29.最大のピンチ
怯えたふりをするでもなく、しかめっ面を見せるわけでもなく、べったりと笑顔を貼り付けているラプツェが恐ろしい。
しかし、さすがにそれを口にするわけにもいかなかった。
(一体、私に何の話があるって言うの?)
ラプツェは、これまでジェシカの謂れのない悪評を立ててきた人物だ。宿敵とも言える。
本当ならば、何も話すことなんてない! と言って彼女の提案を断りたい。……というが立場的に無理だとしても、せめて関わらないようにこの場から立ち去りたかった。
(ただ、そんなことをすれば、ラプツェがまた被害者ぶって、どんな悪評を広げるか)
この学園においてジェシカの評判は地の底だ。
今更何を言われたって気にしないけれど、面倒事が増えるのだけは勘弁だった。
「えっと、お話とは、何でしょう?」
だから、ジェシカは警戒を怠らないようにしながらも、話をするよう促した。
「ふふ、そう警戒なさらないで。私はただ、おめでとうございますとお伝えしにきただけですの」
「…………」
どの口が言うの? というのが本音だった。
ラプツェは、これまでジェシカにしてきたことを忘れたのだろうか。
「……それは、わざわざありがとうございます」
しかし、ジェシカはできるだけ笑みを浮かべてそう答えた。
相手が公爵令嬢だからというのもあるが、こちらにずんずんと攻略対象たちが向かってきているからだ。おそらくジェシカがまたラプツェに嫌がらせを……などと思っているのだろう。
その誤解を解くのは無理だとしても、悪態なんかついて墓穴を掘るつもりはなかった、というのに。
「ふふ、さようなら。ジェシカ・アーダン」
ラプツェはジェシカにしか聞こえないような小さな声で囁いた後、ぶらんと下ろされていたジェシカの手を取った。
ニヤリと笑う目の前の女と、力強く掴まれた手、先程の不穏な言葉。
ジェシカの心臓はドクドクと嫌な音が鳴った瞬間、ラプツェは掴んだジェシカの手を自分のみぞおち辺りに引き寄せ──。
「キャァァァ……!!」
それは、突然のことだった。
ラプツェの手から魔力を感じた直後、床に膝を突いた彼女はみぞおちを庇うようにしながら、悲鳴を上げたのだ。
「え? は? え?」
理解が追いつかず、ジェシカから上擦った声が漏れる。
それと同時に、こちらに向かっていた攻略対象たちと、ラプツェの悲鳴を聞きつけた彼女の取り巻きたちが、ラプツェを労るようにして囲んだ。
「一体どうしたんだラプツェ……! なにがあった!?」
アーサーの問いかけに、ラプツェは顔を上げ、ほろりと涙を零しながら答えた。
「ジェシカ様に、試験についておめでとうございますとお伝えしたら……急に魔法で攻撃されましたの!」
「……!? 何を言って……」
自分が魔法を使っていないことは、自分が一番良く分かっている。しかし、痛みを訴えるラプツェの足元には、その証拠がしっかりと残っていた。
(あれは……土魔法の痕跡……!)
割れた陶器のように無残に落ちた、土魔法の残骸。
おそらく、ラプツェは掴んだジェシカの手ごと土魔法で手を覆い、腹部を殴ったのだろう。
大勢の前で、ジェシカに濡れ衣を着せるために。
(……っ、まずい)
ジェシカの額に、じんわりと汗が滲んだ。
「なんだと!? この学園では、先生の許可なく生徒が対人に攻撃魔法を使うことを厳しく禁じているというのに……!」
そう、宰相の息子が言う通り、この学園で最も罰が重いのは、攻撃魔法で他者を傷付けることだ。いかなる理由があろうと、どれだけ被害者が軽症で済んだとしても。
(つまり、このままいくと私は、まともなところに就職ができないのはおろか、学園も退学……。いや、公爵令嬢を傷付けてそんなに軽いわけはない。もしかして、牢獄生活……? 最悪、死刑……?)
どうやら、想像よりもはるかにラプツェはジェシカのことが疎ましいらしい。
しかし、やられっぱなしではいられない。
(どうにかしなきゃ。私が無罪だって、証明しなきゃ……っ)
「ここまでするとは思わなかった。最低だ……」と睨みつけてくる攻略対象と、「ラプツェ様が可哀想……」と嘆き悲しむ女子生徒たちに対し、ジェシカは反論に打って出た。
「お待ち下さい! 私はラプツェ様を魔法で攻撃していません。ラプツェ様に無理矢理腕を取られ、みぞおち辺りに手を持っていかれただけです。一人くらい、その時の様子を見ていた方は、いませんか!?」
「「…………」」
おそらく攻略対象やラプツェの取り巻きたちでは話にならない。
そのため、周りの生徒たちに声をかけたのだが、誰一人味方になってくれなかった。
「……っ」
「おい、誰も声を上げないではないか! やはりお前がラプツェに魔法を……!」
「違います……! 先生方、先生方の中で見ていた方はいませんか……っ」
続々と集まってくる教師たちにも問いかけるが、生徒たちと同様に口を噤んでいる。見ていなかったのか、見ていたけれど真実を話せないのか。どちらにせよ、やはりジェシカの味方になってくれる人はいなくて……。
「そんな──」
「ジェシカ・アーダン。いくら魔法の才があろうと、仲間を攻撃するような奴は罰を与えねばな」
「……っ、違う、私は何もしていません……!」
誰も助けてくれない。手を差し伸べてくれない。
敵しかいない現状に、ジェシカは前世の記憶を取り戻してから初めて心が折れそうになる。
(どうして、こんな目に……)
人格が変わる前のジェシカは、ラプツェの策略によって陥れられて直ぐの頃、何度も虐めていないと否定した。けれど一向に信じてもらえず、それからはただただ耐えていた。
人の悪口も言わず、嘆くこともなく、ずっと清い心で、ひたむきに生きていた。
そんなジェシカに異世界転生してからは、これからの未来を明るいものにしたいと、幸せを掴みたいからと、魔法の修行に明け暮れた。
「……っ、オーウェン、メイ……っ」
前のジェシカも、今のジェシカも、ずっと、ただひたむきに、真面目に、頑張っていただけなのに。
「助けて──……」
ジェシカが俯き、願いを口にした時だった。
「ジェシカ様!」
「メイ……?」
会場の外から走ってきたメイに突然抱きしめられ、ジェシカは安堵で唇を震わせる。
「ジェシカ、遅くなってごめんね。もう大丈夫だから」
すると、前方のかなり高い位置から聞き慣れた低い声が聞こえた。
(ああ、オーウェンも来てくれたんだ)
ジェシカがメイに縋る腕を解いてオーウェンを見上げると、彼の姿を見て、目を丸くした。
「どう、して……。オーウェン、顔、見せていいの……?」




