第七話 フェランディ先生の葛藤
友人のフェリシアがリリア・マルシェを探しに離れた直後。
森の中、午後の柔らかな光が木々の間を縫うように差し込んでいた。
オリビアは木陰に立ち、フェリシアの使い魔――マレを抱え、少し離れたところで繰り広げられる光景を観察していた。
走り回るヴィヴィアン・ボネットに、それを追いかけるフェランディ先生。
フェランディ先生は眉間に皺をつくる。
「落ち着け、ヴィヴィアン・ボネット……。補習は遊びじゃない」
当然「うぉぉぉおう!」と叫びながら走っているヴィヴィアンに、その声は届かない。
オリビアも先程まで、自己紹介試みたり、座るように説得していた。けれどもう、それは無駄だと諦めてしまった。
(フェリシア……やっぱり、補修を一日で終わらせるのは、無理がある…………)
ヴィヴィアンのことを走って追いかけていた、フェランディ先生だが諦めたのか、ピタリと止まった。
すると、ため息混じりの詠唱がオリビアの耳をつく。
まどろっこじくなった、フェランディ先生が低い声で呪文を唱え始めたのだ。
「拘束……魔力結界、発動」
ヴィヴィアンの笑顔が一瞬止まる。しかし次の瞬間、彼女はぴょんと飛び跳ね、軽やかに避ける。
「おーっと、びっくりしたぁ、あはっー」
フェランディ先生はその様子を見て「チッ」と舌打ちした。
まるで部屋に入ってきた、虫を殺し損ねたような反応だ。
(いやいや、補習になるような生徒相手に、あれは危ないでしょ……)
オリビアが内心そうツッコんでいると、マレが不安げな顔でオリビアを見つめる。
「オリビア様、止めに行った方がいいのでは?」
「……そうね」
フェランディ先生は木の上に飛び乗った、ヴィヴィアン・ボネットを見上げ口を開く。
『魂を惑わす影よ、我が命にしが――』
「ぐふっ」という声を漏らして、フェランディ先生は固まった。
フェランディ先生が闇魔法を詠唱し始めていたので、オリビアはその口にマレのお腹を当てたのだ。
そう――猫吸い状態である。
「なにほふる……はんだほれふぁ。ね、ねふぉ……?」
(訳――何をする……なんだこれは。ね、猫……?)
あのフェランディ先生とは思えない、可愛らしい発音だ。
フェリシアにも聞かせてあげたかった。
以前に今のを知っていれば、水魔法を行使して記録をつけたというのに……。
惜しいことをした。
それでも、これから面白いことが起きそうなので、オリビアは水魔法を行使することにした。
『水よ、我が意志を写し取り、永遠に留まれ。泉写』
そう唱えるとオリビアの前に、球の形をした水が出来た。
これがこの場の視覚・聴覚情報を記録してくれる。
あとから『水晶の波よ、記憶のかけらを映せ。水録』と詠唱することで、記録を見ることが出来る。
後で、フェリシアと見よう。
「ふぉふぃ、ふぃみ。ひあ、へいほうしははっふぁふぁ?」
(訳――おい、君。今、詠唱しなかったか?)
何となく言いたいことを理解したオリビアは、口を開く。
「……してません」
「ふぃふぁひ、はりょふふぁんふぉうが」
(訳――しかし、魔力反応が)
「……気のせいです」
「ふぉうは」
(訳――そうか)
これを「そうか」で、片付けてしまうところ。
それに、いつまでもマレをどかさずにいるところ。
フェランディ先生は猫派なのだろう。
オリビアの思考に、ひとつの可能性がチラつく。
(この先生なら、猫を引き取ってくれるかも……)
その事で今朝、フェランディ先生が頭を抱えていたとは知らないオリビアは、フェリシアと共に、猫の貰い手を探していることを話すと心に決めた。
「先生っ!可愛いことしてんなぁ!!」
先程から木のてっぺんを目指していた、ヴィヴィアン・ボネットが中腹辺りから声を張った。
「ふるふぁいだほれ!」
(訳――うるさい黙れ!)
フェランディ先生の可愛らしい発音が、森の中に響き渡る。
オリビアは心の底から、水魔法を行使した自分を褒めた。
* * *
しばらくフェランディ先生の可愛らしい発音を、記録していたオリビアは、ふと我に返る。
そして、思った――自分はいったい何をしているんだろうと。
友人のフェリシアは、補習のために後輩のところに行ったのに……。
自分が、こんなことをしていていいはずがない。
『泉に宿る記憶よ、凪の名にて沈黙せよ。水静』
オリビアがそう唱えると、球の形を模した水は、音を立て地面に散る。
これは記録を停止する詠唱だ。
「ふぃひ、やっふぉりへいふぉふしへなひか?」
(訳――君、やっぱり詠唱してないか?)
「……いいえ、してないです」
そう主張するオリビアにフェランディ先生は、やはり「そうか」と一言返すだけだった。
「私……他の補習生徒を探してきますね」
「りょほいふぃた、たすふぁふ。ふぇいぼもほぉってひへ」
(訳――了解した、助かる。名簿も持っていけ)
「……ありがとうございます」
目の前の教師の姿に、オリビアは頭を抱える。
(会話できてる私、すごくない……?)
