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弓彦と毛利の銀塊  作者: 廣瀬智久
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宏明と君子

 昭和50年11月。長嶋茂雄の「巨人軍は永遠に不滅です」というセリフがいまだに頭に残るころ。


 産まれて初めての料亭で、伊豆弘明は緊張した面持ちで座っていた。鹿威しの音が清らかな水の流れと合わさってきれいなハーモニーを奏でている。


 傍らには、これまた緊張した面持ちの母・粂子が座っていた。傍らには父・康種がぼんやりと天井を見ながら足を投げ、転がっている。これでよいのだろうか。朝からしっかり着付けしてもらった背広がヨレヨレである。母は弘明と同じように緊張しているので全く相手にしていない。目が挙動不審である。


 ここは少し緊張をほぐすか。

 弘明は立ち上がりファイティングポーズを決めた。

「何?何してるの?」

「ロドルフォ・ゴンザレス戦のガッツ石松」

「は?」


 あまりスポーツ観戦しない母が妙な目で見る。父はにやにやしながら宏彰の姿を眺めていた。ちなみにガッツ石松は、世界王者を八回KOで破った。3度目の世界挑戦だった。


「今日もいい天気ってもんよ」

「もう夜ですよ」


 父・康種がそう呟いて母が突っ込んだ。こんな会話を毎日やっている。


 弘明は旅行代理店に勤める25歳。新進気鋭・バリバリの若手であった。特に新婚旅行は得意中の得意で、年に300件近くの新郎新婦を金沢、高知、宮崎などに紹介するのを得意としており、「ハネムーン伊豆」の異名を持っていた。そんな「ハネムーン伊豆」の唯一の欠点はまだ独身ということだけだった。嫁さんがいないのにハネムーンを紹介し、それでいて売り上げトップというのは問題があるだろう。とくに女子社員からの苦情が多かった。結婚していないのにわかったふりをして旅行を紹介するのは嫌だ、と。


 そこで、女子社員から突かれた上司は弘明にお見合いを設定。お相手は会社の取引先の従業員の女性だった。ちなみに自社の女子社員からは全員断られている。どうも笑い方が胡散臭いから、という理由だそうである。


 家族に相談すると家族は喜んだ。早いうちに孫の顔が見たい父は喜んで俳句を四つほど詠んだが、弘明は一つしか思い出せなかった。

 「大波乱 座布団乱舞 千秋楽」


 まったく意味が分からなかったが、母が「すばらしいですわ」というのをまんざらでもない表情で父は見つめていた。


 父は近所で畑仕事を、母はその手伝いをしている。宏明は父の跡を継ぐつもりだったが、不作のたびに家計を助けるためナマコ密漁に行き、漁協と揉めて傷だらけで帰ってくる姿をみるたび本当にこれでよいのかと思い始めた。最近は近所の人におごりで焼肉大会を主催したり、大量の靴を孤児院へ送ったりとよくわからない慈善活動に専念しているようだがどこにそんな金があるのかよくわからない。


 弘明はたまたま見つかった就職先が旅行代理店だったのですぐに入社した。上司の一存で弘明の採用は決まったらしい。そんな上司からのお見合いの話が来たのであれば間違いない。喜んで弘明は会場へ向かった。

 弘明と父と母の三人が向かったお見合い会場は、門司港駅から車で30分ほど山の中へ向かった先にある料亭である。


 料亭に到着して30分。相手はまだ来ない。弘明はだんだん暇になってきた。父親相手にギャグを言い始める

「日本に帰ってきた小野田さんのモノマネ。『恥ずかしながら、帰ってまいりました』」

「それ横井さんってもんよ」

 ケタケタと父は笑った。


「ニクソンの引退」

 宏彰は手を振り上げた。それをみて父が「後ろにエアフォースワンがみえるってもんよ、ウォーターゲートが見えるってもんよ!」とケタケタと笑った。

「続きまして、輪島の雲竜型」


 宏彰は相撲のしこを踏んだ。それを見て「見えるってもんよ!国技館ってもんよ!満員御礼ののぼりってもんよ!」と父が笑う。母はあきれて何も言えない状態だった。と、そのとき、ふすまが開いた。上司とお見合い相手らしい不愛想な顔をしたひょろりとした和服の女性、後ろにはその両親が立っていた。


