無自覚ヒーロー気取り
――sideサトリ
たどり着いたサーカステントの内部でマツリの声を見つける。
地面に四つん這い崩れのような体勢になっている男のその後ろ、そこには目をつぶって泣いているマツリがいた。
俺は男が音に反応して振り向くよりも先に男から小瓶を圧倒的な力の差で奪うと、突如消えた小瓶に男が目を丸くする前に、その小瓶を口に放り込んだ。ガラスが砕けた音が口の中でうるさい。
しかし、その中にある粉はどう見ても魔獣の革か骨かなにかを使ったものだ。不気味な輝き方をしている。
「え」
「けっ、やっぱ不味いって。どうしてこう、魔獣の粉末は見た目のわりに不味いんだろうな。まあ、結局は、好きだけど。」
「え?」
「あー、ちょっと舌切れたよ。なんにせよ、食べるもんじゃないな、これ」
俺は舌の傷を舌を丸めて出血抑えようとしながら、男の首根っこを掴んで持ち上げ、有無を言わさずに首飾り代わりのペティナイフの先を男の首元に突きつけた。スーツの内ポケットからわずかに何か異物が見えたので引き抜いて、それが細長いタイプの鍵だと気付き、マツリの方へ下投げで渡す。
マツリは怯えた目のまま、胸元の珊瑚のネックレスを握るのを見た。本当はすぐにでも拘束を解いてやりたいが、こいつをすぐに気絶させるような用意をしていなかったためにもう少し時間がかかりそうだった。
せめて俺はマツリに背を向ける。
「んで?あんた、この部屋にいるってことは座長か?」
「お前は今朝の…」
「いや、俺はあんたを知らないぞ。アポイントメントを取りに行った時、いなかったろ。だがその様子じゃ、全部知ってんだな」
男改め座長は大人しく頷いた。危機的状況にしてはやけに落ち着いていると思った。
俺が勇者時代に磨き熟練された睨みを向けると、ようやくその身長がやや低い座長は怯えた顔を見せる。が、それも本当に一瞬のことだった。
「お前に聞きたいのは今はひとつにしてやる。猫の資料は何処にある。」
彼はやおら不気味に笑うと、汚せば金貨一枚は取られるんじゃないかというほど高級そうなスーツの襟を伸ばす。
「…我々の貴重な財産を盗みたいのですか?いや、強奪かな?」
「…俺はとにかくその資料が貰えれば、お前をポリスのところに突き出して終わりにしてやるよ。」
「資料ですか。要求はそれだけ?」
「はっ、じゃあ金をくれとでも言えば良いか?」
「てっきり、これを迎えに来たのかと。」
「馬鹿言えよ、前提条件だ」
迎えに来た。こいつは俺とマサリとマツリが共に行動していたことすらも知っているな。
もしもこいつが俺と明日の朝出会う予定の前にマツリと会えることを知っていれば。それがマツリの自主的か無理矢理かはさておいても、少なくともこの男はマツリを引き抜いた俺に対し腹を立てていただろうから、危害を加えようとしていたのはそういったことに対する仕返しも込めようとしていたのか。
俺は震えを交えた嘲笑と共に反射的に男が俺の知る最悪の敵の影が重なったところで、わりと本気で怒りを感じているのだと気付く。目の前で赤の他人が殺された日のように、目に映る世界は歪んではいないが脳内に伝達する中で感情に揺さぶられて、結果誰にも話せないような脳内の歪が視界に現れている。大袈裟な舌打ちをして見せる。本当はこんなにペラペラと話していたい訳じゃない。
だが、マサリとの約束をなるべく守っていきたいのだ。こいつが俺と同類の悪人ということは見てとれるが、マツリは違う。
「人の私有地に勝手に転がり込んだ悪人が、よく俺に偉そうな口をきけますね」
