表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/17

第1話 高3・春篇(その1)

高校3年に進級する際に、系列校へ転校した教来石詩奏。

母の死で大きなダメージを受けたことで、最終的に転校を選択したのだが、漸く立ち直りつつある詩奏が、新しい環境で青春を謳歌出来るのか?

新しい友人や父、母の親友など、詩奏を取り巻く人達とのヒューマンドラマが始まる......


 GW明けの月曜日。

 高校3年生になった教来石詩奏きょうらいししおんが転校して、約1か月の日々が経過した。

 漸く、新しい学校やクラスにも慣れ、友達も少し出来たところだ。


 系列校とは言え、高校三年生になってから転校するというのは、詩奏にとって大きな決断であった。


 名門の京東芸術音楽大学に進学するつもりで、難関の附属高校の入試を突破し、京東芸術音楽大学附属高校の芸術音楽科に進学していた詩奏であったが、音楽の師でもあった母の死後、自身の才能に限界を感じていた。

 熟慮の結果、通常の大学進学へ進路を変更することにし、中高一貫の系列高校である京東学園高校普通科(理数系選択)へ転籍することを決めたのが、転校の理由である。


 芸術・音楽の道を諦めても、他の道にも進めるようにと、系列高同士で転校出来る制度が設けられている京東学園。

 実際に利用する人は殆ど居ないものの、芸術や音楽で生計を立ててゆくのはかなり厳しい道であるし、高校在学中に自分の才能に限界を感じてしまった場合や異なる道を選び直す際に、この転校制度を利用する者が時々居る。

 詩奏も、そうした少数の道を選んだ一人となったのだ。


 ただ、芸術音楽科がTK都MN区に所在するのに対し、普通科はCB県IW市に在ることから、高校三年生になって、全く知り合いの居ない環境に移ることになってしまったのである。


 一昨年母が亡くなり、父子家庭となったことから、詩奏の生活の為にも、必要に応じて祖父母の援助を得られるようにと、都内MN区S浦の自宅マンションを売却して、父の実家があるCB県KW市のKW駅近くに新しいマンションを購入し、昨年引っ越しをしていた。

 だから、今回の転校により通学時間は短くなったが、人生の進路を決める高2・高3という非常に大事な時に、大きな環境の変化が続いていることは、詩奏の人生にとってあまり良い状況では無かった。



 登校する為、KW駅のホームで詩奏が電車を待っていると、

 「詩奏、おはよう。 ちょっと遅れちゃってゴメン」 

と声を掛けられた。

 「結唯、おはよう。 部活の朝練かな?と思ってたよ」

と詩奏が、声の主に返事をする。

 「GW明けだし、うちは進学校だから、高3になったら部活より学業優先だよ」

 音楽関係の部に在籍している森結唯もりゆいは、同じクラスで同じ駅の利用者であることから、積極的に詩奏に声を掛けてきてくれて、仲良くなった子である。

 そして、勉強も良く出来るらしい。

 音楽科で高2まで音楽漬けだった詩奏は、語学以外の学業の成績が低空飛行の為、勉強が出来る結唯を少し羨ましく思っている。

 「結唯はいいなー。成績良いんでしょ? 私は去年まで音楽科だったから、全然ダメ。 中間テスト近いけど、相当ヤバい......」


 父子家庭になって、家事をしながらの高校通学なので、お洒落に気を使う時間が限られているから、髪型は殆どポニーテールの詩奏。

 カワイイ髪留めが唯一のお洒落という状況の、詩奏の制服姿である。


 「詩奏は、普通の大学進学の為に転校したのでしょ? 高3だし、それだと勉強に力を入れないとね」 

 「わからないことがあれば、私の解る範囲ならば教えるから、頑張って」

 電車がホームに入って来たので、折り返し運転の電車内に乗り込み、座席に並んで座って、他愛の無い会話をしながら、学校へと向かう。

 最難関大学に多数の合格者を出している全国的な有名進学校がCB市に有り、電車内でも勉強をしているその進学校の高校生を結構見掛ける。

 そういう姿を見ると、少し焦りを感じてしまう詩奏。

 『早い子は高1から大学進学の勉強をしているのに、高3で進路変更した私は大丈夫なのだろうか?』

 電車が混んできて、結唯が勉強のため、英会話を聞き始めたので、邪魔をしないようにスマホの画面を弄って眺めながら、詩奏はそんなことを考えていた。


 FB駅で電車を乗り換え、最寄り駅で降りて学校迄、十数分歩く。

 中高一貫校なので、高3にもなると、同学年の生徒同士は殆どが顔見知りであることから、詩奏は逆に目立つ。

 「森と一緒に登校している結構カワイイ子、うちらの学年だっけ?」

 「あの子が附属高からの転校生だよ」

 「ああ、そうなんだ。 ちょっと話題だよね......」

 通学途中で歩いている詩奏を見ると、男女問わずそういう会話が聞こえてくることもあるが、日常茶飯事なので、もう慣れてしまった。


 「転校して来て随分経ったけど、まだ話題になっているね、詩奏は」

 結唯が『気にしなくて良いよ』と暗に匂わせながら、話し掛ける。

 「もう慣れたから、気にしてないよ」

 そう返事をしていると、後ろから

 「結唯、詩奏、おはよう」

と、背の高い美女が声を掛けて来た。

 同じクラスの内藤深月ないとうみづき

 深月は、結唯の中学時代からの親友で、その縁で詩奏とも友人になった子だ。

 学校の在るIW市内に住んでいて、医者の娘である深月。

 将来は医師になることを目指しており、将来の目的や夢が未だ見つからず、毎日揺れ動いている詩奏から見ると、眩しい位の女の子である。


 「深月。 GWは、楽しめた?」

 詩奏がそう話し掛けると、深月は、

 「タヒチを満喫して充電してきたよ。 でも受験生だから、これからは医学部合格迄、勉学に励みますぞ、詩奏様」

 深月はちょっと笑いながら、その様に答える。

 「私は、勉強が遅れているから、家事と勉強だけのGWだったよ。 お父さんは会社の仕事が忙しくて、海外旅行に行ける様な状況じゃないから......」

 深い溜息をつきながら、詩奏が『海外行きたいな』と嘆く。

 「深月、詩奏のお父さんカッコいいんだよ。 うちのお父さんなんか太る一方の中年禿げオヤジだから、雲泥の差」

 詩奏と駅迄一緒に歩いて来る、詩奏の父璃玖の姿を何度も見ている結唯が、羨ましそうに話す。

 「そんなこと無いよ。 46歳のアラフィフなんだから、年相応でしょ?」

 「年頃の美少女がお父さんと嬉しそうに並んで歩くんだから、詩奏のお父さんはやっぱり大したものだよ。 普通は嫌がるでしょ? 娘の方が」 

 結唯が笑いながら、世間の実情を説明する。

 「私には、お父さんしか居ないから......」

 詩奏が少し翳りのある表情で話しを続けたことで、深月が話題を変える。

 「お土産買ってきたから、放課後に渡すね」

 そうこうするうちに、学校に着いたので、教室に入って行く3人であった。



 放課後。

 深月が部活に行く前に、タヒチ土産を二人に渡す。

 南の島らしい、髪結のお土産であった。

 「ありがとう」

 二人がお礼を言うと、深月は、

 「大した物ではありませんが」

 「これから部活だから、明日ね~」

と言うと、結唯も、

 「私も部活だから。 詩奏は先帰るでしょ?」

と言って確認すると、詩奏は、

 「今日は習い事で、都内に行く日なんだ」

と答える。

 「じゃあ、また明日ね~」

 3人はそう言って、教室で別れたのであった。



 詩奏は、電車で都内に向かう。

 M田駅で降りて、慣れた様子で何処かに向かう詩奏。

 着いたところは、音楽関係の小規模の事務所であった。

 そこは、ベテラン女性ミュージシャン「ミサキ」が所属する事務所。

 一昨年病気で亡くなった詩奏の母、彩陽サヤは、ミサキの音楽仲間でもあった。

 彩陽は、死ぬ直前までずっと音楽の世界に居続けた。

 彩陽とミサキは、京東芸術音楽大学付属高校芸術音楽科の同級生で、高校時代はライバルであり、卒業後はお互いに支え合う長年の親友であったのだ。


 「詩奏、おはよう」

 ミサキが声を掛ける。

 「ミサキさん、おはようございます。 今日もよろしくお願いします」

 母亡き後、幼い頃から長年積み上げてきた音楽関係の能力を維持する為、母の遺言で定期的に、ミサキと一緒にヴォイストレーニングを受けたり、ピアノを弾いたりしている詩奏である。


