ⅴ 襲撃
時間は数時間前にさかのぼる。
第一捜査室長の執務室では、気まずい沈黙が流れていた。
その場にいるのは他でもない。
昼行灯と陰口をたたかれているその部屋の主と、直属の部下である黄暁龍である。
普段から折り合いの悪い両者であるが、この日はアダムス博士事件の捜査状況説明のため、『いやいやながら』暁龍が足を運んだのである。
どんよりと濁った瞳で暁龍を眺めやりながら、室長はぷかぷかと煙草をふかしている。
報告を受けるのにその態度はなんだ。
怒鳴りつけたくなるのをぐっとこらえ、暁龍は小脇に抱えていたファイルを室長に向けて突き出した。
これは、とでも言うように見返してくる室長に、暁龍は努めて冷静で丁重な口調で切り出した。
「昨日までのアダムス博士失踪事件の報告書をお持ちしました。ご一読下さい」
そうか、と言いながら室長はのろのろとファイルを手に取る。
そして、煙草をくわえたまま書類をめくりはじめる。
珍しく最後の一ページまで目を通すと、室長はファイル越しに暁龍を見やる。
「で、君の見解はどうなのかな?」
あまりにも緊張感の無いその問いかけに、暁龍は舌打ちしたい衝動に駆られる。
そして、自らに組み込まれた人間たらんとするプログラムを呪った。
が、辛うじて諸々の思考を押さえ込むと、眉一つ動かすことなくファイルを受け取り答えた。
「確かにI.B.の関与は濃厚かと思われます。ですが、まだ断定するには時期尚早かと……」
「そう考える根拠は?」
珍しくまともな反応に、暁龍はおや、と室長を見つめる。
が、その言葉とは裏腹に、室長の瞳は相変わらず濁ったままだ。
期待した自分が馬鹿だった。
そう判断した暁龍はファイルを小脇に抱え、無関心を装って言う。
「何より、まだ確実に関与を裏付ける証拠が出ていません」
そうか、とつぶやき室長は煙草をもみ消す。
そして組んだ指の上にあごを乗せ、上目使いに暁龍の顔を見上げる。
その目にいつにない光を認め、暁龍は反射的に姿勢を正した。
「しかし、上……テラの考えはその限りではないらしい」
「……はい?」
果たして今自分はどのような表情を浮かべれば良いのだろうか。
計りかねて暁龍はわずかに首を傾げる。
そんな彼を意に介する様子もなく、室長はいつになく淡々とした口調で続ける。
「今朝方、テラから連絡があった。いや、正確に言えば非公式な命令かな」
「命令……ですか?」
ああ、と室長は鷹揚にうなずく。
何と返答してよいかわからず、暁龍は無言のまま続きを待った。
「まあ何だな。早い話が捜査の打ち切り命令だ。今後一切、この件から我々は手を引くことになった」
一瞬の沈黙。
どん、と暁龍はデスクに手のひらを叩きつけた。
「それは一体、どういうことです? このまま未解決のまま放置しろと言うのですか?」
納得がいかない。
そう言うように暁龍は声を荒らげた。
そんな部下を室長は何故か微笑を浮かべながら見つめている。
「そこまで私に言わせたいのかな? やれやれ、野暮だなあ」
一体どういうことなのか。
自分はこの室長に良いようにからかわれているのではないだろうか。
だとしたら、そんな物に付き合っている暇はない。
大声で怒鳴りつけようとしたその耳に、想定外の言葉が飛び込んできた。
「つまりは、事件は我々人間の手を離れ、君達の領域に入ったと言うことだよ。今後は君らが独自に捜査に当たれ、とのことさ」
暁龍は自らの聴覚を疑い、大きく目を見開いた。
相変わらず室長の顔には穏やかな微笑が浮かんでいる。
一つ息をついてから、ようやく暁龍は言葉を絞り出す。
「ご存知……だったのですか?」
文字通り驚きの表情を浮かべる暁龍に、室長はおかしくてたまらないとでも言うようにくすくすと笑った。
「正直、君を実際に目の前にしても信じることはできなかったよ。いや、今もまだ疑っているくらいだ」
つまりは、ことさら暁龍に対して反対意見を述べていたのは、いかにスムーズに捜査権をテラへと移管するための演技だった、と言うわけである。
これが『ヒト』特有の経験値、と言うものか。
それを見せつけられて、暁龍は言葉に詰まった。
一方部長はと言えば、今まで見せたことのない鋭い表情を浮かべていた。
「敵を欺くのは味方からと言うが、さんざんこきおろして済まなかった」
「いえ、お気遣い感謝いたします。この上はご期待にそえるよう……」
その時だった。
急に室内の電灯が不自然に点滅を繰り返す。
そして、全館内にけたたましい非常ベルが鳴り響いた。
何事かと室長が腰を浮かしかけた時、鈍い音が室外から聞こえてきた。
