ニセイジョ
ペナトルイン王国の都市から少し離れたところには真っ黒な門扉に垣根はおしゃれで重厚なゴブラン柄の絨毯にありそうな色形の花達で彩られた、目の前には豪華で清潔な家があった。
二階建ての屋敷は全体的に白色の塗装で統一され、角ばった半円の屋根はギャンブレルというらしかったか。
そしてここで裁判。いや、私刑?ともかく俺はうまく立ち回らないとな。財布を取り戻せれば万々歳。こんな平等じゃなさそうな裁きは初めてではないにせよ、緊張したのか無意識に垂れた犬みたいな耳に触れた。
はあ、と大きくため息をついたところで門を叩くと、その間後ろの二人は目を輝かせて招待状を握りしめていた。
「僕、こんな大きなお家にお邪魔できるなんて嬉しいな」
「自分も、人がいる中で大きな家に入るのは始めてかも!」
「そ、それはどういう…?」
「二人とも、行こうぜ」
「あ、自分が門叩く!」
マサリがそう言うと、俺のすぐ横をあっという間に通り抜けて扉に触れる。その瞬間、こいつは俺が偶々ポケットに入れていた端数のコインをスろうとしていたので軽くいなしてやると、マサリは温かいスープでも飲んで少し安心したように親指でグッドサインを見せた。
「うん、やっぱサトリは簡単に盗まれたりはしないよね」
「そりゃそうだよ」
「泥棒にはスられてたけどね。」
「そうなんだよな…」
「変なサトリ。」
しかもいつスられたかも見当がつかない。それはつまり、財布泥棒はマサリより俺よりも素早いのか、異常に存在感がなかったのか、ともかくいくら人混みだったからとはいえ、俺が気づけない理由が全くもってわからねえ。しかし悶々と悩んでいても堂々巡りにかわりがないことも事実なので頬を叩くと、二人は俺を輝きを失わない目で見てくる。
「ねえねえ、早く行こっ!」
「そーだよサト兄、考えても今は意味ないって!」
ぐいぐいと俺は二人に背中を押される。マサリだけじゃ特に前に押されることもなかっただろうが、マツリがいる分俺は門をくぐるどころかバランスを崩してた折れ込みそうにまでなってしまう。
「押すな押すな!ってかお前ら、そんなに楽しみなのか!?」
「「うん!」」
「そんなに聖女様に会いたかったのか…?」
「「とーぜん!!」」
いや別に、良いんだけど。あくまで単なる好奇心だよな?だとすれば俺も一応世界で唯一の(元ではあるが)勇者なのだが、俺は二人からそれほどまでに輝かしい笑顔を向けられたことがない気がするぞ。いや別に、嫉妬とかじゃないけども。…ルサンチマンとかそういうのではない、断じて。
屋敷に入り執事に促されるまま一番奥の部屋に入ると、そこは応接室のようだった。壁や棚にはいろいろな装飾品が飾られ、一番奥には暖炉の火がパチパチと音を立てる。
大きなセンターテーブルを挟んで俺達から左側のふかふかのソファには四辺に白いトーションレースが付いた生まれたてのひよこ色で気持ち色付けされたクッションが並び、右側には二つほど、白のラウンジチェアが並んでいる。クロステーブルも白く、シャンデリアの蝋燭がゆらゆらと揺れている。
そして俺の目の前、いわゆる誕生日席のラウンジチェアに座っていた例の貴族は立ち上がりペコリと一度頭を深く下げた。今は懐中時計はなかった。
「よくいらっしゃいました」
「…お邪魔します」
「あはは、そんな怖い顔をしないで。睨まないでくださいまし」
「え?睨んでた…ましたか。気を付けます。ごめんなさい」
「気にしないで。どこでもお好きな席にお座りください」
さあどうぞ、と彼女は両手の平を俺の方へ広げる。
なのでとりあえず俺はドアに近いラウンジチェアの方に、マサリとマツリはソファにちょこんと座ると、さっとメイドが俺達の前に白いソーサーとカップを置いて恐らくジンジャーティーを注いでくれた。
これら全ては完全なるおもてなしで、これじゃまるで本当にただ招待状を貰っただけのようだった。
「さあ、皆さん揃ったところで…」
「ちょっと待て…ください!」
町ではずっと聖女様か救世主と呼ばれていた女性がカップを持ち上げたところで俺は慌てて止めにはいる。
「ええと、まだ一人揃ってないのでは…?」
そう、平等な話し合いだろうが、やや強引な私刑を下す場だろうが、とにかく加害者(相手からすればこちらが加害者だが)の男がいないことには何も始まらない。