「伊豆くんはお父上と大変仲がよさそうだな!」

 上司は大声で笑っていた。


「こちらは今日のお相手の加藤君子さんだ!取引先の印刷会社で事務の仕事をしている。飲塚君にはもったいないぐらいの才色兼備の女性です!」


 『もったいない』を強調しながら上司が弘明を紹介した。君子は不愛想に頭を下げた。

「これ君子。もう少し笑わんか。この子は笑顔がかわいいのですが、なかなか出してくれません」

 君子の父が恐縮して頭を下げた。先ほどの雲竜型はみていないようだ。上司が紹介する。


「こちらが伊豆くん!」

 上司はヨレヨレの背広を着た宏明の顔を見ると紹介をつづけた。

「…我が社のホープです」


 君子は頭を下げた。お見合い会場で力士のモノマネをして両親と爆笑しているなど前代未聞である。自分の設定したお見合いでこの有様。上司の気持ちもよく分かる。上司が尋ねた。


「そういえば弘明くんのお父さんは何をされているのですか」

「畑仕事やってるってもんよ」

 父が答えた。


「そうですか。人の食を守る大切なお仕事ですね」

「ありがたい話だけど、種撒けばできるから楽ってもんよ。春にはタケノコを撮ったり夏には裏の海でナマコを密漁するってもんよ」

「密漁?!」


 上司が一瞬眉をひそめた。母が言う。

「父さんその話はしなくていいから」

「黒い真珠ですわ。黒光りのギンギンってもんよ。おたくもいいもんを持っているってもんよ?」

「父さん何言ってるの」


 父は上司の下半身を見てニヤニヤする。それを母親が静止した。 

「まあそれはいいってもんよ。とにかくナマコで時々もめるってもんよ。でもおたくも密漁でしょう?と言ったらおとなしくなるってもんよ」

「お父さん!」


 母がにらみつけた。父はおどおどとした表情で上司の顔を見ると、笑った。

「どこかで会ったかってもんよ?」

「は?!」

「そんなわけで息子をよろしうお願いします」

「え?はい!」


 上司は大声で答えた。この2人、過去に何かあったのだろうか。

「まあ!みなさん立ち話もなんですからお座りになって!」


 父の衝撃的な発言で本来の媒酌人の役が抜けていた上司は、ようやく本来の自分の立場を思い出したかのようにその場を仕切り始めた。


 鹿威しが鳴った。一同が席に着いた。

「加藤さんのご家族は何をされているのですか?」

 母が聞いた。無難な質問である。喜美子の母が答えた。

「教員でして、夫が数学の教師、私は事務員をやっておりました。職場結婚ですの」

「運がよかったってもんよ」

 と父が答えた。母が再びにらみつけた。


「あなた、なんてことを、あ、いや」

「いや、そうです。運がよかったのですよ。たまたま相性の合う人が隣にいて、ねえ」


 君子の母はニヤニヤして夫の顔を見た。夫は少し目をそらした。この夫婦、何か複雑な事情があるのかもしれない。

「娘さんの職場には良い方はいなかったってもんよ?」

「あなた、なんてことを言うの」


 父がとんでもないことを言ったので母が静止した。

「うちの娘は表情豊かではありませんので、どうしても職場の同僚とコミュニケーションが撮れないところがありまして」


 弘明は君子をちらりと見たが、ずっと無表情で下を向いているだけだった。たしかに両親のいうことは正解なのかもしれない。上司が言った。


「それも個性と思えばよいのではありませんか」

 個性?それでよいのか。父が言った。

「しかしコミュニケーションができない事務職というのもなんだってもんよ」

「ですから父さん」


 母がもう口を挟まないで、と目で訴えているが、父は続ける。

「事務職なんて書類みてればすむってもんよ?最近は朝出てきてワープロうっとけばそれで済むと思っとるもんが多すぎるってもんよ。若いもんは体を動かさんといかんってもんよ」


