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サーカスの歌声

~サーカスの歌姫声~


 時は遡って五年前、勇者の献身的活躍によって世の中に平穏が訪れた。しかしその勇者は王都で栄光と脚光を浴びてその余生を過ごすことなく、どこかへ消えたそうな。

 そして時間が経つにつれ、その勇者は伝説になることもなく徐々に多くの人間の記憶から消えていく。時間が経つ度に、その度に。




 ――ベニートシティーにて

 「『勇者は死んだのか…天国の都で聖剣が見つかる!』だって。ねえねえやっぱサトリがゴシップにのってる。やっぱりあの剣、拾わなくて良かったの?」

「仕方ねえだろ、落としたのが冬の大河なんだから」

 各部屋一泊二十ラントの安上がりな宿屋のある一室。

 真冬の午前五時ごろ、パーティーメンバーである魔導師の少女マサリは俺の部屋のベルをけたたましく鳴らし、朝っぱらから上がり込んで来たかと思えば、第一声の大変!と共に流行りのゴシップ紙を見せびらかしてきたのだ。

 俺は眠気も吹き飛び目が覚めてしまったので、手に取ったお気に入りの剣を磨ぎながらベッドの縁に座る。

 「でも、聖剣って確かランクはS級華位でしょ?思い入れは?」

「いやいやあんなん、勇者時代の最後の一週間しか使ってなかったからね。伝説の剣だからって思い入れもねえしそんなもんさ。俺には今の……この、俺のために鍛冶屋がくれた剣の方がよっぽど大事だよ。」

「うわぁ~王様危篤だってー」

「もう聞いてねえのかよ」

 俺は内容の薄い雑誌を熱心に読み込むマサリに溜め息をついてから、剣を鞘に直し顔を洗って朝の支度を始めた。

 シャツを脱ごうとしたところでマサリがいることを思いだし、脱衣所の方へ戻る。

 マサリはゴシップ紙に飽きたようで俺の枕辺りにそれを放置する。

 錆び付いたドアノブを握った時、声をかけられ振り向いた。シワだらけのシーツに寝ころぶはねっ毛の少女は、明るい茶髪に所々ラベンダー翡翠のような薄紫が混じっていて、それが朝日に照らされて煌々と…まるでモデル雑誌の表紙撮影のようだ。いつもはサイドテールであるのに今日はよほど急いでいたのか髪は括られておらず、いつもとは違う印象を与えられる。

 「ね、サトリ。今日の依頼は何時から?」

「朝七時に広場横のカフェ。せっかく起きたなら、もう寝るなよ?」

「はぁーい!準備してきます!」

 マサリは嬉しそうに立ち上がる。左耳の美しい耳飾りが光を跳ね返し、アメジストのような透明な瞳で、彼女は俺にウインクをしてから部屋を出ていった。俺はそれを見届けたあと、ふと檜の扉横のナップサックからよく使う方の財布を取り出す。

 銅貨はあるが、銀貨がもうない。困ったな。

 尤も、別の財布からは金貨も宝石も一生困らない分以上、つまりは沢山出てくるだろうが――あれは旅の間は使わないと決めたんだ。約束だからな。

 その約束を遂行するには、今日の仕事を成功させて稼いでおきたい。俺もマサリも料理は不得意だし、旅をしている分、馴染みの八百屋などで得をするなどといった節約術は使えない。

 俺は息を吸い込み意気込むと、今度こそ部屋に備えつけられていた寝巻きを脱ぎ散らかす。そして普段着の若干桃色とも取れるような赤のライン入りシャツに着替えた。



 ――何年か前、勇者としての俺は名前も顔も忘れられかけていた頃から…俺は名を改め新たな人生を進み始めた。改名については全世界が報じたものの、それを覚えている者は少ないだろうが。

 ただ、世界を救った前日くらいに思い描いていた『新たな人生』…つまりはのんびり暮らすこととは違い、俺は未だに旅を続けている。

 何故なら、本来死ぬまで減るはずの無い自らの才能…つまりは俺の魔力量。それが勇者としての職務を終えた後から何故か衰えているのだ。魔力は使えば減るがほっておけば増える。その限度を決めるのが魔力量だ。

