05.オーウェン・ダイナー
「うわぁ〜やっぱり、びしょ濡れだよね……」
現在、ジェシカは教室から中庭に下り、噴水の直ぐ側にいた。
不幸中の幸いか、全ての教科書は回収できたものの、その全てが完全に濡れてしまっている。
ゲーム補正か、インクが滲んで読めないという現象は避けられているけれど、普通の方法では簡単には乾かなさそうだ。
「ふふ、でもこの世界には魔法があるもんね!」
昨日、自分の体や制服を乾かした時のように、風の魔法と火の魔法を同時に使用し、本を乾かすという手を使うのはどうだろう。そう考えたジェシカだったが、うーんと首を捻った。
「でも、風魔法と火魔法の組み合わせだと、たとえ乾いたとしても紙がパリパリになって使いづらいよね……」
高待遇の就職先を得るために、魔法の勉強は必須。つまり、教科書が使いづらいのはかなりの痛手だ!
ジェシカがどうしようかと頭を抱えていると、背後から「アーダンさん」と声を掛けられた。
「え!?」
ラプツェを虐めている悪女の烙印を押されている上、もう少しで授業が始まってしまう状況下で、まさか声をかけられるとは思ってもみなかったジェシカは、驚きながらも振り向いた。
「ダイナー様!?」
彼の名前は、オーウェン・ダイナー。
同じクラスの、席が隣の男子生徒だ。
彼は、いつも長い漆黒の前髪で顔をほとんど隠していて(かろうじて口は見える)、せっかくの上背を隠すかのような猫背の姿勢をしている。ちなみに、彼の顔をしっかりと見たことは一度もない。
正直、クラスでもジェシカの次に浮いた存在だ。ジェシカは嫌われ者で、オーウェンは気味悪がられた逸れ者と言った方が良いかもしれない。
オーウェンは、隣国──ハーベリー帝国からの留学生だ。
ハーベリー帝国とは大陸で最も大きい国であり、国力、人口、軍事力などはその他の国とは比べ物にならないという。
そんな帝国の人間が何故この国に来ているかというと、魔法を学ぶカリキュラム──この学園の授業が帝国よりも優れており、優秀な人材を輩出されやすいと言われているからだ。
そのため、他国の若き貴族令息の何人かは、オーウェンのように留学に訪れているのである。
「えっと、どうされましたか? 何か御用でも?」
オーウェンは『マホロク』にも出てくるが、隣の席という以外にこれと言った情報はなかった。
実際、挨拶はする程度の関係だが、会話で盛り上がったことはない。今彼がこの場にいるのも、話しかけてきたのにもかなり驚いているくらいだ。
とはいえ、他の生徒たちみたいに嫌味も言わなければ意地悪もしてこないし、嘲笑してくることもないので、彼に対しての嫌悪感はなかった、のだけれど……。
「……いや、ごめん」
「え?」
突然オーウェンに謝られたジェシカは、困惑の末、目を見開いた。
なぜ謝られているのか、皆目見当がつかない。
「どうしてダイナー様が謝罪を……」
疑問をそのまま伝えれば、オーウェンはジェシカが持っている教科書を指さした。
「教室でさっきの一部始終を見ていたから、噴水に捨てられた教科書を拾うの手伝おうかと思ったんだけど、間に合わなくてごめん」
「……!」
思いもよらないオーウェンの発言に、ジェシカは胸が熱くなるのを感じた。
(え? え? ダイナー様って、めっちゃ良い人〜〜!)
言い方は悪いが、これまでオーウェンはジェシカが何をされても見て見ぬふりをしていた。
とはいえ、オーウェンは隣国からの留学生。遊びに来ているわけではなく、他国のいざこざに口を出すわけにはいかないという貴族ならではの事情があったのだろう。
だというのに、彼は今日、手助けしようと声をかけてくれた。
「謝らないでください……! それと、ありがとうございます! そう言ってくれただけで……とっても嬉しいです!」
これまででは考えられなかったオーウェンの言動。
どのような心境の変化があったかは分からないけれど、ジェシカはそれを聞くつもりはなかった。
(ダイナー様の受け取り方によっては、これまで見て見ぬふりをしてきたことを責められているように感じるかもしれないし)
せっかく、こうやって手を差し伸べてくれる人が現れたのだ。この事実を、ジェシカは大切にしたいと考えた。
「…………」
オーウェンはニコニコと満面の笑顔を浮かべているジェシカに対し、頭を軽く掻いた。
その彼の行動と口元の様子から、やや困っているのだろうかとジェシカは考えたが、オーウェンは直ぐに口を開いた。
「そう言ってもらえると助かるよ。……間に合わなかった罪滅ぼしじゃないけどさ、その教科書、風魔法と火魔法を使わずに、ほぼ元通りにする方法を思いついたんだ。試してみない?」
「えっ、本当ですか!?」
どうやら、先程の独り言を聞いていたらしい。
妙案があるのだと話すオーウェンに、ジェシカは距離を詰めた。
「教えてください! どんな方法ですか?」
「アーダンさんってさ、確か複数属性持ちだったよね? 水属性も持ってたっけ?」
「はい。土以外の属性持ちです」
この世界の魔法は四大属性に分かれている。水、火、風、土だ。
基本的に一つの属性の属性しか扱えないのだが、もともと魔力量が多い者だけ稀に複数属性を操れることがある。
ジェシカはそれに当たり、土以外の三属性を扱うことができた。
とはいえ、昨日ジェシカがしたような複数属性の魔法を同時に扱うのは魔力の消費が大きく、たとえ複数属性持ちであったとしても、扱える人間は少ないとされている。
「そう聞くってことは、水属性の魔法を使うってことですか?」
「ああ。俺も水属性持ちだから、一回やってみせるよ」
オーウェンはそう言うと、ジェシカから濡れた教科書を一冊だけ受け取り、呪文を唱えた。
すると、どういうことだろう。オーウェンが持っている教科書から少しずつ水分が抜けていき、ほとんど元通りに戻ったのだ。
「凄い……! 今、何したんですか!?」
ジェシカはキラキラとした目で問いかける。
「これはあまり知られていないんだけど、水を吸収する水魔法なんだ」
「え!? そんな魔法が!?」
「基本的に魔法って、ゼロから一を生み出したり、一を十にしたり百にしたりすることが多いから、この魔法は教科書にも書かれていないんだけどね。図書室の本を読み漁っていたら、偶然目に入ってさ」
そういえば、オーウェンはよく休み時間や放課後に図書室に行っていた気がする。
ジェシカも勉強のために図書室を利用していたため、間違いない。
「これはさほど難しくない魔法だから、アーダンさんなら直ぐにできると思うよ。呪文だけ教えるから、とりあえずやってみたらどう?」
「そうしてみます」
それからジェシカはオーウェンに呪文を教えてもらうと、すぐさま魔法を発動した。
──魔法は成功。
教科書はすっかりほぼ元通りになり、ジェシカはそれらを大事そうに抱えながら、オーウェンに頭を下げた。
「ダイナー様、本当にありがとうございます! 貴方のおかげで、無事教科書は元通り! これで勉強に集中できます〜! 本当に、なんてお礼を言ったら良いか……」
「良いよ、お礼なんて。でも一つだけ聞いてもいい?」
「もちろんです! 答えられることならなんだって!」
ジェシカの返答に、オーウェンは少しだけ口角を上げてから問いかけた。
「今まで周りに何をされてもやり返したりしなかったのに、どうして今日は彼女たちに風魔法を使ったの?」
「……!」
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