勇者も惑うし
「さて!皆準備は良い?」
「はぁい!」
「…………ん」
ウツリがクローゼットまで呼び寄せて用意した多くの衣服の内、俺達はそれぞれ髪色と近いくすんだ色合いの防寒具(天然染料で染色されたウールのセーターやコート、暖かく密着性のあるネックウォーマー、マサリとマツリは雪山の登山用に金属製アイゼンがセットのブーツなど)を選ぶと、屋敷の人間以外誰に気づかれることもなく山の麓までやってくる。
「ねえサトリ」「はい」「マツリに話すの?」「あの目ぇ見ろよ、会って一ヶ月ない奴が奪って良い笑顔じゃねえよ」
だよねぇ、とマサリは苦笑いする。だがマツリが騙されているのにはかわりないので折を見て話さなければならない。簡単には信じて貰えなさそうだけど。
「魔女を狩るんだっけ?」
マサリが病み上がりの朝のように気だるく頭を掻きながら言うと、ウツリはその母親のような優しい声で答える。
「いいえ、違います。正確には髪をいただくくらい。体の一部ですね。」
「まあニセイジョも聖女だもんね、さすがに人は殺せないか。他は家柄も容姿も能力も全て衰退の一途を辿っているのにね」
マサリは自らの杖をリュックから取り、マツリに差し出しながら刺々しい言葉で饒舌にウツリを刺す。
ウツリは初めてこめかみに青筋をたてたがすぐに取り繕う。ああ、こいつもイラっとくらいはするんだ。ずっと丁寧な口調の裏では飄々としていたから、こいつにとって俺達は眼中にないのかと。
「…雪山の魔女は山頂付近の洞窟をすみかとしています。かつては恐れられたその魔女ですが、今の末裔のセェガーはとても心優しく、平等な取引を受け入れてくれます」
「六年前に知ったんか?」
「いいえ、これはずっと前から」
ウツリは雪が静かに積もっていく山の傾斜を見上げながらとても懐かしそうに、つまりは俺達が知らない立ち入り禁止のどこかへ向けて微笑んだので、俺は用意され中身を確認した、初心者がいるからと一夜を越せる分の荷物を背負い直すだけでそこを問い詰められなかった。頭の中では――こいつは何者なんだ。聖女を騙り、俺達を助けたと思ったら初対面の俺達に対して強制的に儀式の準備を手伝えだなんて――のような彼女に対する疑問も多々あった。
代わりに開けた口を他の疑問符と共に閉じる。
「氷の妖精ってのは?」
「それは自分も知ってるよ!」
マサリはドヤッと胸を張る。
「いろんな地域でバラバラだけど、ペナ国の氷の妖精は、良い妖精の代表ってくらい人気だ。『もしも彼女らに出会う日があれば、まずは人としての扱いをしてあげましょう。陽気な日には歌をうたい、そしておかしなことをして笑顔にしましょう。そうすればみなさんを歓迎してくれるでしょう。』」
恐らく最後の方の文を恐らく完璧に暗唱したマサリはもう一度どや顔。
「マサリは詳しいんだね」
「ペナトルイン王国御伽噺全集二に載ってた」
「あれは不朽の名作よね」
聡明な子は好きよ、とウツリは冷めた手でマサリの頭を撫でようとしたがさっと大袈裟かつ露骨に避ける。マツリは羨ましがった後、マサリの行動にぎょっとしていた。
「で、この山に本当に?妖精はいるのか」
「いない。本当はいないらしいわ。けれど貴方の抱く敵意に対する答えは…そうね、精霊の為のお金は、セェガーへのプレゼントになるかしら。」
「敵意って…」
「貴方は聖女として不正にお金を徴収していると知って私を警戒している。確かにね、嘘をついたり、余分にもらってはいるけれど、誰も不幸にはなるほどではないでしょう?少なくとも、精霊については儲けられるから嘘をついたんじゃないし、単に私をより信じて貰うためについた嘘なの。これはほんとだわ」
「本当かどうかはそんなに重要じゃないと思うが」
「それから自分は今不幸せだけど」
そう無意識に呟くマサリのとげは今回は小さすぎて、ウツリだけには届かなかった。
――山登り開始二時間後。
先ほどまでは雪は降りつつも視界は澄んで歩きやすかったのだが、十分そこらのうちにみるみる大雪に変わってしまった。引き返そうか悩んだし、今も悩んでいるが、万能な地図がある限りおそらくルートミスはしないだろう。後もう少ししても晴れなければ引き返すが吉か。
