冒険者になる練習
――sideマツリ
皆でご飯を食べた翌日、朝早くからお兄さんはサーカスの方へ向かっていった。
僕達は朝ご飯を軽く食べてから、早速周辺の森へ出掛けた。猫達は部屋の中で大きめのゲージに入れて、ちゃんと鍵を閉める。いってきますと言えば、いってらっしゃいと答えるようにナァゴと鳴いた。
マサ姉は背中に花の刺繍がある以外はシンプルな薄紫のワイシャツを着込み、チェック柄でスリット入りのミニスカートの下には黒のスパッツを履いていて、足元は履き潰された黒のジョッキーブーツは土埃は粗くがさつに洗われた痕がある。
そしてなぜか、僕とお揃いにしたいとパーティーグッズでよくある黒猫のつけ耳をしていた。
僕も、彼女にお揃いの水色ワイシャツを貸して貰った。下はスカートだけでなく、ショートパンツを予め持ってきておいてよかったと思う。寒い日にこれは少し丈は短いけど…
荷物はほとんど部屋に置き、彼女が持つのは手にもった杖と空の袋、干し肉と干し葡萄、水を入れたディアスキン製ウエストポーチのみだ。
近場ということで、彼女は旅人の装備とは違い、ほとんどの荷物を置いて身軽に行こうと言われたのだった。
「本当に大丈夫なのかな。食べ物だけなんて…」
「マツリは知らないだろうけど、この杖はとても優秀なんだ。その人が使える魔力を余すことなく使ってくれるし、無駄な消費も失くしてくれる。」
そしてマサ姉は森に入って数歩して、僕に杖を渡してくれた。白くて細長いその杖には五線譜の彫刻とまばらにちりばめられた金箔がキラキラと木漏れ日に照らされてたまボケとしてまばゆく光る。先端には昔は何か宝石みたいな装飾など飾られたのかもしれないけれど、それは折れたみたいで、今はヤスリで削られ整えられているように綺麗な断面図だけが残っていた。
こちらはジョッキーブーツとは違い本当に丁寧に手入れされていて、使い込まれて所々凹んだどうしようもない傷はあれどそれはそれで趣もあって手に馴染む。そして石膏のようなずっしりとした重さ。
「結構、重いですね…」
「ん?そうかな?」
思わず敬語になってしまう。いや、正確にいえばこのくらいは特に問題ないのだが、僕は僕の腕力が人より強いことを知っているのでマサ姉があまりにも軽々と持っていたのを尊敬したのだ。
僕よりほんのちょっと、身長が高いくらいなのにな。
「さ、それよりもモンスター討伐に行こう。朝の時間帯は倒すのが楽なモンスターが多いんだ。」
「う、うん…」
僕は五線譜の丁寧な線を親指でなぞらえながら、一歩一歩深い森を歩く。
そのうち、血生臭い空気にゴホッゴホッと幾度か咳をしてしまったが、マサ姉は何の問題もなくずんずんと奥に進んでいく。僕は思わず服の袖にはなをくっつけて、一定間隔に息を止めて進む。
服の袖から洗ったあとに本物の金木犀香りが匂う。ファブリックミストとは違う、本当に本物の自然に似た香り。
けれど杖を構えるためにはいつでもはなを抑えてはいけないので、やがて観念して杖を両手で持ち直す。
けれどやっぱり、臭いがきついの。
「なんか、臭い酷くない…?旅してたときは、困難じゃなかった気が」
「そりゃ、きっと魔法でもかけられてたんじゃないかな。そうやって気を回す優しい人もいなかった?」
「……いたのかな…いたのかもな。……こういうのって、慣れるもんなの?」
「ん…自分匂いに鈍感だからな」
そうしてマサ姉が茂みを掻き分けると、直後、いきなりなにかが飛び出した。マサ姉の頭上を飛び越え、僕の目の前に立つ。
