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二話 神殺しの獣

出ました

 水滴が落ちる音がする。

 ポチャリ……ポチャリと真っ暗な世界の中、それだけ聞こえる。空から落ちる水滴が水の床に落ちれば波紋が広がり周りへ変化を与えていく。


 そして波紋は真っ暗な世界と同化している黒服の暗殺者、アメリアを始末した大男の足に到達した。


「我が主人殿。例の者は始末いたしました」


 静かで厳格で冷酷な声が響く。

 片肘を床に置き忠誠の誓いをしている彼は、黒のマスクの奥にある赤い目と顔を下に向け主人を拝んでいる。


「そうか……始末したか」


 主人と呼ばれた男はしかし姿は現さなかった。

 ただ存在感を放つ。味方には王たる器を見せつけ敵にはドラゴンの如く巨大な威圧感を。

 大岩に押し潰される覇気を感じながらも黒の暗殺者は冷静に思う。姿は見えぬがそこに存在していると。


「あやつめは我が予言にいなかった最大の不安要素だった。事を始める前に始末できたのなら我も安心だ。褒めて遣わすぞ、ギガス」

「はっ……」


 ギガスと呼ばれた黒の暗殺者は主人の声に歓喜し、されど表には出さず淡々と返した。

 彼の願望とは我が主人の願いを遂行する為に動く事のみ。ならば自身の事など後回しにして神話の再現の続きをと彼は口を開く。


「既にアメリアの婚約者である第一王子も捕えました。その他のネームドも勧誘、誘拐に始末。諸共終えています」


 挙げられる名前はエステイラ王国の重臣達であり、神格特性(センダー)を使って国を豊かにしている者達だった。だがその八割は主人と呼ばれる者の手に落ちている。



 アメリアと特に仲が良かった、平民の出である女性貴族も手に掛けた所だ。



「主人殿に楯突くものは殆ど始末し、貴族どもの征服ももう少しといった所です。後はアメリアの一族、カリスバーン家をどうするかですが……」

「問題ない。例の巫女を始末できたなら計画通りに進めれば良い」


 そうして主人と呼ばれた男は宣言する。


「過去の忌まわしき因縁を断つのだ。三千年前に果たせなかった雪辱を、エンデで届かなかったものを今度こそ手に入れるのだ」


 冷酷で何処か冷めていた声に熱が入る。

 それは忘れていったモノを思い出すかのように、置いていった心の温もりを取り返さんと──






「あらあらあらーー! 最近お体は大丈夫ですかー?」


 

 不愉快な声だ。

 そんな主人の感情を表すようにギガスが剣を抜いて、突如現れた不届き者を見る。

 けれども剣を向けられた彼女は怯える様子が無い。

 

「もぉう。いきなり剣を抜くなんてとても怖いですわ〜」


 真っ黒な世界にしては見えすぎる白い服を着た女性。この時代ではめずらしいスーツを着た彼女は、黒い世界にいる事も相まってさぞかし浮きやすいだろう。


 だがそうはならない。


 腰に届くほどの銀髪に蛇のような黄金の目が違和感を掻き消す。何処かサディスティクさを感じる顔立ちは刺激的でありながら万人を振り向かせる美しさがあった。


「何をしに来たサキナタ。貴様に用は無いはずだ。主人が気分を悪くする前に消え去れ」

「確かにこの会談に私は関係ありませんわ。ただ貴方の主人と取引した者として苦じょ……いえ、警告を伝えに来たのです」


 殺気を隠さない大男など目もくれず堂々と歩き出す。黒いハイヒールで水面を歩く彼女の先は真っ暗な闇だけ。けれども彼女は真っ暗な闇に向かって誰かに話すように進んでいく。