 本来あり得るはずの無い減少を止めるにも、聞いた限りでは前例も無く、医者や魔導師は役に立たない。大変由々しき事態である。

 しかし、そんな減少を増加へ向かわせる方法は聞かないが、止める手段は噂話として耳に入った。『源生の宝玉』というアイテムだ。

 そう、俺は今やそのわずかな希望である宝玉を手に入れるために旅をしているのだ。

 そしてそのどこにあるかわからない宝玉を探すには何処までも旅をしなければならず、そのためにはお金が要る。

 その金儲けの手段として、現在俺とマサリは特殊なモンスター討伐の依頼を受けつつ新たな人生を歩んでいる途中なのだが…



 「ジャケットポテト二つとクリスマスティーひとつ。あと、水と魔物のスープはここにあるか?透明なやつ。無いなら料理に使えない魔物の廃棄物を適当にミキサーしてくれ。」

「はあ、かしこまりました…」

 六時間ほど長居したカフェで何個めかになる食べ物を注文すると、魔物のスープを知らなさそうな店員は怪訝な顔をしながらキッチンへ戻っていった。

 それを見届けてから、俺達は同時に溜め息をつく。

 「あーあー。今日も来なかったね、依頼主。」

「な。これで何度めだよ、ドタキャン。」

 俺たちの一番の悩みの種。それは多くの依頼のほとんどが土壇場でキャンセルされることだった。理由は知らないが、所詮は旅とモンスター討伐とを並行した仕事なのだから、おおよそ他に拠点を置いて討伐を生業としている奴らよりも信憑性がないのだろう。ここのソーセージパイは美味しいと評判なのに、ったく、収入もないせいでいも料理しか食えない。

 …いや、目の前の食べ盛りが来ない客を待っている間に食べたお菓子のせいでもあるが。


 「サトリ。ベイクドビーンズちょっと頂戴よ」

「お前のところにも十分のってるだろうが!」

「魔物のスープも自分のでいいの?」

「それは俺んだ!マサリはいい加減魔物以外の飲み物を好きになれ!」

 キタリスの赤が釉薬によって誇張されたティーカップの中には透き通る赤茶の液体が注ぎ込まれていて、それを俺がマサリの方に向けるが、マサリは俺にあげると言って飲もうとしない。

 俺は心の中で深く深くため息をついた。というのも、こいつは俺に出会ってからの数年で恐らく味覚が完璧に変になってしまっていて、しかもそれが甘かったり辛かったりなどならまだ良いのだが、こいつの場合、所謂不健康で生々しくてゲテモノの料理を好んでしまっているのだ。これはいけない、もとに戻さねばと俺が他の飲み物を提案し飲ませるが、彼女は結局魔物のスープなどの方が良いというのだ。

 結局今日も俺はスープもティーも取られたためおかわりをした水で残ったいくつかのビーンズを流し込んだ。


 「よし、食べ終わったな。」

「ごちそうさま!」

「はい。…どうせ依頼主も来ないし、今日は魔物討伐に行くか。ここの辺りはオークが多く出るみたいで…」

「あーっ!!」

 腹も満たされて立ち上がった頃、マサリはいきなり静かなカフェで大声を出した。何人かの客が睨んできたので慌てて俺が頭を下げるが、マサリに反省した様子はない。

 「うるせえよ。いったいどうして……」

 そう俺が眉を潜めた瞬間に頭を掴まれ、首がねじ切れるのではないかというほどに回転させられ窓の方を向かされる。

 そこには、慌てて走る少女と、それを後ろから刃物を持って追いかける屈強な男二人が見えた。事件性が疑われる。遠巻きから眺める周りは怯えているというよりは迷惑しているかのようだ。確かに、一昨日のあの血溜まりは誰だって見たくはないだろう。

 …いや。そんなことより気になることがある。なんてったって、追いかけられているその少女は…


 もしかして?


 「あいつ、依頼主じゃあねえか!おいマサリ、追いかけるぞ!」

「らじゃー!」

 俺は立ち上がって走り出し、外に出る前にレジに立っている店員に向かい、俺は銅貨を一掴みほどレジのそばに叩きつける。…叩きつけたのはわざとじゃない。力があり余っただけだ。

 「悪い、つりは後で取りに来る!」

「あ、おい待てお客さーん!!」

 店員の困り果てた叫びを無視し、俺達は慌ててその走る少女を追いかけた。猪突猛進とはまさにこの事で、力が強すぎて凹んだらしいレジ台代を請求されるのはもう少し後の話だ。



