第3話 高3・夏篇(その1)
中間テストの成績が悪過ぎた詩奏。
以後、必死に勉強して、迎えた期末テストの結果は?
夏休み目前で、母が残した最後の曲を歌う詩奏。
この曲に込める想いとは......
時の流れは早く、あっという間に7月中旬。
教来石詩奏は、中間考査の赤点を解消して、補習授業を免れ、高校生活最後の夏休みを確保する為に、5月末から必死に勉強していた。
成績の良い、親友と言える間柄になった森結唯と内藤深月も、大学受験の勉強の合間に、詩奏の勉強の躓いているところを、よく見てあげた為、数学系の成績は向上の兆しが顕著であった。
問題は、国語系。
帰国子女だからこその、解消出来ない部分がどうしても有るので、なかなか成績向上の兆しが見えなかったのである......
空梅雨で、7月の三連休前なのに、夏の日差しが続く蒸し暑い日。
この日は、一学期の期末テスト最終日であった。
テストが終わった放課後。
「詩奏、試験どうだった~」
「数学系は大丈夫だと思う」
「問題は、現代文と古文だね」
「2つ赤点は厳しいから、どっちかは赤点解消して欲しいなあ~」
「それって、これから大学受験する進学校の生徒の発言じゃないよね」
「同感〜」
「もっと、目標を高くしないと」
「詩奏には、音楽という人生の切札が有るから、大学進学失敗しても、どうにかなりそうだけど......」
「うーん、それは最終兵器かな? 全てが上手くいかなかった時の為の」
「お父さんもお母さんもK大だし、お父さんの妹さんはT大なんだよね、うち」
「本当に? 詩奏って、勉強出来るポテンシャル有るんじゃないの?」
「お母さんは、指定校推薦だから、そこまでの学力無かったらしいけどね」
「まあ、とりあえず......」
「試験、終わった〜〜」
「終わった〜〜」
「高2迄は、一学期の期末テスト終わったら、『夏休みだ〜』っていう解放感凄く有ったけど......」
「でも、高3は違うね~」
「クラス内、見渡しても、そういう感じ無いものね」
「だって、殆どの生徒は、夏休み入った初日から、予備校の夏期講習だもの」
「詩奏は、夏期講習行かないんでしょ?」
「私は、そういうレベルに無いからね」
詩奏は、自身の学力をそう表現して、苦笑いするのであった。
「深月と結唯は、夏期講習で夏休みの大部分は終了でしょ?」
「私は、医学部目指しているから、学校行っている時より夏休みの方が、ずっと勉強漬けになると思う」
「私は、深月ほどじゃないけど、難関大学目指しているから、KW駅前のS台塾の夏期講習に行くよ」
「S台塾なら、うちのマンションの直ぐ近くだね? それなら、夏期講習の授業終わって、疲れた時はうちに遊びに来なよ。 私、昼間は独りだから」
「うん、わかった」
「今日だけは、解放感を少し味わいたいな~」
「それじゃあ、寄り道しようか?」
「行こう、行こう〜」
「たまには、GN座でも行く? S堂パーラーでパフェ食べるとか。 勉強見てくれた御礼に私が奢るよ~」
詩奏がその様に言い出す。
「GN座、CB県のプチ田舎高校生には、ちょっとハードル高過ぎじゃない?」
「附属高って、場所どこだっけ?」
「MN区のAK坂」
「マジで? 凄いところに有るね~」
「系列高なのに、学校の場所が違い過ぎる」
「いきなりGN座じゃあ、気後れしちゃうか〜」
「じゃあ、いつもの感じで」
という会話があり、結局IW市内のSBカフェとなったのであった。
「SBカフェ、KW駅前には沢山有るよね?」
「西口と東口で合計4箇所だよ」
「えっ、そんなに有るの?」
「うん、確か」
夏休み間近の平日午後3時過ぎ。
IW市内某駅前のSBカフェは、テストが終わった中高一貫校の高校生だらけ。
「2人の夏休みは、勉強漬けでオシマイなの?」
「私、基本的はそうだけど、1〜2回位は息抜きで遊びに行こうと思っているよ」
「深月は?」
「高校生活、最後の夏休みだし、模試の成績次第かな?」
「女子高生ってブランド最後の夏だからね。 少しは遊びたい気持ちはあるけど......遊んだことで、合格出来なかったら......後悔はしたく無いかな?」
「詩奏は?」
「勉強もするけど、高校最後の夏休みだから、色々したいなあ。 去年は何もする気が起きなくて、ただ時間が過ぎていっただけだったからね。 その分を取り返そうと思ってる」
音楽関係で活動の再開を考えていることは、活動していること自体が秘密なので、はっきりと言わなかったが、そういうことなのであろう。
「転校してきて、ちょっと感じたんだけどさ~」
「うちの学校って恋愛不毛地帯って感じだよね? 共学なのに」
すると結唯は、
「原因は、県内有数の進学校だからだと思うよ。 高3になると大半が受験モード全開でしょ? そう感じない? 転校してきてみて」