 「新しい学校はどう? もう慣れた?」

 「だいぶ慣れました」

 「彩陽が亡くなって、詩奏の色々な心境の変化はわかるけど、芸音大に進む道を完全に閉ざしてしまって、本当に良かったの?」

 「私には、音楽の才能はありません。 一旦成功しかけたのは母の優れた才能のお陰です。 母が亡くなって、それを実感しましたから......」

 「母やミサキさんの出身高校を卒業出来なくなってしまい、後輩になれなかったのは残念に思いますが、早目に音楽以外に進める道を開いておきたいと思ったのです」

 「それに......」

 「それに?」

 「ミサキさんも母も、京東芸音大では無く、別の大学に進学したでしょ?」

 詩奏は、ミサキの質問にその様に答えるのであった。


 「音楽は、芸音大でなくても出来るってことね〜。 逆に言えば芸音大出ても、他への道にも進めるから、詩奏は真面目に考え過ぎだと思うけど......」

 関係者が揃ってきたので、ミサキはみんなに合図をした。

 「じゃあ始めよっか?」 


 数時間に渡り、ボイストレーニングをしたり、プロに混じってコンサートの練習演奏に加わる詩奏。

 幼い頃から、色々な楽器に触れてきているので、管楽器と打楽器以外は一通り扱える。

 歌うことや演奏することは幼い頃から自然にやって来たことなので、大好きな詩奏。

 ただ、それを生涯の仕事にして生きてゆくつもりでは無かったので、母亡き後、学業として続ける気持ちも無くなってしまい、転校を決めたのだ。

 そもそも中学生だった詩奏が、芸音大附属高校の芸術音楽科への進学に拘ったのは、

 『天真爛漫で大好きな母を喜ばせたいというのが最大の理由だった』

と、母が亡くなり、詩奏自身も成長したことで、中学時代のあの頃の気持ちを、完全に理解した現在の詩奏なのであった。



 「詩奏、お疲れ様〜。 次は再来週かな? 今週からコンサートツアーに出るから」

 「ミサキさん、ありがとうございました。 次回は予定が決まったら、連絡よろしくお願いします」

 詩奏は笑顔で答えると、暫くミサキやスタッフと雑談をしてから、丁寧にお辞儀をして事務所を後にした。


 「ミサキさん、あの子、ルックスもイイし、演奏も歌も相当上手いけど、そのうちデビューさせるの?」

 事情をあまりよく知らない、新しいスタッフがミサキに質問する。

 「あの子は、私の恩人で親友だった作曲家『SAYA』の忘れ形見なの。 まだ高校生だし、こっちの道に進むのかどうかは、あの子次第なのよ。 今は母であり師でもあった『SAYA』の死を受け容れきれていないから、音楽への道を閉ざさないようにしてあげるのが、私に出来る唯一の恩返し......」

 「『詩奏が音楽を嫌いにならないようにしてあげて欲しい』それが、サヤから私への遺言なの......」

 そう言うと、ミサキは溢れてきた涙を拭うのであった。



 T町駅から、帰宅ラッシュの混雑した電車に乗り、TK駅で乗り換えると詩奏は、

 『お母さん、今日も無事に終わりました』

と心の中で呟いて、よく母が口ずさんでいた曲を、小さな声で同じ様に口ずさみ始める。

 でも、電車のモーター音や車内の雑音で、かき消されるから、少し離れている周囲の人に詩奏の小さな歌声は聞こえない。


 いつも朗らかで天真爛漫だった母の彩陽。

 心臓の持病の悪化で、晩年は相当辛かった筈だが、いつも音楽を絶やさず、明るく振る舞っていた母。

 そんな母に、一つも恩返しが出来無かったことを毎日悔やんでいる、詩奏。


 母との約束。

 それは、

 『一緒に創った曲を一緒に歌う』

ことだった。

 幼い時に、母と交わした約束。

 それも完全には果たせ無いまま、突如永遠の別れが来てしまい、後悔ばかりで全く先に進めなくなってしまっていたのが、詩奏の近況なのだ。


 特に高校受験の頃は、極めて難関な芸術音楽科合格を求められているという強い思い込みと、その大きなプレッシャーから、母にキツイ態度を取ってしまっていた。

 何を言われても、文句や冷たい態度で返してしまう当時の詩奏。


 夜食を作ってくれたのに、「太るから要らない......」

 気を遣ってくれて、豪勢な夕食が出た時でも、殆ど残して自室へ籠る

 合格御守りを貰っても、「こんな物、役に立たないよ......」

 アドバイスを貰っても「そんなこと分かってるよ」とか「もって早く言ってよ......」

等々。

 ああ言えばこう言うという、本当に嫌な人間に、子供だったとは言え、当時の詩奏は成っていたのだ。


 高校生になって受験のプレッシャーが無くなって暫くしてから、中学三年の頃の態度を反省して母に謝ったものの、

 『ああいう態度が、母の心を傷付け、心臓に負担が掛かり、寿命を大きく縮めてしまったのだろう』

と、懺悔の日々を送り続けた高校2年生の1年間。


 音楽の師でもあった母を失ったことで、目標や目的が消えてしまい、練習にも身が入らず、実力不足で学校の成績も悪化するという、負の連鎖の泥沼に嵌まっていった。

 だから、転校を決めたのだ。

 

 そんなことを毎回思い出したり、考えたりしてしまうのが、ミサキの事務所で行う音楽関係のトレーニング帰りであった。

 ただ、

 『過去を後悔してばかりじゃ、いい加減ダメだよ』

と、最近自分に言い聞かせられるようになったことが、漸く少し前進し始めた兆しかなと思っていた。


 

 KW駅に着いて、大勢の人達と電車を降り、改札を出てからお洒落な駅ビル内のショッピングモールで食材の買い物をして、駅近の自宅マンションの玄関ドアを開けると、

 「詩奏、お帰り」

と奥から声が聞こえた。

 「ただいま〜」

と返事をし、いつもは帰宅しても誰も居ない自宅で、自分以外の人が待っててくれたということに、少し嬉しさを感じながら、自宅に入って行く詩奏。

 すると、父の璃玖りくが台所で夕ごはんを作っている最中であった。

 「お父さん、簡単なものでいいからね」

 国際的な大企業の部長職に出世し、忙しい筈の父は、なるべく早く帰宅して、夕御飯だけは作ろうと努力してくれている。


 海外出張も多く、5歳からの5年間は、家族3人でアメリカのLAで暮らした時期も有ったので、詩奏は英語を話すことが出来る。

 父も英語はペラペラなので、親子の会話をあえて英語ですることもあるくらいなのだ。

 「お父さんは、こだわりが強いから、いつも手の込んだ料理をしようとするし......」

 「でも、詩奏。 今日の朝飯みたいに食パン1枚とコーヒーっていうのは、勘弁してくれよ」

 璃玖は苦笑いしながら、少し苦言を呈す。

 「ゴメンね。 今朝はちょっと寝坊しちゃって」

 「だから今、高級スーパーの成田岩井で美味しそうなパン買ってきたから」

 詩奏は、父に言い訳をしながら、明日は大丈夫と胸を張る。

 「美味しいとは言え、出来合いのパンだろ? そんなに自慢気に言う事でもないぞ」

 しっかりと、釘を刺される詩奏であった。


 部屋に行って、制服を脱いで着替えてリビングに戻ると、

 「御飯出来たぞ~」

 「美味しそう〜。 お父さん、いつもありがとう」

 母が亡くなってから詩奏は、恥ずかしがらずに感謝の言葉を口に出来るようになったし、なるべくそうするように、心掛けている。

 「早速、食べよう。 冷める前に」

 璃玖は彩陽の死後、非常に素直になった一人娘に目を細めながら、天国の彩陽に心の中で手を合わせて、食べ始めるのだった。


 「ミサキさんは、元気だったか?」 

 「うん。 いつもと変わらないかな?」

 「突如転校したから、少し小言言われちゃったけど、そういう事言ってくれるのは有り難いなあと思ったよ」

 「お父さんは、相変わらず忙しい?」

 「まあな。 うちの会社はアメリカ市場がメインだから、いつも忙しいよ」

 「ところで、お父さん」

 「なんだ、改まって」

 「再婚とか考えて無いよね?」

 「急にどうしたんだ?」

 「友達に、お父さんが『イケオジ』って言われたから。 会社でモテてるのかなって」

 「まあ、どっちかって言えば、昔からモテる方だよ、父さんは」

 「でも、相手は居ないぞ。 彩陽のこと忘れることなんて出来ないし、再婚なんて考えられないな。 今のところ」

 「今のところ?」

 「俺も男だから。 詩奏が一緒に居る間は、そんなこと考えられないと思うけど、詩奏が新しい家庭を持って、独り身になったら、寂しさから老後を一緒に過ごせる女性ひとを求めるかもな?」