「警告か。己以外に興味が無いお前がそう言うのは珍しいな。して……何を教えてくれるのか」



「アメリアです。彼女は生きていますわ」



 力強く言い放ったそれにギガスは目を見開く。

 なぜその名前が出るのか彼は一瞬の疑問に襲われるがサキナタは実に楽しそうだ。歌うように口が動いていて横目でギガスを見ていた。


「最良の巫女アメリアか……それがどうした」

「ギガスさん。私は貴方にそれなりの信頼というものを持っていました。ですが少々残念ですわ。生首を見ずに帰ってしまうなんて」


 トン。


 最後の一歩をわざとらしく響かせて、スルリと体を回転させてギガスを正面から見た。いっぺんの曇り無き笑顔で子猫を弄ぶ様な顔で彼を見る。


「ほう……ギガス。こやつはそう申しているがそれは事実か?」

「はい。その通りです」


 何の迷いも無くギガスは言い切った。

 彼の心にブレは無い。首は切っていないがあの場所に落ちたのなら死んでいるだろう。それが当たり前だろうと。


「首を切っていないのは事実ですが、奴は淵底の闇へ落ちました。兵士の生首を見ただけで吐く女です。弱肉強食の世界で生きていくのは不可能かと」

「なる程、約一キロメートルの深さを誇る場所だ。例え生きて地の底に落ちても、そこは魑魅魍魎の化け物がいる世界。死んだも同然と言えよう」


 生きて帰るのはハッキリ言って無理だろうという部下の言い分に主人も同意を得る。曖昧な判断などではなく主人も経験としてあの地獄を知っているからだ。


 それもただの地獄ではない。

 地上では国を挙げて討伐されるあのハイエンドドラゴンが、少し強い程度に収まると言うそんな弱肉強食の極地に至った地獄だ。

 例え勇者だとしても帰還は難関中の難関。戦闘に疎い巫女なら尚更というもの。


「ええ、そうでしょうね。普通なら」

「……何が言いたいサキナタ」


 しかしだ。


「最近、淵底の底にある闇の魔力が活発化してたでしょう? ()()()()()()()()

「……なる程。貴様が死んでいないと言う理由。それか」

「いかにも」


 何ともタイミングが悪い事に淵底の底では三千年振りに異変が起きていたのだ。

 よりにもよって太古から封印されていたアレが動き出している。国なんて小さなスケールで測れる物ではなく、世界そのものをひっくり返す力を持つ獣。

 

「では語りましょうか。エンデの戦いを」


 両手を広げてそう宣言したサキナタは随分と楽しそうだった。彼女は他人が争い、虐げられ奪われ、復讐する人間の負の循環が好きだ。人の不幸が生き甲斐と言っても過言ではない。

 だから神話『エンデ』が大好きだ。


 そうして彼女は昔話を語り始める。

 太古の世界で恐れられた一人と、悲しい一匹の昔話を。





──────





 淵底のの闇でハイエンドドラゴンと遭遇した直後、アメリアは直感に従って防御魔法を発動させた。

 ドラゴンの口が開いたと思えば口内から見える黒い光。それを見て咄嗟に取った行動だった。


 崖上の事やさっきの治療もあって魔力は減っている。巫女として鍛えられた肉体による回避技術を使用したかったが、結果として魔法による防御を選んだ。


 その選択が正しかったと知るのは黒の濁流に飲み込まれてからだった。


 黒炎の息なんて優しい表現ではなく濁流。

 それが意味するのはここ一帯を全て黒で染めた事だった。


(これが上位モンスター。エンデで『獣』と呼ばれる化け物……!)


 御伽話や作り話にしか出てこないと思っていた化け物は、実際に空想染みた強さを誇っていた。

 咄嗟に展開した防御魔法もいつまで持つ事やら。

 半透明の表面に六角形の模様をした(バリア)がジワジワ押されている。


(単純な強さでも大きく違う。人間と獣の違いという事? いえそれだけじゃない。私の魔力と()()()()()との相性も……)


 問題はもう一つ。

 半透明の防御魔法が黒に染まってきている事だ。


(エンデで飽きる程聞いてたけどこれが闇の魔力。確かに地上にあってはならないモノね!)


 淵底の闇に蔓延る闇属性の魔力。そこにあるだけで周りの生きている動物や植物を侵していくという魔力の毒。

 エンデではルシフィエルの力の源とされている。地上では太古に消されたそれは、エンデで時が止まっている淵底の闇では酸素の様に存在していた。


(……ほんっと! 色々問題点がありすぎよっ!!)