「こんな山登りなんて、ものすごい、新鮮だなぁ!!」
マツリは極寒の雪を交えた強風に負けじと叫ぶが、その声も辛うじて聞こえるか聞こえないかだった。
その僅かな音から後ろの彼女が少し列からはみ出ていることに気付き、マツリがどこにいるのかを予測し近づく。伸ばした腕で引き寄せておいて、マサリの手でも掴ませておく。
ペナトルイン王国にそびえるこの山は、確か標高は高いものの危険生物は少なく、また天気もさほど荒れないため冒険者にはぴったりだと昔は聞いたのだが、実際は運悪く天気は荒れまくる。すぐに落ち着けば良いのだが。
こんなに天気が荒れるなら、一人でこれば良かった。もう少ししても晴れなければマサリとマツリだけでも屋敷において再び登りにこれば良い。
「ひゃーっ、冷たいっ!」
「後で雪だるま作れるかな?」
「んっとね、人参あるよ!しかも赤!」
…二人は存外楽しそうだが。
「おい、そういうのは山を降りるか、せめて天候が良くなってからだな…」
そもそも雪だるまを傾斜の山にどう配置するつもりだ。
先の見えないほどの悪天候と、先の見えない行動ばかりとろうとする二人の声に思わず走った後に呼吸を整え終えるくらいの頃に吐く小さなため息をつきながら、俺はコンパスと全快地図を交互に手に取る。
俺は山登りはそれなりに経験がある(といっても安全で正攻法で登ったわけではないので全く誰への参考にもなり得ない)が、この山はまだ二度目だ。それもかなり昔だったはすだし、ハイスペックマップはあるものの、なぜ目的地を完全に知るウツリではなく俺が先頭なんだと今更ながらに反省する。いつもの癖というか、なんというか…
「にしても視界が悪いな…なあペナイトン男爵、一度この道で合っているか、念のために確認をば…」
俺はとうとうこの枯れかけの木々が広く植生して道という道が無い中方角と距離だけで歩くことに対する不安が溜まり、今更ながらに振り向きウツリに伝えるが、しかしウツリに返事はない。
「あれ?ウツリ?」
全身真紫の防寒具で全ての肌が隠れるほどに埋め尽くされたマサリはその俺の声にマツリよりも先に反応し、俺と同じように後ろに振り替える。
瞬間、マサリはパッとぎゅっと握っていたマツリの手を離すと、するりと斜面を滑り止めアリのスノーブーツの裏でまるでスキーでもしているかのように乗りこなして滑り、姿が見えなくなったと思えば即座にこちらへピンと伸ばす右手が見える。そこでようやく、マサリが捕まえてきたウツリらしき人物は何らかの状態で非常に重い――つまりは自信の意思で動いていないことに気付く。俺も慌てて加勢しマサリの姿が見えるくらいには腕を引っ張ると、そこからウツリの手を掴む。マツリはマツリでマサリが姿勢を崩しそうだったのを持ち堪えさせ、なんとか四人は歪ですかすかな円になるようにその場に留まった。
引っ張りあげたウツリはそのままへたりこみ、手を雪上に張り付けて必死に息を整えていた。
「おいウツリ、大丈夫か?しっかりしろ、何かに襲われでもしたか?」
外傷はないが魔獣の魔法にかかった可能性もあるのでとりあえずウツリの背中を軽くさすって何か言うのを待ってやる。頷いたため、意識はあるようだ。マツリは慌てて丈夫な革製鞄から使えそうな治療箱や直前まで保温されていたスープジャーなどをあわあわしながら取り出す。
パッと見たところ、明らかに魔法がかけられた様子はないか。瞳孔、脈、体の変色も見られない。僅かな違和感はあるものの、特に死にかけなわけでもない。
とりあえず非常に視界は悪いが五感と気持ち六感も集中させ、俺達が敷き詰めてもたれ掛かれば弧を描くことなくまっすぐに並べられるほどの直径の大きな大木の側まで移動すると、もってきた簡易なテントであるツエルトでウツリを冷たい雪から少しでも庇おうとする。
しかしそれをウツリ自身が止め、ようやくか弱い声を出す。
「ごめんなさい、私、運動苦手で…ちょっと休憩を」
――じゃあ今のは、疲れたから?