木のてっぺんからは「うぉぉぉおう!!」と叫ぶヴィヴィアン・ボネット。
そして横には「ねふぉ……」と呟きながら猫吸いをしているフェランディ先生。
マレを引き剥がしてから、行くべきだろうか。
でも、そうするとフェランディ先生が、また詠唱し出す未来が見える……。
それならいっそ、そのままにした方がいい――オリビアはそう結論付けた。
「マレ、そのまま……待ってられる?」
「……了解なのです。オリビア様」
少し複雑そうな顔をして、マレは了承してくれた。
「フェランディ先生、名簿はどこです?」
フェランディは「そふぉだ」と指す。
言われた方向に目をやると、名簿が風邪で飛ばないように、石で抑えるようにして地面に置かれていた。
(さすがに生徒の名簿を……。ないでしょ、この雑な保管の仕方は)
いや「保管」とは言わないか――とオリビアは、ツッコミにツッコミを重ねた。
「そふぇは、ふぉれがやっふぉんじゃふぁいぞ」
(訳――それは、俺がやったんじゃないぞ)
固まっていたオリビアに、フェランディ先生がそう言ってきたので「知ってて、放置してた時点で同罪だから」と内心ツッコんだ。
でも、思い出してみると確かに、フェリシアが雑に置いて言ってた気がする。
オリビアは地面に放置されている名簿を、石をどけて拾う。
〈高等科二年 魔法戦闘学 前期補習対象生徒名簿〉
Ⅱ C イレーネ・ドゥヴァル 真面目 属性水・氷
ⅣC ミレーナ・ドゥヴァル すぐ寝る 属性水・氷
ⅣC ヴィヴィアン・ボネット うるさい 属性炎・風
ⅣC リリア・マルシェ 対人恐怖症 属性土・風
ⅣC シャーロット・ラモン 気だるげな皮肉屋 属性風・雷
――今のところ、この人にしか好感が持てないんですけど……
フェリシアはそう言って「Ⅱ C イレーネ・ドゥヴァル 真面目」の文字を指したのだ。
オリビアは友のその言葉を思い出し、頭を抱える。
本当にその通りだ。
フェリシアがリリア・マルシェのところに行った今、所在がしれないのは残り三人。
(何処から……探したら、いいんでしょう……)
皆目見当もつかないオリビアは、とりあえず本校舎から捜索に踏みきることにした。
* * *
「いやこれ、どういう状況……」
フェリシア・エルダンは、一応尊敬している教師の変わり果てた姿に、困惑していた。
横にいる後輩――リリア・マルシェの頭上にも、クエスチョンマークが浮いている。
もう一人の後輩――ヴィヴィアン・ボネットも相変わらず、叫んで好き放題。
正直、挫けそうだ。
(いやいや!私は、対人恐怖症の後輩相手に、初対面でもちゃんと対応出来た!!)
だから「私なら、この補習を乗り切れる。頑張れ私!」と心の中で自分を励ます。
そうしないと目の前の変わり果てた教師にも、声をかけることが不可能に思えてきたのだ。
深呼吸一つ。フェリシアは覚悟を決めて口を開いた。
「……フェランディ先生、何してるんですか?」
若干、軽蔑の混じった声でそう言った。
「のぞふへやっふぇるふぁへじゃふぁい」
(訳――望んでやってる訳じゃない)
「……すみません、なんて?」
「きふぃのとふうひぃんはりかふぃしてふへたぞ」
(訳――君の友人は理解してくれたぞ)
「……マレ、状況説明できる?」
フェリシアは、戦闘不能になったフェランディ先生は諦めることにした。
そして昨夜、使い魔にしたばかりのマレに、助けを求めたのだ。
「はい、フェリシア様。このマレに任せてくださいっ!」
「ありがとう、それで何があってこうなったの……?」
フェリシアは息を飲む。
「乗っけられたした」
「ん?……??」
「乗っけられたした」
フェリシアの困惑の声に、マレはもう一度同じ言葉を紡いだ。
どうやら聞き間違いではないようだ。
「えーと、誰に?」
「オリビア様に」
(オリビア、どうして……??)
フェリシアは友の顔を浮かべて、やはり困惑するしかなかった。
リリアが小声で「か、かわいいですけど……」とフォローを入れるも、まったくフォローになってない。
ヴィヴィアンに至っては、こちらの様子など気にも留めていない。
「それで、そのオリビアは何処に?」
マレは胸を張って口を開く。
「分かりませんっ!」
「おふぉらくふぉんこふひゃだ」
(訳――おそらく本校舎だ)
フェリシアのこめかみに青筋が浮かぶ。
そしてさすがに我慢できず、マレを引き剥がした。
マレは「フェリシア様ぁ」と歓喜の声を上げ、すりすりしてきた。
「フェランディ先生、オリビアはどこに?」
「魔力の気配から、本校舎へ行ったと思われる」
マレが「後輩を探しに行くって言ってましたー!」と元気に付け加える。
「……それじゃあ、私も後輩ちゃんたちを探して来ますね。マレ着いてきて」
マレを置いていくと、嫌な予感しないので連れて行くことにしたのだ。
マレは満面の笑みで「わかりましたぁ!」といい、フェリシアの肩に飛び乗る。
フェランディ先生が少し名残惜しそうに、こちらを見てくる。
フェリシアはそれを無視して、苦笑しながら、森の奥――学園の本校舎の方へ目を向けた。
(オリビア、後で絶対説明して貰うから……)
フェリシアは額を押さえ、心の中で呟いた。
マレが肩の上で小さく尻尾を揺らし、「出発ですっ!」と弾んだ声を上げる。
フェリシアは、その声に微笑みながら一歩踏み出す。
湿った土を踏む音が小さく響き、森の奥へと溶けていった。
――補習は、まだ終わらない。
(いや、始まってすらいない)




