第5話 高3・夏篇(その3)
その2の続きです
父との楽しい温泉旅行から帰って来た夜。
詩奏は、長尾祐香から、
『先日の件、火曜日の午後2時に、HHD本社ビル一階玄関付近での待ち合わせでお願いします』
とのメール連絡を受けた。
HHD社の本社ビルは、詩奏が以前通っていた芸音大附属高の近くに有る。
だから、その場所へ行くのに迷うことは無い。
翌々日の午後。
少し早目にHHD社の本社が入るビルに到着した詩奏。
ギターを肩から背負って、メガネを掛け、帽子を深く被り、動きやすいズボン姿で、いつもより少しだけ地味な雰囲気であった。
祐香に到着した旨のメールを送ると、5分程で玄関に長尾祐香が現れる。
「詩奏ちゃん、待たせてゴメン〜」
「全然待って無いですよ」
「少し地味だね~、今日。 ギター持って来てくれたの?」
「今日は、祐香さんのチームの方達も一緒でしょ?」
「チームっていう程じゃないけど......私入れて4人だよ」
「私のことは、知っているんだよね」
「話して有るから、わかっている筈」
「みんな、RYUの正体を見れるってドキドキしているかもね」
「正体って......化け物みたい」
「ちょっと、言い方が悪かったかな? 後で上司も来るからね。 挨拶しに」
「今、受付で来客用の入館カード貰ってくるから」
2人は入館ゲートを通り、高層ビルの中層階へ。
その階の会議室に案内されると、詩奏は帽子をとって、
「初めまして。 RYUのメインボーカルの詩奏って言います。 宜しくお願いします」
と挨拶をする。
すると、若い男性社員3名も立ち上がり、それぞれ自己紹介をし、名刺を渡されたのであった。
ただ、その時の視線は、
「少し地味な子だなあ~。 だから顔出ししないのか」
という感じのものであった。
挨拶が終わると、祐香が、
「全員、好きなところに座って下さい」
と言って、打ち合わせが始まった。
そして、具体的な映像のイメージと、それに伴う予定や撮影のスケジュールなどが説明される。
「詩奏ちゃんの学校の都合が有るので、先に海外での撮影を一気にいれちゃいます。 夏休み中ですからね」
「国内分は、放映が始まって、その反応を見ながら、撮影してゆけばよいでしょう。 3か月単位で延長するか否か判断する契約となっていますから」
「先方の企画も、曲を流して詩奏ちゃんの演奏映像を入れて、最後に社名の紹介というものになってます。 そこで背景として、世界各地の美しい風景や大都市の映像等を流す」
「詩奏ちゃんについては、ピアノ演奏とギター演奏の2パターンを撮影して、サビの部分を歌いながらドローン映像で遠目からの演奏映像をスーッとアップにして、口元だけを映し、何かしらのメッセージを口パク」
「そして、ドローン映像を引いていって、壮大な景色の中での演奏映像でフェードアウトし、最後に『◯◯◯のSケミカル』の声入れと社名のロゴで終了」
「これが15秒版で、30秒版は、このパターンのロングバージョンで、中間の紹介部分を『Sケミカルは、半導体素材で世界をリードしています』とか『あらゆる化学素材で世界中の生活を支えています』とか、幾つか企業の事業内容紹介を入れることにします」
「一般消費者向けの商品を作っていない企業なので、当面は美しいとか未来的とかカッコイイとかのイメージだけを植え付けるだけで良いでしょう。 知名度アップが狙いですからね」
「CMが注目を浴びるために、2年前に人気が出たRYUの最終曲の配信に合わせて、その曲を使うことにしました。 これは、先方と詩奏ちゃんの事務所が直接契約して決定していますので、動かせません」
「口パクのメッセージは、『みんな』『ありがとう』『Sケミカル』『よろしくね』の4パターンを最初は用意して、ランダムで組み合わせて流します」
「少しパターンが多くなりますが、口パクは半月単位程度で変えてゆけば良いかなと考えています」
「以上です」
祐香の説明は熱を帯びていたが、聞いている3名の男性社員は踏ん反り返った姿勢で、説明に興味無く、今回の案件に全く力が入っていないように見えた。
「まあ、ありきたりだけど、イメージ狙いだから、奇を衒う必要は無いね」
「タレントさん、使わないんだよね? 使うとそのイメージが強くなり過ぎちゃうから、必要無いってこと?」
「この子をタレントさんの代わりに使うの? クライアントさんの希望って言っても、ちょっと地味過ぎだよね?」
「歌は? 大したこと無いと不味いんじゃない?」
黙ってその様子を見ていた詩奏。
『とりあえず歌ってみろよ、地味子』という感じがヒシヒシと伝わって来たので、詩奏が、