――本当に?
「はあー?一番経験者の貴族様が情けないこと言うんだ!あーあ、折角助けたげたのに、単に疲れただけだって?だったらもう帰ろうよ、どーせ聖女様は何したって信じて貰えるじゃん!」
わざとらしいため息。マツリはそんなマサリを不審がる。そんな彼女の背景には辺りを清涼化させるエフェクトを抱えているような幻覚が見える。
「えっと、マサ姉、今日はなんでずっと聖女様嫌いなの?」
「はぇっ!?え?い、いやあ、だってこいt、この人さぁ」
「僕達の恩人だよ?」
「いや、えっと…だからウツリは…」
大丈夫だマサリ、マツリの影に雪で白いポメラニアンか白兎かシマエナガか何か小動物が見えるのはお前だけじゃない。
マサリは嘘を知らずわかりやすい善意に本当の恩義を信じてやまない無垢な少女にどうウツリのことを話せば良いのかわからずあわあわとし、結果断念しただろうマサリのチャレンジ精神と少しの慰めをこめて俺はマサリの軽く背中を叩く。お前は良く頑張ったよ。
そして多分、今は言わなくて正解だ。
俺と意思が通じたマサリも、俺を見たことで何か別の一時的打開策を見出したようで、得意気に人差し指を立てる。
「ウツリ…さんは、そう!サトリのことが好きだもの!だから自分嫉妬しちゃってぇ~!」
驚くほどのわざとらしさを交えたカマトト演技で何度も俺とウツリをチラ見する。嫉妬というよりマウントをとるような、そんな何故か誇らしげな笑顔だ。
いや。いやいやいや。
嘘をつくにもなんでそういうことを言うんだ!ただただ俺とウツリが気まずくなるだけじゃねえか!
「バッカ、お前何を!?見ろよ、ウツリさんだって目が点…」
「~~~~っ!!」
そう見下ろした時、ウツリは寒さで赤くなるよりも顔を赤くし思わずネックウォーマーで顔を覆ってしまったので、そして更には寒さとは別に何かに我慢するように震えるので、俺は慌ててマサリに謝罪を要求する。
「ごめんペナイトン男爵、マサリも悪気があるわけじゃないんだ、えと、だからそんなに怒るなよ、な」
しかしそれでは到底許せないとでも言うように、ウツリは抗議するためか真っ赤な顔を露にすると、勢い余ってネックウォーマーに付着した…体温によって少し解けた氷の欠片で頬を軽く引っ掻いたらしく、また両手で顔を覆う。
「ほらマサリ、早く謝んなさい!」
「やっだよーだ!サトリはあげないもん!」
「その話はもう良いから!」
もう、最悪の空気だ。どれくらい最悪かと言えば、そうだな、信じた仲間の簡単な寝返りで生死をさ迷った感じだ。あの後、そいつと二人きりの状態は中々来るものがある。あるいは、思い出すのも恥ずかしくて億劫な、ドラマとかでよく見た痴話喧嘩くらい。
「ウツリ、本当にすまないな。忘れてくれ。」
「ごめんね、えと、僕、僕もそんな事情あるなんてわかってなくて…」
「マツリも信じないでいい!」
俺は思わず折角の嘘を否定すらしてしまう発言をしてしまうが、それでもマツリは「照れ隠しだとわかっているよ!」とでも言うように俺から露になるどころか骨の海綿質までもが丸見えなほど露骨に目をそらした。
「これでオッケーだね」
マサリはスッと近づくと、踵を上げ俺の耳元で囁く。
「はぁ…後で誤解解く時、ちゃんとマサリも協力しろよな」
「アイアイサ!」
「よし。…ありがとう」
「どーいたしまーしてっ!」
そう伸びた声と共に、マサリは俺の腰辺りに抱きつく。
「でも…これで少し気まずくなっちゃったね」
「別に、元から良くねえからな」
「うん、そう、そうなんだよ」
(そうなんだよ?)
