ⅷ 分析
窓から差し込んでくる光を感じ、デイヴィットはあわてて目を覚ました。
どうやら情報の収集及び分析中に思考回路がオーバーフローを起こし、落ちてしまったようだ。
この程度でへたれるとは、何が最新型だ。
あまりの情けなさにため息をついてから一つ大きく伸びをすると、彼は改めて室内に視線をめぐらせた。
ソファとテーブルのセットの向こうにはダイニングキッチン。
突き当りの扉の先は玄関へ続く廊下になっており、その右手にベッドルーム、左手にはバスとトイレ。
生活感のまったく感じられない、どこにでもあるマンションである。
そのソファの上でデイヴィットはつぶれてしまったという訳だ。
とりあえず部屋の明かりを落とし、廊下へと出る。
ベッドルームには、楊香が陣取っている。
耳をすますと、扉の向こう側からはカチカチというキーボードを叩く音がかすかに聞こえてくる。
どうやら楊香中尉は完徹したようだ。
その熱心さに頭が下がると同時に、デイヴィットは自らの至らなさを恥じた。
ルナ惑連本部前からこの『特務専用』のアジトにたどり着いた時、夜はかなり深い時間となっていた。
部屋に入るなり両者は各々、事件に関する情報の解析・収集を開始したのである。
扉の前で立ち尽くすデイヴィットの気配に気付いたのだろうか。
不意にキーボードを叩く音がぱたりとやんだ。
「どうしたの? 入ってらっしゃいよ」
断る理由は、無い。
失礼します、と小さく言ってからデイヴィットは扉を押し開いた。
デスクの上に置かれた端末機に背を向けて、楊香は苦笑を浮かべていた。
「ちょっと見て。なかなか面白い物を見つけたわ」
そう言うと楊香は戸口にたたずむデイヴィットに向かい端末機を指し示した。
一礼してからデイヴィットはおずおずと歩み寄る。
そして、モニターに視線を落とす。
そこには博士が住むマンションの防犯カメラの映像が映し出されていた。
おそらく楊香が惑連の権限を利用して、警備会社から入手したのだろう。
何故今さらと首をかしげるデイヴィットをよそに、楊香はキーボードを叩いた。
「まずここ。あのMPが交代のために入っていくところね」
楊香は白く細い指でモニターを指差す。
そこには、エントランスを抜けてエレベーターホールへと向かうMPの姿がしっかりと映し出されている。
それきり、出入りする人の姿は皆無。
「そして、これ。駆け込んで行く警備員達」
その言葉と同時に、数名の警備員達がわらわらと姿を現す。
と、楊香は突然映像を止めた。
「彼の言う通りですよね? 不審な人間の出入りは……」
「確かに映像の上ではそうね。でも、これを見て」
言いながら楊香はマウスを操作し、映像を巻き戻す。
一体何を見つけ出したのだろうか?
疑問を抱きながらも、デイヴィットはそれを見落とすまいとして息を飲みモニターを凝視する。
そして再び、事件の第一発見者となったあのMPがエレベーターホールに消えていく。
それから、しばしの静寂。
と、突然楊香は映像を止めた。
そこにはくっきりと、ある痕跡が刻まれていた。
それを目の当たりにして、デイヴィットは身を乗り出した。
「これは、一体……」
「普通の人間じゃ、ちょっと気が付かないでしょうね。やられたわ。私もすっかり見た目を鵜呑みにしてた」
モニターに映し出されていたのは、画面を縦に走る一本のノイズだった。
時間にして一秒を二十四コマに割ったそのわずか一コマ分。
楊香の言う通り、ヒトの感覚ではまずとらえるのは難しいだろう。
「見ての通り、この映像には手が加えられてる。おそらく警備会社のシステムに何らかの方法で侵入して、改ざんしたのね」
たぶんあのMPの証言を裏付けるようにエレベーター運行記録もね、と言い捨てて楊香は大きく伸びをした。
「でも……一体誰が……」
首をかしげるデイヴィットを、楊香はぎっと睨みつけた。
「誰も何も……博士にあの怪しげなメールを送りつけた人物に決まってるでしょ? あいつら次から次へと……」