 「えー。 じゃあ私がずっと一緒に居ようかな?」

 「自分の寿命も分からないのに、未来のことなんて、予測出来ないさ。 だから、相手も居ないのに、再婚云々のことを色々考えても意味が無いよ......」

 

 「お父さん、食べ終わったら、食器は私が洗うから、先にお風呂に入って。 洗濯もするから、今着ている服を脱いで貰わないと」

 「詩奏だって、受験の年だろ? 勉強遅れているんだし、食器洗いや洗濯は俺がするよ」

 「お父さん。 仕事で疲れているんだし、アラフィフなんだから無理しないで。 お父さんに万が一のことが有ったら、私独りぼっちになっちゃうんだから......」

 「......」

 「......」

「わかったわかった。 詩奏の言う通りにするから、そんなに悲しい顔するな」

 父にそう言われて、漸く笑顔を見せた詩奏であった。


 洗濯を終えてから、ピアノを弾く詩奏。

 幼い頃からの習慣だし、サボってしまうと、亡くなった母に申し訳ないと思うので、芸術音楽科を辞めた後でも、ほぼ毎日弾いている。

 その為、自宅マンションは最上階を購入して、防音室も作り、騒音トラブルが発生しないように配慮して貰ったのだ。

 ピアノ以外の楽器は、市内の郊外にある父璃玖の実家に行き、祖父母の家は庭付きの比較的大きな一戸建てなので、休日の昼間に時々訪れて演奏させて貰っている。


 ピアノが終わると、漸く勉強の時間。

 超難関大学を目指している訳では無いので、程々の成績で良いのだが、芸術音楽科は勉強よりも演奏を求められる世界だったことから、相当勉強が遅れてしまっており、かなり不味い状況。

 「ああ。 もう少し私の頭が良かったらな〜」

 そんなことを思いながら、苦手科目を中心に勉強していると、やっぱり睡魔が......


 大体、寝落ちした頃を見計らって、父が詩奏の部屋をノックする。

 この日は完全に寝落ちし、ノック程度では起きない詩奏。

 そういう状況だと、璃玖は目覚ましのお茶を作って持って来る。

 父の気配で漸く起きる詩奏。

 いつもの状況に笑顔の父。

 「あー。 お父さん起こしてくれてありがとう......」

 「無理せず、早く寝るんだぞ。 詩奏は英語は完璧に近いんだから、数学さえ出来るようになれば、大学合格出来るんだから」

 「お父さんは、地頭じあたまイイから良いよね? 学生時代、大して勉強しなくても出来たんでしょ?」

 「私、顔はお父さん似なのに、オツムはお母さん似だから、ちょっと天然入っちゃって、努力するしか無いんだよね~」

 「俺に似過ぎたら、音痴だし、楽器弾く様な器用さは得られなかったぞ~。 詩奏は、彩陽と俺の良い所をそれぞれ程々に受け継いでいるんだから、これ以上贅沢言ったら、バチが当たるよ」

 「そうだね。 よくそれはお母さんにも言われたな〜」

 「ママに似たら、もっとごく普通の容姿で、しかも天然な子になったんだから、上手く産んでくれたお母さんと、イケメンで頭の良いお父さんに感謝するんだよって......」


 「お父さん、いつもありがとう。 早く寝てね。 明日の出勤はいつもの時間?」

 「そうだよ」

 「じゃあ、駅迄一緒に行こうね。 おやすみ〜」

 「おやすみ。 詩奏」


 璃玖は、詩奏の部屋のドアを閉めると、母を亡くしてから、家事と学生生活の両立に益々頑張っていて、しかも素直になった娘の言動に、目頭を少し抑えながら、自分の寝室に向かうのであった。



 翌朝。

 璃玖はいつもの時間に起きて、リビングに行くと、詩奏は既に学校の制服に着替えてエプロンをして、朝ごはんの準備をしてくれていた。

 スクランブルエッグとベーコンを焼いたイイ匂いがリビング中に充満している。

 「おはよう、お父さん」

 「詩奏、おはよう。 無理に早起きして朝食の準備しなくてもいいんだぞ」

 「学校に行くだけだって言っても、女の子は色々と準備が有るから、早く起きるんだよ。 気にしないで」

 「ゴハン出来ているから、先食べてね。 出勤準備はその後」

 詩奏に、そのように指示され、素直に従う父。

 コーヒーはコーヒーマシンを使っているので、普段はボタンを押すだけ。

 休みの日に、コーヒーマシンの手入れは璃玖がすることとなっている。

 「頂きます」

 「いただきます」

 流石に朝は父子家庭だし、少し寝ぼけてもいるので、それほど会話は無い。

 黙々と食べる2人。

 食べ終わると、詩奏が片付けを始め、父は出勤準備に取り掛かる。

 天気予報を確認し、昨晩洗濯した洗濯物をベランダに干す詩奏。

 下着類だけは部屋干しにし、残りは物干しへ。


 三十分もすれば2人共、外出準備完了。

 部屋の鍵を閉めて、仲良く出勤・登校する2人。

 エレベータで一緒になった住民と挨拶を交わしながら、歩いて2〜3分で駅の入口に。

 すると、結唯が待っていたので、詩奏は父に、

 「お父さん、気を付けていってらっしゃーい」

と言うと、早足で結唯と合流。

 結唯は詩奏の父に会釈すると、璃玖は2人に手を軽く振って、改札内に入っていくのだった。


 「イケオジだね~。 傍から見たらパパ活?」

 「何を言ってるの、結唯。 私達も行くよ」

 璃玖と別路線の2人は、少し歩いて私鉄の改札口に。

 いつもの日々が、ほぼ同じ様に始まるのであった。



 この日の放課後。

 結唯は、詩奏に『帰りどうするのか』を確認する。

 「今日は、図書館で勉強する。 部活終わったら合流しようよ」

 詩奏がその様に答えたので、結唯も深月も、

 「じゃあ、部活終わってから、一緒に帰ろ?」

 「うん、じゃあ図書館に行ってるね」

 詩奏は、2人にそう言うと、図書館に向かって行った。


 その姿を見送りながら、深月は結唯に、

 「少し、明るくなってきたね。 詩奏」

 「転校してきた頃は、負のオーラに包まれていたものね」

 「結構な美少女なのに、誰も話し掛けなかったものね。 最初は」

 「結唯は、勇気を出して最初に話し掛けていたよね。 親友ながら、その行動力を『偉いなあ〜』って思ったよ」

 「始業式の日の朝に、KW駅で見掛けたんだよね。 うちの制服なのに、見たことのない結構カワイイ子が居るな~って」

 「そうしたら、同じクラスになったし、附属高の芸術音楽科からの転校生だっていうから、うちの部活に入って貰えないかなって思ったんだよね。 最初」

 「なんだ、少し下心が有ったのか〜」

 「でも、ちょっと無理かなあ〜」

 「どうして?」

 「ずっと音楽続けて来たけど、一昨年お母さんが亡くなったんだって」

 「そのお母さんの影響で、幼い頃から音楽に包まれた生活をしていたらしいけど......」

 「亡くなってからは、環境が激変しちゃったし、お母さんを思い出して辛いから、暫くは音楽と少し距離を置きたいんだって」

 「そっか〜。 だから負のオーラに包まれていたんだ」


 「よく、そこまで聞き出したね。 スゴいわ~」

 「話した方が少し楽になるかもって思ってね。 登下校の電車も一緒だから」

 「でも、高3で転校するって、相当な決意だよね?」

 「お母さんが附属高の芸術音楽科の卒業生なんだって。 だから学校に居るだけで辛くなっちゃったらしいよ」

 「作詞作曲家のSAYAって言ってたかな? 詩奏のお母さん」

 「えっ。 本当に? 結唯知らないの? 音楽部でしょ?」

 「深月知ってるの?」

 「ミリオンヒットを何曲か出している女性作曲家だよ。 一切表舞台に出なかったし、過去に数十曲しか提供していないから、それほど有名じゃないけど」

 「ミュージシャンの『ミサキ』に提供していることが多かったかな? あと最近では、謎のミュージシャン『RYU』にも」

 「ミサキやRYUに? 結構スゴイ......」

 「深月詳しいね」

 「私のお母さんが、附属高校芸術音楽科の卒業生なんだよね。 ミサキとサヤの2人は同級生で、お母さんの1年先輩だったんだって」

 「有名人になった卒業生と高校時代を同じ音楽科で一緒に過ごすことが出来たのが、お母さんの自慢だから、よく聞かされていて......」


 「ああ、そんなこと聞いたら、益々うちの部活に参加して欲しいなあ。 今年で最後だから......」

 「焦ってもダメだと思うよ。 でもチャンスは有るような気がする」

 「だって、ちっちゃい頃から音楽に包まれた生活をしていたのに、そんな簡単に捨てられるものじゃ無いと思うから......」

 「きっと、今でもキチンと音楽やってるよ、詩奏」

 「だから、一緒に音楽やりたいんなら、粘り強く待つことだよ。 何かキッカケがあれば、結唯の頼みを聴き入れてくれる機会が必ずあるような気がする」

 「何だ、気がするだけか〜。 うちの学校は平和だし、受験モードに入って来ちゃっているから、ちょっと厳しいかな? 秋の文化祭だけでも一緒に音楽したいけど......」


 その様な会話をしながら、結唯は音楽部へ、深月はバスケ部へと向かうのであった......