文脈に若干違和感を感じつつも、俺は俺からマサリを引き剥がすとウツリの方へしゃがみこんだ。ウツリは外傷こそ無いもののかなり弱っていて、凍った長い睫を下げながら腕のクォーター分ほどをふわふわの雪に埋めて項垂れている。
「体力の方は限界なんだろ?それにこんな天気だし、もう引き返すか?」
「ごほん。いえ、遠慮するわ。今日が良いの。この前も中止にしちゃってるから…」
ひどく弱々しく呟く。本当は一度引き返し、俺だけでももう一度ウツリの使者としてセェガーに会いに行けば問題ないと頭にはよぎるが、これは最終手段だろう。
「いや、こんな天気だっつーことは町の奴らもわかってるんじゃないのか?」
しかし、ウツリは動物の群れから追い出されるほど老体なライオンのように目を細める。
「信仰ってね、どんな信頼よりも常に不安定なのよ。すぐに形がおかしくなるの。だから均衡を保つためにひどい争いがあって、裁きがあって、人を良くも悪くも呑み込むの。だから私は完璧でいないと。ただでさえ、言い訳でこの前は半ば無理矢理納得させたから…」
これには俺は目を何度か瞬かせる。他のエセ教祖様と決定的に違うのはこういうところか。それは嘘がばれたことによる地位陥落への怯えでもなく、嘘だろうがずるかろうが、彼女なりの確固たる意思を抱いていることだけは確かだろう。…彼女からの信徒に対する信頼は無さそうだが。
かっこいー!とマツリはフェイスヴェール代わりも担う密着性ネックウォーマー越しでも全く曇らない声で称賛し、周囲の雪が溶けるほどの暖かい声で純粋さを示す。
「口先だけは達者なんだね」
とは言いつつも、これにはマツリすら少しだけ絆されたようで、ウツリの頭上に手をかざす。
「ねえニセイジョ、自分の魔法にさ、感覚麻痺っていうのがあるんだけど。痛みを緩和するし、あまり疲れもしないの。代償さえ払えるのならかけてあげようか。A、B、C、どの代償でも良いよ」
「代償?」
「そ、おすすめはCかな。安全だよ」
感覚麻痺。C級泥位のそこそこ知れわたっている魔法だ。正確には、そういう効果を受けたという洗の…錯覚を起こすこととなる。そしてそれらの精神に関与するに辺り、この魔法には暖衣飽食のように代償が発生する。Aは魔法への中毒性。ただ、代償BとCはマサリのお手製だっけ。
ウツリは一瞬機械的な暗算よりかはやや意識が浮上している状態で思慮深そうに首をかしげると、ゆっくりマサリの手を手袋越しに握る。そして頭からゆっくりとずらす。
「いいえ、遠慮しておきます。感覚麻痺は確か、代償はろくでもないものだった筈よ。」
「え?でもね、代償Cは全然危なくないんだ。Bはちょっとアレなように創ったけど、Cの方は安全に創ったの。代償はねぇ…」
「創った?」
ウツリはマサリの自慢を少し交えた説明を遮ると、大変滑らかでがさつさなどひとつもない淑女の動作で可憐に立ち上がり、動いた拍子に服の中から飛び出した長い黒髪を再びコートの中に仕舞い込み、最後に右足体重で腕を組んでマサリを睨む。
「いい加減にして。貴方がどんな魔法使いかは知らないけれど、魔法は生涯にひとつ創造できれば上出来なの。どんな賢者でもね。学がありそうなのに、そんなこともわからなかった?」
ウツリは鋭く尖らせた蜂の毒針のような瞳でマサリを睨み付ける。
「う、嘘じゃないもん!本当に…」
「貴女みたいな二十にも満たない子供が…」
「だって自分すごいんだし!」
俺とマツリは目を見合わせる。子犬のようマツリは不安そうに俺に助けを求めた。