「そういう話になると思って、ギター持ってきました。 歌いましょうか?」
と言うと、
「へー。 ここで演るの?」
「そのつもりです」
3人の男性社員は、まだ若いのに、『俺は業界人』という感じで、それまでの完全に舐めた態度が、より酷くなり、ムッとする詩奏。
でも、祐香の頑張っている姿に、ぐっと我慢する。
若い男性社員達の酷評会話の直前に、会議室のドアの小窓から室内を覗く見知った顔がチラッと見えた詩奏。
祐香の上司で、HHD社でも結構上の地位にある武田チーフであった。
詩奏と目が合うと、『シー』っというジェスチャーを見せたので、視線を戻す。
「詩奏ちゃん、お願いしますね」
と祐香に言われて、ギターを取り出し、今回のCM曲を演奏しながら歌い始める。
♪〜〜〜♪〜〜〜
歌い終わった詩奏。
静寂の時が会議室に流れる。
舐めた態度だった3人も、予想外の美声と演奏の上手さに、黙りこくってしまった。
すると、武田チーフがドアを開け、拍手しながら入って来た。
「どうする詩奏。 祐香以外のメンバー変えるか?」
3人を冷たい目線で見ながら、チーフが確認する。
「その点は、そちらで決めて下さい。 祐香さんがやりやすい様にして頂ければと思います。 私が口出しする立場では無いので」
「お前等、年齢いくつだ? 偉そうにするほどの実績も経験もねえだろうが。 まだ10代の女の子だからって酷く舐めた態度とっていたけど、お前等って小学生以下だな。 一旦この部屋を出て、顔を洗って出直して来い」
制作部門の幹部に厳しく叱責された3人は、首を項垂れて、会議室を出て行った。
「詩奏、気分悪くしてたらゴメンな。 ミサキさんの秘蔵っ子なのに。 アイツ等そういうこと気付かない、ぬるま湯世代の若僧だから......以前、詩奏と一緒に仕事しているのにさ」
「いえいえ、私も10歳からミサキさんの事務所で生活していたようなものですから、こういう慣習も知っています。 何とも思っていません」
「あっ、分かった。 だから、いつもより少し地味な格好なのだな? アイツ等を試したんだろ、本気でやる気あるのかどうか」
「詩奏ちゃん。 私の為にそんなことまで考えてくれてたの?」
「そこまで考えて、この格好で来た訳じゃないですよ。 私、普段からこんな感じの服装ですから」
詩奏はそう説明したものの、祐香は詩奏に抱き着いて、嬉し泣きとなってしまった。
帽子とメガネを取り、髪型を少し直した後、改めてギターを手に持つ詩奏。
そして、ギターを演奏して歌い始める。
詩奏の何らかの意図に気づき、会議室のドアを開けっぱなしにする武田チーフ。
すると、10分程で、会議室のドア付近は人だかりとなっていた。
特等席で聴いていた武田チーフと祐香。
歌い終わると、集まったHHD社社員老若男女の拍手で溢れるのであった。
先程、チーフに怒られた3人。
出入口が人だかりになった会議室内を改めて覗くと、美少女がギターを弾いて歌っており、自分達が隠された本質を見極めようとせず、表面上だけで判断をしてしまうという、痛恨の過ちを犯していた事に気付かされたのであった。
武田チーフは、歌が終わる直前に部屋を出て、先程の3人を見付けて、質問をした。
「お前達、今回のクライアントの企業規模答えてみろ」
「......」
3人共、答えることができない。
「年間純利益5000億円以上だ。 一般的な知名度は少し低いが、我が国有数の高利益大企業だぞ。 うちの20倍近いな」
「あの子のこと、祐香から教えて貰ったんだろ?」
「......」
「......」
「ロクに聞いてませんでした」
「だろうな。 少し地味な雰囲気だからって、お前等自身若僧のくせに、業界人だっていう勘違いした態度で見下してな」
「あの子は、お前達と一緒に仕事したことあるんだぞ。 ミサキさんのMVの撮影時に、いつもピアノやキーボード演奏していた、あのカワイイ女の子だよ」
あっという顔をした3人。
指摘されて初めて気付いたのであった。
「だから、お前達が今回の制作に選ばれていたんだ。 詩奏と一緒に仕事をした経験者だから......」
「それに、本来はD2社に行く話だったんだ、今回の件」
「祐香の頑張りが効いてウチに持って来れた。 あの子のサポートをずっとしていたからな」
「それをお前達は、台無しにしようとしている。 同格の長尾の下には付きたく無いっていう、くだらないプライドでな」
「今回の件、もうお前達を関与させないから、あの子の件全て忘れろ。 もし、あの子の秘密を微塵でも漏らして損害が出たら、賠償請求するからな」