「そうだね」
「それと、昔は女子校だった影響で、男女比が3対7位だものね。 高校の募集無いし、中学の募集定員が男80人女170人だから。 結果いいオトコが少ないんだよ」
「それでも、深月は彼氏居るものね~」
「そうなの。 全然知らなかった」
「1年間の海外留学中だから。 学年1個上だし」
「じゃあ、大学生?」
「推薦でJ大受かって。 そうしたら念願だった海外留学行っちゃったって〜って感じ。 語学留学したがってたから」
「深月の大学受験の邪魔したくないって言うのも有るんじゃない? こっちに居れば、遊びたい盛りの大学1年生と医学部受験の高校3年生じゃあ、環境が違い過ぎるものね」
詩奏が自身の見解を話すと、深月は、
「あいつ、そういう考えだったのかな? 留学するって言われてから、ずっと少し不信感有ったけど......」
「どんな人か知らないけど、私はそう思ったよ」
すると深月は、詩奏の手を取り、
「ありがとう〜。何だかモヤモヤがだいぶ晴れたって感じ」
そう言って、嬉しそうな顔をしたのであった。
「詩奏は、どうなの?」
「私? 私はお父さん居るから無理だよ。 娘の口から言うのも何だけど、お父さん、ちょっとヌケてるところが有るけど、優しくて、家族思いで、決断力あって、その上まだ三十代に見える位カッコイイから、同世代の子がガキに見えちゃうし」
「深月〜。 詩奏は当面無理だよ〜。 超イケオジなお父さんと2人暮らしなんだからね。 疑似夫婦生活でしょ?今」
「そっか〜」
その様な噂話をされているとは、ツユ知らずの璃玖。
急に鼻がムズムズしたので、『詩奏が俺の噂話しているのかな?』とかと思いながら、自席で鼻をかんでいると、同じ企画部内の若手社員が、企画書らしきものを手に璃玖のところにやって来た。
「部長。 この企画提案書に、目を通して頂けませんか?」
「課長は?」
「係長、課長に見て頂いたら、部長のところに直接持って行くように言われて......」
「???」
不思議に思った璃玖は、この社員が所属する企画第二課の女性課長の方に視線を送ると、『よろしく〜』という感じで、手を振られてしまった。
「よくわからないけど、急ぎ?」
「急ぎでは無いです」
「それじゃあ、今日中に目を通しておくよ」
「ありがとうございます」
そう言うと、その社員は自席に戻って行った。
この日の定時が過ぎてから、先程渡された企画提案書に目を通し始めた璃玖。
自社のイメージCMを流す関係での提案書だったのであるが、
『詩奏を起用したい』
というものであったのだ。
思わず飲んでいたコーヒーを詰まらせて、むせる璃玖。
CMで流す音楽だけでは無く、女優さんの代わりとしても映像で起用してみたいというものであった。
国際的な化学メーカーである璃玖の勤務するSケミカル。
化学メーカーとしては、ダントツで利益をあげているものの、地味な社名の影響もあって、旧財閥系総合化学メーカーの「M◆ケミカル・Mヰ化学・S伴化学」等よりも知名度が劣る。
そこで、知名度を上げて優秀な人材を集める為に、少しイメージCMを流そうかという話が上層部から出ていたことは、風の便りで聞いていたが......
この企画書を見ながら、璃玖は自身が若かりし頃を思い出す。
『回想
彩陽。 うちの会社のCMソングに、ミサキさんを起用してみたいんだけど......
良いんじゃない? ミサキ少し行き詰まっている感じだから......
彩陽、友人だろ? 紹介して欲しいんだけど
別にイイけど......
ミサキさん、彩陽の夫の教来石璃玖と言います
単刀直入に言います。
我が社のCMソングお願いしたいのです
期間は1年程度で
どうでしょうか?
イメージCMのソングってことですよね?
私みたいな若手中堅よりもベテランの方が、貴方の所属する企業のイメージと合うものを創り出せるのではないかと思いますが......
作詞作曲、彩陽にお願いしてでは、どうですか?
えっ、私が作詞作曲? 璃玖聞いて無いよ、その話。
彩陽が書いてくれるの?
私としては、お二人の経緯を聞いています。
出会い、ライバル、デビュー、病気、挫折、苦悩。
そして、協力、親友へ。
そういう話から、歌はミサキさんにお願いしたいです
音楽大好きな2人が協力して、楽しげな音を作り上げる
それを地味なうちの会社が、イメージソングとして流す
ありきたりじゃない事を、やってみたいんです
うちは社運を賭けて、アメリカ市場に進出しています
地味なイメージですが、チャレンジ精神旺盛なんですよ
どうですか? 前向きに考えて貰えませんか?』
あの頃は、初対面の方に、いきなり企画持ってって、猪突猛進だったなあ~
今回の話、詩奏に持っていったら、何て言うかな?
