08.君はだぁれ?
「おかえりなさいませ、オーウェン様。お待ちしておりました」
午後の授業も終えた後、オーウェンは学生寮の自室へと戻った。
部屋に前で迎えてくれたのは、燕尾服に袖を通したクリフという男だ。常にうっすらと笑みを浮かべている。
入室し、クリフが扉を閉めたのを確認したオーウェンは、前髪をかきあげて顔面を晒すと、クリフに向かってため息をついた。
「……ハァ。何がお待ちしておりました、だ。お前はずっと俺の近くにいただろうが。どうせほんの少しだけ先回りして部屋の前で待っていたんだろう?」
「それはもちろんでございます。私は現在、オーウェン様の世話係でもございますから。オーウェン様をお迎えするのも仕事の一つでございます」
「あー分かった、分かった」
オーウェンは片手を上げてクリフの言葉を制すると、ソファに腰掛けた。
さっと出された紅茶で口と喉を潤し、ホッと息をつく。
「……なかなか美味い。お前、本当に世話係一筋にになったほうが良いんじゃないの?」
「御冗談を。ああ、冗談と言えば、今朝の行動の意図をお聞きしても? 何故、ジェシカ・アーダン様にお声をかけ、更にあの方の勉強や修行に付き合うよう提案されたのです?」
クリフの質問に、オーウェンは直ぐに答えた。
「……そうだね。一言で言うなら、興味が湧いたからかな」
「興味ですか? あの方が平民の立場で魔力量が膨大であるということは、今に分かったことではありませんし、飛躍的に魔力量が増大したご様子でもありませんでしたが……」
「そういうことじゃない」
バッサリと発言を切り捨てれば、クリフは相変わらず笑みを浮かべたまま、片手を顎にもっていき、考える素振りを見せた。
そして、クリフは「ああ!」と声を上げ、自身に考えを述べ始める。
「もしや、ジェシカ様の言動の変化に関心が? 噴水の前でお話をされている時、オーウェン様はそのことを気にかけておられましたよね?」
「一応聞くが、どこから見てた?」
「いつものことながら天井裏からでございます」
「ああ、そう」
尋ねた割に反応が薄いオーウェンに対し、クリフはふふふと笑みを浮かべた。
「話を戻すが、一つはクリフの言う通りだよ。今まで彼女は不当な扱いを受けることに対して否定をしつつも、今日のように加害者たちを睨み付けたり、ましてやバレないように魔法で仕返しをするなんてしたことはなかったから」
今朝、教室からわざわざ噴水のところまで足を運んだのも、それがきっかけだ。
ジェシカの変化が気になり、その理由があるのならば知りたかった。
(ジェシカは両親が買ってくれた教科書をあんなふうにされたから我慢ならなかったと話していたな)
王侯貴族は爵位のため、領地のためならば家族を一番の犠牲にしなければならない時がある。初めから我が子や養子を政治のコマとして見ている者もおり、割と冷めた関係が多い。
しかし、ジェシカの様子から察するに、彼女は両親に大切に育ててもらってきたのだろう。
「確かに、あれには私も驚きました。今までのあの方はやられっぱなしでしたからねぇ。……して、二つ目はどのような理由で?」
「……ハァ。やり取りは全部聞いていたんだろう?」
「ふふ、はい。やはりあれですか? 復讐心に囚われず、今が変えられないなら最善な未来のために動くというジェシカ様のお考えに、好感を持たれたので?」
クリフはそこまで言うと、首をコテンと傾げた。
クリフは今年で二十二歳。立派な大人だが、かなりの童顔だ。
そのためか、可愛らしいそのポーズに違和感はほぼない。ほぼ、だけれど。
そんなクリフから、オーウェンはサッと窓の外に視線を移した。
「好感もそうだが、主に興味を惹かれた。俺の周りには、彼女のような考えを持っている者は少ないからね。皆、自分が努力することよりも、周りを引きずり落とそうとすることに必死だから」
「……確かに、そうでございますね」
少しの間、二人には沈黙が流れる。
それを解いたのは、紅茶を全て飲み干したオーウェンだった。
「何にせよ、クリフは俺が命じた通りの任務を全うしろ。良いね? ジェシカに協力すると言った以上、以前よりも力を入れるように。ぜったいに手は抜くなよ。部下たちにもしっかり伝えておけ」
「もちろんでございます。……我が主」
クリフは床に片膝をつき、頭を下げる。
それから彼は手早く紅茶のおかわりを入れ、軽食の準備をすると、一瞬にして部屋から姿を消した。
「興味のままで済みますかねぇ」
そんな、誰にも聞こえないような呟きを残して。