それは見覚えがあった。セリルリガルっていう、E級凡位の低級モンスターだったはずだ。大きく角張った耳に、常に充血したような目。茶色い毛。大きさは五十センチほどで、ギュルルルと腹の音のような鳴き声で僕を睨んでいた。立った猫のような細長い尻尾の先端からは鉢の針のような細いものが尖って僕の方に向けられた。あちらさんも敵意丸出しだ。
「うにゃっ…」
「やった!」
思わず一歩身を引く僕に対し、マサ姉は見るからに喜んだ。一瞬、彼女の手が空を切ったが、すぐに僕に任せようとその手を下げる。
「マツリ、殺っちゃえ!」
「やるったって、どうやるの!?」
「杖に心臓を委託する感じで!」
「心臓を痛く!?つつくの!?」
僕はすっかり混乱して、整えられた杖の先端を僕の心臓に向ける。そのまま僕の心をいっぱいに押そうとすると、杖と心臓の間に透明な筒が現れ、それを阻まれた。マサ姉が魔法で止めてくれたんだろう。
「違う違う。」
そしてマサ姉はおもむろに僕に近づくと僕に手本を見せるように僕の杖を手に取ると、片手で軽々持ち上げ先端をセリルリガルに向ける。
「《針刺し》」
彼女の何の魔法のエフェクトも出ることなく、代わりにマサ姉が杖を振り上げた直後にセリルリガルは太い針に勢いよく貫かれて倒れた。セリルリガルに大きな穴が空く。
血飛沫がマサ姉の頬を伝った。
「ね?今のは針刺し。十センチくらいの大きさの針で対象を刺すんだ。E級華位ね。マツリなら簡単簡単!!」
何の悪意も屈託もない無邪気な笑顔で杖を返される。林檎のような綺麗な赤が頬を涙のように伝い、彼女の綺麗に洗濯しただろう服に染み付く。
「あ…」
「気にしない気にしない。洗濯したら落ちるよ。それよりセリルリガルは基本的に団体行動してるから奥にもっといるはずだ。」
――今度こそ頑張れ。倣うより慣れろだよ!
そういってマサ姉は先ほどのモンスターの耳を掴んでから早足で歩く。セリルリガルの、血抜きも必要ないくらいの血が地面に滴った。
ゆっくりと、陽が沈んでいく頃。昼よりももっと冷たい空気が肌を包む頃。
「はあ、はあ、はあ、はあ…」
僕は何とか呼吸を整え、そうして僕はようやく辺りを見渡した。それは今目に広がるセリルリガルの死体の山々ばかりで、地面はちょっとした湖が出来てしまうような、そんな血溜まりが出来ていた。
「あ…僕…」
「ん、やっぱりマツリの才能はすごいや。魔力量も多い分、どんどん倒せるのね」
マサ姉はさすがというべきか、僕と同じようにセリルリガル以外の僕のレベルではてこずるような強いモンスター倒しておきながらも全く動揺を見せない。
僕はもう何十回と針刺しを使用したかわからないが、マサ姉はもっとレベルの高い魔法を乱発していた。
「マサ姉、今日も魔力は好調なの?」
「んーん。今はマツリよりも少ないね。もうすぐ今日の限度が来て使えなくなりそうだ。針刺しも一回使えるか…」
「でも、僕よりも、よっぽど疲れてないね」
「そりゃ、マツリはまだ不馴れなだけだよ。そもそも今日、君がこれだけ何十回も使えたのは本当に素晴らしいね」
ふと、マサ姉は僕に近づいて右手で僕の頭を撫でた。その手はまるで恐ろしい殺戮現場にふさわしくなく血に汚れていず、僅かにモンスターの毛がついているくらいだった。
それからマサ姉はまた、血溜まりの上で屍累々と僕の倒したセリルリガルと、それ以外の別種のモンスターを仕分けている。
「…僕」
「ん?」
「僕は、こういう血が苦手なものなんだって思ってた」
「へえ」
マサ姉は敢えてだろう、そっけない反応で答えてくれる。
同情も、感情すら要らなかった。今から言う、この言葉は。
「僕は生き物を簡単に殺せちゃうんだ。確かに殺意は感じたけれど、でも縄張りに入ってったのはこの僕で、初めにマサ姉が殺したあの後僕は尻尾巻いて逃げることだって出来たはずなのに、僕はこうして、そう、こうやって簡単に…」
