走馬灯予約アプリ
俺は感動していた。
すごい。すごい。すごい。こんなに素晴らしい景色は生まれて初めてだ。
「すごーい! ねぇママ! パパ!」
「ほんと。すごいわね、あなた」
「嗚呼、すごいな」
妻と娘の言葉に、俺は満足げに頷いた。旅行代はばかにならなかったが、無理して来た甲斐があったというものだ。久方ぶりの連休を利用して、俺は家族と、SNSで話題になっていた観光地を訪れていた。
目の前に広がる雄大な大自然。星とか、あと滝とか……何というか……すごい。嗚呼。俺にもうちょっと語彙力があればなぁ。この景色の素晴らしさを「すごい」としかお伝えできないのが残念だ。
代わりに俺はスマホを取り出した。
この絶景を是非写真に、動画に収めておきたい。周りを見ると、他の観光客も、感嘆の声を上げながらカメラを目の前に掲げている。こんな光景も、もはや当たり前になった。
俺も皆に習って早速
『走馬灯予約アプリ』
を起動した。
『lets走馬灯♪』
軽妙な音楽と共に、専用のカメラアプリが立ち上がる。俺は言葉では「すごい」としか言いようのない景色を、夢中になって撮影した。動画なら言葉は要らない。最後に見返した時、この感動を再び味わえると思うと、俺は少し嬉しくなった。
人間が記憶領域を自由に操作できるようになって早数年。人が死ぬ間際に見ると言われる『走馬灯』も、今や自由に個人が編集できる時代になった。
それからというもの、人々はこぞって世界の絶景、勝景、珍百景などを記録し始めた。今や世界中、24時間365日、スマホを掲げていない人を探す方が難しくなった。
走馬灯というのは、いわば人生の集大成、有終の美を飾る最後の『記憶』である。誰だって最後くらい、どうせなら気分良く終わりたいではないか。
よもや自分の人生を失敗だなんて思いたくない。出来れば最後の瞬間をより美しく、絢爛に彩りたい。新時代のピラミッド建設みたいなものだろうか、人々はこぞって新機種に群がった。
もちろん今際の際だから、見られる景色なんて限られている。事切れるまでのほんの刹那、だが、だからこそ編集のしがいがある。
家族との思い出、成功体験……中には好きなアニメの名シーンを選ぶ者もいた……完成した走馬灯は通夜でも放映されたりして、その人の人生を追体験しているような、ある種の感動さえ覚えた。
それから幾星霜。
とうとう俺の番がやって来た。寿命を全うし、無事くたばったのだ。死ぬのは怖かったが、しかし、少しワクワクもしていた。
『lets走馬灯♪』
来た。最後の最後に、俺が厳選した、極上の走馬灯を見られるのだ。そしてとうとう、それが頭の中で流れ始める……。
俺は感動していた。
すごい。すごい。すごい。そうそう、あの時は、スマホ重かったなぁ。あぁ、この時は、電池が残り少なくて焦ったっけ。この辺りから、画質がグンと改善するんだよな。嗚呼。俺にもっと語彙力があればなぁ。
走馬灯を眺めながら、俺は俺の人生を振り返って、こう思った。
それにしても俺の人生、スマホのことばっかりだったな……。