「サト兄、どうやって、どう止める…?」
俺は軽く頷き、とりあえずマサリの頭に振れて優しく制止するように言いつけることにする。それからマサリの擁護だな。
俺はヒートアップし続ける二人の会話を止めようと近づいた。
「そこまでだ、マサ」
「ふふ、ならなぁに、次は氷の妖精を召喚する?雪を色づける?それともこの寒さでも変えるなんて豪語するの?」
身長の差から見下ろし、僅かに口角を上げた態度は完璧に、明らかに挑発し馬鹿にしたのは明らかで、思わず先にウツリに苦言を提しようとする。
「おいウツリ、あのな…」
するとその隙にさっとマサリは手を挙げた。
あ、まずい。
俺は慌てて何らかの魔法を繰り出さんとするマサリの左手を掴んだが、そのあと制止の声を叫ぼうとしたのが間違いだった。もしも叫ぶなら、手を掴むと同時じゃないと、掴んだとてマサリの意思は止まらないのに。
声が声として外に放出される前に、異変は起こった。
刹那、ふわふわしていた空からの白い落下物が素早く重く降り注ぐ雨に変わり、ふかふかに積もっていた雪はぬかるんでいく。最早逆にゾッと背筋が凍るくらいに熱を感じ、ここら一体の気温が急激に上がったことを察する。
何十度上がったのだろう。
「《ヒートアイランド》、これで信じた?」
と悠長にマサリは勝ち誇った顔をするが、彼女は突発的な怒りのためにどうやらこの一瞬のために――彼女の魔法がどこまでの範囲に影響を与えたかは不明だが――この世界に凝縮した形での異常気象を引き起こしたことには気がついていないようだった。
俺は一瞬面食らい、しかし他のマツリやウツリよりは遥かに早い速度で冷静になる。
「マサリ!戻せ!」
何十年の因縁を決着付ける時のような野太い声で激しく叫ぶと、そこでようやくマサリは我に返って広げた右手を頭上に掲げ、反時計回りに半周、ぐるりと回す。人差し指が足先の方を向いた瞬間に雨をすくいとるように手首を捻る。稚拙だが無邪気にリボン体操でもしているみたいだ。
しかし彼女の魔法解除のパターンは幾つもあるからこの動きに意味はないだろうが、端から見ればそう動いたからこそ魔法が解除されたかのように一気に雪の寒さが戻ってくる。地面の雪は全てとは言わないが一部分は一度溶け、再度急激に冷やされ…
「あっやっべ」
すぐに俺は雪が溶けて余計に沈んでいる足を水面から一度に飛んで引き上げ、同時に一番距離の近かったマツリも小脇に抱えて持ち上げる。どうにかしてマサリも水面が凍る前に体を持ち上げてやる。マサリの手を離すと、すぐにウツリへ向ける。
「《打撃》」
埋まったまま足が凍ったウツリも、すぐにカチカチに凍った周辺の地面に打撃で衝撃を与えて固まり続ける氷を砕き、マツリが手を差し出すことで抜け出させる。
気付けば周辺の雪だった地面は薄い氷が綺麗に張ることになっていて、余計に足場が不安定に変わる。尖ったアイゼンを装着しているために、今にも氷を破って別の災害が起こりそうだ。
「…やりすぎた。ごめん。」
「マ、マサ姉凄かったね…」
マサリは俺達から気まずそうに目をそらす。ウツリは脱帽したというより頭に理解が追い付いていないようにぼやっと謝った。今の現象はまともに学を学んできた常人ならあり得ないのだろう。
「マサリ、今の魔法はどれくらいの範囲だ?どんな魔法だ」
「今の…そう、ヒートアイランドは…えっと、自分のそばにいる人が多ければ多いほど地域の気温が上がるんだ。今回は四人分、だね。…………えっとね、範囲は多分この山全体には抑えられてるはず…」