その様にチーフが決断すると、3人は肩を落として、その場を去っていったのであった。
「明日、クライアントと大きな打ち合わせだろ? 制作チームのメンバーどうする? 祐香」
チーフが困った顔をして確認する。
すると、詩奏が、
「今、ここに集まってくれている人達で、長尾さんと私と一緒にCM作っても良いという希望者おりませんか? 8月の1か月間だけです。 立候補してくれる方は、武田チーフに今日中に申し出て下さい」
大きな声で、みんなに呼び掛けた。
「まさか詩奏ちゃん、その為に、今ここで弾き語りしてくれたの?」
そう言うと、祐香はまた号泣となってしまった。
頭を優しく撫でる詩奏。
その様子は、その場に居た人達の心を動かしたようであった。
一旦、会議室を出て、自席に戻った武田チーフ。
1時間後、新しいスタッフを連れて、会議室に戻って来た。
新しいスタッフは3人。
特にカメラマンは、腕の良さで知られる中堅社員であった。
「祐香、このメンバーで行くぞ。 みんな立候補してくれたから、やる気はあるぞ~」
武田チーフはそう言うと、笑顔を見せた。
詩奏は、
「横田さん、ありがとうございます。 明日お願いします」
と立候補に感謝の言葉を述べると、
「詩奏ちゃんに、ああ言われたら、手伝わない訳にはいかないだろ? 手も空いていたからな。 カメラ関係は任せておけ」
「一条さん、武藤さん、よろしくお願いします。 早速明日が天王山。 クライアントとの大きな打ち合わせです」
「OK。 今から長尾とクライアント説得用の映像作っちゃうから、明日楽しみにしておいてよね」
「よろしくお願いします。 明日は何時でしたっけ?」
「午後3時。 OT町にあるクライアントの本社ビルです」
祐香がそう説明する。
「じゃあ、新しいメンバーの前でもう一度、これがRYU最後の新曲です。 イメージを作る為に聴いて下さい」
そう言うと詩奏は、弾き語りを始めたのであった。
帰り際に、詩奏は武田チーフから感謝の言葉を掛けられていた。
「迷惑掛けちゃったな~詩奏。 最初から立候補者募るんだったよ」
「祐香さん、まだ若手だから、こういうことも有るかなって考えていました」
「しかし、詩奏の演奏は、人が集まるなあ~。 なのに辞めちゃうのか? 勿体無いと思っているのは俺だけじゃないと思うけど......」
「まだわからないですよ。 RYUは終了ですが...... やっぱり違う形でも続けたいと思い直すかもしれないし。 今後、私が出逢う人達によって、気持ちも変化していくのだと思います」
「祐香さんのサポートをよろしくお願いします。 ここまで大きい仕事は始めてでしょうから」
「来月は、世界を周っての撮影会かな? 気を付けて行って来いよ」
「ありがとうございます。 無事クライアントの理解が得られたら、行ってきます」
そう言い残すと、詩奏はHHD社の本社ビルをあとにした。
帰宅後。
祐香から感謝のメールが届いていた。
明日の打ち合わせ本番、詩奏は先にSケミカル本社に行って待っていると伝えた。
先に乗り込んで、状況を視察といったところのようだ。
父との夕食後。
「お父さん、明日午後3時から打ち合わせでしょ?」
「らしいね。 俺は同席しないけど」
「えー。 出ないの〜」
「だから、俺は絡んで無いんだって」
「ダメ〜。 カワイイ一人娘の晴れ舞台?だよ~」
「俺も他の仕事があるから」
「じゃあ、チンチクリン君の提案却下すれば良かったのに......私の高校最後の夏休み、この件で終わっちゃうんだから〜」
「......」
「あ~あ。 お父さんのせいで夏休み、仕事で終わっちゃうのか〜」
ガックリする詩奏。
「わかったよ~、で、どうして欲しいんだ?」
「明日、HHD社との協議の前に、午後2時からプロジェクトチームと私との間での打ち合わせを設定して」
「そんなことで良いのか?」
「うん。 少し言いたいこと言わせて貰うから」
「......」
「じゃあ、決まりね」
娘に甘い父。
原因は、部下の企画を承諾したことにあるとはいえ、娘にも妹にも押し切られてばかりの璃玖なのであった。
翌日の午後2時。
詩奏は、Sケミカル本社内で、父と一緒に居た。
正式には、父の自席前に置かれているソファーに座って待っていたのだ。
フロアー内に居る社員も、その様子を少し気にしている。
今日の詩奏は、いつもの地味な感じではなく、服装も某ブランドのお洒落な感じのものを着ており、わざわざ美容室で髪を巻いて整えてから、父のもとを訪れていた。
「詩奏、どうしたんだ、その格好?」