 

 図書館に着いた詩奏は、苦手な科目の勉強を始めていた。

 高1からやり直さないと、理解出来ない位の科目も有り、大学受験迄、まだ日があるとはいえ、普通の高校生と異なり、家事も音楽もやらなければならないので、相当な努力をしないと、間に合わなくなる状況にあった。

 「必修科目であっても、文系を完全に捨てるか......」

 帰国子女なので、必修科目だけとは言え、国語系が結構苦手な詩奏。

 しかも、芸術音楽科だった影響で、高1の数学から躓いているので、理数系もイマイチダメ。

 『お父さんの血筋は理数系の方が得意だというから......』

 「そうだ。 週末おじいちゃん家に行ったら、璃子さんに相談してみよっと」

 教来石璃子は父璃玖の妹で、四十代のキャリアウーマン。

 優秀過ぎて、釣り合う相手が見つからず、未婚のままとなっているのだ。


 とりあえずこの日は、国語系の必修科目の勉強を始めた詩奏。

 イヤホンを付けて根を詰めて勉強していると、気付いたら横に結唯と深月が座っていた。

 「集中しているね。 感心感心」

 「いつから、横に座っていたの?」

 「5分くらい前からだよ」

 「ああ、良かった。 もっと経っていたのかもって思っちゃった」

 「そろそろ、帰ろうよ」

 「うん、そうしよ〜」


 深月の家は、学校から駅迄の途中の、駅寄りに有るので、一緒に帰る時は、駅前で少し寄り道してから、別れるパターンが多かった。

 「駅前で、ちょっと寄り道しようよ」

 「賛成」

 「家事があるから、少しだけね」

 深月の提案に2人が同意したことで、駅前のファーストフード店のMDに入った3人。

 それぞれが、飲み物を頼んで、店内の座席へ。


 IW市内は、私立の中高一貫校が数校有るので、MD店内は色々な制服の高校生が座っている。

 「部活、お疲れ様〜」  

 詩奏が2人を労う。

 「深月はお疲れ様だけど、私は部員とおしゃべりしてただけだから」

 結唯が笑いながら、詩奏の労いに応える。


 「詩奏、結唯から聞いちゃったんだけど。 転校の経緯......」

 「なんて言ってよいのかわからないけど......ゴメン」

 とりあえず深月が詩奏に謝る。

 「深月。 別に謝って貰うことじゃないよ。 私自身の問題で気持ちにケリをつける為にも、転校したのだから」

 「結唯に話しをしたのは、深月にも知っておいて貰おうかなと思ってだよ。 だから謝らないで......」

 「それに、前の学校の同級生は大半が知っている話だし、母の死後、私の成績が急に下がって、このまま高校卒業しても芸音大に進学出来る見込みもゼロになっちゃったからね」


 そう言われて、少し安堵の表情を見せる深月。

 「それで、一つ確認しておきたいんだけど......」

 「何を?」

 「私のお母さん、詩奏のお母さんの1年後輩なんだよね。 芸術音楽科の」

 「それで、お母さんに詩奏のこと話してもイイ?」

 意外な事情を教えられて、大きな瞳がより大きくなった詩奏であったが、

 「構わないよ。 全然」

と返事をした。


 「お母さんから、サヤ先輩とミサキ先輩のことをずっと良く聞かされていてね」

 「2人が一緒に歌った高校時代のステージの時のこととか.......」

 「高校生レベルを遥かに超越した、前代未聞の文化祭になったっていう話を、うちの文化祭がある度に聞かされてて」

 「私のお母さん、高校卒業後も2人の大ファンで、SAYA作詞作曲の楽曲をミサキが歌って大ヒットした時は、自分のことの様に喜んでいたし、2年位前に正体不明のミュージシャン『RYU』が、ネット動画の世界から突如現れて、ヒット曲を続けて幾つか出した時も、作詞作曲がSAYAだって知って、大興奮していたんだよね」