そう考えれば、今更ながらに自然と指が、手が、腕が震える。
過呼吸ぎみに粗く息を吸って吐いてを繰り返す。
ああ、そうだ。
僕はきっと、さっき、僕は、僕より弱い生き物を圧倒的力で殺すことに僅かでも快感を得ていたのではないだろうか。これはよくあることなのだろうか。
「顔、青すぎるよ。」
マサ姉はあくまで淡々と、マサ姉の頬を軽く叩いてそう示してくれる。
「初めてにしては殺しすぎちゃったね。今日はこの辺にしておこうか」
「…マサ姉」
「はぁい?」
僕はもう杖が折れてしまうんじゃないかというほどに杖を握りしめ、そして言葉を吐いた。弱音だった。
「僕、このまま一人で旅をしたら…どうなるんだろう」
「きっと何も変わらないよ。なぁんにも。」
その妙に間の抜けた返事は僕には死の宣告のように聞こえてしまって、それが何故かと言われればよくわからなかったけれど、とにかく恐怖に足が震えた。
「そうだマツリ、魔獣猫ちゃんの種族判別に必要な材料はあとひとつ足りないから、それだけ見つけて…」
そういうマサ姉は既にモンスターの殺生についてを割りきっているようで、僕もそうしなければとセリルリガル達の遺体処理を手伝おうとマサ姉の側に寄った。ちゃんとしないと。弔うにせよ、材料として使わせて貰うにせよ、どうやって処理を施すのかは見ておかないと。
でなければ、カルジャン公国に向かう途中でモンスターに出くわして死ぬか、殺し逃げをしてしまう気がする。
「っ、マサ姉、これから僕はどうすれば…」
刹那、視界が暗くなる。
魔法の連発と精神的な頭痛と未来への不安と罪悪感と嫌悪感等々が重なったせいで頭もろくに回らず、お日様が雲に隠れたのかと簡単な推測の後、徐ろにその原因を振り向く。
人がいた。二人。
それはしゃがんでいた僕達よりもよほど高身長の人間で、どちらもトラのような小さくピンと立った耳が頭の上についていた。亜人だ。
僕は亜人にしては耳が悪いけれども、それでも人間と比べれば良ったはずだし、セリルリガルの音も覚えてからはどこにいるかをマサ姉よりも上手く見つけられていた。それを生かせなかったのは疲労感からか、もしくは虎のような忍びよりで足音が聞きづらかったのか。
ただ、直感でわかる。
明確な敵意。
「うわっ」
「っ、マサ姉!?」
僕が危機感しか働いていない状態で体は何故か動かないという最悪な状態でいると、隣のマサ姉がその大男達に軽々と持ち上げられる。
慌てて僕が立ち上がろうとすると、マサ姉を持ち上げなかった男の一人が僕を手で制止した。
グッと眉間にシワを寄せて精一杯男達を睨む。逆光でなかなか男達の顔がはっきり見えなかったけれど、笑顔を見せているのがわかったし、それは全く優しい笑顔ではない。
「おっと、動かなくて良いぜ、お嬢ちゃん」
「はひっ、兄さんこいつなかなか可愛いじゃねえか」
「…誰だよ、兄さん達…」
まずい。まずい。
僕は辛うじて声を絞り出すが、二人はその声の怯えを感じ取ったのか、一人は嘲笑うようにわざわざ僕に目線を合わせるようにしゃがみこむ。
猛禽な野生に近い黒い目、怪我の痕が残る筋肉質な腕、明らかに血を拭いきれていない黒ずんだシャツ。
男は僕に手を伸ばし、何度か頭を押し潰すように強く撫でてくる。思わず尻餅をついて、血溜まりにスカートを汚しながら後退りする。
「誰?誰だって?そんなの名乗るわけないじゃないか。」
「そーそー。名前を聞くならまず自分からって、お母さんに習わなかったか?」