 ヤケクソになりながら心で叫ぶ。このグツグツと煮えた怒りを口から吐き出したいが、今はそれすらやる余裕が無い。

 少しでも他の事に気が散れば死ぬ。

 真っ黒になって死ぬ。アメリアは体の端から端まで感覚を尖らせてそう感じ取った。さっきから危険ブザーが鼓膜を破りそうな程大きく鳴りっぱなしだ。


「!? いきなり行動を変えるのは──!!」


 同時に。

 黒の濁流で何も見えないながらも、バリアの向こう側からハイエンドドラゴンが高速で迫ってくる事も感知した。


 気づいた頃には目と鼻の先。

 横へ転んだ瞬間に防御魔法はガラスのように砕け散り、アメリアが元いた場所を巨大な足が通り過ぎていった。

 脆いガラスのように砕いたのはハイエンドドラゴンの鉤爪。鉄だろうが紙のように切り裂くと伝えられた伝承は間違いではなかったようだ。


 紙一重。

 少しでも遅かったらと思うと……想像したくもない。


(でもこれで黒い息からは逃れらる。とにかく相手に見つからない場所へ……!)


 流石に黒い息を吐きながら体の攻撃を仕掛ける器用な真似はできなかったようだ。周りも見ればあの恐ろしい黒の濁流は消えている。


 つまり隠れる場所へ移動できると彼女は走り出した。

 ドラゴンの外……ではなく下へ。


 まずは敢えてハイエンドドラゴンの足と足の間に留まる事にした。

 ハイエンドドラゴンが雄叫びをしようが、太い足で地面を何度もならそうがただじっと待機する事に徹する。


(やはり気配を消せば気付かれる事は無いようね)


 ドン、ドンと地面を鳴らしている足音と殺気や苛立ちはヒシヒシと伝わってくるが攻撃をする様子は無い。私を見失っているとアメリアは思う。


(けれどずっとは無理。逃げるならドラゴンの視線から逃れやすく、尚且つ私は走れてドラゴンが走りずらい場所……すぐ近くにある!)


 彼女が見ている先には数十メートルある巨木達。

 巨人の森と言える場所だった。

 なる程確かに、アメリアが考える逃亡先としては良いだろう。


 ならこのまま森まで逃げ切れるだろうか? 


 その質問に対して彼女はノーだと答えた。距離にしても五十メートル以上はあり、魔力をブースト剤にして走ったとしても約四秒はかかる。

 短いと感じるかもしれないが、これをあのハイエンドドラゴンに一切気付かれず走り切れるか怪しい所。

 

 アメリアは体内の魔力残量を確認して、ちょっとした策に出る事にした。

 無詠唱で基本魔術を発動させれば左手に小さな炎の塊を生み出し、それを投げる。


(森との距離はあるけれど、それなら視線を逸らせるまでよ!)


 炎の軌道が読まれないようにまた死角から放てば、彼女の思い通りに炎はハイエンドドラゴンの視線に入らずに()()した。

 

 微弱な生命はこの地獄に存在しないのか。虫の鳴き声すらしない静かな場所では、小さい爆発でもよく聞こえるだろう。


「ガァアア!!」

(作戦通り爆発の方へ走り出した!)


 爆発した直後に彼らは走り出す。

 ハイエンドドラゴンはアメリアを追おうとして。

 アメリアはハイエンドドラゴンの背後にある巨大な森へ向かって。


 かけっこの様に同時に走り出した彼ら達。

 その勝負はアメリアの勝ちだ。ハイエンドドラゴンはアメリアに気づく事がないまま彼女の反対方向へと走り出す。近づければ罠だった事に気付かれるだろうがその頃にはアメリアは森の中。

 時間稼ぎにはなる筈だ。


(森に入ったら隠れるべきか……いえ、アレには嗅覚がある。なら止まらずに森の中を走り続けて──)