 「で?言い残すことは?」

「なにそれ。殺すの?」

「そんなわけねえだろ。お前の言い訳の言葉を聞いておきたくてな。」

「そもそも俺らに楯突いて、その意味わかってんのか」

「わかってる。からもうこの町からも出てく。だから僕のことは放っておいて…ん?」


 公園までやってきて、俺達はようやく追い詰められた少女と男達に追い付いた。その瞬間にドシーンと大きく地面が揺れたかと思うと、目の前に黄色の光が一瞬伸びる。その瞬間、あの少女を囲んでいた男二人は力なく倒れる。――マサリの魔法だ。

 「今の魔法は?」

「あえて名前をつけるとすれば、《雷鳴》?」

 また新しい技か。確かに雷ぽかったな。俺は一度頷くと、男二人の生死確認を行った。外傷もないし、死んでない。

 俺が脈と呼吸確認をしていると、後ろからふて腐れたマサリが俺をつつく。

 「大丈夫、死んでないでしょ?全く、サトリは自分が今まで人を殺したところを見たことがあるわけ?」

「ねえけどお前のは未知過ぎるからな。念のため」

 続いて俺が男達からナイフを奪い、近くの町外れに生えた木の下に避難および拘束すると、同時に尻餅をついた少女の方にマサリが手を差しのべてくれる。

 「はい、大丈夫?お嬢さん。」

 しかし少女は唖然として動かない。

 「ほら、どうしたの?」

「…………っ、すげえ…」

 やがて少女は声を絞り出した。

 「え?」

 途端、少女はマサリに飛び付く。

 「すごい、すごいよっ!!お姉ちゃんありがとう!」

「うわっ」

 マサリに飛び付いた少女からは独特の甘い香りがした。花の蜜のように甘く、檸檬のように酸っぱい香り。何となく、嗅ぎ覚えのある香りだった。…いや、変な意味じゃなくて。


 「僕の名前は『マツリ』。多分猫の亜人で、トートシティー出身の十四歳。今はベニトサーカス団に所属してるんだ。」

 男達二人の側のベンチで、マツリは可憐なお辞儀をしながらそう名乗る。一見するとか弱そうで華奢なお嬢さんのようだ。まるで先ほどまでナイフを突きつけられていたとは思えないほどに落ち着いている。

 頭の上の少し小振りで立った犬(いや猫か)のような耳、後ろで括った薄い水色の髪、口元にはキャラメル色のフェイスヴェール。ネックの部分には小さなマイクをつけていて、シンプルなシャツに下はチェックのミニスカート。靴は使い込まれていながらも綺麗なブーツで、きっと日常から商店街か路地裏通り辺りで靴磨きを行って貰っているのだろう。

 「そんで、ごめんな。約束の時間に行けなくて。」

 そうマツリは深々と頭を下げるが、俺達はもうとくに怒りは感じていなかった。なにせ、事情は知らないが変な連中に追いかけられていたのだ。何らかのアクシデントがあったということは明らかだし、何より依頼はまだ破棄されてない。

 そして特にマサリは、「別にいいよ、ブリオッシュ美味しかったし!」と頬をさすった。俺の財布には良くないがな。

 「それで、あいつらはいったいどうしたんだ?」

 親指で伸びた男連中を指差すと、マツリは目を伏せながら教えてくれる。

 「えーとね。僕とおんなじ、ベニトサーカスの芸人だよ。」

「えっ仲間なの!?」

「てっきり流行りの人攫いかと。ってか、え?容赦なく気絶させたが大丈夫だったか!?」

「僕は嫌いだし、あいつらも僕のことを良く思ってないだろうから良いよ。」

「そういう問題か…?」

「そういう問題だ」

 なんだかとてつもない罪悪感。しかしそんな心情を知る由もないマツリは解放感を表す伸びを盛大にしてから、銀貨を六枚ほどマサリの手にのせる。

 「はいこれ。僕が約束の時間を破っちゃったからお詫びと、さっきのお礼と、依頼料の銀貨四枚。四枚で大丈夫だよね?」

「…いや、まだ依頼は遂行してねえし、そもそもなんの依頼かも聞いてないぞ。」

「…あと、依頼量はちょっと多い」

 銀貨は一枚で銅貨百枚くらいで、つまりは今の宿屋五泊分だからな。子供が出すにはすごく多いぞ。マサリも頷き、マツリにお金を返そうとするが、しかしマツリは細い手を横に振りそれを受け取らなかった。