お母さんではないが、お姉様には教わった。僕はどうすれば良い?お姉様に教わった礼儀を守るべきか、別に答えなくて良いのかな。
駄目だ、どうすれば良い。こんなこと初めてで、友達が悪そうなやつに捕まって、僕は疲れと混乱を理由に今だ恐怖に動けなかった。
どうやって助けられる?もう面倒になってきて、とりあえず男達のいう通りにしとけばどうにかなるんじゃないかと息を吸い込む。
が、その前に血生臭い空間に響いた声は、僕より少しだけ低いが可愛らしい声だった。
「自分の名前はショーリ。そっちの妹分はイワイ。せっかくこちらから名乗ってやったんだ、お前らも名乗れよそれとも名前がないのか?」
やや早口の、刺々しい言葉。そしてそこから垣間見えるのは、マサ姉は怒りを持っていても恐怖は感じておらず、落ちついているということだった。
僕はこっそり逆光が斜光に見えるくらいの位置にずれると、そこでようやくマサ姉がつまらなさそうな顔をしているのだとわかる。
僕を見ると、パチンとウインクまで見せてくれた。
その華奢な体は大男にがっしりと捕まれ、今にも首をへし折られそうなのに。
マサ姉…
「あ?いやお前さっきマサ姉とか言われてたろ。どこにショーリ要素があるんだオイ」
「い、今改名したんだよ」
「ふざけるなよ!!」
「どう頑張れば今ここでふざけられるってんだ!あっかんべーっだ!」
「それがふざけてるんだよ!」
そう挑発しまくるマサ姉はやっぱり全く怯えていなくて、そこでようやく僕は安心感を与えられていることに気づく。
っていやいや、さすがに今のはまずいんじゃ…
とにもかくにも、僕は杖を再び握りしめて魔力を杖に込める。魔力と体力的に揺籃歌をすぐに作れる気もしないから、せめて針刺しを。二人の男達の足にでも貫ければ、なんとかマサ姉を救い出せるか?
僕が片手から両手で杖を掴もうとするが、そこで男の一人が鞘から剣を取り出しつつ、一際大声で叫んだ。
「ああもういい!名前云々なんてどうでも良いんだよ俺達は。ショーリだかなんだか知らねえが、俺達はお前らがずっとこの辺りで魔物討伐を繰り返してたのを見てた。」
「容赦ない殺戮だったな?女二人が半日ずっとモンスターを殺しまくるってのは見ていて心配になった。俺達がヤる前に死なねえかなってな!」
それから後に続く下品な笑い。その癖剣を僕に向けている男の視線は一切僕から離されず、特に杖をもつ右手を中止しているようだった。
「おいイワイ、マサ姉?が殺されたくなけりゃ、とっととその杖を向こうに放れ。」
イワイ、と呼ばれて少し反応が遅れたが、僕は使われ方からも大切にされてきたであろう杖を投げろと言われてそのまま投げれるような度胸はなかった。
「これは、大切なものなんだ。投げるなんて…」
「痛っ」
僕が言い終わらないうちに聞こえた声に慌ててマサ姉の方に顔を向けると、気づけばマサ姉はマサ姉を人質のように抱えている男にナイフをあてがわれていて、しかも反対の手で髪を強く引っ張られたようだった。
マサ姉からこぼれた冷や汗が、夕陽に照らされる。
僕はせめて茂みの上でダメージが少ないだろう場所に杖を上手く放ると、言われるがままに手を挙げる。
男は二人とも、満足そうに頷いた。
「一体、何が目的なん…なんですか」
鈍く光る剣先が僕の右の目元まで迫り、素早い瞬きを繰り返しながら訊ねる。
男は剣を回転させて目元から近づけたり遠ざけたりして僕の心臓の鼓動を操るのを楽しみながら、楽しそうに言葉を紡ぐ。
「何が。そうだな、端的に言えば俺はお前はパーティーに入ってほしいと思った。」
「へ?」