「…………ウツリ様」
俺は数年前、マサリと初めて出会ってから今日に至るまでで約束を破りそうになったのはいったい何度目かと指折り数えながら懇願する。どうか俺達以外、ここに人がいませんように。
「この山にセェガー以外の人は住んでるか?そうじゃなくても動物とか」
「…いや……」
ウツリは今だ目の前の光景が信じられなかったのか、白昼夢にすら裏切られたような虚ろな目で呟いた。
「ここで少なくとも、少しでも弱いところがある生き物が住むなんてあり得ない。そもそも、セェガーも…」
そう答えている間もマツリの手を握って離さないウツリはぐるぐると、混乱と困惑で頭が回っているようだった。
「ハクチっ」
ふと、ウツリを凍る地面から助け出したマツリがくしゃみをする。
「うぅ…あーぁー、るー、るー、らー…うーん、声の調子も悪いなぁ」
マツリは綺麗な声で歌うように適当な発音を繰り返していたが、どうにもうまく声が出ないようだった。
「寒いもんな」
先ほどはマサリの魔法で温度がおかしくなったが、すぐに戻ったせいか、余計に寒く感じる。
現在、この俺達のパーティーは恐ろしく指揮が下がっているのは明白だ。
ネガティブな感情を具現化したかのようなゴッと風が吹き荒れ、俺は思わず少しよろめく。
その風がやって来た、先程より少し透明度の増した山のてっぺんを見据えた。
「ま、とにかくあれだ、俺達全員、怪我もしてないし。とっとと儀式やらを終わらせに行こうぜ。そしたらあったけー部屋で暖炉を囲もうや。」
わざと明るい声を出してみる。
しかし、誰ひとりとして返事は帰ってこなかった。
おかしいな、マサリか、最低でもマツリは何かしらのリアクションを返してくれると思っていた。聞こえなかったのか?
「まあ、そうだな、寒いし早く帰れるように頑張ろう」
同じことを二回も言うのは恥ずかしいし、かといって聞こえていなかった場合、ずっと黙っているのは格好つかないので言い換えてみる。
反応は…すごいぞ、全く無い。ちょっと傷つく。
俺はたまらず振り向いた。
そして。そこには誰もいなかった。
「えっ!?ちょ待っ、え!?マサリ!?え!?そんなホラーになんの!?せめて前触れはあれよ!ほらあの…チェケラ音的な何か!ホラーの音!」
いや違う、ナーミー音だったか?とにかくそういう、あげあげな感じの名前の…
「ラップ音かしら?」
「ああそれだ!」
「それで、チェケラって?」
「Check it outの略。見てくれってことだなっ…」
背後から声をかけられていた。気付かなかった。全く、本当に全く。
俺は命を狙われているかのように後ろに下がりながら振り替え思わず剣を握る。しかし目の前の誰かは僅かに両手をあげ、降参しているように苦笑いした。
「お…お前は?」
「この山にいるのよ」
「セェガーか」
「ええ!」
枯れ葉のような焦げ茶の瞳に真っ黒くパサついた長い黒髪。
全体的にシャープな人で、身に纏う洋服は絶えず地面に向かって五角形の小さな氷のくずがポロポロこぼれる薄い水色のヴェールを斜めにして腰に巻き付けている以外は変なところもない。表面がツルツルしたコートも黒だ。
そうやって不躾に彼女を眺めていると、推定年齢二十代の彼女は薄気味悪く笑う。
「ようこそ、歓迎しますわ、サトリ様。」
いつのまにか雪は止んで、空は晴れる。
ただその空の色は、奇妙なことに真っ白だった。 勇者ならこんな不足の事態、どうにかなるだろうって?背後から笑われた気がした。
馬鹿言え、こんなの勇者も惑うし!