「良いじゃない、たまにはお洒落したって」
「CMの映像撮る時は、こんな感じだよって見せに来たんだよ、クライアント様に」
「......」
「可愛い過ぎて、絶句しているんでしょ?」
「まあ、そんなところだな」
「おっと、プロジェクト来たぞ」
プロジェクトの4人が、詩奏のところにやって来たが、前回とあまりにも違う雰囲気に、特に土屋課長と海野社員は驚いた表情をしていた。
「今日はよろしくお願い致します」
詩奏が機先を制して挨拶する。
「こちらこそ、HHD社のクリエイターとの打ち合わせ前に、わざわざ出向いて頂いて、申し訳ありません」
「それでは、打ち合わせ場所に移動しましょうか」
詩奏とプロジェクトの4人は、会議室に移動して行った。
その様子を見ていた次長が、璃玖のところにやって来て、
「教来石部長。 部長の娘さん、どうして急に来られたのですか? それも写真とはだいぶ雰囲気も異なる感じで」
「プロジェクトがノンビリしているから、気合い入れに来たのだと思いますよ」
「なるほど。 だからビシッと美貌で武装して、乗り込んで来たのですね。 これは見ものですね」
「物事をハッキリ言う子だから、プロジェクトはタジタジにされるでしょうね。 そもそも土屋課長が海野君の適当過ぎる企画提案書を却下して、広告代理店にCM制作任せておけば良かっただけですから」
「あの土屋課長が言い負けるシーンが見られるかもしれないのか〜。 興味深いですね」
柿崎次長は璃玖にそう言うと、何だか嬉しそうな顔をして、様子を見に出て行ったのであった。
打ち合わせ場所は、ピリッとした空気感が漂っていた。
それは前回来た時と、詩奏の様子が全く異なるからである。
「それで、教来石さん。 今回はHHD社との打ち合わせの直前に、どの様なご用件でしょうか?」
土屋課長が、その様に切り出す。
課長は、提案者の海野の方をちらりと見たが、詩奏の想像以上の美貌ぶりに、既にヤラれてしまって、役に立ちそうもない状態であった。
詩奏は戦闘モードバリバリで切り出す。
「先ず、一つお伺いしたいのですが」
「はい」
「プロジェクトの方々、CMで使う予定の私の曲、聴きましたか?」
「申し訳ありません。 まだです」
「私を映像で使うのに、正式に会う予定もないですよね?」
「はい。誠に申し訳ございません」
「先日、事前打ち合わせがありましたが、その後正式なお話が来ていないと記憶しているのですが......」
「......」
「それなのに、クリエイターさんと打ち合わせに入ってしまうのですか?」
「......」
「そちらの企画内容は、私の出演が前提になっているのですから、クリエイターと話し合いされる前に、先ずそちらから私に対して、正式なアプローチをされるのが、常識的なやり方だと思うのですが......」
手厳しい、詩奏の指摘であった。
本来企画提案者である海野社員が、キチンと対応すべきだったのであるが、全く出来ていないと言われてしまったのだ。
不出来な社員の責任は、提案を許可した上司の責任でもある。
『部長の娘さん、しかも未成年だということで、甘えから不手際だらけになっていた』
今更ながら、土屋課長は、自身の判断の甘さに気付いたが、既に手遅れ。
最早、謝罪するしか方法は残っていなかった。
「教来石様に対して、こちらから正式なアプローチをせずに、当社のCMへの出演と曲の提供を決めてしまい、誠に申し訳ございません。 今更ですが、今から正式なお話をさせて頂いても構わないでしょうか?」
「今更、そこまでされなくても結構です。 間接的では有りますが、既に聞いておりますので」
「まだ、提供する曲も聞いていらっしゃらないし、キチンとした形での私の実物にも会っていない。 映像の映り具合も確認していない。 これだけ無い無い尽くしでは、いつまで経っても、何も決められないですよね」
「......」
「午後3時から、HHD社の長尾クリエイターが、実際に流す映像の具体的提案を持ってやって参ります。 この提案には、私も深く関与しています」
「実は、不手際だらけのクライアント側の対応に、業を煮やして、一気に先に進めさせて頂きました。 ここは長尾と私を信じて頂いて、今日の提案に異を唱えるのは遠慮して頂きたいと思うのです。 時間的に厳し過ぎるので」
「......」
「どうでしょうか?」
土屋課長は、返事を迷っていた。
不手際だらけで、あらゆる方面に迷惑を掛けていた事に、漸く気付いたのである。
暫く考えていたが、重い口を開いた。