『歌は譲ってOKするけど、ビジュアル使うのはダメ』
だろうな
そういう想像をする璃玖。
ひとまず、提案してきた社員の上司の意見を聞こうと思い、企画第二課長を自席に呼んだ。
「課長、そこに座って下さい」
璃玖の席の前に有る、応接用のソファーを案内して対面で座る。
「企画第二課が担当の当社のイメージCM、そろそろ全てを決めないといけないのですよね?」
「あの若手社員......海野君が持って来たこの企画提案書について、土屋課長の意見を聞いておきたいと思って」
「部長の娘さん御本人が賛同して頂けるのならば、私個人の意見としては、賛成です」
「確か、部長の娘さん、ミュージシャンとして、何処かの事務所に所属していらっしゃいますよね?」
「シロウトをいきなり起用するのでは、役員会で即却下されるでしょうが、無名とは言え、プロのミュージシャン、しかも自社の幹部社員の家族っていうところが面白いと思います。 これならば、役員の賛同を得られそうですから」
「ひとまず、娘さんに確認して頂きたいです。 父親として、即却下という可能性も有ると思ったので、海野君には先ず部長の意見を聞くようにと、指示したのです」
「課長の意見はわかりました。 先ず娘に尋ねてみます」
その様に話すと、この企画は一旦預りとするのだった。
璃玖が帰宅する際、先程の企画提案書を持ってきた若手社員の海野信之のところに立ち寄り、
「さっきのこれ、コピーを持って帰って、当事者に見て貰うけど、構わない? そうじゃないと話の進めようが無いから」
「部長、よろしくお願いします」
「多分、だいぶ内容が書き加えられて、大きく変わって戻ってくると思うけどね」
当該社員の許可が出たので、コピーを取って自宅に持って帰る璃玖であった。
自宅に着き、玄関ドアを開けて、
「ただいま〜」
と言うと、
「お父さん、お帰り〜」
という元気な返事が有り、少し嬉しそうな璃玖。
スーツを脱いで着替えて、リビングに行くと、
「ごはん、ちょうど出来たから食べようよ」
と詩奏が嬉しそうに笑う。
「何か良いこと有ったのか?」
「試験が終わったからだよ。 とりあえず補習、それ程行かなくて済みそう」
「俺や璃子の血筋なら、理数系は得意の筈だからな」
「そうだよね? 最近理数系得意の血が目覚めてきた感じ」
「頂きます」
「いただきます」
夕食を食べ始める父娘。
早速、部内で突然出た企画の話をする。
「うちの若手社員が、イメージCMの企画を出して来たんだけど、詩奏を使いたいんだってさ。 どうする?」
「何それ。 ピアノ演奏?」
「いや、詩奏の歌らしいよ。 ビジュアルも」
「えー。 私CMに出れるような美少女じゃないよ~。 かろうじて見れるレベルなんだから、逆にイメージダウンになっちゃうよね」
「でも、CMの曲か~」
そう言うと、考え込む詩奏。
「食べ終わったら、企画書見せて。 持って来たのでしょ?」
「勿論。 是非ご検討くださいませ。詩奏様」
「苦しゅうない。 後で持ってまいれ」
璃玖に合わせて古風な言い方で、かしこまって言うと、詩奏はクスクス笑うのであった。
夕食後。
企画提案書のコピーをじっくり読む詩奏。
『何か、興味を持った部分が有るのだな?』
娘の様子を見ながら、食後のコーヒーを飲みつつ璃玖はそう思うのだった。
「この企画書、大丈夫?」
「こんな頭お花畑レベルの企画じゃあ〜、CM出来るの1年後だよ~」
「仕方ないから、私が書き直してあげるね」
「鉛筆で書き込んで良い?」
「コピーだからいいよ」
すると詩奏は、何か考えながら、色々と書き込むのだった。
30分程してから、
「お父さん、これなら私としてOKする」
と言いながら、綺麗な字で書き込まれた企画提案書を返される。
それを見ると、簡単に言えば、
曲は、解散予定のRYUの新曲を使うこと
詩奏の映像を使う場合、RYUとして仮面着用
ピアノ演奏をしながら歌っている仮面着用映像ならOK
イメージの俳優さんは、別の人を選定
CMプランナーはHHD社の長尾さん(女性)希望
時間は15秒・30秒・60秒の3種類でどう?
自然の綺麗な映像を流してから、自社製品紹介?
ギアナ高地とかウユニ塩湖、イエローストーンとか合成
放映期間は半年以上希望かな?