二十四時間のカメラによる監視システムを完全に逆手に取られた。
言いながら楊香は悔しそうに爪を噛む。
そのまましばしモニターを見つめていたが、何やら思い立ったかのように突如としてキーボードを叩き始めた。
「な……どうしたんですか?」
驚いたように声を上げるデイヴィットには目もくれず、楊香はどなるように言った。
「あのMPの人事データを調べてるのよ。何かわかるかもしれない」
ほどなくしてモニターには目撃者を装った犯人のデータが映し出される。
両者は無言のまま、その経歴を目で追った。
ややあってデイヴィットはため息をつき、首を左右に振る。
「残念ですが……。彼とI.B.との接点は見つかりません」
一瞬の間にデイヴィットは自らをフル稼動させ、その経歴とI.B.が引き起こした事件とを照会したのだろう。
その言葉に、ようやく楊香は振り向き鋭い声で告げた。
「何もこれが彼の真実の姿と確定した訳じゃない。誰かとすり替わったのかも。調べましょ」
予想だにしない言葉にデイヴィットはニ、三度瞬き、恐る恐ると言ったように口を開く。
「あの……調べるって……一体……?」
と、楊香は身体ごとくるりと振り向くと黒い瞳でデイヴィットを睨みつけた。
「決まってるでしょ? ルナ出身者で、こいつと同年代の男性をよ!」
「ですが……それではあまりにも……」
「手始めに、こいつが惑連に入局した前後一ヶ月以内に死亡した人間から。それが駄目なら徐々に広げていけばいい」
こうなったら意地でも奴の尻尾をつかんでやる。
そう高らかに宣言すると、楊香は端末に向き直り一心不乱にキーボードを叩き始めた。
カメラへの小細工に気付かなかったのがよほど悔しかったというところだろうか。
もはやその眼中に、デイヴィットは完全に入ってはいなかった。
その後ろ姿にちらと視線を送ってから気付かれないように小さく吐息をつくと、デイヴィットは傍らのベッドに腰を下ろしテラ惑連のデータベースへの接続を試みた。
それにしても、膨大なデータである。
まずはあのMPと瞳そして肌の色が同じ人物で、かつ条件に当てはまる物を片っ端からつぶしていく。
沈黙の中、楊香のキーボードを叩く音だけが響く
一つデータを引っ張り出してからまた次へ。
そんな非生産的な作業が、延々と続く。
先に動いたのは、デイヴィットの方だった。
「楊中尉、ええと……。もしかしたら、彼かもしれません」
立ち上がり彼は、楊香の元へ歩み寄る。
そして、やや物憂げに長い黒髪をかきあげる彼女の脇から端末を操作する。
画面に浮かび上がったのは、どこにでもいそうな特徴の無い青年の顔だった。
「ダン・ロイズ。ルナ生まれのルナ育ち。あのMPとは随分と雰囲気が違うけど」
「骨格と耳の形は一致しました。恐らく彼が、第三者を自分として殺害し、その人物に成りすまして惑連に潜り込んだと思われます。それに……」
向けられてくる黒い瞳に、デイヴィットは画面をスクロールさせる。
そして一点を指差した。
「ここです。見て下さい。彼は十歳の頃、ルナのモナート空港でドライ加入前のI.B.の前身が引き起こしたハイジャック事件に巻き込まれているんです」
「ハイジャック事件? しかも犯人はI.B.? なら彼は被害者じゃない。どうしてその彼がI.B.の一員になってる訳?」
わからない。そう言うように楊香は腕を組み、小首をかしげる。
一方のデイヴィットは、事件のデータを確認する。
そして、あることに気付き気付きあっ、と声を上げた。
「どうしたの、急に?」
怪訝な表情を浮かべ振り返る楊香に、彼は早口で告げた。
「この事件、No.3……大佐殿が関わっています。今回のアダムス博士の件と結びつけるのは時期尚早でしょうか?」
確かに博士は初期の開発メンバーに名を連ねている。
何か引っかかるものを感じた楊香は、件のハイジャック事件のあらましを調べ始めた。