「企画提案者である、当社の海野等が企画だけ立ててその後何も対処せず、教来石様やHHD社様に、多大なご迷惑をお掛けしていたこと、上司である私の方から、お詫び申し上げます。 私が責任者ですので、私の責任も極めて重いということです。 誠に申し訳ございませんでした」
「このままでは、9月の放映開始どころか、年内の放映すら難しいこと、今、漸く気付かされました」
「9月から放映予定分のCMについて、HHD社の担当者様と教来石様に全てお任せすることに致します」
「今回の度重なる不手際をお詫びすると共に、私共の不手際を挽回すべく努力して頂いたことに、厚く御礼申し上げます」
その様に謝罪すると、課長は頭を下げ、残りの3人も同じ様にしたのであった。
すると詩奏は、漸く笑顔を見せ、
「ご理解頂き、ありがとうございます」
「それでは、午後3時からのクリエイターからの提案を楽しみに待ちましょう」
「CGでも良いのですが、今回は敢えて実写で行きたいので、撮影費用は結構嵩むと思いますが、その代わりタレントさんを使わないことで、相殺しています。 その点は理解して下さい」
その様に説明したのであった。
その後、一旦解散として、詩奏は父の席の前のソファーに戻っていた。
「プロジェクトの連中、何もしていなかったことに気付いたみたいだな」
海野君が、土屋課長に呼ばれて、色々な確認を受けて、厳しく叱責されている様子を見ながら、璃玖は詩奏に言った。
「だって、本当に何もしていないでしょ?」
「曲も聴いていないなんて、考えられないよね?」
「プロジェクト、一旦解散させたら? 結局長尾さんと私に丸投げすることで決まったんだから......」
「そうするか〜」
璃玖は、そう一言発すると、土屋課長の席に向かい、その旨を伝えたのであった。
「さて、そろそろ来るかな?」
「クライアント側は、お父さんと柿崎次長さんと土屋課長さん、それともう一人位の出席で良いんじゃない?」
「時間は、1時間位で終わると思うよ」
「詩奏、ゴメンな〜。 こんなグダグダになっちゃって」
「その分、私が頑張って、全部挽回してあるから大丈夫だよ」
璃玖は、娘の提案を全部受け入れて、HHD社との打ち合わせの出席者を変更することも決めたのであった。
長尾祐香は、Sケミカル本社に到着すると、Sケミカル側の出席者が変更され、部長以下の部門幹部臨席に変更されていたことに驚いていた。
打ち合わせ場所に案内されると、相手側は既に揃っており、祐香達の説明開始を待っていた。
「祐香さん、始めて下さい」
そう言う詩奏の姿が、今迄に見たこともないくらい、ビシッとキメて来ていたことにもビックリ。
祐香の説明は、同僚2名の協力もあって、1日の突貫工事で作られたとは思えないクオリティの映像が準備出来ていたことで、わかりやすく、具体的なものとなっていた。
祐香の説明映像には、前日に詩奏がギター演奏で歌った音源も急遽録音して組み込まれており、CMのイメージがよりわかりやすくなっていたことも功を奏した。
璃玖も柿崎次長も土屋課長も、祐香の提案に一切注文を付けることは無かったのである。
並行して、別場所で横田カメラマンが詩奏の映像を撮影していた。
ビジネス街にある本社ビルの敷地内で、ギター演奏している詩奏の映像を撮影し、これを実際にプレゼンの映像へ組み込んで、璃玖等に直ぐ見てもらおうという試みであった。
撮影が終わると、直ぐに打ち合わせ中の祐香等にその映像が届けられ、手伝っていた一条・武藤両名によって、あっという間に資料映像に反映されたのであった。
改めて、最新バージョン映像が璃玖等に披露される。
「さっきより、より具体的でわかりやすいね」
「良いんじゃない? こうして見ると部長の娘さん、思っていた以上に後ろ姿綺麗よね~。 顔が映っていないから、想像力を掻き立てられるわね」
「これは話題になるかもなあ~。 謎のミュージシャンが美女なのでは?っていうことで」
「曲がバラード調だから、やっぱり落ち着いた映像が合うね。 世界の美しい風景や無機質な大都市を背景にするという、詩奏の意見が一番しっくり来るね」
肯定的な意見が相次ぎ、祐香の提案通りでゴーサインが出たのであった。
その後は、撮影費用についての打ち合わせであった。
今回は、詩奏側の好意で、曲の売上増を見込み、当初1か月間放映分の出演料がほぼゼロであることから、その分を撮影経費に積み増すことが了承された。
詩奏が夏休み中であるので、この機会に北米・南米各地での実写撮影を実施することも決まり、Sケミカル側が負担する、その経費の支出の承諾も得られたのであった。