思ってもみない言葉だった。僕達よりも完璧な優位に立ったからなのか、すごい余裕が見える。マサ姉なら全く気づかれずに魔法でも使えるのだろうけど、生憎今は魔力がもう使えないと言っていた。
「俺は亜人じゃない人間が嫌いでな。俺の不幸自慢にお前らは興味がないだろうが、とにもかくにも悲しいことに俺はそういった人間のせいで子供を充分に養えていない」
「ならばもっと良い出稼ぎにと兄貴と一緒にこの町にやってきたわけだが、吃驚したよ。この町は気持ち悪いことに亜人は亜人以外の人間に好意的なやつが多すぎてさ。人間は、こんな…」
と、そこで僕に剣を向けた男より一歩後ろにいる男は人質に取ったマサ姉の黒い猫耳のカチューシャを奪って乱暴に地面に捨てた。
「わ、ちょっと…なにするの!」
この場に置いて一番命の危機にさらされ、一番動揺を見せないマサ姉は怒りを露わにするが、ナイフを首に強くあてがわれたようで拳を握って怒りに耐えている。僕はどこにどう発散したら良いのかわからないほどに溢れる怒りを感じた。
猫耳はとてもちゃちだったけど、それは彼女なりの僕への友好の印だったから。
「人間は、こんなふざけたもので亜人を馬鹿にする。なあイワイだっけ?お前も腹立たしくないのか?」
「腹立たしいって…どうして」
「耳とは俺達がショーリのような人間よりも勝っている部分だ。誇るべき部分だ。だというのによ?可愛いだとかそんな理由でちょっとした店に安っぽいレプリカの耳が販売されるようになってる。それを馬鹿な客は買ったりして遊ぶんだ。その癖、お洒落じゃないからと耳に切り込みいれたりな。ピアスとは違う、傷だぞ、傷。」
「俺達は腹立つんだよ、いつも俺達を下に見てるような奴らが都合の良いところだけ利用されてる気がしてよ」
「そんなことない!馬鹿になんかしてない!何をしたって仲良くなりたいんだもん!嘘はない!」
その言葉は、名前こそ呼ばれなかったが間違いなく男達ではなく僕に当てられたものだ。懸命に。そんなこと言って、切られるかもしれないのに。
マサ姉は全然、悪い人じゃない。どうして何があっても、マサ姉は僕がどんどん信用していくような言葉ばかり投げ掛けるんだろう。本当に懸命な子供のようにまっすぐな人だからだろうか。この状況に置いても尚、怖いくらいの無邪気。
ああ。きっと。この僕達を襲ったトラ達はきっと、すごく悪い人間との間で何らかのトラブルがあって、それで過激になってるだけだ。
「はっ、この女、必死に弁明してるぞ?」
先程のマサ姉の発言を命乞いのように自らに向けたと勘違いした男達はマサ姉を嘲笑う。僕に笑いかける。剣はまだ僕に向いている。どう考えてもわかりやすい、脅しだった。
なのに何故か、恐怖はだんだん薄れていく。
「だから、イワイさんよお。こんな人間と組むのをやめて、俺達と組まねえか?俺達以外にも、別の仲間もいるぞ。全員亜人だ。」
「お前が望むんなら、この女をとびきり辱しめてからここで切り捨てたって良い。お前達が今日切り殺したモンスター達は皆で山分けだってする。どーせこの女と組んでれば搾取されるだけだったろ?」
「お前達こそ、マ…イワイの取り分なんてさほどやるつもりなんてないだろ。年齢だの女だのどうこう言い訳なら考えられるからね。どうせ、強い子がいたから疲労するまで待ってから襲ったんだろ?手口がもう人攫いだよな。お前ら、後ろめたい世界にぴったりだよ。」
それを聞き終わる頃、僕はもう完全に冷静さを取り戻していた。
仲間になるだって?この期に及んで、勝算もないまま臆せず煽るマサ姉を一人にして、誰が危機感を管理するんだ。今日、ずっと守ってアドバイスをくれて、それら全て僕の猫達のためにしてくれた彼女を一人にして、僕は何者になれるんだ。