等と条件やなんやらが沢山書かれていた。
「これなら、OKってこと?」
「新曲の関係は進行中で、ミサキ社長と話をしてからだけど」
「そうだ。 新曲を絡めた企画書作るから、お父さんも手伝ってね。 私まだ17歳だから契約関係にお父さんの許可も必要だし」
「CMの企画、全然だから、これからでしょ? だから、同時に進めたら良いと思う」
「ただ......」
「ただ?」
「新曲、バラードで悲しい系の雰囲気が強いから、メーカーのイメージCMで使うのはどうかな?って思う」
「生命保険会社ならピッタリだけど......」
「歌詞は、愛する人(子)との永遠の別れが迫って悲しい、でも未来へっていう感じかな?」
「お父さん、聴いてみたい?」
「えっ。 聴かせてくれるのか?」
「イイよ。 5月にミサキさんの事務所のスタジオで初披露して、私のパートは録音もしてあるの。 お母さんが作った最後の曲だからね」
「そっか〜。 じゃあ泣いちゃうな。 ティッシュ箱抱えて聞くよ」
防音室で、ピアノ演奏の曲が流れる。
詩奏が歌う。
璃玖が泣く。
ティッシュ箱のティッシュペーパーが大量消費されて、簡単な披露会が終わる。
「イメージCMの曲としては、少し難しい部分があるかもしれないけど、この曲を使うのが条件。 RYUの曲だから、悪い条件じゃないと思うよ。 契約諸々の費用も、お父さんの会社なら、格安にするし」
「『ぐすっ』、そうだね、これで企画者に持って帰るよ『ぐすっ』」
「一番は映像を作る人の腕だよね~。 人の心に響く映像が作れたら、イメージCMとして成功するよ、きっと。 HHD社の長尾さんを、MVで何度か一緒にやっているから推薦しておくね」
「お父さんが昔、お母さんとミサキさんと協力して作ったCMソングのようになったらイイね......」
「詩奏、知ってたのか?」
「見たことも有るよ。 お母さんもミサキさんも見せてくれたからね」
「そうだったのか」
彩陽が亡くなる迄は、詩奏のことを彩陽にほぼ任せっきりだったので、『まだまだ知らないことが多いなあ』と感じる璃玖であった。
その日の夜遅く。
結局璃玖は、詩奏がミサキ社長に出す企画書と、海野君が作った企画書の大改訂版を、詩奏監修指示のもと、作ることとなった。
『決めたら、直ぐ行動するところは、彩陽そっくりだなー』
そんなことを考えながら、2社宛ての、それぞれ内容の異なる企画書を完成させる。
「お父さん、ありがとう。 お疲れ様〜」
娘に労われて、疲れがぶっ飛ぶ璃玖。
「お父さん、ひとまずそれで、上層部に提案したら?」
「私は、明日試験休みだから、ミサキさんの事務所に行って、話をして来るよ。 タイアップ企画としてね」
「CMの方が時間掛かるだろうから、早く動いた方がイイと思うよ。 曲は完成したらD・イゼニ社の配信サイトで販売開始しつつ、動画サイトにMVを期間限定で出すだけだから」
その様に話すと詩奏は、リビングに戻ってギターを弾き始めるのであった。
母が好きだった曲を。
翌日。
璃玖は出社すると、いつも通り多くの決裁に目を通して、朝の仕事を手際良く終えると、海野君を呼び出した。
「昨日の件だけど、娘に大きく変更されてしまったので、俺の方で作り直したよ」
「ありがとうございます」
「それで、一旦改訂版で役員に決裁するから、海野君もそのつもりで」
「それと、おそらく社外秘・極秘プロジェクトに指定されることになるから、家族・友人・同僚にも決して口外しないように。 他社が絡むので、話が外に漏れたら、下手すれば君が多額の負債を抱えることになるからな」
「はい......」
「それに......」
「午後に改めて、君を呼び出しすることになるだろうから、今日は社内で仕事するんだぞ」
「はい、わかりました」
「本決まりになった後が大変だよ。 詩奏のこと、君には少し教えて有るけど、色々事情を抱えている人を起用するというのは、簡単なものでは無いからね」
「はい......」
海野君は、そう言われると、少し固まってしまったのであった。
実は、部長の席に置いてある写真を見て、詩奏に対する一目惚れに近い感覚から、CM企画を早く決めるよう求められていたことと絡めて立案した企画だったのであるが、そんなことは璃玖に見抜かれていた。
「部長の言った意味、今ひとつ理解出来ないなあ~」
自席に戻ると、そう考えながら、別の仕事を始める海野君であった。
璃玖は、午前中に直属の役員の席を訪問し、イメージCMの件で、使用曲についての具体的な話を持って行った。
すると役員が直ぐに社長に伺いを立てる事となったのだ。
社長は、具体的な話を聞くと、
「面白そうだな。 やってみようよ。 最近はイメージCM結構流れているものな」
「広告代理店は、HHD社で構わないですか?」
「うちは、普段CM一切流していないから、今回は業界2位で良いだろう。 最大手のD2社が何か言ってきたら、今後、色々と競合させる手が使えるしな」
「教来石君、昔作ったCMを思い出すね~。 CMソングでミサキ君と君の亡くなった奥さんが絡んでいるところなど、あの時と状況が似ているよね」
「全くです。 運命の歯車って、結構同じ場所を廻っているものですね」