 「......」

 「だから、彩陽先輩の娘さんが、私の同級生になったと教えておきたいんだ。 詩奏がイヤなら言わないけど......」

 「......」

 「詩奏? 話聞いてる?」

 「大丈夫。 ちゃんと聞いているよ」

 「高校生時代のお母さんのことを知っている人が、身近に居たなんて思わなかったから、ちょっと驚いちゃって......」

 「私のことを、深月のお母さんに話をしても、全然構わないよ」


 「ありがとう。 お母さん、詩奏に会ってみたいって騒ぐだろうな~。 その時はどうしたらいいかな?」

 「学校に乗り込んで来ちゃうかも。 家近いし」

 「ははは。 待ち伏せされそう?」

 「お母さんなら、するかも。 ミサキのコンサートもしょっちゅう行っているし」

 「じゃあ、今週の金曜日の放課後、時間空けておくよ。 深月の家に行けるように......」

 「詩奏、本当にイイの?」

 「SAYAのファン対応するのは、実の娘である私の役目だからね」

 「突然の話でゴメンね。 そう決まった時にはよろしく......」


 「そうだ。 深月の家に、ピアノ有る?」

 「有るよ。 お母さん芸術音楽科の音楽コース出身だから。 あまり使って無いから、音がズレているかもしれないけど」

 「私の体調が良かったら、SAYAの曲弾いてもイイよ。 本当は本人が弾ければ良かったんだけど、それはもう叶わないから......」

 詩奏がそう話すと、急に深月は泣き出してしまった。

 「深月、どうしたの?」

 詩奏がビックリして尋ねる。

 「亡くなったSAYAさんのことを思うと......本当は詩奏が泣きたい位だろうにと思って......涙が出てきちゃって......」

 「泣かないで、深月。 結唯も貰い泣きしない。 私はお母さんのファンがまだ居てくれて嬉しいんだ。 お母さん体が弱くて、あまり表舞台に出れなかったから......」

 「でも、結構出たがりで、体調の良い時は、ミサキのコンサートのバックコーラスに混じっていたりしたんだよ。 もう5年位前迄の出来事だったけど」


 「2人共、もう泣かない。 私、家事やらないとイケないから。 結唯、そろそろ帰るよ。 深月も家に帰って、早く私のことをお母さんに話さないと」

 詩奏は、笑顔で2人を促す。

 3人は飲み物を飲み干すと、

 「じゃあ、また明日」

 「金曜日、楽しみにしているね。 まだ決まって無いけど」

 そのまま店を出て、駅前で別れて、詩奏と結唯は一緒に電車に乗って帰宅したのであった。



 翌朝。

 詩奏と結唯は、2人で学校への道を歩いていると、後ろから深月が2人の背中を押して現れた。 

 「どうだった?」

 結唯が、深月の母親の様子を確認する。

 「大変だったよ。 SAYAさんが亡くなっていた事を知らなかったから、大泣き」

 「ガックリ落ち込んじゃって。 夜ご飯食べれないくらいに。 でも詩奏のこと話したら、少し元気になって、ピアノの調律お願いするって張り切ってたよ、今朝は」

 「じゃあ、金曜日は決まりってこと?」

 「詩奏、イイんでしょ?」

 「うん。 そう決まったのなら、お父さんに金曜日遅くなるかもって話しておくから」

 「そうだ、金曜日は2人共、部活は休んでよ。 そうじゃない場合、ピアノ演奏は無しね」

 「大丈夫。 部活サボるから」

 深月は嬉しそうに、そう話す。

 「私は、部長だから、権限で休みにするので大丈夫」

 「私も、お母さんの高校時代のこと色々聞きたいから、思い出しておいてねって、深月のお母さんに言っておいてね」

 詩奏が笑顔を見せたので、安心した深月と結唯であった。



 帰宅後。

 詩奏が全部屋の掃除を済ませて、ピアノの練習をしてから、簡単な夕食を作っていると、璃玖が帰ってきた。

 「ただいま」

 「お父さん、お帰り。 夕ご飯出来ているよ」

 「ゴメンな〜。 ちょっとトラブルが有って帰り遅くなっちゃって」

 「超簡単料理だけど、文句言わないでね」

 「愛する娘が作ってくれた料理だよ。 文句言う筈ないだろ?」

 「そうかなあ~」

 料理を見るなり、璃玖は『げっ』という顔をしてしまった。

 璃玖が苦手な鶏肉を使った料理だったからだ。

 「お父さん。 早速今、『げっ』っていう顔したでしょ?」

 「してないよ......」

 「鶏肉使えないと、レパートリー大幅減で、苦労するから我慢して食べてね」

 「それに、お父さんが苦手な鶏肉の皮は、私が全部食べるから、安心して。 鶏の皮美味しいのに」

 「ありがとう......」

 「お父さん、言葉に......テンテンテンが入っているよ」

 「ゴメン」

 「ほら、手洗って、着替えて来て」

 「はいはい」

 「お父さん。 ハイは一回」

 「ハイ」

 そう言うと、詩奏は吹き出してしまった。

 キョトンとする父。

 その姿を見て、詩奏は笑いが止まらなくなる。

 「子供の頃、お父さんによく言われたことを、そのまま返してみたんだけど......」

 「俺、そんなこと言ってたっけ?」

 「言ってたよ。 ハイは一回だけにしなさいって」

 「そうだったかなあ。 若い頃、会社で部下に言ってた記憶は有るけど......」

 「そうだ、早く食べよ」

 詩奏が父に着替えを再度促して、漸く夜の晩餐が始まったのであった。


 「お父さん。 金曜日遅くなるかもだからね」

 「寄り道か?」

 「お母さんの1年後輩の娘さんが、転校したクラスに居てね」

 「その子と仲良くなったんだけど、その子のお母さん、SAYAとミサキさんの大ファンだったんだって」

 「だから私、会って話をしてみたいんだ」

 「きっと、私達が知らない高校時代のお母さんのことを知ることが出来そうな気がするから......」

 「あと、体調が良かったら、ピアノ演奏もして来ようと思ってる」

 「体調? 調子悪いのか?」

 「女の子の日だから、その日」

 「そうか......無理するなよ」

 「うん。 もしかしたら弾き語りするかも」

 「えー。 それだったら、俺も聴きたいなあ~」

 「じゃあ、本番前の練習の為に、明日お父さんの前で弾き語りするね。 多分、いつもの練習の延長になるだけだけど」

 「本当に聴かせてくれるの?」

 「その代わり早く帰ってきてね。 遅くなったら騒音トラブル避ける為に、弾き語り出来なくなるし」

 「わかった。 頑張る......」

 「......」

 「......」

 「お父さん、ちょっとヤダ。 泣かないでよ」

 「私、ずっと時々歌っているんだよ。 音楽科は辞めたけど、音楽はお母さんとの大切な想い出だから止めないよ、絶対」


 彩陽の死後、ミサキとのトレーニング時以外、人前で歌わなくなっていた詩奏であったのだが、気付かぬうちに、この様な父娘の会話が出来る迄、詩奏の心が立ち直ってきていたことに、璃玖は嬉し涙が溢れてしまったのだった。



 翌日の夕方。

 定時で会社を出た璃玖。

 定時前からソワソワしていて、自席に座って居られず、ウロウロウロウロ。

 そして、午後5時半ジャストにダッシュで退社。

 その様子を見た部下達は、一様に驚きを隠せなかった。 

 「部長、今日は異常に急いで帰りましたね」

 「あんなに、ソワソワしている部長、初めて見ました」

 「何か、有ったんですか?」

 ちょっとざわざわしている、都内◯の内に在るSC本社ビル内某フロアー。

 役員の一人がそのフロアーに降りて来たところ、何だか様子がおかしいので確認してから、残っている社員に対して、

 「教来石部長が急いで帰宅したのは、大事にしている一人娘さんが、今晩父親の為に自宅で簡単なコンサートをするそうなんだ。 奥様が亡くなってから、ずっと辛い想いをしてきた父娘にとって、ささやかな幸せな時間が久しぶりにやって来るそうだよ」

 「だから、何か有ったわけじゃない。 みんなは温かい目で、部長が娘さんと過ごす幸せな時間が、今後も長く続くように、祈ってあげてくれ......」

 その話を聞いた部下達は、部長の自席に置いてある、家族写真を遠くから眺めながら、翌朝満面の笑みで出社して来るだろう部長の姿を、一様に思い浮かべるのだった。


 璃玖は、KW駅で降りると、駅前のTS屋のデパ地下で、詩奏が大好きなSFチーズケーキとクリーム入りアップルパイを買ってから、自宅に帰った。

 「ただいま」

 しかし、返事が無い。

 『あれ? 詩奏まだ帰って無いのかな?』

 玄関ドアを閉めて、詩奏の部屋を覗くと、制服がハンガーに掛けて有るので、帰宅はしているようだ。

 『もう、練習しているのかもな』

 そう思い、防音室の前迄進むと、中からピアノの音が聞こえてきた。

 璃玖は、ちょっと驚かせようと思い、防音室のドアを勢いよく開けた。

 「詩奏、ただいま〜」


 手を止めて振り返る詩奏。

 「お父さん、今日は随分早いね。 こんなに早く帰って来ると思わなかったから、『お帰り』の返事出来なくてゴメンね」

 すると、璃玖は少し涙を浮かべ始めてしまったのだ。

 「お父さん、どうしたの? 泣き上戸になっちゃって」

 「......」

 「これじゃあ、弾き語り中、お父さんは泣きっぱなしだね」

 「でも、私は泣かないよ。 泣いたら弾けなくなっちゃうし、これでもお母さんとデュオでデビューしたミュージシャンなんだからね」

 「......」


 「ところで、お父さん」

 「手に持っている物、ケーキでしょ?」

 「先ずは、ケーキを冷蔵庫にしまって、着替えて来て」

 「そうしたら、始めるから」

 娘の指示に黙って頷いた璃玖は、ケーキを冷蔵庫にしまい、普段着に着替えてくるのであった。


 「じゃあ、始めるね」


  ♪♪〜〜

  ♬〜〜〜


 防音室に響く、詩奏の弾く音色と歌声。

 璃玖が聴くのは、彩陽が亡くなる直前以来であった。

 彩陽は晩年、体調が優れず、横臥している時間が長かったものの、亡くなる直前迄、自宅で普通に生活をしており、SAYAとして作詞作曲した歌を、詩奏と2人で歌う日々であったのだ。

 体力が落ちていたので、一日1曲だけではあったが......


『回想。

 「お父さん、お父さん。 お母さんが歌いたいって」

 「ちょっと、待ってろ~。 いま行くから」

 「準備はイイ? お父さん、お母さん」

 「OK。 サンハイ」

 ♪〜〜〜♪〜〜〜......』


 そんなシーンを想い出して、涙を流し続ける璃玖。

 でも、その顔は、過去を思い出しての悲しみというよりも、母の死から漸く立ち直った娘の姿を見る嬉しさの方が、大きく優っているようであった。


 30分位で、詩奏の独演リサイタルは終演となった。

 「詩奏の歌声は、本当に綺麗だね。 よく彩陽が褒めていたのを思い出すよ。 『歌声だけなら私やミサキより上かも』って」

 「お父さん。 褒めても何も出ないよ」

 笑顔を見せる詩奏。

 直後に、真剣な表情へ一変すると、

 「私はお母さんの様に、上手に演奏出来ないし、作詞作曲能力全く無いから、ミュージシャンとしてやっていくにはお母さんの力が絶対必要だったの」

 「だから、SAYAが居ない以上、今後ミュージシャンを続ける気は無いの」


 「歌が上手い人って沢山居るけど、鳴り物入りでデビューしても、その後成功している人、意外と少ないよね?」

 「より重要なのは、みんなの心を動かせる曲と詩なんだよ、きっとね。 そういうものを全部上手く重ねられる人が、あの世界の成功者になると思うんだ」


 「なるほど。 お父さんは音楽のことはよくわからないけど、詩奏の考えを尊重するよ」

 「彩陽が居れば、ミュージシャンになる人生を選んだかもしれないけど......ってことだよね?」

 「そういうことだと、これからどういう道を歩んで行くのかな? 詩奏は」

 「まだ分かんないな~。 音楽科で同級生達の、一つの楽器に人生を掛けている想いと、その凄い演奏力を知ってしまったから......それでも成功出来るのは一握りの世界だし......」