珊瑚のネックレスをギュッと握る。
マサ姉と視線を合わせ、僕の血まみれの手の方に誘導する。マサ姉は何を持ったか確認する。
マサ姉は頷き、そこからは男が握るナイフの方だけに集中して貰う。
僕は少しだけ微笑み、勢いよく立ち上がった。血溜まりからあらかじめ手にしていた石を立ち上がると同時に振り上げ、そのまま一直線にマサ姉を人質にしている男の眉間にヒットさせた。マサ姉はそのタイミングで思いきり男のナイフを握る手をマサ姉自身から遠ざけ、突発的に首が切れるのを防ぐ。それによってマサ姉は思いきりよろけているが、とにかく無事だ。どうやら僕には投げるセンスがほんの僅かにあるということは、サーカスの芸を学んでいるうちに気づいていた。男はゆっくりと倒れていった。
突然のことでたじろぎ身を引いた剣の男は、すぐに意を決したように僕に剣を向け、斬りかかろうとする。
ここから先、どう動くかは考えてなかった。
「マツッ!!」
マサ姉はその事に一瞬で青ざめ、慌てて僕を庇おうとしてくれる。
ああ、もしかして死ぬのかな、と漠然と考えて。咄嗟に目を閉じた。
直後、響いた音は確かに剣の肉を切り裂く音だった。
が、僕には痛みもなく、どこかの感覚が狂ったか失くなったかの感覚もなかった。いや、失くなったからないのかもしれないけれど。
とにかく僕は不審に思ってゆっくりと目を開ける。
そこには、息を切らしたお兄さんが立っていた。
「っ!お兄さん!!」
顔と首回りは汗だくで、何度も息を吸っては深く吐いてを繰り返して、右手には血に濡れたシンプルな剣先を地面につけて。
そしてそのままお兄さんは剣の血を拭うことも、剣を鞘に収めすらせずに手を離し、僕と僕を庇おうと近づいてくれたマサ姉をそれぞれ交互に見る。
「あの、お兄さん…?」
その問は全く聞こえなかったようで、お兄さんは僕達の血がついたところを重点的に何度も素早く凝視し、それから僕達の肩に手を強く添えた。先ほど僕の頭を男が撫でたように本当に力強く、体重を預けられてもいたが、先ほどとは全く違って不快感もない。御姉様やマサ姉に撫でられるような安心感と少しのくすぐったさがあった。
そして無言のまま十秒が過ぎてから、ようやくお兄さんはポツリと溢す。
「ほんっとうに、無事で良かった!すげえ探したんだぞ。……遅くなってごめん」
そう言われると、急に胸が熱くなって、ぐるぐる思考が回りだして、先ほどまでの恐怖心が一気に、まるでヴァージナルを演奏している時のように感情が溢れて溢れて、ついに僕はたまらなくなって。思わず右手でマサ姉を掴まえながら、お兄さんに飛び付いた。
二人は驚きつつも、拒むことはしなかった。そっと、抱き締め返してくれた。
「マサ姉は生きてるんだよね」
「うん、死んでない」
「僕、生きてるんだよね」
「当然だ」
「怖かったな」
「悪かった」
「良かったなぁ…」
「もう大丈夫」
それから僕は少しの間少し強い手でぎゅっと抱き締められて、立ち上がろうとすると解放された。
「さて、今からこのモンスターを整理するか。」
お兄さんはグーッと延びをしてから僕達を見た。
「それにしても、初日でよくこんなに倒せたな」
「でしょ!?マツリ、すごい才能あると思わない!?」
マサ姉は僕よりも誉められたかのように目を輝かせた。
「あ、でも一種類、見つからなかったモンスターがいて…」
「どれだ?」
「えーっとね…」
「ああ、こいつならここに来る途中で見つけたぞ。命は頂いておいた。リュックに入れてる。」
二人は既に先ほど襲われたことは無かったかのような会話を繰り広げていた。
「すごいね、二人は…」