「相手方に連絡を取って話をして、両社が納得出来るものになれば、使用曲について決定としよう」
社長はその様に言うと、企画部でCMプロジェクトを作って、具体的に進め始めるように、指示したのであった。
「教来石部長。 部長宛てに、ミサキ様が面会を求めてきておりますが」
その日の午後、受付から連絡が入った。
「第8応接室にお通ししてくれ」
璃玖はその様に指示すると、担当役員にも連絡を入れてから、土屋課長と海野を呼んだ。
「昨日の企画提案書の件で、詩奏の方側が訪問してきたので、応接室に向かうよ」
璃玖はそう言ってから、漸く海野に改訂版の企画書を渡した。
応接室に向かいながら、改訂版企画書を読む海野社員。
すると、概要だけの簡単な内容だったものが、具体的な内容に変更されており、その責任の重大さに漸く気付いて、書類を持つ手がブルブル震えてきてしまった。
「使用曲について、社長のゴーサインが出て、既に動き始めているからな。 その覚悟でいるように」
璃玖は2人に説明すると、第8応接室をノックしてドアを開けた。
「璃玖さん、2ヶ月ぶりですね」
「お父さん、来たよ~」
と、ミサキと詩奏とミサキの事務所の関係者の合計3名が室内で待っていた。
璃玖は、土屋課長と海野を紹介し、お互い名刺交換すると、
「当社としては、イメージCMの曲をRYUの新曲でお願いする方向で決定しました」
「未発表曲ということで、具体的に聴いている者が当社では私しか居ませんが、一任して頂けるとの社長の言葉を頂いていますので、決定と思って頂いて構いません」
「契約関係の条件につきまして、お話頂けるとのことですが、どうでしょうか?」
「なお、この応接室は、室内で為される会話の秘密を守れるよう設計、運用されていますので、安心して頂きたいと思います」
「これは極秘事項ですので、絶対に口外しないで頂きたいのですが、2年前にデビューしたミュージシャンRYUは、当社所属のアーティストで、こちらに居る詩奏がメインボーカル兼ピアノ・キーボード奏者、詩奏の母で当社の役員であったSAYAがサブボーカル兼作詞作曲担当のプロジェクトでございました」
「聞き心地が良い曲、歌声もイイ、正体不明の謎のミュージシャンという形式でデビューし、動画サイトから火が付いて、人気も出て、曲もヒットも致しましたが、半年程でSAYAが病死し、活動を休止しておりました」
「先日から、メインボーカルの詩奏の提案で、SAYAが生涯で最後に作詞作曲した未発表曲を世に出して、プロジェクトの終焉とする方針が決まり、当社ではレコーディング作業に入っております」
「SAYAのパートについては、私、ミサキの方で担当することになっていて、来月末から、曲のダウンロード配信サービスを開始予定です」
その後、ミサキが提示した契約料は5円であった。
「この値段で構わないのですか?」
思わず、土屋課長が確認してしまう。
「構いません。 貴社のCMが、この曲のプロモーションにもなると考えれば」
「流石にゼロ円にしてしまうと、色々問題が有りますし、ひとまず御縁にかけて5円で」
「ただし、飽くまでRYUは謎のミュージシャンのまま終焉とさせて頂きたいので、詩奏の顔については、まだ未成年ですし、一切出さないという条件だけが有ります」
「また曲については、CMを流せば、著作権団体に規程の使用料を支払って頂く訳ですし、映像の制作等はHHD社さんの担当で、これは全く別料金ですから」
「それでは、当社の役員を呼んでまいりますので、暫くお待ち下さい」
土屋課長が、担当役員を呼びに応接室を出て行った。
「お父さん、お疲れ様。 流石出来る男は違うね~」
「昨日の今日で、ここまで話が進むとは思わなかったよ」
「それで、この若い社員さんが、発案者?」
「そうだよ」
「ふふふ、どうしてこういう発案したのか、大体予想はついているけどね」
「これからが大変だよ、海野さんだっけ? こっちはレコーディングだけだけど、お父さんの会社は、HHD社のCM映像のクリエイターさんと色々相談して、会社のイメージと曲のイメージとそれぞれ矛盾しない、綺麗で感動させられる様な映像を作って貰って、その映像にみんなの許可が出て、それから枠を買って放映開始っていう流れだからね」
「時間があまり無いから、寝る暇の無い夏になりそうだけど、頑張って〜」
詩奏は、笑顔でそう言うと、実物の詩奏を見て、緊張して固まっていた海野は、
「はい、期待に応えられる様に精一杯努力します」
と大きな声で答えたので、その場に居た全員が笑ってしまった。
暫くすると、Sケミカルの社長と璃玖の直属の役員の2人が、第8応接室に入って来た。
「金澤社長、お久しぶりですね」
ミサキが挨拶する。
「おお、ミサキさん、ご活躍ですね」
「お恥ずかしい限りです。 すっかりオバサンになっちゃいましたよ。 あれから15年以上経ちましたからね~」
「当社がCM流すのも、あの時以来なのですよ」
「前々からイメージCMを検討していたところで、うちの教来石から少し面白い話を頂いたので、曲について採用を決めました。 よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