 既にアメリアは次の事を考えている。

 だからこそ気付いていない、いやそうだとしても爆発によって結局は聞こえなかったかもしれない。


 ()()()()()()()()()()()()()()()を。


 彼女の目の前にある巨木に何重もの線が刻まれる。たった一瞬だったが、二十メートルもある巨大な木を木片にするには充分な事だった。


 両手に鋭い刃を持った巨大な虫……シックルズにとって。


 木が完全に崩れるまで待つ事なく紫に染まった巨大なカマキリはアメリアに向かって飛んでくる。

 巨大な木の半分しかない虫だったが、ハイエンドドラゴンと同じ闘気を感じ取れた。


 ドラゴンと同格。そうアメリアは直感する。


 でなければ四十メートルもあった距離を一瞬で縮めてくる筈が無い。気がついたら目の前に巨大な鎌が迫っている事にならない筈だ。


「またこれなの!?」


 体を低くしながら防御魔法をまた展開する。


 咄嗟に展開したし元々彼女の魔力量も少ない事もあってか、形成されたそれはいつもより薄いものだった。層が薄い魔力の防壁はそれはそれはアメリアを不安にさせる。

 それでも通常の槍や大剣ぐらい防げる筈なのだが、巨大な鎌が防御魔法に触れた瞬間。



 カッターナイフで紙が切られる様に突破された。



 多分一秒の半分以下。

 その程度の時間稼ぎにしかなっていない。敵の攻撃を認識できれば、ほぼ全ての攻撃を防げる自信がアメリアにはあったが今日のせいでプライドはズタズタ。

 エンデの伝説通りに、ほんの一握りを除いて獣より強い人間なんていない。人間は自然の世界において弱者なのだと身に染みる日になってしまった。


(いえ今はそんなプライドの話じゃなくて、どう生きるかよ。伝説の獣が二体。絶望的だけど……!)


 シックルズの鎌を避けながらアメリアは戦況を考える。

 戦力差を考えれば生きる希望すらない程の隔たりがあるが、あくまで二体とも襲って来たらの話だ。


 相手からすれば人間の私なんて所詮蟻以下の存在。そんなのに構うよりも縄張りを争って隣にいる化け物を相手にするだろう。


(……嘘でしょ)


 アメリアのそんな願望とも言える予想は儚く砕け散る事になる。

 通り過ぎたカマキリとドラゴンそのどちらもがアメリアを見ていたからだ。互いを見るのではなく明確な殺意を持ってアメリアを睨んでいる。



 生物界の頂点たるドラゴン。


 種族として格が違うその強さを余す事なく体現させた化け物。

 強者は気にいならいモノなら蹂躙してもいい、そんな理不尽で圧倒的な『力』を持った者。


 ハイエンドドラゴン。



 地獄と称されている世界に生きるモノにしては体は細く弱い。

 同格ならまだしも格下すら攻撃が当たれば大きなダメージは免れないだろう。


 なら当たらなければいい。


 無駄を省き守りと重みを捨てて、速度と攻撃に磨きをかける地獄の鎌。何人も防げない『速さ』を持った者。


 シックルズ。



 アメリアは森へ逃げる選択肢を捨てていた。

 疲れている体に鞭を打ちながら二体と面を向かった。この二体に背を向けるのは死ぬのと同義。結局は最後まで闘い足掻くことになってしまった。


「ゴォォォオオオオ!!!」

「………………」

「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 雄叫びをあげて、羽音を忙しなく鳴らして奴らは同時に攻めてくる。丈夫で太い足を地面に踏みつけて、宙に浮きながら、二体は攻めてくる。


 アメリアは魔法を展開。体に魔力を通して火の魔術と風の魔術を発動させようとして──


「ッ、体が」


 心より先に体が限界を迎えた。暗殺者の不意打ちによる脳の損傷に、大量の死体を見てしまった精神的ダメージ。崖下まで落ちた時の怪我を治すための魔力量に二体のモンスターとの戦闘、そして今も彼女を蝕む黒い魔力。

 それがアメリアを恐ろしいスピードで追い込んでいた。自分でも立てるのがやっとだと気付かない程に。


 結果、体はよろめき前のめりになりかける。


 何にせよ致命的なのは気絶一歩手前のアメリアにも分かる。このままでは永眠してしまうと眠りたくなる衝動を一瞬で抑えて、前に倒れそうな体を足で踏ん張る。早くしないと攻撃が来てしまう。


(まだ私には帰るべき場所が!)