 「いや、いいんだ。違約金も兼ねているから。」

「違約金?」

「そう、お願いしようとしてたこと、なんとかなりそうなんだ。さっきのはその弊害。」

 マツリは安堵した笑顔を見せる。

 「でもこれで解決だね。本当にありがとう」

 弊害。つまりはマツリはあの男達さえどうにかすれば良かったというわけだ。……俺達、一応魔物討伐依頼専用なんだが。

 「ま、まあそれは良かったよね?」

 俺達は揃って首をかしげる。昼時にあんな雷鳴が轟いたのだ、先程の音につられて徐々に回りに人が集まりだしていた。ポリスが来る前にここをおさらばしなければな。

 「よくわからんが、こいつらはマツリの仲間なんだろ?ここに放置していくわけにも行かねえし、連れてかないと。警察沙汰にはしたくない。俺が。」

「ほんと?じゃあ僕の部屋に来てよ。あっ、どうせだし、サーカスも見てってよ!」

「お、おう…」

「ほんと!わーい、サトリ、サーカスだぁ!」

「…いいのか?それで」

「うん、お詫びとお礼だよ!」

 マツリは屈託なく笑った。俺は未だにマツリの同僚が起き上がったあとどうしようかを悩んでいたが、マツリとマサリはそんなこと頭に無いようで、ただ目の前の悪が消えたことを喜んでいるようだった。

 だんだん俺も面倒になって、その問題は後で考えることにする。うん、そもそも公共の面前であんな風に刃物を振り回して女の子を追いかけるのはもう暴漢以外の何者でもないしな。誰だってうっかり雷を落としてしまうさ。

 俺は男の腕を掴むと一気に持ち上げた。とりあえず、運ぶか。

 とりあえず一人を担ぎ、もう一人をどうするかと数秒悩む間にマツリは体重が彼女の倍もありそうな男を軽々持ち上げ裏路地へ入っていく。か弱そうな腕、とても小さな背中で。

 「え…」

「さ、こっちだよお二人さん。僕はこの辺りに詳しいんだ」

 ――人は見かけによらないな。



 ベニトサーカス団。ベニトサーカス団はこの町発祥で、様々な町を巡り、旅をし、そして今はまたここに帰ってきているらしい。帰ってきて、確か一年と聞いた。勇者時代にこの町を二日ほど訪れた際はここにはサーカスなんてなかったもんな。そして賑やかではあったが、今よりは活気は良くなかった。

 で、そんなベニートシティーが今、最も栄える場所は当然ベニトサーカス団の居座る大きな公園だろう。さっきとは比べ物になら無いくらい広い。

 で、サーカスの控え室に着くともう直にサーカスが始まるとのことで俺達はのびたサーカスの一員達二人をまじでどうしようか迷った(さすがに無理矢理叩き起こして洗脳しようというマサリの提案は却下したが)が、マツリが俺達以外のことを素直に話し罰を受け入れようとするのを見、サーカスの補佐らしい奴らの代わりに俺達がそれを担おうと決める。マサリはサーカスが見られないのはがっかりだと顔に滲み出ていたが、口先だけは進んで手伝うと素直に了承してくれた。またブリオッシュでも買ってやるか。

 入場の整備なら出来るので、俺達はそれ用の服にこっそり着替えチケットをもぎり続けた。

 「はいお疲れ様。どっかで似たようなバイトでもしてた?あの二人にいきなり頼まれて困っただろうけど、給料は出るからね。」

「「ありがとうございます!」」

 ひとつ救いなのは、まだお昼寝中の二人はサボり癖があって、その度俺達のように一日バイトを雇っていたらしい。つまりは怪しまれずにバイトに潜入できたのだ。今回は男達に頼まれたという設定にしておいたが。俺達はサーカスが完全に始まったところでもう一人の受け付けに全てを任せて良いとの許可が出る。