「土屋課長、君が中心になって、HHD社さんの力を借りて、良いCMを作ってくれよ。 うちとミサキ社長が、お互いWin-Winになれる様なものをな」
「教来石君もサポートしてやってくれ。 経験者として」
「それで、こちらが噂の娘さんか〜。 詩奏さんだっけ?」
「はい、お初にお目にかかります。 日頃から父がお世話になっていて、感謝に耐えません」
「うちの娘はこんな丁寧な挨拶出来ないぞ。 美少女だし、歌も凄いんだろ? 今回の曲も頼むね。 しかし教来石君、羨ましい限りだな」
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
ひと通り挨拶をすると、社長と役員は短時間で応接室をあとにして行った。
「それでは、私達もお暇致します。 今日は挨拶と条件の確認だけで。 良いCMが出来るのを楽しみにしています」
「お父さん、あとでね~。 曲が無いとイメージ出来なくて困るだろうから、既にお父さんのスマホに暗号化して送って有るから」
「正式な契約関係の書類が出来ましたら、HHD社の方と一緒にまた伺いますので、詳細な打ち合わせはその時に」
そう言うと、ミサキと詩奏達も帰って行った。
「さあ、海野君。 これからが大変だよ。 企画を上にあげるってことは、それだけの責任が発生するわけだし、覚悟を決めてやらないとな」
「土屋課長、とりあえずプロジェクトのメンバー決めて、保秘を厳重にCM作り頼むよ。 今回は詩奏を使おうとしたところで、保秘が発生してしまうのが問題だったのだけど、企画を出した以上、そういうイレギュラー発生も、良い経験だと思うからさ」
璃玖は上司として、早速準備に掛かるよう指示するのだった。
フロアーに戻り、璃玖は自分の仕事を始めると、暫くして土屋課長と海野がやって来た。
「部長、少し時間よろしいですか?」
「どうした?」
「CMの件で、少しお尋ねしたいことがありまして」
「ここで大丈夫な話?」
「はい」
「僕はまだ入社4年目で、今後どの様にすれば良いのか、理解出来ていないのです。 なにぶん経験が無いので」
「うーん。 やっぱりそうか」
「詩奏も、あの企画提案書を見て、作文だって酷評していたよ。 だから、越権行為だと思っても、HHD社の名前出して、担当者迄指定してくれたのだぞ」
「曲は決まったのだし、広告代理店もHHD社で社長がOKしてくれている。 ただあまり時間が無いのだから、どういう映像を作って欲しいのか、先ず決めないと。 自然?都市?未来?動物?人?それともオールCG? 詩奏は大自然の映像を薦めていたよね」
「他にも、自社名を出すタイミングとか、セリフの希望とか、ロゴの大きさとか、俳優さんの希望とか。 イメージCMの映像に入れたいものを考えるのが、プロジェクトの役割だよ」
「プロジェクトは課長を入れて4人位で良いんじゃないかな? あまり人数多いと、意見が纏まらないだろ?」
「とりあえず、自分で企画を出した以上、頑張れ。 どうしても困って行き詰まったら、また俺のところに聞きに来ても構わないから。 最後には詩奏が助けてくれるかもしれないけど...... 勉強は出来ない娘だけど、こういうことはよく知っているからさ」
「部長、ありがとうございました」
暫くしてから、璃玖は大事なことを思い出した。
『曲を送信したって言ってたな』
スマホを確認すると、詩奏からデータ添付のメールが届いていた。
メールには、
「お父さんの会社の人達、CM作り慣れて無さそうなだから、HHD社の方にこっちからもお願いしておくよ〜。 D2社にだけは変更しないでね」
と書かれていた。
『本当に、大人の世界をよく知っている子だなあ。 10歳から彩陽と一緒に、夜遅く迄ミサキの事務所で生活していた様な子だから』
土屋課長と海野社員の方を一瞥しながら、その様なことを考えていた璃玖なのであった......
詩奏は、ミサキの事務所に戻ってから、MV作成の打ち合わせに来ていたHHD社の長尾祐香と話をしていた。
「詩奏ちゃん、お久しぶり〜」
「祐香さん......」
というと、2人は涙ぐんでしまった。
「彩陽さん亡くなってから、詩奏ちゃんとずっと逢えなくて、心配してたよ」
「祐香さん、ごめんなさい。 なかなか立ち直れなくて......」
そう言ってから詩奏は、祐香の手を取るのであった。
「でも、やっとこうして逢えて、嬉しい〜。 いきなり仕事の話だったから、ビックリしちゃった」
「HHD社の方達に、スゴく可愛がって貰って、色々な現場に連れて行って頂いていたのに、フェードアウトする様な形になっちゃってごめんなさい。 仕事の話じゃないと、合わせる顔が無くて......」
「でも、今回が一応最後なのでしょ? ミュージシャンとしては」
「うん。 まだ17歳だから、今後どうするか全然決めて無いけど。 お母さんと......彩陽と歩んで来た道の一応の区切りかな」
「それで、祐香さん。 イメージ膨らませて貰う為に、生歌聞く?」
「聞きたいけど、最後迄聞けるかなあ。 彩陽さんの想いが詰まった、生涯最後の曲なんでしょ?」
「1回目は演奏だけで、2回目は歌入れるよ。 号泣でいいと思う。 お母さんを知っている人は、みんなそうだから」