「……何だ?」
常のごとく不機嫌な表情を浮かべ、暁龍は扉へと歩み寄る。
やはり異変を感じたのか、室長もデスク上の端末機をしきりに叩いているのだが、反応は無いようだった。
一方、暁龍は扉の前に立ったものの、開閉のセンサーが反応する気配は一向に無い。
どうやら何らかのセキュリティーシステムが発動したようだ。
先程の鈍い音は、廊下で防火シャッターの類が降りた音だろうか。
そう判断した暁龍は、一つ息をついてから扉の脇にある非常コックに手をかけて、手動で開閉できるように切り替える。
そして、ゆっくりと扉を引いた。
薄暗い廊下の所々には、ぼんやりと非常灯が灯っている。
やはり館内で非常事態が発生したらしい。
しかし、それにしても爆発や火災等々それらしい気配は察知できなかった。
果たしてどこで何が起きたのだろう。
一体何が起きたのかを確かめようとして、暁龍は室外へ一歩足を踏み出す。
と、暗がりから足音が近付いてくるのが聞こえた。
「……何かわかったか?」
背後からの室長の声に、暁龍は首をかしげる。
そうこうするうちに、足音はどんどん大きくなってくる。
暗がりの中、ゆらりとと人影が浮かび上がった。
そして、光の加減であらわになったその顔に暁龍は息を飲む。
そう、それは間違えようもない。アダムス博士失踪の第一発見者となった、あのMPだった。
それ以前にここは、一介のMPが足を踏み入れられる場所ではない。
「おい、一体何をしている? このフロアは一般職員の立ち入りは禁止されている区域だぞ」
が、声をかけられたそのMPの顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
刹那、その右手から鈍い光が閃いた。
何かが起きた。
そう認識した時だった。無防備に立ちつくしていた暁龍の脇を、一筋の光が通り過ぎていく。
慌てて振り向いた時は、既に遅かった。
「……室長!」
暁龍が叫ぶと同時に、室長はスローモーションのように倒れた。
その右脇腹からは血が流れ出し、床に赤い池を作っている。
MPの手に握られていたのは他でもなく、警備要員に配備されている、小型の光線銃だった。
「貴様が……まさか……!」
が、MPは答えない。薄笑いを浮かべたまま、再び銃を構える。
そしてまったくためらう素振りも見せず引き金を引く。
が、今回は放たれた光線はむなしく虚空を切った。
すんでのところでそれをかわした暁龍は無駄の無い動作で素早く身を沈めると、右の拳を胸ぐらめがけて繰り出した。
が、それは空振りに終わった。MPは笑みを崩すことなく、後ろにステップを踏みやり過ごしたのだ。
「へえ。私服組最強の噂は、あながち嘘ではなさそうだな」
ふてぶてしい台詞を吐きながらMPは銃を収める。
そして挑発するように両の拳を構えて見せた。
表情を動かすことなく身構える暁龍に向かい、MPは唇の端をわずかに上げた。
「せめてもの礼儀だ。きっちりと素手で返り討ちにしてやるよ」
「抜かせ!」
短く叫ぶと、暁龍は低い姿勢を保ったまま鋭く踏み込んだ。
頭上をMPの回し蹴りが通過する。
その一瞬に生じた体勢のぶれを狙い暁龍は足払いを仕掛けるが、あえなくかわされた。
しかし、すぐさま立て直すと今度は腹部をめがけて拳を突き出した。が、MPの強靭な腕に阻まれ到達することはできない。
あわてて暁龍は後ろに飛びすさり、間合いを取った。そしてわずかに首を傾げる。
先ほどから何かがおかしい。
自分の動き一つ一つが読まれているようだ。
まるで同じ流儀を学んだかのような……。
だが、暁龍はその可能性をあり得るはずが無い、と否定する。
暁龍達『doll』に入力されている格闘データは、すべてNo.3の持っていたそれ……惑連宇宙軍のものを元にしている。
このMPがI.B.構成員だとしたら、一体どこで……。
頭の隅に生じた迷いを、暁龍は断ち切った。
薄ら笑いを浮かべるMPをぎっと睨みつけると、渾身のパンチをその顔面に打ち込む。
捕らえた。
そう思った刹那だった。腹部に突如として痛みが走る。
暁龍の眼鏡が外れて床に落ち、レンズが粉々に砕け散った。
視点を落とすと、MPの膝が小龍の腹部にめり込んでいた。
なすすべもなく倒れ伏す暁龍の頭上を、せせら笑いが通過していく。
「残念だったな、大尉殿。俺達I.B.の格闘訓練プログラムは、ドライ……サード仕込みなんだ。正真正銘惑連宇宙軍のな。恨むんなら俺じゃなくて、惑連を恨むんだな」
MPが何を言っているのか聴覚では捕らえていたが、暁龍は理解することができなかった。