 俺達はだらだらと席を立つと、サーカスのテントの方では断末魔にも聞こえるような激しい歓声が上がった。

 「サーカス、今頃きっとすごいんだろうなー」

「後でマツリが埋め合わせしてくれるっつってたし、今日はいいじゃないか。」

 と、そんな仕事を終え称賛の叫びが上がるテントを見据え落ち込むマサリの頭を撫でる。

 するとベテランらしいサーカスの補佐は目を丸くした。ちょっと笑えるくらい、文字通りに。

 「君ら、マツリの知り合い?」

「あ、はい。と言っても、今日会ったばかりですけど」

「へえ、あのマツリがねえ…」

 と、ベテランはすごく意味深に少し固そうな形の雲を眺めるので、マサリの興味津々スイッチが入ってしまう。

「ねえねえお兄さん、マツリってどんな芸するの!?魔法は使う?それとも獣使い?華奢で身軽そうだし、空中ブランコとかかなぁ!?」

 マサリはまるで飼い主とキャッチボールを始める直前の子犬のように目を輝かせて詰め寄っている(ベテランも引き気味だ)と、サーカスのテントからまたまた歓声がわく。すると今度は白兎のように落ち着きがない様子で首をそっちへ持っていく。アメジストのような透明な瞳が一際輝く。いったい何をしているんだろう?彼女の心の中でそんな疑問が新たに上がったのが目に見えた。が、マサリは今回はわずかにマツリへの興味の方が勝ったようだった。

 「で、マツリは何してるの?サトリも気になるよね?」「少しは。」「でしょ!!ねえねえ教えて教えてっ!!」

「あはは…」

 青年は苦笑いでレジ横のもぎられた半券を意味もなくかき混ぜつまみいじりながら、やがてテントとは逆の方を指差した。

 「一言でいうと、あいつは影のスターさ。いつもサーカスが始まると同時に向こうの方で歌を披露する。ストリートミュージシャン?みたいにな。ジャグリングも綱渡りも出来たはずだが、ずっとそればかりやり続けてるんだ。使えない魔獣に餌をやり続けてなけりゃあ、座長に嫌われずに本物のスターになれるはずなんだがなぁ…」

 そういう青年の目はどことなく悲哀に満ちていて、時折流れる冷風に息を白くしながら溜め息をついた。

 「魔獣に餌?」

「ああ、ベニトサーカスは魔獣も動物もおり混ぜた芸をするんだ。ただ、安全な魔獣には『犠牲』も付き物だ。あいつはそんな犠牲を放っておけないから、いつまでたっても座長にしかられ下っぱなんだ。あれでもし一度でも儲けられなければ即クビだろうな。」

「おい、あらゆる娯楽に魔獣の使用は禁止されてなかったか?」

 俺が純粋な疑問を投げ掛ければ、それを青年ははなで笑う。

 「バカだな。ベニトサーカスは今この世において一、二番目に有名な名物サーカス団さ。どの町に行ったって、俺達は許されている。客にはこう言えばいいんだ、『この魔獣は品種改良によりストレスを感じにくく、また人を襲う危険もありません』って。」

 するとマサリは俺の袖を引っ張り、こそっと耳打ちする。

 「今日のゴシップ紙でも、ベニトサーカスの魔獣は安全なのかについて検証的な記事があったよ。サトリよりも大きい記事だった。」

「ま、実際はどうかわからねえけどな」

 だがまあ、少なくともシロではないだろう。

 「ってか珍しいな、お前ら。魔獣なんかを気にかけるなんてよ。やっぱりマツリと気が合うんだな」

 俺とマサリは目を合わせる。

 そうか、こういうのは珍しいんだな。へえ、そうなんだな。忘れそうだが、覚えておこう。


 ベニート町立公園の橋には大きな樅ノ木が立っていて、その下には人が数人だけ立てる小さな舞台が蜘蛛の巣や枯れ葉に埋もれつつも何百年も前からあるそうだ。

 烏が鳴くか赤とんぼが飛び去るかしそうな綺麗な夕焼けを前に、しかしその舞台の回りには今だ誰も帰らずに通行規制がかかりそうなほどの人だかりがあった。

 俺達が遠くから聞けることもなくとっくに彼女の歌は終わっているようなのに、人々は歓声と、賛美ながらのお捻りと、そしてアンコールを求める声で溢れ返っていた。

 これが、あいつの影響力か。


 「お嬢ちゃん、最高だったよ!」

「今日は十八番は歌わないのかい?」

「俺なんか、君のためにアパタイ街からやってきたんだよ」

「こりゃあれだ、歌手になりゃいいものを」


 「うひゃっ、マツリすごいっ!キラッキラッの有名人なんじゃん!投げ銭しよっ、サイン貰おっ!」

「歌か。なんでサーカスに居んだろうな」

「さあ。腕に描いて貰おうかな。」

「いや腕はすぐ消えるだろ」

「ペン無いや。まあいっか」

「おい、ペンなら俺が…」

 そう答えた時には既にマサリの姿はなく、探すとあっという間に人だかりの中心の方へ人をかき分け進んでいたのに気づく。…そしてマツリから貰ったお金を今だ彼女が持っていることも。

 …あいつ、投げ銭するとかどうとかいってなかったか?