 迫り来る鎌の攻撃を迎えようと顔を上げた頃には。



 手遅れだった。



(あ……)



 空が見える。紫の大地が見える。

 上と下の光景が何回も入れ替わる。

 気が付けばアメリアは血を撒き散らしながら空を飛んでいた。吹き飛ばされていた。


(あれ……何で半分しか見えないの……?)


 おかしい。

 半分だけ真っ暗で何も見えない。



 今日はよく吹き飛ばされる日だと思いながら、円弧を描いて吹き飛ばされていたアメリアは地面に墜落した。

 



 


 吹き飛ばされた勢いは地面に落ちた程度で消えることなく、容赦なく無惨に転がっていく。落ちて弾んで落ちてまた弾んで、地面に墜落してくにつれて地面に弾かれる高さは小さくなっていく。けれどもその瞬間でさえ瀕死の彼女には軽くはないダメージを与え続ける。

 黒く滲んだ紫色の巨大な気に当たってようやく転がるのが止まった。


 偶然木を背もたれにする形になったアメリアは殆ど体を動かせないまま、目の前から迫る二体の死神を捉えた。

 どうやら彼女は半分の目でも二体見える程の位置に落ちたらしい。


 意識が今すぐにでも飛びそうだ。

 目のピントが合わない。ぼやけていて全体が紫色っぽい。真ん中に映る二つはもっと黒に近い紫だった。死神みたい。


 彼女の中にある自分を守りたい気持ちが湧き上がる。

 立ちあがろうとして前に倒れた。


(逃げ、ないと……はや、く戦わない、と……)


 守りたいならどうすればいい?

 逃げる? 前でもそれは意味が無いことだと理解したはずだ。

 どうしても最後は力と力のぶつかり合いになる。

 倒れかけた体を片腕で何とか耐える。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)


 なら簡単。この力を使えばいい。

 黄金の髪は金色の輝きを失い銀の輝きへ、目の色は体外に出ていく血の色に染まっていく。

 血だらけで青白い肌の片腕を獣達に向ける。


 手の先から光が溢れる。

 黒が混じった光が。


()()……!)


