13.メイ・アドフィニス
◇◇◇
──メイ・アドフィニス。
乙女ゲーム『マホロク』の中で、ジェシカの友人としてしっかり描かれている女性キャラクターだ。
ジェシカと一緒に魔法の勉強をしたり、恋の相談に乗ってくれたり、悪役令嬢であるラプツェの嫌がらせにともに立ち向ってくれたりしていた。
そんなメイとは、『マホロク』の物語の序盤で友人関係になる。
他クラスとの合同の魔法の授業が行われた際に、メイからジェシカに話しかけたのがきっかけだった。
メイは男爵家の長女でれっきとした貴族の令嬢なのだが、彼女の家は領地の経営が赤字なことと、弟妹が多いことから大変貧乏で、平民と変わらない暮らしを送っていた。
そのため、メイは平民に対して偏見も抵抗もなかったのだろう。
(けれどそれは、ゲームの中のお話。現実は、こうも違うのよね……)
次の日の休み時間。
『マホロク』でのメイについて思いを馳せながら、ジェシカは教室の窓から外のとある光景を眺めていた。
「メイ……。よりにもよって、どうしてラプツェの側にいるんだろう」
窓から見える噴水広場。
前世の記憶を思い出した次の日に、クラスメイトに教科書を捨てられた場所だ。
その近くにメイとラプツェ、昨日見た四人の女子生徒がおり、ジェシカはハッと目を見開いた。
(今思い出した! あの四人の女子生徒って、私が前世の記憶を思い出すきっかけになった、バケツ水をかけてきた子たちじゃない!?)
顔は出ていなかったが、ゲームにも存在していた、悪役令嬢であるラプツェの取り巻きポジション。
おそらく、当時のセリフや今の状況から考えて、彼女たちがラプツェの取り巻きで間違いない。つまり、メイもラプツェの取り巻きの一人なのだろうか?
(けど、バケツの水をかけられた時も、それ以前の嫌がらせの時も、メイっていたかな……?)
意識していなかったから覚えていなかっただけかもしれないが、いなかった気がする。
ジェシカはうーんと悩ましげに声を漏らした。
(でも、一旦それは置いておこう)
今気になるのは、六人の位置関係と、その様子だ。
一番前にラプツェ、その斜め後ろに連れ従うように歩く四人の生徒があり、彼女たちは何やら楽しそうに話している。
しかし、そこから数メートル離れた後ろには、多くの教科書類を持ったメイの姿があった。おそらく、ラプツェたちの教科書も持っているんだろう。
(普通は相手が執事やメイドじゃないのに、あんなふうに一人に荷物を持たせたりしない。もしかしてメイは……虐められてるの?)
昨日の放課後のメイたちの雰囲気からしても、その可能性はなくはない。
(とはいえ、さすが飛躍し過ぎかな。本人たちの同意で何かゲームのようなものをして、負けた人が一度だけ荷物を持とうと決めたとかもあり得る……? いや、でもなぁ……)
前世ならまだしも、ここは貴族ばかりが通う学園。確か、ラプツェの周りにいる四人も高位貴族だったはず。
それならまだ、爵位の関係でメイがあの取り巻きグループで下の立場に追いやられ、言うことを聞かざるを得ない状況になっていると考えたほうが自然だ。
(でも、そもそもメイがラプツェの取り巻きになった理由は? 入学当初からジェシカは悪評を立てられていたから、メイが話しかけてくれて友人関係に発展しなかったことは分かるけど)
メイには、わざわざあんな目に遭ってまでラプツェの友人を続ける理由があるのだろうか。
「ジェシカ」
うーんと考え込んでいると、オーウェンに話しかけられた。席を立ち、彼はジェシカの傍らに立っていた。いつも以上に腰を折っているため、とても顔が近くてびっくりしてしまう。
「わっ、びっくりした! どうしたの?」
「どうしたの、はこっちのセリフ。何でそんなしかめっ面で窓の外を眺めてるの?」
「あーそれは……」
ジェシカが言葉を濁すと、オーウェンはジェシカの背後に回り込み、窓の外──ラプツェたちを視界に映した。
「ああ、彼女たちか。というか、一番後ろの子でしょ? ジェシカが気になってるの」
「えっ、何で分かるの?」
「誤魔化してるつもりかもしれないど、昨日の放課後、ジェシカは明らかにあの子のこと気にしてたでしょ?」
確信めいた声で言われてしまえば、ジェシカは降参する他なかった。
「うっ、バレてたんだ……」
「ジェシカとまだ短い付き合いだけど、それくらい分かるよ」
「察する能力が高すぎるよ、オーウェン……。将来は良い旦那さんになるね……。貴方の妻になる女性は幸せ者だよ……」
「……誰目線で話してるの?」
少し照れているのか、オーウェンの頬がうっすらと赤く染まっているように見えた。
オーウェンって可愛らしさも兼ね備えてるんだ、最強じゃん……なんて思っていると、彼はジェシカの頭を乱雑に撫でたのだった。
「俺のことは終わり。……話を戻すけど、あの子、あの中でかなり浮いてるみたいだね。明らかに荷物を持たされてるし」
オーウェンの目にもジェシカと同じように映ったらしい。
ジェシカはコクリと頷き、心配げに眉を下げた。
「……うん。もし困ってるなら、助けてあげたいなって」
「……あの子に関わるってことは、フリントン公爵令嬢にも関わることになるよ? それは嫌でしょ?」
「いや、それはそうなんだけど」
「それに、どうして? あの子とは赤の他人じゃないの?」
「それは……」
メイが目についたのは、彼女が『マホロク』のキャラクターで、ジェシカの友人のポジションだったからだ。
けれど、今ジェシカがメイを助けたいと思うのは、決してそれだけの理由ではなかった。
「私が困っていた時、オーウェンが手を差し出してくれたから」
「…………」
「もし、彼女が困っているのなら、私もオーウェンみたいに助けてあげたいなって、そう思ったの」
罵倒、嫌がらせ、無視、嘲り。
前世の記憶が蘇る前のジェシカが受けてきた苦痛は、しっかりと記憶に刻まれている。それと同じくらい、オーウェンが声をかけ、手を差し伸べてくれた時の記憶も。
「……でも、私があの子に関わったら、またオーウェンに迷惑をかけちゃうかもしれないもんね。ごめん、今の話は忘れ──」
「分かった」
作り笑いで告げたジェシカの言葉は、オーウェンによって遮られた。
「ジェシカの好きなようにしたら良いよ。俺がフォローするし」
「え?」
「だってジェシカさ、自分に対してはそうでもないのに、他人のこととなると結局無茶するから。それなら、始めから俺も協力したほうが良いと思わない?」
「……っ、オーウェン」
長い艷やかな前髪に隠され、オーウェンがどのような目をしているのか窺い知ることはできない。
けれど、とても優しい目でこちらを見ているのだということくらい分かる。
「いつもありがとう、オーウェン」
「……いーえ。どういたしまして」
もう一度、くしゃりと頭を撫でられる。
何故だろう。少しだけ、胸がどきりとした。