 「っ、おい待てマサリ!心付けは一ラント、一ラントまでだ!せめて銅貨渡すから銀貨を寄越せ!!おいマサリーッ!!」

 全く、二十二歳になって、なんでこんなケチで恥ずかしいことを公言しながら小娘を追いかけなければならないんだ。ひとつ救いなのは、他の皆の声が大きすぎてこの怒声は周囲にも余り聞こえていないということか。聞こえていないとありがたいけどな。はは。

 なんとか人をかき分けかき分けマサリのもとに辿り着いた時、マサリはふて腐れ、マツリは苦笑いしながら舞台の上からマサリと握手を交わしていた。俺を見つけると左手で軽く手を振ってくれる。

 「だからお姉さん、お兄さんが困っているみたいだし、お捻りはいいよ、ね?」

「そうなの?ストリートミュージシャンって会えば必ずお金を渡さないとって、本に書いてあったのに」

「それは間違ってるよ…ほらお兄さんも来た。」

 スッと指を指され、俺は思わず小さく手を振った。良かった、マツリが止めていてくれたようだ。

 彼女の足元の籠から溢れたラントが足元まで転がってくる。俺はそれを拾って籠の横に置くと、マサリの頭を掴んだ。

 「ああもうマサリ、お金は俺が預かる!マツリ、助かった。耳がいいんだな。」

「え?いやうーん、僕耳が悪い方なんだよな…」

「えっ」

 慌てて回りを見渡せば、人間はともかく幾人かの亜人が敵意を含んだ目でこちらを見ている。耳をピコピコさせて、俺達の会話を盗み聞いている。ぐ、さすが聴覚が良いだけあるな…

 俺は思わず縮こまる。対して、全てを察した歌姫は舞台上で観客達に向けて深々とお礼をした後にバッと右手を上げる。パチン、大きな右目を閉じる。

 彼女の掌には水色の光と赤色グリッターのような光の粒が瞬き始める。夕焼けに栄える清らかな水色と、血みどろで不気味な赤色が混ざり、異様に目が牽かれる。天性の才能。魔法発動の前振り。

 「《混声合唱▽停止》。ご清聴ありがとうございました」

 途端、彼女が集めた魔力は四散し辺りは静まり返る。先程までわいのわいの騒いでいた観客は水を打ったように静かになった。それはまるで、昨日まで美しく咲いていた花が翌日には完全に枯れてしまったかのような悲しさも含んだ静けさだった。

 唖然としながら、俺達にはその魔法がかかってないと安心して、改めてマツリと向き合う。

 「なんだお前、魔道師なのか。それも強い…マサリとお揃いだな」

 俺の不自然に衰えた今とじゃ、比べ物になら無いくらいに強い魔力だろう。

 マツリは鮮やかに後方倒立回転跳びで舞台から降りると、マサリも兎のような脚力で舞台に上がりそれを追いかける。ついでにマツリが拾い損ねた散らばった銅貨何枚かを獲物を襲う鷹のような素早さでさっと掴んで投げ、マツリの籠にインさせていた。マツリも気付けないような素早さだった。こんな反射神経は良いのに、運動神経はあんまりないんだよな。やっぱり才能はあるだろうし、体の使い方とかを教えた方が良いんだろうか。

 「全員を黙らせて後追いしてくる客を遠ざけたんだろ?やっぱ、中々の手練れだな。」

「ん、それにこうすれば直に今日の分の熱が冷めて自然に解散してくれるから、誰がどれだけ集まってお金をくれたか座長が知る前に人が散る。だからいくらでも引き抜けるんだ」

 マツリは口元に人差し指を添え、秘密にしてね、と再び綺麗なウインクをして見せた。

 「マツリは《ミューズの魔導師》だね。良いね、珍しい魔導師じゃん」

「そうだな。すごい珍しいし才能あるじゃん」

 ミューズの魔導師――魔導師の中でも音楽系の魔法を操る魔導師って訳だ。ただでさえ魔導師適性があるやつは珍しいのに、その上魔導師の中でも前置きに…例えば『ミューズ』とか『アンブロシア』といった単語がつき、その各々の属性専用の特別な魔法が使える人は少ないし、更に更にそれが音楽系であるミューズとなると本当に珍しいし強い。俺も今まで数えるほどしか出会ったことがない。うん。マツリは冒険者としてもやっていけそうだな。