 闘志から憎しみへ変わり、最良の巫女と言われた白い光は完全なる黒の光へ。それを目の前から走ってくる敵へ放とうとして──




──────





「遥か昔。人を巻き込んだ大きな戦いがありました」


 真っ暗な世界で白い彼女は謳う。


「創造たる主人『光』の軍勢ととルシフィエルとその配下の獣達『闇』による戦争があったのです」


 人類は今の時代に栄えているが、前にも栄えていた時代があった。その間には三千年の歴史がある。


「黄金の髪と蒼い瞳の創造たる主人と、銀の髪と紅い目をのルシフィエルの戦いはそれはそれは壮大なものになりました」


 地上で最も栄えていた種族の人類を創造たる主人は引き連れ、人間に追いやられた原種の種族の獣達をルシフィエルが引き連れた。


「ルシフィエルが天界を追放されてから始まった争いは、長きに渡り人々を獣を苦しませました。戦争は地上に不幸をもたらしたのです」


 だが『エンデ』で伝えられた通りに「黒」の軍勢は「白」に敗れ、その時にルシフィエルは死んだ。


「大将を倒された獣達はそこからずっと敗走するのみ。天使達の功績により、世界で最も天から離れた場所『淵底の闇』に追放されました」


 めでたしめでたし。

 ルシフィエルは死に獣達も地の底に追い出されて、地上は平和になりました。


 たった一つの不安要素を残して。


「ルシフィエルは天界を裏切った悪魔と言えるべき存在ですが味方には優しい方でした。そう、たった一匹の狼を除いて」


 神々は恐れたからこそエンデを残した。

 人類がこの出来事を忘れない為に作られたのもあるが、それとは別に人類が()()を刺激させない為に作られたのだ。


「ルシフィエルの唯一無二の親友であり、他の獣とは一線を越す……それこそ神殺しの力を持つ狼」


 全ての資料から存在すら消して、淵底の闇を禁忌地にして、人類が開拓しない様に関わる事すら悪にした。

 ルシフィエルが天界から追放され神々に叛逆をする時、親友と共に戦おうとして封印されたその悪を。


「ルシフィエルからの『愛』を失った狼の名は──





 ──フェンリル」





──────





「……ぇ」


 淵底の闇は常に暗く闇を体現した紫色によって染められている。黒と紫の光景は三千年前からずっと変わっていない。


 アメリアの視界を白一色で染まったこの瞬間までは。


(私は一体何を……何か、よく無い力を使おうとして。いえ、それより──)



 ──少し寒い。


 見ただけで体を蝕みそうな暗い色なんてアメリアの前に広がる景色には一切無かった。

 ただただ真っ白な吹雪とそれを作り出した『狼』が見えるだけ。


 ハイエンドドラゴンとは違って大きさは人並みで膝をつけているアメリアと目線が合う程。

 真っ白の毛並みをしていて禍々しい魔力を出すわけでも無い。はっきり言って地上にいるウルフとそんなに変わらない様に見える。


 けれどアメリアは気付けた。

 目の前にいる人間大の狼が、ハイエンドドラゴンやシックルズより遥かに格上の存在だと。

 この感覚に彼女は覚えがある。神格特性(センダー)を判定する儀式で感じ取った聖なる力の本流と同等。つまり神と同等の力を目の前の狼は持っている事になる。


「キ、ギャァ!!」


 その証拠にさっきまでアメリアを殺そうとしていた二匹は後退りしていた。親に怒られるのを怖がる子供の様に、自分達より遥かに小さい狼を恐れている。

 巨大な足で地面を踏み、後ろに引き摺る音が聞こえる。


 ドラゴンは威嚇するがオオカミは全く気にする気配が無い。声すら鳴らす事なくただそこで座りながら黄金の目で奴らを見ているだけ。



 宝石の様に綺麗で真っ直ぐな目でただ見るだけ。



 当たり前だ。

 所詮小国しか壊せない獣が神を殺せる獣に敵うわけがないのだから。

 怯えるだけの弱者に攻撃する必要はあるのか?

 無いだろう。相手の方から去る。絶対に勝てないと分かっているが故に。


「逃げ、た…………?」


 二匹は何も出来ずその場からさった。

 その姿は怯えた子犬の様。

 対して狼は何かするかと言えば、無関心そのものだった。


 そもそも狼にとって大きいだけのトカゲと虫に用はない。今の奴にとって重要なのは少し前から感じ取った懐かしい気配。

 約三千年ぶりに感じたそれを見つける為に、今度こそ二度と離さない為にやって来たのだ。


 その目的の人物と向き合う為に、狼は後ろを振り向く。


 そうすればこちらを驚いた様に見つめている()()が居た。何故か髪の毛が黄金になっていたり片目が蒼になっていたりと、憎き相手の姿に寄っているがオオカミは確信した。



 目の前にいる少女こそ我が主人だと。




(なんて気高い)



 彼女にとって目の前の狼は初めて会う存在だ。

 エステイラ王国に伝わる『エンデ』でも見た事も聞いた事もない獣だった。なのにエンデとは無関係ではないと彼女は思ってしまう。自分でも不思議になる程。


 振り向いてからずっと宝石の様に綺麗な瞳と目が合っている。目が合ったままで互いに動きが止まってしまった。


 早く逃げなければいけないのに。

 目の前にいる毛並みが良くてかわ……気高い白き狼はドラゴンより強大な存在なのに。

 

 けれど逃げれなかった。

 いや、逃げなかった。



 いつの間にかあれだけ寒かった吹雪が、今は暖かさすら感じていたから。

 心の底から彼女は喜びで溢れていたから。



 目の前の狼とアメリアは初めて会った筈だ。


 なのに──



「フェンリル……?」


 知らない名前を彼女は口ずさんでいた。

 そしてそれを最後に、彼女は何にも穢されていない純粋な白の雪原に倒れた。

 

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