なるべく下手になるように話しかけると、貴族はしばらくポカンとし、それから朗らかに笑う。
「ああ、あの財布泥棒さんならとっくに牢屋ですよ。この家の地下のね。」
「え?」
「だってあの財布、貴方方のものでしょう。違いますか?」
「信じてくれるのか?」
「だって事実ですもの」
聖女はそう言って両手を組んだ。「私は知っていますから。」
「聖女様はなんでもお見通しなんですね!」
マツリはどうしようもないほど信じきった尊敬の眼差しで貴族を見つめる。そうか、あいつはちゃんと捕まったのか。思わず立ち上がる。
「どうして信じてくれたんですか!?」
「ほらこれ、お財布です。」
驚く俺をおいてけぼりに、ポンと俺の前にはボロボロの財布が置かれた。膨らみ方的にもお金だって抜かれていないはず。
「ありがとうございます…でも本当にどうして」
「それは私が何もかもわかりきったことだから…とかではどうでしょう?」
戸惑う俺に、ずっと聖女様は紳士的な態度で全てをこなす。俺達を信じてくれた理由は定かではないしもっと聞き出したいが、ともかく俺が思っていた以上に最高の事態収束じゃないか。
「では改めまして、私の自己紹介でもいたしましょう」
この貴族はなぜか平民の俺達にずっと礼儀正しくしてくれてるんだよな。聖女様は立ち上がり、大人しいスカートを広げてお辞儀をした。
「私の名前は『ウツリ・ペナイトン』。爵位は男爵。以後お見知りおきを。」
ペナイトン?俺は思わず両目を瞬かせた。
「ペナイトン男爵…ペナイトン男爵?ええと、間違いでしたら申し訳ないのですが、ペナイトン男爵の邸宅は山を越えて少し東の方ではありませんでしたか?」
「よくご存じですね。私の父はそこに住んでいますよ。ここは私のお家です」
「そ、そうでしたか…」
俺はそう納得するふりを見せながらも思わず首をかしげかける。だってペナイトン男爵は百年前の祭りの際、機嫌がよくなった王によって突発的に位を授けられたらしいが、その後のあらゆる社交場では失態ばかり犯したそうだ。結局爵位を剥奪されかけていると聞いていたが。そんな貴族が、小さな国の中に二つも点在した屋敷を持つと余計悪目立ちしないのだろうか…?今は貴族であれ、ある程度の一般民に向けては慎ましさを見せる方が親近感を得られるはずなのだが。市民に近い没落気味の男爵なら、尚更に。
それとも、俺が間違っているのか。俺の知識が不安になって思わずマサリを見るが、マサリはテーブルの中央のアイシングクッキーに釘付で、ほとんどウツリの話を聞いているようには見えなかった。
真相は定かではないので、俺も立ち上がってとりあえず誉めとく。あと、お礼ももう一回。
「…さすがはペナイトン男爵ですね。本当に財布、ありがとうございました。それも昼間の揉め事を止めて、わざわざ俺達を屋敷に招いてくれて。俺が貴女に返せるようななにかがあるとは思えないですが、少なくとも俺は冒険者なので」
「いや良いんです、本当に。」
俺のたどたどしい敬語にも鬱陶しそうな顔もせず、ジンジャーティーを一口優雅に口に含む。
「私は聖女ですから。」
「ウツリさんかっこいい!」
部屋の明かりの光量は一定なのに、なぜか彼女の周辺で光が瞬いた気がする。マサリは一層目を輝かせた。
「ほんとのほんとに聖女様じゃん!」
するとマサリは俺が止める間も無く、突然ウツリの手を掴んだ。この瞬間、俺は完全に俺の自己紹介のタイミングを逃したと悟った。
決めたっ!と少女は無邪気に叫ぶ。
「ウツリさん!自分、ウツリさんのために魔法を使うよ!約束を破らないなら、なんだって。でもとっても優しいウツリさんは破るような魔法を頼んだりしないよね、きっと。
儀式の時、誰もが目を牽くような眩しい魔法でも、悪人を倒す魔法も、山のあらゆる障害物を消し去る魔法でも!」
「おいマサ」
仮にも貴族の手をマサリは上下にブンブン振り始めたので流石に止めようとするが、意外にもウツリが話に興味を持ったようなので手は引っ込める。
「じ、じゃあ僕も!」
俺は思わず目を見開く。マサリはいつもこんな感じだが、マツリもなのか。俺はもう少し二人に冷静沈着さを教えないといけないのだ。
