんっと叩きながら、息を吐く。
アルマ先生もググッと伸びをして、息を吐く。
「そうね。ありがとう、オリビアちゃん」
「少し休んだら、保管室に本を移動させましょう」
「ええ」
やはり保管室にリストの本を持ってくるだけでも大変だ。かなり時間がかかかってしまった。
机の上には大体三十冊の古本がある。
「少し待っていて、お茶を入れてくるわ」
そう言ってアルマ先生は、裏にある自室に入った。
窓の外を見ると、月がはっきり見えるくらいに外は暗くなっている。
後輩三人を探すために来たのに、時間を忘れてしまっていた。
(フェリシアは、どうしているんだろう……)
オリビアが友の顔を思い浮かべていたその時――背後からアルマ先生の声とは違う聞きなれない声が聞こえた。
「ふわぁ〜〜」
少女一は、ぼんやりとした顔で欠伸をした。
その姿を見て少女二は口を開く。
「ミレーナ、今からでも謝りに行くぞ!」
「きょひなのだわ」
少女一は、濃い青色の瞳に、腰まで伸びた水色の髪はそのまま。長い前髪は無造作に横に流されている。
キリッとした雰囲気の少女二は、目と髪の色が少女一と逆だ。髪の長さは少女一と同じだが、きちんとポニーテールでまとめられている。
「しかし……」
少女二は、濃い青色の髪をクルクルといじりながら、俯く。
「みーとはむかんけーなのだわ」
「無関係ではないだろう。私達は呼ばれてる身、やはり行かねば!!」
「きになるならイレーネだけで、いってらっしゃいなのだわ〜」
オリビアはポケットに数回折ってしまっていた名簿を急いで出す。
Ⅱ C イレーネ・ドゥヴァル 真面目 属性水・氷
ⅣC ミレーナ・ドゥヴァル すぐ寝る 属性水・氷
(やっぱり……!名前も属性も一致してる)
オリビアは言い合いになっている、少女一改め――ミレーナと、少女二改め――イレーネの間に割って入る。
「ミレーナさん、イレーネさん。やっっっと、見つけましたよ」
やけに力こもった「やっっっと」に二人は首を傾げる。
こうして見ると、双子なのに顔立ちも背丈も全然違う。
ミレーナは背が小さく、たれ目でおっとりとした顔。
対して、イレーネは背が平均的、少しつり目でキリッとした顔。
一五八センチと大体女子の平均の身長のオリビアだが、ミレーナは頭二つ分ぐらいオリビアより低いし、イレーネは少し高いぐらいでオリビアと大差ない。
「誰だ?」
「だれなのだわ?」
あべこべの見た目の双子だが息はぴったりみたいだ。
「治癒魔法学科 高等科三年 オリビアです」
イレーネが「オリビア先輩……」と呟き、ミレーナは「ちゆまほうがっかのひとが、なんのようなのだわ?」目を細めて聞いてきた。
「私たち、補習の手伝いに来ていたのに、全員揃わないから探していたんですよ」
オリビアは、イライラとする気持ちを何とか抑えて(抑えられているかは疑問)二人を見る。
「それは……申し訳ないことをした。オリビア先輩この通りです」
イレーネはガバッと頭を下げる。
一方ミレーナはというと「ふわぁ〜」とまたあくびをしている。
深呼吸を一つ。
「今からでも来てもらいます。行きます、よ」
オリビアは今世紀最大に圧を込めた。
「承知しました。オリビア先輩っ!」
イレーネはそう言いつつ、再度頭を下げる。
「ほら、ミレーナ。行くぞ」
「きょひなのだわ」
「拒否は認めないっ!」
「いやなのだわ」
「嫌じゃないっ!」
「おことわりなのだわ」
「お断りじゃ――」
「ごこういにそえないなのだわ」
「丁寧に言えばいいってものじゃない……」
「みーはかえって、おやすみなのだわ」
「沢山寝ただろ…………」
幻聴だと思いたいことが聞こえてきた。
ⅣC ミレーナ・ドゥヴァル すぐ寝る 属性水・氷
(はぁぁぁぁーーー)
何となくそんな気はしていた。
(これを問い詰めるぐらい許される、はずですよね?)
オリビアは笑顔を崩さず、口を開く。
「寝ていたとは、どういうことです?」
イレーネが目を泳がせて、黙り込む。
「みーは、おやすみしてたなのだわ」
「どこでです?」
「ほかんしつでなのだわ」
保管室は、職員室で申請をしなくては入れない決まりだ。
当然、寝たいからという理由では、鍵は借りれないはずだ。
「どうやって入ったのですか?」
「かおパスなのだわ」
「それはアルマ先生から許可を貰ったということで――」
オリビアがそう言いかけた時――背後からよく知った声が聞こえてきた。
「あら、ミレーナちゃん起きたのね〜」
「みー、おはようなのだわ」
「オリビアちゃん。二人とは知り合いだったの?」
オリビアはその言葉に頭を抱える。
そして「まぁ、はい……そんなとこです」と曖昧な返事をした。
(早く事情をアルマ先生に相談すべきでした)
「はいっ、オリビアちゃんお茶」
差し出されたお茶は、オリビアが大好きなアルマ先生オリジナルブレンドだ。
本当はすぐにでも、実習場がある森に戻らなくてはいけない。
紅茶のいい香りがオリビアを誘惑する。
オリビアが「うぅぅ」と唸っていると、アルマ先生が「お茶を飲みながら、何があったのか説明してちょうだい」と言うので、大人しく席に着くことにした。
決して、紅茶の誘惑に負けたわけではない。
* * *
「まぁっ!それはいけないわ、二人とも」
アルマ先生は珍しく、キリッとした顔でミレーナとイレーネを見る。
「返す言葉もない……」
イレーネがボソリと呟き、縮こまる。
「みーはおやすみしていただけなのだわ」
と相変わらず、非を認めないミレーナ。
「それじゃあ、お茶も飲み終わりましたし……行きましょう、ね?」
「きょひなの――」
『流るる水よ、静寂を纏い、意識を夢の深淵へ導け。夢凪』
オリビアは説得を諦め、魔法を行使した。
オリビアの魔法をもろに食らったミレーナは「すやぁ」と眠った。
なお、意識が飛んだ際に顔面を机に打ち付けていたが、オリビアが思ったことは一つである。
――ざまぁみろです。
「…………オ、オリビアちゃん?」
「…………オリビア先輩?」
アルマ先生とイレーネの声が重なる。
オリビアは顔に影を作り「寝たいとおっしゃっていたので」と、彼女らしからぬ低い声でそう呟いた。
アルマ先生もイレーネも背筋を凍らす。
程よく薄暗い図書室にオリビアの狂気的な笑みが浮び上がった。