打ち合わせが終わり、祐香が詩奏に、
「ありがとうね。 全部事前に詩奏ちゃんがクライアント側に状況説明してくれたのでしょ? わざわざ急遽の撮影をする為に、美容室で髪も整えてくれて、服装も撮影用で来てくれて......」
「スムーズに終わって良かった~。 撮影や渡航関係は全てHHD社の担当だから、お願いしますね」
「日付け決まったら、連絡するね」
「私の映像出演は、最大でも来年の3月末迄だから、撮り貯めし過ぎないようにね。 延長は一切受けないので」
「えっ、そうなの。 好評でも?」
「RYUの歌は残るけど、存在は無くなります。 その点は変えません」
「分かった。 来年の4月以降も放映するのなら、別の人を起用してってことね」
「そうです」
「これが最初で最後?の詩奏ちゃんの海外撮影かもね~」
「高校最後の夏休みの思い出かな? 普通の高校生じゃ経験出来ないことだから、楽しみにしてるよ」
「直ぐ出発になるから、準備しておいてね。 詩奏ちゃんの学校のことも考えて、8月20日迄に帰国するように設定するから」
祐香と今後の撮影について、打ち合わせが終わった詩奏は、ビル内を移動し、父の自席の前のソファーに座るのだった。
部長として忙しそうな父の様子に、大人しく座って待つ詩奏。
暫くして、手が空いた璃玖が娘に語り掛けた。
「まだ高校生の詩奏に、多大な負担を掛けてしまって済まなかった」
「本当だよね~。 一生分の行動力使い切ったわ~」
「しかし詩奏に、こんな力が有るって気付かなかったなあ~」
「今回の件は、お母さんが遺した心残りの一つだったからだよ。 最後の曲を完成させたのに、発表するまで生きていられなかった、この世への未練」
「私がまるで彩陽の様な行動力を見せたのは、きっと彩陽の未練が私の背中を押し続けたからなのだと思う」
その様に詩奏は語ると、母が大好きだったあの曲、高校生時代にミサキと一緒に作詞作曲した『無題の曲』を口ずさみ始めた。
「詩奏、その曲......」
璃玖はそこで言葉が詰まってしまった。
目の奥に、微かに光るものを見せ、娘の口ずさむ曲を黙ったまま聞きながら、過去の想いに浸るのであった。
口ずさみが終わると、詩奏は父に、
「今日は遅くなっちゃったから、このままお父さんの仕事終わるの待っているよ。 一緒に帰ろ? ご飯も何処かで食べていこうね」
「そうするか〜。 まだ終業時間迄少し時間が有るから、そのソファーで寛いで待っててよ」
自動販売機で飲み物を買ってから、暫くソファーで座ったまま、父の仕事ぶりを眺めていると、土屋課長が海野を連れて謝罪しに現れた。
「教来石さん、本当にうちの海野が余計な提案をしてしまい、ごめんなさい。 しかも企画提案したくせに、その後何もせずに放置するという企画課に所属する社会人として、大失格なことをしてしまって」
「何処かへ左遷だね」
「企画提案ってさ、それが通ったら、提案者の責任で成し遂げようとしなければ、ダメなんじゃない?」
「僕、経験無いんで、どうしたら良いかわかりません〜 案は出したから、あとはみんなやってね~ それじゃあダメなんだよね」
その様に話すと、詩奏は不機嫌そうにソッポを向いてしまった。
その様子に、ガックリ項垂れる海野社員。
少し笑っている璃玖。
「お父さん。 何笑っているの?」
「まあいいや。 それよりも......」
「部長席に置いてある私の写真見て、想像を膨らませ過ぎた結果が、ああいう提案になるって、こっちからしたら恐怖なんだけど......」
「課長さん、同じ女性として、そう思いませんか?」
「確かに。 少し寒気がするわね」
「そういうことで、この話はオシマイ」
直接謝罪する機会すら与えられず、課長に背中を押されて、自席に戻らされる海野社員。
憧れていた詩奏に、謝罪すらさせて貰えない完全拒否を喰らって、半べそ状態であった。
暫くして、
「詩奏さん、少しお話したいんだけど、イイかしら?」
土屋課長に声を掛けられたので、2人で本社ビル内の休憩スペースに移動する。
如何にも都心という景色と、緑が配置され、仕事の気分転換が出来るように、ゆったりとした作りになっている。
課長がラテアートを2つ買って持って来た。
「ご馳走になります」
詩奏は、そう言いながら受け取る。
「今回は、本当に迷惑掛けちゃってごめんなさい」
「いえいえ。 私を映像で使いたいっていうことに、一番ビックリしました」
「それなのに、提案したこちらが何もしないなんて、恥ずかしくて顔向け出来ないわ」