「あと、この曲絡みでCMを作る方向だよ。 お父さんの会社のイメージCM」
「広告代理店、HHD社推薦しておいたけど、D2社も黙って無いよね。 お父さんの会社大企業だし、今迄CMとかスポーツ関連とか殆どやらなかったから、そう言う話があるならと、食い込むために横槍入れてくるでしょ?」
「確定じゃないけど、CM長尾さん達が作ることになるかも」
「そういうことも含めて、新曲聞いてくださいね」
詩奏は、祐香にそう説明すると、関係者だけで、スタジオに入ったのであった。
演奏が終わり、会議室に。
号泣だった祐香が落ち着くのを待ってから、詩奏は気になって感想を聞いた。
「一応、ミサキさんから仮の貰って聞いていたけど、やっぱり違うね、生は。 涙が止まらなかったよ」
「それで......」
「???」
「詩奏ちゃんの演奏している時の雰囲気が、思っていた以上に変わっていたから、ちょっと時間貰って、作り直してイイ? MV」
「より魅力的になったよ~。 何だか優しさで包まれる感じになったね」
「前は、少し棘があったかな? でも今はふんわりって感じ」
「見た目も綺麗になったし。 背伸びた? 162センチ位?」
「恥ずかしいなあ~、祐香さんにそう言われると。 身長はそれ位です」
「MV、もう少し温かい感じに変更するね。 とりあえず出来たモノ見てみて」
詩奏は、概ね完成しているMVを確認する。
「感想聞きたいんだけど」
「RYUだから、低予算でしょ?」
「うん。 そうね」
「それでこのクオリティなら、十分だよ。 作り直し要らないんじゃない? 余計な費用掛かっちゃうし」
「でも、クリエイターとして、自分が納得出来るモノにしたいんだよね。 動画サイトの『OUR・TUPE』に投稿されたら、不特定多数の沢山の人達が見る訳だから」
「うんわかった。 私もそういうの妥協出来ない性格だから」
「追加で料金請求したら? でも社長渋ちんだから、出してくれないか〜」
詩奏の後ろから、こっそりと近付いていたミサキが、
「誰が渋ちんですって?」
「ミサキさん。 お邪魔してます」
「まあ〜。 2ヶ月前誰かさんが人の足元見て、法外な金額契約書に書き込んでも、払ったでしょ?」
「詩奏ちゃん、ミサキさんのライブ出たの?」
「キーボード奏者の代打よ。 アイツまた食い過ぎで倒れて緊急入院しやがって」
「またですか? ライブの映像編集で、映っていないなって思ったんですよ」
「あの、顔隠している謎のピアニスト、詩奏ちゃんだったのか〜」
「映像、全カットじゃないの?」
「MCで触れちゃったから、遠目のをちょっとだけ使わせて。 ね」
「え〜〜」
「沢山払ったでしょ?」
「どれぐらい吹っ掛けられたのですか?」
「マサの4倍」
「うわ〜。 それって海外で活躍している演奏者レベルの出演料じゃないですか〜。 詩奏ちゃん顔はカワイイのに、そういうところはしっかりしてるね。 やっぱり彩陽さんの娘だね」
「それって、褒めて無いよね?」
「......」
「そうそう、長尾さんCMの件お願いしますね。 先方慣れて無いから、納期めちゃくちゃになると思うわよ。 今から準備しておいてあげて」
「ひとまず、私の演奏映像、CG用で撮っておきますか? 夏休み入るからいつでも大丈夫だし」
「詳しい話、全然来て無いから、そこまでやっちゃって大丈夫かな~」
「あの感じだと、仮契約、有っても来週くらいじゃない?」
「でも、放映開始は9月よ」
「えー。 それって無理筋じゃないですか〜」
「いっそのこと、代理店に丸投げ依頼しちゃえば良いのに。 慣れて無いところにありがちなパターンよ。 作っても作っても色々口出しされて、クリエイター泣かせのね」
「でも祐香さん、困ったら詩奏に言えば。 詩奏のいうことなら、何でも通りそうな感じよ」
「お父さんから、私を使いたいって話を聞いて、企画書見せて貰ったら、あまりにも抽象的過ぎで」
「『人の見た目だけで、勝手に色々想像して、企画書に迄するんじゃねえよ。 この頭の中お花畑野郎が』って思ったよね」
「詩奏ちゃん、言葉遣い......」
「少し、興奮してしまいましたわ。 私としたことが。 はしたない......」
笑い声で包まれる会議室。
「キツいかもしれないけど、その分HHD社にとって利益率高い案件だと思うよ。 SケミカルのイメージCMは」
「詩奏、うちの事務所の社長やる? 銭勘定得意だし、ミュージシャン辞めるんだから」
「うーん。 考えとくね」
「えっ......嫌だって言うと思ってた。 予想外の返事」
そして、再び笑い声で包まれる会議室であった。
「折角、祐香さんと久しぶりに逢えたから。 祐香さんまだ時間有るかな? 3曲位弾き語りしてもイイ?」
「弾き語りしてくれるの? 私の為に? ちょっと嬉し過ぎる」
すると、詩奏はスタジオからギターを持って来て、弾き語りを始めるのであった。
♪〜〜♪
♬~~~
気が付くと、会議室の出入口は、事務所の人達で溢れている。
「こんなに、みんなが聴きに来るくらいなのに、本当に歌うの止めちゃうの?」
祐香の質問に、
「商業的には歌わないっていうだけですよ。 プライベートでは歌い続けます。 今のように」