「それは悪かったな。だがそもそも一人の少女に生活に影響あるような面倒な魔法をかける誰かを雇い…それはお前の悪意の有無次第では悪人としては成り立たないだろうが…その上その子を泣かせるような男は、悪人じゃないのか」
厳密には俺だってマツリを泣かせたのだが、それを今言う必要はない。
俺の皮肉返しに眉を潜めた男は続ける。ナイフを突きつけられていて尚堂々と出来る姿は最早感服ものだ。
しんと、夜にふさわしい沈黙が少し。
「亜人を人として認めると?俺の化け猫達がマツリに懐いているのは同じ化け物だからだと考えている。そしてそれは周知されている常識だ。それに対し、不満を持っている人などいないだろ。」
俺は思わずナイフに込める力が強くなっていることに気付く。そういえばなんで俺はまだこのナイフをマツリに渡さない?俺はナイフをマツリの方に投げる。勿論、刃が間違っても彼女に当たらないように。
そしてすぐに手足が自由になったことである程度落ち着いたマツリは震度最大の地面の上に立っているように震えた声で、しかしはっきりと男に向けて呟いた。
「そんなことはないって、思ってる。少なくとも、僕と僕が会ったことのある亜人は」
「ほらな」
「じゃあ貴方は?」
男は俺に言葉をかける。
「俺は人の主張を否定はしたくないんだが、お前とは一生わかり合えないと思う。」
「そうか」
俺がなるべく冷静に答えれば、男は予想どうりとでもいうかのように笑った。
気味が悪い。
ずっと見知らぬ赤の他人に脅されているのになんだ、この余裕は。
「だったら、俺の話を聞いてもまだそんなことが言えるか試してみようや。」
「話?」
「これを聞けば、例え子を持つ母だろうが愛を知る父だろうが、聖女だろうが勇者だろうが、誰しも亜人は人間ではないと気付くことが出来る。」
母も父も、聖者も勇者も。あるいは、父も母も、勇者も聖者も。それは世界が救われてからよく聞く謳い文句のひとつで、(聖女には出会ったことが無いのでわからないが何故かいつもひとくくりにされる)よっぽど自信のあるときに使うフレーズだ。
そうか、こいつはマツリに対しての行為を全く悪びれておらず、完全に正しいと思うがゆえに俺を前にしても説得できると考えている。町にも亜人は溢れているのに、こいつはその人達を見るたびに卑下してきたのだろうな。
固定概念とは本当に恐ろしい。
いくら話しても様子じゃ、マツリに謝るなんて出来やしないだろう。
「じゃあつまり、お前は何も悪くないと」
「綺麗なおもちゃに愛着は湧いても尊敬はしないからな」
「そうか。俺、お前の話に興味湧いたよ」
「それは疑心からの興味だろうが、だからといってこじつけで否定してくるなよ。聞き終えたら、己の間違いは認めろ」
そして男は勝利したかのように俺にわずかなどや顔を見せる。心底イラっときたので、俺はその顔の前に手を伸ばし、俺はマツリから隠すようにした。
「いや、俺にはここで話を聞く時間はない。手紙で送っといてくれよ。牢屋の中でもペンくらいは貸して貰えるからな。」
「は?」
「看守の誰かに渡してくれよ。俺がその話に感動したら、面会くらいは行ってやるよ。そうだな、宛先は…」
宛先。
きっと看守達にはこれで伝わる。
「勇者サトリと伝えてくれ」
俺は同時に魔力を手先に集中させた。
こいつは恐らく魔法は使えないのだろうが、俺は魔力量のあった勇者時代は魔道師の適正だってあった。
今は必死に貯めた魔力量でE級凡位の打撃くらいが限度だが、人を気絶させるのくらい簡単だ。
桃色と黒が混じった色が、というかほぼ黒のエフェクトが右手に溢れる。少しだけ夜の暗がりを照らす。
男は咄嗟に逃げようとしたが、そんなことを許すわけもなく。
「《打撃》」
静かに言うと、座長の男はゆっくりと地面に倒れ込んだ。