コハクとヒスイ
「ひーちゃん、朝よ。起きて」
少女、一文字コハクは布団ですやすやと眠る弟に声をかけた。
その一文字ヒスイはまどろみの中ゆっくりと覚醒の準備をしていた。
整った顔つきだが、まだ幼さがあり、男の子であるのだがまるで美少女である。
長めの髪もより一層そう感じさせた。
無防備に眠るその愛らしい姿に、姉コハクは母性本能をくすぐられ、おもわず頬がにやける。
その柔らかなほっぺたをいたずらそうに指でつついた。
「うーん・・・。」
ヒスイはゆっくりと目をさました。
長い髪をかき上げる。その頭頂部には狐の耳が生えていた。ヒスイがあくびをするとその狐耳はぴこぴこと動いた。
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古来よりこの世界には人間や動物の他に幽霊、妖怪と呼ばれる存在がいた。
妖怪の多くは無害な存在であったが、一部は人間を喰らったり、殺人に快楽を覚えるなど悪行を尽くすものもいた。そうした妖怪は悪行妖怪と呼ばれ人々の畏怖の対象だった。
そうした悪行妖怪に対抗するものがいた。
彼らは妖怪と同様、霊力を使いまたある者は人間に味方する妖怪を使役して戦った。
彼らは退魔士と呼ばれ、一般にはしられずとも長い間戦い続けてきた。
一文字家はそうした退魔士の高名な一族の一つだった。
あるとき、何代目かの当主が一族の霊力を強大なものとするため、禁断とされてきたことを行った。妖怪を伴侶として迎え、一族に妖怪の血をとりいれたのである。
しかしそのことが原因で、一族には数世代毎にに妖怪の形質を持って生まれる子供が生まれた。
人間であり妖怪である。
彼らは先祖返りと呼ばれた。
人間であり、妖怪である彼らは苦悩と隣り合わせだったことは想像に難くない。
先祖返りは、先祖返りの子供がなるわけでもなく、数世代に一度生まれた。
一文字コハクは先祖返りとして、一文字家の分家に生まれた。
生まれたときから、先祖の大妖狐の力を受け継ぎ、狐耳と狐の尾をもって生まれた。
また、巨大な狐へ変化することもできた。
そして何よりも強力な霊力だった。
感じるものを凍えさせるような霊力は、霊感度の薄いものにも危険を感じさせる凄みがあった。
一文字家本家の判断もあり、コハクは幼い頃から一文字邸の地下座敷に幽閉されて過ごすこととなった。幼い頃であれば自身の霊力を制御できず暴走する可能性もあったためである。
しかし幼い頃から幽閉され、化け物のように扱われ過ごす日々。
たまに監視下の元、一族の同年代の子供と遊ぶことが許されても、その獣の形質を伴った外観は他者との明確な違いであり、ついに心を許せる友人はできなかった。
そんな中、コハクの元へ訪れる唯一の存在がいた。
それが、コハクの弟、ヒスイだった。
両親からさえ遠ざけられていたコハクが当時心を閉ざしていたのも仕方がなかった。
それでもヒスイはめげなかった。
どんなに化け物と恐れられていても、姉の強さ・気高さはヒスイにとって憧れ模範であったためだ。あまり見せることはなかったが、ふとした瞬間に見せた姉の暖かなまぶしい笑顔が好きだった。
ヒスイにとっては大切な姉だった。
幼く不器用ながら純粋で暖かな愛。
コハクもやがてそれを受け入れるようになる。
やがてコハクはヒスイに依存していった。
コハクにとって、世界はヒスイかそうでないか。
日に日にその依存は大きく、歪んだ激しい愛情を育んだのである。
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ヒスイは一文字家の一員として、退魔の戦士として修業を受けていた。
霊力の練り方をはじめとする様々な術。またそれを円滑に使用するための体術。
幼いヒスイのモチベーションは、姉を守れる力を手に入れることだった。
あるとき、一文字家邸を強力な力をもつ悪行妖怪が襲った。
その悪行妖怪の目的はコハクだった。
コハクを喰らい、その妖力を手中に収める。
地下の座敷。
まさにコハクの目前だった。
コハクの手の錠は、霊力を封じる宝玉が仕込まれておりコハクは戦えなかった。
そこに駆け付けたのがヒスイだった。
まだ未熟ながら、戦いの才覚を目覚めさせつつあったヒスイは、人間と思えないほどの
霊力を発揮し戦いに挑んだ。
火事場の底力だった。
格上であった悪行妖怪に何とか致命的一撃を与えることに成功し、撃破した。
だが代償も大きかった。
コハクの目の前には、自身のために戦い、そして満身創痍で死にゆくヒスイだった。
「ヒスイーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
刹那、コハクの霊力は爆発的に上昇した。
周囲の空気は凍り付き、真空のようになる。
コハクを縛っていた封印の錠はその霊力の圧力に耐えられなくなり破壊された。
「ヒスイ、目を覚ましてよ!!ヒスイ!!!」
半狂乱になって、コハクはヒスイに縋りつく。
だが、それもむなしくヒスイは起きない。
そのときコハクは急に動きを止めた。
何かを思いついたようだった。
(そうだ、こうすればよかったんだ・・・。)
刹那。
コハクの顔は僥倖に歪んだ。
コハクは巨大な狐へと変身した。そしてその牙に特殊な霊力を込める。
牙は怪しく輝いた。
その牙を、倒れたヒスイへ、その右肩えあてがう。
そして、
ゆっくりと、しかし力を込めてかみ砕いた。
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「お、お姉ちゃん・・・?」
目を覚ましたヒスイの目の前には、コハクが心配そうにのぞき込んでいる姿があった。
「よかった、ヒスイ・・・。無事でよかった・・・。」
心底ほっとした様子だった。
ヒスイは体の感覚がおかしいことに気付いた。
いつもより軽やかだ。
そして頭にかゆみを感じ、異変に気付いた。
「え・・・?」
自身の頭頂部には、コハクと同様の狐耳が生えていた・・・!
吸血鬼は噛んだ相手を同族とする。
それと同様の術だった。
死にゆくヒスイにコハクは霊力を込めてかみつき、同族へと変貌させたのである。
「・・・・・・・」
状況が呑み込めず、自身の耳の感触を何度も確かめる。
その様子を見て、コハクは少しいたずらっぽく微笑んだ。
「ヒスイ。お姉ちゃんとお揃いだね・・・。」
その表情には、成し遂げた達成感と心からの感激を隠し切れないでいた・・・。