 そんなこんなで無事サーカスのテントに戻ると、マツリは佳境に入っただろう盛り上がりを見せるテントを通りすぎ、奥の白いテントに入り、暫くしてから賽銭ばかりが詰め込まれた籠を持たずに出てきた。

 「さあ、僕の仕事もおしまいだ!今日は夜まで時間があるね。君ら、たしか冒険者…いや旅人だよね?サーカスはもう入れないし、……そうだ、どうせだしイイトコ、案内するよ」

「ほんと!?自分、そういうのスッゴク嬉しいって思う!!……そういえばマツリ、お金は?」

 マサリはいつもの好奇心でマツリの回りをくるくる回る。お金とまっすぐいうところが実にマサリらしい。悪い方の意味で。

 けれど幸いにもマツリは特に気にせずに答えてくれる。

 「全部座長に渡さないとなんだ」

「ええ!?ひっどーい!自分ならお金かちょろまかしちゃうのにな」

 そう言ってマサリは俺のポケットから銀貨を一枚スリ取られかける。ポロリとコインが一枚落ちた。俺はそれをマサリに早く取られるよりも早く拾う。いくらマサリの反射神経が鋭いと言っても、さすがに正面からの早撃ち勝負のような素早さにゃ負けねえよ。

 「ったく、泥棒技術を磨きやがって」

「ふっふーん、サートリくーんがお金をとりあえず胸ポケットに入れる癖は見抜いているのだよ、自分は」

「まさか他人にやってないだろうな?」

「今のところはね。」

 まるで公園の看板に落書きでもする不良のようにニヤリと笑いやがるので、ブリオッシュは無しにしようと思う。

 マツリは一瞬肩をすくめ、それからポケットを叩く。彼女はパンパンの袋から銀貨数十枚を取り出した。

 「とーぜん、とっといた。じゃないと足りない、生きていけないし。座長に変な過大評価されるのも嫌だしね」

「自分、マツリのそういうところ、すごく良いなと思います。ね、サトリ」

「おう」

 うまく生きてるようで何よりだ。え?お前勇者だろうって?

 良いんだ、俺はもう勇者をやめたただのサトリなんだから。

 ま、所詮ちっぽけな言い訳だけどな。


 ――さっ、おいでよ!

 マツリは数歩先をスキップ気味に歩き、サーカスの御旗の前で俺達を呼ぶ。そのすぐ側の公園備え付けのベンチには罰として真冬に半袖で縄でくくりつけられた男二人が震えながらこちらを見ていた。

 ああ、こいつらは罰を受けたのか。マツリに責任が乗り掛からなくて良かった。こいつら二人の言い分は聞いてないのは申し訳ないけど。

 が、行動が案外と大胆で容赦ないが責任感は強そうなマツリが男二人に謝罪をし上着を脱ごうとしたのはマサリが止め、代わりに静かに唱える。それはいきなり雷鳴を放った罪悪感というよりかはマツリととっとと遊びに行きたいが故の行動らしかった。

 「《暖衣飽食∞代償B》。はい、これで安心ね。二人は寒くないしお腹もすかない。さ、早く行こ、マツリ!」

「え、あ…」

 唖然とするマツリの手を引くマサリには男達なんて全く興味がなく、その代わりにマツリのいうイイトコという実に曖昧な場所に目を耀かせている。マツリにもう完全に気を許してる。

 全く、こいつは。俺は頭を掻いた。そんな高位な魔法、軽々しく使うなよな。


 マサリに期待された純粋な瞳を持つマツリがどや顔で案内してくれたのは、小さな窓が雪を映すロマネスク建築の教会……を抜けた先のごみ捨て場だった。袋に包まれることなく、生ゴミと壊れた魔法道具と家具とが分別なく散らばる、まさに無法地帯。

 「…で、ここが良いところ?」

「わかったっ!マツリ、まだ使える魔法道具を探すんだね!?」

 と、何故かマサリはごみ捨て場にツッコむこともなくただた無邪気に楽しそうだが、残念ながら俺は魅力を感じられなかった。

 革製の手袋を外し俺に渡しすぐに塵あさりをしようと腕をまくるマサリを止めつつ匂いにやられながらもマツリに目配せすると、マツリはマサリの手をゆっくり掴んでから首を振る。