「部長にも怒られました。 企画が通った後、なんで直ぐに広告代理店に依頼しなかったんだって。 『私達はド素人なんだから、口出しする知識も経験も無いだろ? 曲と起用したい人物を決めるだけで十分だったんだよ』って」
「その通りですね。 こちら側に居る立場から言わせて貰えば」
「さっき、長尾さんとも少しお話ししたの。 そうしたら、昨日詩奏ちゃんに助けて貰わなかったら、今日のプレゼン出来なかったって。 HHD本社内での出来事も教えて貰ったわ」
「どうして、そこまでの行動力身に付けたの? その秘訣を教えて欲しいなって思っている。 私も所謂キャリアウーマンだから、色々と苦悩も有るし」
「私って、落ちこぼれの女子高生なんですよ。 英語以外勉強出来なくて、受験生なのに、大学受験出来る学力無くて」
「目標も無いんです。 母の敷いたレールの上を走って、母やその周囲の人達と、一緒に歌ったり演奏出来れば十分だったんです、私」
「でも、母は体が弱くて......私のささやかな願いも実現半ばで終わってしまいました」
「今回の曲って、その母が最期に遺してくれたものです」
「残っている最後の力を振り絞って作ってくれた詞とメロディ」
「だから、この曲だけは、キチンとした形で世に出したい。 私の全力を出し切って」
「その想いが、今回の私の行動力に繋がったのだと思います」
「......」
「母って凄い行動力を持った女性だったんです。 見た目はごく普通、でも中身はスゴイ人で」
「歌が上手くて、演奏も上手くて、ヒット曲出せるような作詞作曲能力も持っていて。 リーダーシップも有って、ミサキさんの音楽事務所作って、言葉喋れないのにD・イゼニ社に乗り込んで、案件獲得して、業務提携までしちゃって」
「D・イゼニ社に乗り込んだ時なんて、8歳の私を通訳に仕立ててですからね。 ほんと笑っちゃう」
「体調悪い筈なのに、いつも朗らか。 天真爛漫で沢山の人が自然と集まって来る様な、素敵な女性でした」
「それでいて、意外と金銭感覚の鋭い面もあって。 MVの作成の時とか普段の演奏練習の時なんか、ピアノ奏者やキーボード演奏として私をフル活用。 『娘だからタダでしょ?』って。 母もベース弾いてましたね、『人を雇えばお金が発生するのよ』って言って」
「でも、そういうことをしてくれたお蔭で、まだまだ子供なのに、いつの間にかプロの方達との繋がりが出来ていたのです。 母はそこ迄考えてくれていたのでしょう」
「人の輪を作るって、一番大事なことですよね」
「......」
「おそらく、私のこの一週間の行動力は、母から受け継いだ血が、眠っていた力を呼び起こしてくれたのでしょう。 普段は、家事やって、お父さんの晩酌に付き合って、たまに父とデートして、学校行って、友達とお喋りして、時々音楽やってっていう高校生でしかありませんよ」
「こういう話です、今回私が頑張れた秘訣は。 課長さんにとって、あまり役に立つ様な話では無かったと思いますが」
詩奏の話を聞いていた土屋課長は、最後涙ぐんでいた。
この話に感動してしまった課長。
「絶対、詩奏ちゃんの曲、買うからね」
「CM流れ始めたら、社員の曲の購入、義務化するから」
とんでもないことを口走る土屋課長であった。
落ち着いてから、
「一つお願いが有るんだけど」
「はい、何でしょうか?」
「チンチクリン君ともう一人、プロジェクトに居た若手の女の子を、来週からのアメリカ大陸撮影行脚に同行させてやって欲しいの」
「えー」
「研修の一環として、他業種のプロの仕事を体験させてあげたいのよ」
「......」
「雑用係として、荷物持ちでも、日傘持ちでも、何でも使っていいから、同行させてくれないかな?」
「詩奏ちゃんがどうしても、チンチクリン君嫌だっていうなら、別の社員にするけど。 もうHHD社側の許可は貰っているから」
「どうしても嫌だっていう訳じゃないですけど......」
「じゃあ、決まりね」
「安心して欲しいんだけど、チンチクリン君から詩奏ちゃんに話し掛けるのは禁止にするから。 勿論、持ち物に触れたり、間違って手に触れたりするのも一切禁止。 少しでも破ったら、私に連絡して。 強制帰国させて、地方の工場に飛ばすから」
「......」
「ところで、チンチクリン君って言い方、父から聞いたのですか?」
「って、質問する必要も無いですね」
そう言うと、苦々しい顔をしながらも、渋々承諾する詩奏であった。
その頃、璃玖は海野に声を掛けていた。
『海野君が今後、詩奏との関係をどうしたいのか、本人の自覚を促す為に、少しキツいことを言っておこう』
璃玖は、そう考えたからであった。