 「勉強もイマイチでしょ? 私」

 「お父さんのお嫁さんにでもなろうかな?」

 そう言うと、詩奏はなんだかスゴく嬉しそうな顔をしたのであった。



 翌朝。

 璃玖は会社に出社すると、自席の机に置いていた家族写真を新しいモノに取り替えていた。

 すると、部下がその様子に気付いて、

 「部長、おはようございます。 昨晩はどうでしたか?」

と挨拶を兼ねて声を掛けてきた。

 「おはよう〜。 えっ、昨晩?」

 「昨日、部長慌てて退社して行ったじゃないですか? その時の様子があまりにもおかしかったので、何か有ったのかと、フロアー内がざわついていたのですよ」

 そう言われた璃玖は、周囲を見渡すと、みんなこっちを見ていることに気付いた。

 「ちょっと、ソワソワし過ぎちゃったから、みんなに迷惑掛けちゃったか〜」

 頭を掻きながら、少し恥ずかしそうな顔をする璃玖。

 「事情は、常務から聴いていますので、みんな結果が知りたいんだと思いますよ。 私もですが」

 好奇心で満ちた多数の顔が、璃玖の言葉に耳を傾けている。

 「早く帰り過ぎだって、娘にちょっと注意されちゃった」

 璃玖がそう答えると、部下は、

 「部長。 それだと娘さんは弾き語りしてくれなかったんですか?」

と質問された。

 「いや。 ちゃんと演奏してくれたよ。 まあ、昨晩はあくまで練習で、本番は今日なんだけどね」 

 「そうなんですか? 練習台だったのですか?」

 「そう単純では無いんだよ。 練習って言っても本番と全く同じクオリティだからね」

 「年甲斐もなく、結構泣いちゃったな~。 娘の歌唱力結構凄いし、やっと妻の死から立ち直ってくれた感じだったから......」

 「そういうことで、昨日娘と新しく撮った写真を飾ることにしたんだよ」

 璃玖はそう説明すると、同じフロアーの多くの社員が話を聴いていて、部長の娘の姿をひと目見ておきたいと思ったようだった。

 その為、この日は一日中多くの社員が何か理由を見付けて璃玖の自席にやって来て、新しい写真を見ていったのであった。


 放課後。

 GW明けの、いつもより長く感じる一週間も、やっと金曜日の午後を迎えた。

 詩奏が深月に約束した時も、やって来たということだ。 

 詩奏は、あまり緊張しない質だし、万単位の大きな舞台に立った経験もあるので、この日も普段通りであったが、詩奏と出逢ってまだ1か月足らずの深月と結唯にとっては人生初の、しかも眼の前で友達が行う小さなリサイタルであり、なんだか、緊張感に包まれていた。


 異様にぎこちない、深月と結唯の様子に気付いた詩奏。

 「ヤダな〜。 2人共、緊張し過ぎじゃない?」

 「緊張するのは、私の方だよ。 初対面の人の眼の前で演奏するかもしれないのだから......」

 「詩奏、体調は?」

 「私は、そんなに重くない方だから、大丈夫だと思う」

 「もし、キツくなったら、途中で止めるかもしれないけど、その時は勘弁してね」

 「うん、分かった」


 学校を出て、10分ちょっとで、深月の自宅に到着。

 この辺りは、古くから御屋敷街として知られる、CB県有数の高級住宅街で有名な地区だ。

 人の背丈より遥かに高い塀に囲まれていて、立派な門もある深月の自宅。

 「相変わらず、大きいね」

 「邸宅って感じ......」

 何度も来ている結唯と初めての詩奏。

 それぞれが異なる感想を述べると、

 「遠慮しないで、入って」

 深月の促しに、我に返った詩奏。

 「お邪魔します」

と言いながら、3人は邸宅の門をくぐるのであった。


 少し歩いて、玄関ドアに到着。

 深月が解錠してドアを開けて、

 「ただいま」

と言うと、奥から足早に玄関に向かって来る人影が......

 その姿を見て、

 「深月のお母様、お久しぶりです」

 結唯が挨拶をする。

 それを聞いた詩奏は、

 「はじめまして。 お邪魔します」

 丁寧にお辞儀をして顔を上げると、深月に似た背の高い女性が笑顔で立っていた。

 「結唯ちゃん、お久しぶり」

 「それで、こちらが詩奏ちゃんね。 はじめまして、深月の母です」

 一通り挨拶を交わして、大きなリビングへと案内される。

 そこには、グランドピアノが置いてあり、如何にも邸宅の居間という感じであった。

 深月の母『柚月ゆづき』は、平静を装っていたが、実はかなりの興奮状態にあった。

 紅茶を淹れて、用意してあったケーキを持って、3人が座るカウチソファーのテーブルへ持って来る柚月。

 「緊張しないで、ゆっくり食べて過ごしてね」

と言いながら、柚月もソファーに座る。


 「お母さん、緊張してる?」

 深月が少し笑いながら、指摘する。

 「そりゃあ、緊張してるわよ。 憧れの彩陽先輩の娘さんだもの」

 詩奏の方をチラリと見ながら、そう答える。

 「詩奏さんは、あまりお母様に似てらっしゃらないのね......」

 柚月は緊張した感じのままだったので、思わず本音を漏らしてしまう。

 「ちょっとお母さん、失礼じゃない?」

 少し怒った様子で深月が問い詰めると、

 「悪い意味で言った訳じゃないのよ。 逆、逆」


 「私のお母さんは、ミサキさんもそうですけど、ごく普通な感じだったの、深月」

 「えっ、そうなの? 詩奏がカワイイから、そういう感じだと思ってた~。 写真見たことないし」

 「私はお父さん似......」

 詩奏が深月に説明すると、深月の母は、

 「お母様より、ずっと綺麗なのよ。 詩奏さんは」

 漸く緊張が溶けてきた柚月は、やっと説明することが出来たのであった。

 「いや〜、本当に緊張する〜」

 やっと調子が出て来た柚月。

 「詩奏さんと逢えるって聞いたから、実家に行って来て、高校時代のアルバムやら写真やら、ビデオテープを引っ張り出してきたわ」

 そう言うと、段ボール箱を一つ持って来るのであった。

 「箱の中を見ても良いですか?」

 詩奏が確認する。

 「どうぞどうぞ。 その為に持って来たのだから」

 深月の母は1995年の卒業なので、附属高芸術音楽科の1995年の卒業アルバムがあるのは当然だが、その他に1994年の卒業アルバムも入っていた。

 「このアルバム、どうして有るのですか?」

 1994年の卒業アルバムを見ながら、詩奏は確認する。

 「学校に行って、借りてきたのよ。 彩陽先輩は持って無かったの?」

 「遺品整理したのですが、無かったです。 母方の祖父母は既に亡くなっているので、処分されてしまったのだと思います」

 詩奏は、その様に説明しながら、嬉しそうにアルバムを捲る。

 「あっ、お母さんだ。 ミサキさんも一緒だ」

 詩奏が知らない、母の青春時代を垣間見ることが出来て、嬉しそうな詩奏。

 その様子を他の3人は、温かく見守っていた。

 「この頃の母は、元気だったのですよね?」

 詩奏は、柚月に確認する。

 「元気、元気。 本当に明るい人だったから、居るだけで目立つ存在だったわよ。 向日葵みたいな人ね」

 「ミサキ先輩も明るい人だから、あの時代の音楽科は、2人の三年生に引っ張られて、みんな楽しく高校生活を過ごしていたわ」

 「今は、だいぶ違うでしょ? プロとして生きていくための登竜門みたいになっちゃっているから......」


 「1995年のアルバムも見せて下さい」

 詩奏はそう言うと、渡されたアルバムを見始める。

 「やっぱり。 柚月さん、凄い美人」

 「深月が、モデルさんみたいな理由は、お母様に似たのね」

 感想を述べながら、一通り見終わると、詩奏は、

 「昔、母から『後輩にピアノ奏者を目指していたモデルさんの様な美女が居たのよ~』って聞いたことが有るんです。 私がピアノか歌か、専攻を迷っていた時にだったかな?......」

 「っていうことは、彩陽先輩、私のこと知ってて覚えていてくれたってこと?」  

 「そうだと思います、もう確認のしようがありませんが、他にそんな感じの方、居ないようですし......」


 その話を聞いた柚月は、感激した様子だったが、その後彩陽がこの世に居ないことを思い出し、涙ぐんでしまった。

 暫くしてから、

 「そうだ、1993年の文化祭のビデオテープが有ったのよ。 カメラのニシムラでDVD化して貰ったから、見てみて」

 柚月はそう説明すると、テレビを点けてDVDを再生し始めた。

 テープが古くなって劣化していたこともあり、画質は良くないものの、当時の高校生達が楽しそうに文化祭を開催している映像であった。

 ステージでは、若かりし頃の彩陽とミサキのダブルボーカルで、オリジナル曲の歌が始まり、大いに盛り上がっていた。

 「この歌、お母さんがいつも口ずさんでいた歌......」

 昔の映像に合わせて、詩奏が歌い始める。

 その様子を、他の3人は互いに顔を見合わせ、驚いた表情を見せる。

 『詩奏って、凄く上手い......』


 VHSビデオテープの劣化が進んでいたことで、再生出来た映像はそれ程長くは無かったが、詩奏は在りし日の母の、イキイキしている高校生時代の姿を見れて、非常に嬉しそうであった。