僕は今だ震えがおさまらないのに。
僕は立ち上がった時に跳ねた血が靴下に侵入していくのを感じながらゆっくりと茂みの上に杖を拾い、手触りと目で細かな傷はともかく大きな傷がないことを確認すると、マサ姉に返却する。
「ありがとう。あと、ごめん。投げちゃって…傷は無いと思うんだけど、でも…」
「わざわざ傷つかないような場所に投げてくれて、ありがとう」
マサ姉はそれからまた僕の頭を撫でた。彼女の手はとても冷え冷えとしていて少し汗ばんでいて、やっぱりくすぐったかった。
「さあ、とりあえずモンスターは換金してから部屋に戻ろうぜ。」
「ちゃんと、今日使う分と美味しい部分は別によけておいてね。」
そう言いつつ、マサ姉はウエストポーチのボタンを外し、僕には干し葡萄の入った袋を渡し、マサ姉はそのまま自分とお兄さんの分の薄い干し肉を四枚ほど取り出した。それらは血が固まったかのように黒ずんでいて少しグロデスクだったが、僕が受け取った干し葡萄の方はちゃんとした製法で作られたのだとわかるような見た目で味も葡萄の甘味がまだ残っていて噛みごたえも充分だった。きっとクッキーみたいな焼き菓子にいれたらもっと美味しい。
僕は沢山殺したし、血を見たって吐くような気分の悪さはなかった。それでもまだそれを由とする自分に頭が受け付けていなくて、ぐるぐる回る頭の中で襲われた。それでも僕はまだ生きていて、こうやって小さなおやつを食べて。
途端、心臓から一気に全身の血が駆け巡るような感覚を味わう。身体中の細胞が熱くなる。
僕は今、恐ろしい守る力を持っている。何かを殺せる力を持った以上、慎重に使わないと。その反面、まだ強くならないとなんていった気持ちがあるんだ。
きっと、これから先僕は沢山のモンスターを殺すだろうけど。
そのとき、僕は…
「おいマサリ、手ぇ合わせたか?」
「ん、今からするとこだよ。」
二人は話し合うと、しばしの間、二人はモンスターの屍達に手を合わせる。僕も真似して再びしゃがみこむ。
お兄さんは隣で真似をする僕に話しかけた。
「こんなことも、人間のエゴなんだろうけどな」
「うん」
「でも俺達はこうやって、本能とは別の理由でも生き物を殺す。まあ、放置してやられるのは俺達の方でもあるけど、それでもな。」
「うん」
「だから、せめて俺達は忘れないようにしたいと思ってる。仕事上、何をどれだけ殺したかなんて正確に覚えていないけど、なるべくこの心に刻めるように。」
「…うん」
覚えていること。
確かにエゴだけれど、確かに大事な気がする。
「…辛かったか?」
「……辛くないのが怖かった」
「そうか。…まあそれくらいが良いさ。お前の事情は知らないが、別に冒険者になる必要はない。世の中には沢山の仕事や重要な役目が溢れてんだ。その気持ちが自然に出るくらいが丁度良いよ。」
「……ん。」
うん。
少しだけ、心の整理がついた気がする。
「ありがとう」
素直に告げると、お兄さんは夕陽に混じって少し照れてそっぽを向いて、「ちょいとクサイこと言ったかもな」と立ち上がった。僕らはまだ人間なんだなって、なんだか当たり前のことが嬉しく感じた。
「さて、さっさと悪漢二人もポリスかなんかに突き出すぞ。ったく、どんなけ治安が良くたって、こういうやつはなかなか減らねえな」
「あれ?生きてるの?」
一人はてっきり、斬られて死んだかと思っていた僕は思わぬ事実にぎょっとした。慌てて倒れている男から離れる。
「悪いな。俺達は人殺しの悪人以外の人間はなるべく殺さないって決めてるんだ。なるべくな。」
それからマサ姉もお兄さんの隣からひょっこり顔を出し、もう一度「なるべくね」と呟いた。