「ええと、僕は、僕も…うーんと…何かするよ!何か、出来ることないですか?歌ならとっても好きなんだ」
「へえ…どんな歌うのが好きなのですか?」
「えっと、いろんなのです!教会育ちだから讃美歌とか…サーカスで歌っていたこともありました」
するとウツリは左手で必死に身振り手振りをするマサリの両手を受け止めながら、右手でマツリの片手をそっと掴んだ。
「それってもしかして、ベニトサーカス?聞いたことがあるの、とっても可愛い小さな猫耳のお嬢さんの歌は最高だって。」
「…!」
明らかにマツリは喜んでいる。耳がピョコピョコ動いてるからな…猫より犬みたいにも思えてしまう。
ウツリはパチンと両手を重ね合わせた。
「じゃあ決めた!せっかくだし、二人のご厚意に甘えちゃおうかしら?儀式の日、少しだけ盛り上げてくださる?」
「やった!」
「ありがとうございます!」
二人は同時に目を合わせ、大きなハイタッチを決める。仲良いな。
「貴方もそれで良いですか?」
「ええ、ありがたいです。すみません、落ち着きも礼儀もなくて…俺もなにか出来ること…山に向かうならその間の護衛ならば」
「ふふふ……ええ、お願いします。人のご厚意を無下にする方が失礼ですからね、サトリさん」
あれ、なんでこの人は俺の名前を。一瞬、俺が元勇者だと気づかれたのかと気分が高揚したが、光が地球を一周するスピードよりも早くにそれを否定する。ありえない。俺は少なくとも、出会って助けたことのない連中に覚えられていた試しがない。とはいえ、彼女の前では名乗った覚えがない。マツリも、マサリも俺の名前は言ってなかったはずだ。
「ペナイトン男爵、なぜ俺の」
「ところで皆さん、今日の宿は決まりましたか?もしよろしければ、儀式が終わるまでこちらでお過ごしになられては?」
俺の問いを最後までいうよりも前にウツリは大変心優しい提案を示してくれる。
「え、良いの?」
「ええ、この国の方達にとって今貴方方はその、非常に目立っておられるので…」
「あはは、確かに~!」
「僕、お泊まりするの初めてだ…」
「いや、それは流石に悪いんじゃ」
マサリと(これまた意外にも)マツリは全く気にしていないように軽い口調だが、対してウツリは言いにくそうに伝えてから、慌てて思い出したように机の上のとても良い香りで俺好みそうで、どこかで食べたことがあるようなクッキーを勧める。すごく気を遣わせてしまった。
「いえ…元は私の国の者の無礼ですからこれくらいは当然です。私が儀式で誤解を解きましょう」
「わあ、ありがとうウツリさん!」
「けれどこれは流石に…」
「人の好意は受け取った方がいいんですよ」
そうして少し笑うと、ウツリは俺の口許にクッキーを差し出した。
俺達は勧められるがまま、ザクザクのアイシングクッキーを口に放る。
「すごい、美味しい」
「本当?良かったわ、手作りなの」
「そうなのか?…んん、そうなんですね、すごい…」
「それほどでも。そうだ、皆さんのお話も聞かせていただけますか?とても素敵なお話を。」
「そりゃもちろ…」
ガタン。
ウツリはにこにこと笑い、俺もなるべく笑顔でいようと努めていたその時、目の前のマサリとマツリが突然机に突っ伏した。
「お、おいマサリ、マツリ!?」
何があったのかと慌てて二人を揺すってみるが、数秒後二人は可愛らしい寝息を立てていることがわかる。
「寝てるのか…?え、まだ晩飯も食ってないのに?」
って、違う!
どう見ても睡眠じゃない、気絶だろ。クッキーが原因だろ。
そうだ。俺は全く眠くはないし寧ろクッキーをもっと食べたいと思うが、それがそもそもの間違いだったんだ。
俺の味覚は野生動物にやや近いんだった。よからぬものも美味しく食べてしまうような…
「ペナイトン、これに一体何を混ぜたんだ」
俺はそう叫びながら咄嗟に二人の首根っこを掴んで後ろに跳び下がる。入り口にはこれまた動揺の色も見せない執事とメイドが入り口を塞いではいるが、とにかく貴族に恨みをなるべく高額で買わせないように配慮しつつ逃げ出すことだって出来る。殺さなくても人は動けなくなるし、とにかく今は二人が人質に取られないことだけ考えないと。手に取ったくせに机の上に置いて来てしまった財布を僅かに惜しく思いながら、俺は表情を崩さない聖女様を睨みつけた。