 「違うよ。…おいで!」

 同時にピュゥ、軽やかに美しい口笛をふく。風が呼応したように靡く。何処からかウエディングベルのような大きな鐘の音が鳴る。近くのごみのひとつが壊れた電球のまま光る。それらのタイミングは本当にマツリが引き起こしたかのようだった。

 そしてそれらにつられたのか、マツリの足元にはおずおずと猫がすり寄ってくる。

 マサリはわかりやすく目を輝かせた。その目の光量は何処から生産されてるんだってくらいに。

 「わ、猫だ!可愛い猫!サトリ見て!すごい!自分、声真似うまいんだよ。にゃーっ!ニャーッ、シャーっ!!」

 うん、確かにうまい。うますぎて怖い。


 ――いや。


 「おいマサリ離れろ!マツリも!!」

 四匹の猫。それは良く見れば猫ではなくて魔獣だ。それも、ただ漏れる殺意を俺らに向けた。

 俺は本能的に剣を抜くと、慌てて頭の中で理性を優先させる。足に猫達が襲いに来ても対応できるギリギリまで動かさないように言いつける。だから少し猫達に剣先を向けるスピードも遅くなって、その間にマツリは俺の前で両手を広げ、猫達をさっと庇う。その目は夜のあらゆる美しい光を含んだイルミネーションのような目で、その奥の真っ赤な瞳は芯の強いものだ。本当に殺されたくないのだろう。

 「ちっ、違うの、お兄さん!この子は僕がサーカスから逃がした…」

「マツリ後ろ!」

 猫達は背を向けたマツリに飛びかかる。ああくそ。その姿は人間のそれで、汚れた毛の隙間から見える眼光は違法薬売りによく似た悪意と脅威を含んだ眼だ。ひどく懐かしい。


 その瞬間、マサリは咄嗟にそのモンスターを殺そうと口を開ける。――純粋な殺意を目で静止。

 柄の力を緩める。――切っ先を鞘には納めず剣を持ち変える。

 二歩ほど進み、右足で飛ぶように踏み込む。――剣先ではなく柄をモンスターに向け、俺から見てマツリの左耳のすぐ横に柄を突き立てる。

 「ブミャッ」

 そのモンスターの眉間を強く、殺さず、脳震盪が起きる程度に突くと、猫の魔物は力無く腹を見せた。――同時に腕に力を込めて剣の柄を素早く持ち替え空に垂直に向け、剣先を地面に突き立て飛んだ足を着地すると同時に左手で掴める猫の化け物の首を気絶するくらいに絞める。ほどよく、ほどよく。殺すなよ、俺。人間が何かの首を絞めるのなんて本来危ないんだから。

 残りの二匹、マツリは混乱しつつも水色と赤色のバイカラーを指先に纏う――「《揺籃歌》」。子守唄。確か位はC級凡位、やはりなかなか見込みのある魔導師だ。

 「D級泥位に抑えて…《雷鳴》」――こちらはマサリ。先ほど創った魔法をもう一度使ったようだが、先程よりも威力を抑えている。でも化け猫は余裕でのびた。


 こうしてなんとか猫達をなだめた俺達だったが、俺達はごみ捨て場から退避した。

 「おかしい、おかしい…!」

 マツリは四匹を抱き抱え、頭を抱える。同時に、混乱が見受けられるマツリに対してマサリは頭を撫でる。

 「なあマツリ。その猫、どうしたんだ?どう見たって魔獣だ。しかも危険だ。放置できねえよ。」

「でも、この子、でも、でも、聞いて、違うんだ、でも…」

 暴れるはずがない、とマツリは首を痛めるくらい振る。ごめん、ごめんと繰り返す。

 こいつ、良いやつだな。

 俺とマサリは目を合わせ、小さく頷く。マサリの手にはあの猫の一匹から取った首輪だった。艶々した赤いリボンに淡水パールによく似た形のビーズが蝋燭の外灯に照らされる。そこからヌルリと黒い影がちらつく。魔法。悪意の魔法。誰もが秘めた本能的凶悪を意図的に発動させる、魔法。

 「おい、マサリ」

「はーい」

「なんとかするぞ」

 マサリはすぐ答えなかった。代わりにパチンとウインクをして見せた。

 「マサリちゃんは、何でもできちゃうんだからね」

 ニシシ、と笑う。誰よりも無邪気な笑顔だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れさまです 一人一人のキャラが立っていてとても読み応えがありますね 次回が楽しみです
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