 「深月のお母様、本当にありがとうございました」

 「貴重なものを見せて頂いた御礼に、SAYAが作詞作曲したミリオン級ヒット全6曲を、通しで演奏させて下さい」

 そう言うと、グランドピアノの準備を始めた。

 調律したばかりのピアノの音程のズレは無く、詩奏は確認をし終えると、3人に向かって、

 「動画撮影は駄目ですよ。 私がこれから弾き語る曲やその肖像は場合によって、著作権の関係で引っ掛かり、法律違反になる可能性があります。 今日の演奏は、3人の心のうちだけに収めておいて下さいね」

 その様に説明すると、早速ピアノを弾き、歌い始めた。


  ♪♪〜〜

  ♬〜〜〜


 六曲続けて、約30分。

 柚月、深月、結唯の3人は、最初から最後迄、ほとんど泣きっぱなしであった。

 亡き彩陽の映像を見た影響も有ったのであろう。

 六曲全てが、バラード調なことも。

 でも、亡き母の彩陽を想う気持ちが入った詩奏の歌声が、3人の心の奥底に迄、悲しみを届け続けてしまった影響が、一番大きかったのである。


 「ご清聴ありがとうございました。 と言っても3人共泣き過ぎ」 

 「先に、母の映像見ちゃったからしょうがないけど......」

 そう言うと詩奏は、苦笑いするのであった。


 3人が落ち着くのを待ってから、詩奏は改めて今回の色々な準備について、御礼を述べた。

 「詩奏、どうして涙が出ないの?」

 深月が質問する。

 「もう、泣き尽くしたからよ。 母が亡くなって最初の1か月は、学校も休んでずっと泣いてました」

 「その後も、1年間は事あるごとに、涙が出てしまって......」

 「でも、幾ら泣いても、母は戻って来ません。 何時までも悲しんでいると、父に迷惑かけてしまいますし、そもそも彩陽の死を一番悲しむべき人は父ですからね」

 「母が亡くなって、1年半が経ちました。 この間、父以外にも、多くの人達が私を支えてくれていることに気付かされたのです。 今ここに居る結唯、深月、柚月さんにも感謝しています」

 「結唯。 高3になって中高一貫校に転校して、知り合いすら一人も居ない私に、最初に声を掛けてくれてありがとう」

 「深月。 結唯と一緒に友人になってくれて、本当にありがとうね」

 「柚月さん。 たった2日間で、ここまで準備して頂き、感謝に耐えません」

 「折角、ピアノの調律迄して頂いたので、また機会が有ったら、演奏させて下さい」


 「ただし、私は演奏や歌唱の肖像権を来春迄、とある事務所に押さえられているのです。 母の勧めで芸術音楽科に入学した時に契約したので」

 「だから、動画だけでなく写真も演奏時は絶対に撮らないで下さいね。 SNSにあげただけで、下手すれば著作権法違反になる恐れがあるので」

 「まあ、いわゆる青田買い、先物買いって奴です。 芸音科だと、将来有望な演奏者にツバ付けて置こうと、そういう話を持ち掛けられることあるみたいですから」

 「私の場合、演奏者としては全く価値が無いけれど、歌と演奏とSAYA作詞作曲のセットでなら価値が有るということで、お母さんが掛け合って契約した形ですね」

 詩奏は、3人に演奏開始時の注意事項を改めて説明したのであった。

 「それって、プロになったってこと?」

 結唯がちょっと気になって確認する。

 「プロっていう訳じゃないけど、音楽の勉強はお金が掛かるから」

 「私の場合は、お母さんの作詞作曲が絡んでいるから、動画サイトに無断撮影の演奏動画をあげさせないための抑止措置的な意味合いが強いかな?」

 「無粋な話は、これ位で終わりね」

 詩奏は、その様に説明して、権利関係の話を打ち切ったのであった。


 「詩奏ちゃん、将来はミュージシャンにならないの?」

 深月の母が質問する。

 「お母さんが生きていたら、なるつもりでしたが、亡くなってしまったので、なりません。 私、作詞作曲出来ないんですよ。センスゼロなので」

 詩奏はキッパリと断言するのであった。

 「勿体ないよ、絶対......」

 結唯も深月も同じことを言ったものの、クビを振る詩奏。

 「高校卒業後は、あくまで趣味で歌うだけかな? それまでは権利関係で、自宅以外許可無く歌えないし」

 そう言いながら、苦笑いするのであった。

 それを聞いた結唯は、少しガックリした様子を見せたので、気になった詩奏が、

 「結唯は、音楽部に絡んで欲しかったのでしょ?」

と鋭い質問をしてきた。

 「だって、今初めて詩奏の生歌・生演奏聴いて、絶対一緒にやりたいって思っちゃったんだもん」

 「感動しすぎて、今でも、涙が止まらない位だよ」

 そう言うと、再び泣き出してしまった。

 『困ったなあ』という表情の詩奏。

 涙の連鎖で、深月迄再び一緒に泣き出してしまい......


 「秋の文化祭?」

 暫く考えていた詩奏は、結唯が求めているキーワードを予測して、確認したのだった。

 「うん。 肖像権云々が有るんじゃあ、音楽部の部活動は絶対無理だなって思ったけど、文化祭の一回だけでも......」

 「期待持たせること、ちょっと出来ないから、今は何も言えないけど、その時が来たら、もう一度私に確認して」

 「許可貰えば、一回だけなら可能性ゼロじゃないから......」

 詩奏がその様に答えると、結唯に少し笑顔が見えたのだった。

 「ああ〜。 また無粋な話になっちゃった」

 「権利、権利。 大人な話は完全にオシマイ」

 詩奏は、そう宣言すると、適当にピアノを弾きだし、いま流行りの歌を簡単に歌うのだった。


 詩奏の独奏会が終わって、日が落ちてきて暗くなり始めたことから、詩奏と結唯は深月の家をお暇することにした。

 「2人共、ちょっと遅くなったから、気をつけて帰って下さいね」

 「今日は、ありがとう。 こんなに感動させられるとは思わなかった」

 雑談から、急にこの様なミニコンサートが開かれることに迄なると、深月は全く思ってもいなかったので、心から感謝していた。

 「こちらこそです。 もう見ることは出来ないだろうと思っていた、亡き母の高校時代のイキイキとしている姿の映像を観ることが出来て、嬉しかったです。 本当にありがとうございました」

 詩奏は、その様に感謝の意を示して、結唯と帰宅の途についたのであった。


 帰りの電車の中で、詩奏は少し考えごとをしていた。

 『RYUの件、そろそろ終幕に向けて、キチンとしないといけないだろうな~。 権利関係が複雑で縛りが掛かっている原因だから......』

と。

 結唯は、隣で座っている詩奏の横顔を見ながら、先程言われた件を考えていた。

 『高校生活最後の秋の文化祭、何とか詩奏とコラボしてみたいけど、どうしたら良いのかな?』

 『詩奏は、上手いやり方を知っているみたいだけど、まだ言いたくないみたいだったし......』


 結唯の視線に気付いた詩奏。

 『秋の文化祭の件を、もう少し質問したそうだなあ』

と感じたので、

 「結唯。 さっきの件だけど、今だとまだ色々と未確定なことが有るから、キチンと説明出来ないんだよ。 母の著作権はお父さんじゃなくて、私が相続しているのもあって。 だから9月になる迄、返事待ってて」

 突然、その様に言われて結唯は、ちょっと驚いてしまった。

 「詩奏って、なんだかすごいね。 普通の高校生じゃない、大人な感じがする」

 「そうかもね。 私自身まだ普通の女子高生で居たいけど......」

 本音を語ると詩奏は、急に眠気に襲われたので、そのままウトウトとし始めたのであった......