そう話す詩奏の表情は、あまりにも満面の笑顔であったので、それ以上何も言えなくなってしまったのだった。
「そうだ、祐香さん。 その祐香さんの気持ちを、SケミカルのCMにこっそり含めて貰えませんか?」
「お金持ち企業が、沢山お金掛けてくれるんだから、私、チャンスだと思って、今回の話を受けたのです」
「一陣の風のようなRYUの存在でしたが、今回を最後に、もう聴くことは出来ません」
「その惜別の気持ちを、他人の会社のCMに、こっそり埋め込んだら面白いかも、私そう思ったんです」
「道理でね~。 詩奏があんな適当過ぎる企画書に乗っかるなんて、おかしいと思ったのよ」
「じゃあ、正式に話が来たら、ちょっとイタズラ心を持って、散りばめてみようかしら。 クリエイターの腕の見せどころね」
「あっ、ちょっと遅くなっちゃった。 買い物してお父さんの夕ご飯作らなきゃ。 前は10分だったのに、今は1時間掛かるから。家まで」
「祐香さん、手直し後のMV、楽しみにしてますね~」
「ミサキさんも、地方公演、気をつけて行って来て下さい」
そう言い残すと、詩奏は片付けをして、手を振りながら、あっという間に帰って行ったのであった。
「1年数ヶ月ぶりに逢いましたが、前より本当に成長しましたね、詩奏ちゃん。 綺麗になったし」
「あの子が、この事務所を経済的に支えているのよ」
「彩陽の印税は、一旦うちの会社に入って来るんだけど、一切受け取っていないの。 詩奏が相続したのに」
「それどころか、彩陽が亡くなってからは、詩奏自身の印税もお給料も......」
「母と私の楽しい思い出が、いっぱい詰まった場所であるミサキさんの事務所。 失くす訳にはいかないんです。 全部事務所の経費で使って下さいって言ってね」
「世界的感染症で、全てが中止になって、何処も苦しんだけど、うちが乗り切れたのは、詩奏が手取り収入の全てを事務所に入れてくれたお蔭なの」
「私には高収入のお父さんが居るから、大丈夫だって言って」
「大好きだった彩陽が亡くなって、詩奏自身苦しんで居た時にも、そう言ってくれて......」
そこまで言うと、ミサキは嗚咽が止まらなくなってしまったのだった。
貰い泣きした祐香は、落ち着くと、
「さっきのCM制作の話。 私、絶対受けたいです。 私の手で作りたい」
「帰ったら、上司に直ぐお願いします」
「他社には、絶対取らせません。 想いが違うんだから」
「早速、取り掛かります。 私の人生賭けた作品、絶対作って見せる......」
そう言うと、ミサキに挨拶し、帰社して行くのであった。
KW駅ビル内の、スーパー成田岩井に寄って買い物をしてから帰宅した詩奏。
早速、夕ご飯の準備に取り掛かる。
めちゃくちゃ上手い鼻歌を歌いながら、少しご機嫌の詩奏。
「床掃除しなくて良いのは、ル◯バ様々よね~」
とロボット掃除機を褒めながら、手際良く料理を作っていく。
中学生の頃から、忙しくて体の弱かった彩陽の代わりに、料理をしていたから、腕前はかなり良い方なのだ。
準備を終えると、璃玖にRAINで帰宅時間を確認する。
それから、ピアノ演奏。
洗濯の準備もして、父の帰りを待つ。
RAINの返信で確認した時間に合わせて、仕上げの調理を行う。
玄関のドアが開き、
「ただいま〜」
と父の声。
「おかえり〜」
と返事をして、料理を仕上げて完成。
着替えて来た父に、洗濯物を洗濯機に入れるよう指示してから、揃って、
「頂きます」
「いただきます」
暫くしてから、今日の出来事を話す。
これが、大体の日課だ。
「昼の話の続きだけど、このままだと、絶対9月頭迄にCM完成しないよ? お父さんどうするの?」
「うーん。 俺の担当っていう訳じゃないんだよね。 本来」
「あの女性課長さんが責任者?」
「今日、そう決まった」
「あのチンチクリンは?」
「企画発案者の彼のこと?」
「そう。 あの人じゃあ無理だよ、如何にもぬるま湯育ちで」
「お父さんの会社で企画関係に居るのだから、イイ大学出てるのかもしれないけど、世間知らず過ぎでしょ?」
「だから、経験させないとな」
「そんな呑気なこと言っていると、こっちで全部やっちゃうよ」
「やっぱり、そうなっちゃうか〜」
「もう、HHD社に丸投げしてよ~。 長尾さんと私で作ってあげるから。 最後の仕上げで少し意見言ってくれれば、それでも十分良い作品になるよ~」
「時間経ってから、やっぱりお願いしますが、一番困るんだからね」
「わかった、わかった。 週明け直ぐHHD社にCM発注するよ、俺の責任で。 そこまで進めれば、最悪チンチクリンさんのCMプロジェクトが何も出来なくても、間に合うだろ?」
「流石〜。 持つべきものは話の分かる父だね~」
詩奏は、そう言うと、父のほっぺにキスをした。
「ささやかな御礼です」
ニコニコしている詩奏。
ちょっと恥ずかしそうな璃玖。
「これで、あとには引けないなあ~」
「社長決裁、お願いしま〜す」
夕食が終わり、片付けをして、洗濯機を回すと、璃玖はソファーに座ってワインを飲み始め、詩奏はギターを弾き始めた。
この時、詩は無し。
メロディだけを奏でて。
母が居た頃を思い出す様に......