 上司は父を無視した。

「しかしせっかくのお見合いなのに私たちがお話ししているのはなんですから、ここは若い二人に任せて!」


 そういって席を立った。父はまだ何か言いたそうだったが弘明と君子以外が席を立ったので仕方なく立ち上がり、ぶつぶつ何かを呟きながらつまらなそうな顔をして去っていった。


 急に静かになった。鹿威しの音が聞こえる。

 二人は下を向いたまま全く話そうとしない。遠くから父が誰かの文句を言っているのが聞こえる。これで近所では慈善家で通っているのだから笑えない。


 弘明がようやく口を開いた。

「あの、ご職業は」


 さっき上司が説明したではないか。

「印刷会社なんですよね。やっぱり年度末は忙しいんですよね。暇だったら潰れるって聞きますし」


 君子は無言でうつむいている。

「ここは素敵なところですよね。鹿威しの音がいい感じですし」

 君子はじっとしている。

「お父さんは何をされているんですか?」


 それもさっき上司が答えた質問だ。君子はぶつぶつ何かを呟いている。

「いやあ、いい天気ですね」

「……何を言っているの」

 君子がつぶやいた。予想外の反応に弘明は驚いた。

「え?いい天気だな、って」

「…もう夕方よ。今朝は雨が降ってたじゃない」

「そうだけど何かお話を」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 君子は深い深いため息をついた。


「だいたいあなた、ここに何しに来たの?お見合いでしょ?私の容姿とか、趣味とか、自分はこういう人間とか、そういう話をしに来たんじゃないの?通り一遍の会話しかできてないってどういうことなの?お見合いに来たんだから、結婚したら一生一緒にいなきゃいけない人かもしれない人に会いに来たんでしょ?普通真剣に相手の性格の長短を見極めようってするんじゃないの?ここで会ってお話ししてそれからどうするつもりだったの?」


「え?いや」

 弘明はたじろいだ。上司にただお見合いに行けと言われただけだったのでお見合いした後なんて何も考えていなかった。


「何も考えていなかったのね。ただ上の人に行けって言われて来ただけなのね。私は勝負に来たのよ。色男だったら結婚してみせるって。姉も妹も私より早く結婚したわ。もうこれ以上一人で周りから色目で見られたくないの。自分でなんとかいい男捕まえて絶対結婚して見せるって。もう親族や近所から「行き遅れの君子さん」なんて言われたくないの。だからあなたの上の人から話が来たとき飛びついたわ。何が何でもうまく言って見せるって。あなた、あそこの旅行代理店のホープなんでしょ?」


「あ、はい」

 君子のマシンガントークについていけなくなってきている。


「あの上の人、少し怪しいけど、まあ、いいわ。今日はこれくらいにしておいてあげる」

 すっ、と喜美子は立ち上がり、親族が控えている別室に向かった。弘明もあわてて後を追いかけた。別室に入ると君子の両親が立ち上がって出迎えた。君子は両親の顔を見ると玄関へ出て行った。


「君子…声が、声が聞こえたぞ」

 君子の父が目をうるわせている。そして、頭を下げると、君子の後を追いかけるように去っていった。


 弘明の家族と上司が部屋に残された。上司が尋ねた。

「よくわからんがこれでよかったのか?」

「私にもわかりませんけどよかったんだと思います」

「そうか、よかったのか、そうかそうか。わはははは」

 といって上司はけたたましく笑った。声が大きい。


「今度あの子にナマコを食べさせるってもんよ」

 父がうれしそうに言った。

 弘明と君子が結婚するのはこれより半年後のことである。

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