 KW駅に着くと、結唯に起こされる詩奏。

 「ゴメン。 爆睡モードに入りかけてた」

 電車の終点なので、ゆっくり降りて改札を抜けると、遅くなって心配になった璃玖が、娘が出て来るのを改札口の外で待っていた。

 「お父さん、わざわざ待ってなくても良かったのに。 ありがとう」

 詩奏が素直に感謝の言葉を父親に言っているのを見て、結唯は、

 『私も、少しは詩奏を見習わないとなあ』

と思ったのであった。

 「結唯さん、いつも詩奏と一緒に登下校してくれてありがとう」

 詩奏の父から、突然感謝の言葉を掛けられたので、

 「こちらこそ、いつも、ありがとうなのです」

と、変な返事をしてしまい、詩奏が吹き出してしまった。

 「結唯、動揺し過ぎ〜」

 「結唯さんは、駅から自転車だよね? 気をつけて帰ってね」

 詩奏パパに優しい言葉を掛けられて、ちょっと感動した結唯。

 ちょうど駐輪場に向かう駅の階段のところに来たので、

 「バイバイ。 また月曜日ね~」

と互いに挨拶して、その場で別れたのであった。


 帰宅後。

 「お父さん、改札口で結構待った~?」

 「いや。 RAINで電車の時間教えて貰ったから、ほぼピッタリだったよ」

 「いつも、ありがとう。 でも、お父さんも仕事で疲れているんだから、午後九時位までは、迎え無くても大丈夫だよ。 KW駅は利用者多いし、家も駅から直ぐなんだから、ね」

 「分かっているんだけどさ、父1人娘1人だろ? なんだか心配になっちゃうんだよね」

 「それより」

 「それより?」

 「夕ご飯出来ているから、早く食べよう」

 「うん。 お腹減った。 お父さんもでしょ?」

 「ちょっと、摘み食いしちゃったから......」

 「えー。 ズルい」

 「詩奏だって、何かご馳走になってきたんだろ?」

 「あっ、そうだった」

 「昨日も今日もケーキ食べちゃったからヤバいかも」


 「それでは、頂きます」

 「いただきます」


 「お父さん。 今日はお母さんの高校時代のビデオ見れたんだ〜」

 「文化祭のステージで、イキイキしてたよ~」

 「写真も何枚か有ってね」

 「ミサキさんと一緒に歌って踊って、なんだか青春アオハルしてるな~って感じだった」

 「お父さんは、見たこと有る? お母さんの青春時代の姿」

 「有るよ。 ビデオはミサキ社長が持っていた筈だけど......」

 「えー、ミサキさん持っているの?」

 「ミサキさんも映っているんだろ? 今のイメージとか有るから、おいそれと見せてはくれないよ」

 「俺が見たのも、彩陽との結婚式で流す映像でだよ。 確か」

 「そっか〜。 お母さんが卒業アルバムとか学生時代のビデオ持って無かったのも、そういう理由からなのかな~?」

 「うーん。 それは違うよ。 彩陽の実家が火事になって、みんな燃えて無くなっちゃったから」

 「えっ。 本当に? 知らなかった......」

 「詩奏が、まだ幼い頃のことだからな〜」

 「そうなんだー」


 「そう言えば、お父さんとお母さん、どうやって知り合ったの? なんだか接点無さそうな2人の人生だから、気になるなあ」

 「言ったこと無かったっけ?」

 「お母さんは、教えてくれなかったな~。 2人だけのヒ・ミ・ツよって言って」

 「じゃあ、お父さんも。 2人だけのヒ・ミ・ツよ」

 「えー。 教えてくれたって良いじゃん。 減るもんじゃないんだし......」

 「わかったわかった。 俺の視点からの話になるけど、詩奏が何も知らないのも可哀想だからな」

 璃玖は、その様に言うと、少しお酒の力を借りながらにしようと思い、冷蔵庫から缶ビールを一本取ってきて、飲みながら馴れ初めを話し出すのであった。


 「あれは、大学4年の時だったなあ~」

 「卒論の関係で家に帰るのが遅くなって」

 「当時のKW駅前って、路上ライブの聖地みたいな感じだったんだよね。 だからアマチュアのミュージシャンが駅前のデッキやロータリーのあっちこっちで歌っていてね~」

 「その中で、多くの観客に囲まれていて、ギター片手に歌っていたのが、彩陽だったんだよ」

 「俺は、音痴で、カラオケ行くのも苦手な位だけど、路上に響く彩陽の歌声になんだか惹かれてしまって。 結局この時は、彩陽が歌い終わる迄、ずっと聴いていたよ」


 「彩陽は、都内の出身だろ?」

 「うん」

 「だから、この日KW駅前で歌っていたのに遭遇したのは、偶然だったらしいんだよね」

 「それ以後、結構気になって、KW駅前に彩陽が来ていないか見廻ってから帰宅していたんだけど、全く逢えなくて......」

 「もう聴けないかな〜って諦めていた時に、大学のキャンパスで歌ってたんだよ。 彩陽が」

 「いやあ〜。 また彩陽の歌声を聴けて嬉しかったなあ~。 あの時は」

 「学部は違うけど、まさか同じ大学の同級生だったなんて、全然知らなくて......」

 「今と違って、ネットなんか無い時代だから、アマチュアミュージシャンのことを知ることって、出来なかったんだよね」

 「この機会を逃したら、もう逢えないかもって思ったから、なけなしの勇気を出して、声を掛けたんだ。 俺からね」


 「それから、色々話をしてね。 ライブも時々やってて、メジャーデビューの話も出てるって教えて貰って」

 「その後、大学卒業まで、彩陽のアマチュアライブ全部観に行ったよ」

 「でも、デビュー直前に心臓の持病が急に悪化して、入院。 このまま長時間歌い続けるのを繰り返していたら、長くは生きられないかもって医者に言われて、デビューの話も立ち消えとなり、ライブをやること自体諦めざるを得なくなって......」

 「彩陽は夢が消えちゃったけど、意外とあっけらかんとしていたんだよね。 普通なら大泣きするところだけど......」

 「理由を聞いたら、『心臓の病気は、生まれつきだから、いつか悪化して倒れるかも』って元々思っていたんだって」

 「デビューが先か?悪化が先かって?。 運命を天秤に賭けて。 そういうところが彩陽らしいよね」


 その話を聞いた詩奏は、

 『ホント、お母さんらしいな〜。 ♪運命のルーレットを廻して〜♪っていう夭折した有名歌手の歌のサビがあるけど、そういうみたいな感じ』

って思ったのであった。


 「彩陽がデビューしてたら、きっと詩奏は生まれて無かったぞ。 彩陽自身がそう言ってたから。 みんなの前で歌うようになったら、結婚出来ないよ。 なかなかねって」

 「心臓の病気が悪化して、彩陽が妊娠した時、子供産むべきかかなり悩んだんだよ。 大きなリスクがあって、下手すれば産まれた時から父子家庭になってしまう可能性も有ったからね」

 「でも彩陽は、『絶対死なないから、産ませて欲しい。 そして成長した我が子と、一緒に音楽をしてみたい』って。 彩陽のご両親も『もし、璃玖さんと子供だけになっちゃったらどうするの?』って説得したけど、彩陽は一度決めたら曲げないから......」

 「結果的に彩陽の希望は、詩奏が頑張ってくれたお蔭で殆ど叶ったから、子供を産んだ決断は正解だったと俺は思うよ」


 「こんな感じだけど、詩奏の知識欲は満たされたかな?」

 「彩陽が俺のこと、どの時点で気になり始めたのか、俺も教えて貰って無いから、もう知る由もないけど、俺は大学のキャンパスでの偶然の再会の時からだろうな~」

 昔を懐かしむ様に、娘に馴れ初めや詩奏を産むに至った話をした璃玖なのであった。


 「音痴でカラオケ嫌いなお父さんが、お母さんのライブだけは行ってたなんて、ちょっと意外だったけど、なんだか嬉しいな〜」 

 「大学の同級生って聞いてたから、授業とかサークルとかコンパとかで知り合ったんだと思ってたよ」

 「そして、私を産んでくれて、お母さん、本当にありがとう。 お父さん、お母さんの決断を支持してくれてありがとう。 私って幸せだね」

 詩奏は、父に感想と感謝を述べると、涙を沢山流しながらも、スゴく嬉しそうな笑顔を見せたのであった。

 

 涙を拭いてから、詩奏は、

 「明日、おじいちゃん家に行って来るね。 あっちに置いてある楽器も練習しておきたいから」

 すると、璃玖は、

 「俺も一緒に行こうかな~」

 「璃子さんに会う目的も有るんだけど、良いの?」

 「げっ。 詩奏、璃子と話すのか?」

 「うん、そのつもりだよ。 お父さん、璃子さん苦手だから止めておけば?」

 「明日、決めるよ」

 璃玖は、妹の璃子を非常に苦手にしている。

 子供の頃から、何かとライバル視してくるからだ。

 「あいつ、美人で優秀なんだけど、あの性格がな〜」

 思わず娘に本音の愚痴を漏らしてしまう璃玖であった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