半べそ状態のまま、溜まった業務を続けていた海野信之。
部長に声を掛けられて、自動販売機コーナーに移動。
冷たい缶コーヒーを渡され、
「ありがとうございます」
と涙声で言うのが精一杯であった。
「海野君。 今回の件は明確に指示しなかった、私や課長にも一定の責任が有るから気にするな。 D2社にCM発注すれば、それだけで良かったのだから」
「......」
「君がいま半泣きしているのは、仕事の失敗じゃなくて、詩奏に嫌われたことだからね」
「嫌われただけじゃなくて、物凄く迷惑を掛けてしまった。 本当はあまり表に出たく無い子だからな、詩奏は」
「......」
「それに今の君では、詩奏に振り向いてさえ貰えないよ」
「勉強が出来て、レベルの非常に高い大学出て、有名企業入って、お給料も同級生より貰っている。 背も高く、見た目も良くて、性格も穏やか。 それが海野君だよね?」
「......」
「でも、詩奏から見たら、それだけなんだよ」
「......」
「あの子の周囲には、プロのミュージシャンが沢山居て、仲が良い人が何人も居る。 カッコイイ若手ミュージシャンさんとも知り合いだろう。 君より野心的で、しかも優秀でクリエイティブな、大手広告代理店の社員さん達と中学生の頃から既知の仲だよ」
「そういった人達に勝てるもの、今の海野君にあるかい?」
璃玖にそう質問され、信之は、
「ありません。 何も」
そう答えた。
「そうだよね」
「だから、現状のままだと、詩奏が君に興味を示すことは無いよね?」
「......」
「詩奏より美人で魅力ある女性、世の中に沢山居るんだから、君の為を思って言うんだぞ。 詩奏のことは諦めて、他の女性を探した方が良いのでは?」
「......」
「君自身が変わらないと、十年待っても、手に触れることさえ赦して貰えないだろう。 歩んで来た人生が君と詩奏ではあまりにも違い過ぎるから」
「それでも、詩奏との関係の進展を望むなら、君自身が大きく成長して、より大胆で積極的な人間にならないと」
「忠告はしたからな。 君の人生だ、あとは君が決めることだ」
そう告げると、璃玖は自席に戻るのであった。
自席に戻ると、詩奏が戻って来ていた。
「お父さんが長時間席を外して、自動販売機コーナーに居るなんて、珍しいね」
「ちょっと、話、聞こえちゃった」
「そうか〜」
「お父さんの言っていたこと、正解」
「流石だなって思ったよ」
そう言うと、先程土屋課長に言われたことを確認した。
「チンチクリン君を、私の撮影に同行させること、お父さんの発案?」
「いや違うよ。 課長」
「そっか〜。 私の実像を知って、幻滅して諦めてくれればイイけどな。 私なんかより美人さん、世の中に山ほど居るんだし、わざわざ音楽の世界に居る人を選ぶ必要無いよね?」
「まあ、私の眼の前に座っている方も、そういう選択をした1人だけどね」
暫くすると、終業時間になり、徐々に社員が帰って行く。
「詩奏、そろそろ帰ろうか?」
「はーい」
璃玖が片付けを始め、残業している社員に挨拶をしてフロアーを出る。
詩奏もそのあとに付いて、手を振りながら部屋を出た。
建物を出ると、2人は手を繋いでTK駅まで歩く。
TK駅の大きな古い駅舎は、今では観光名所で、ライトアップされた薄暮時が非常に綺麗である。
「ここはいつ来ても、綺麗だよね~。 結婚式用の写真撮影のメッカだものね」
「詩奏だって、いつかはそういう時が来るんじゃないのか?」
「まだ私、女子高生だよ? さっきのお父さんの話じゃないけど、だいぶ先だよ。 間違いなく」
「でも、人の出逢いなんて、何時何処で巡ってくるか、わからないものだぞ?」
「お父さん、お母さんと結婚式やったの?」
「やったよ。 新婚旅行もハワイ行った。 2週間」
「それで、出来たのが詩奏だね」
「私、ハワイで出来たの?」
「間違いないよ。 ちょっと生々しい話だけど」
「だから、英語だけ得意なんだ〜」
「それは違うだろうけど......」
顔を見合わせて、笑う父娘。
「お父さん、海外撮影行って来るね~」
「気を付けて行って来るんだぞ、かなり心配だなあ」
「お父さんこそ、3週間も私が居なくて大丈夫?」
「ちょっと、心配」
「えー」
「大丈夫だよ。 ちゃんと掃除もするから」
「誕生日迄には帰って来るから、よろしくね」
「そういうところは、しっかりしているよな。 彩陽に似て」
すると、詩奏は歌を歌い出す。
母の作った最後の曲のために、今の詩奏に出来ることは全て出来たと思う達成感が、詩奏の心に充実感を与えており、爽快な気分にさせたようであった。