ⅳ 片鱗
他でもない彼ら『Doll』は、『ヒト』が従事するには危険すぎる任務に専従するために造られた人工生命体である。
すでにI.B.対応要員として二体の『Doll』が着任しているにも関わらず新たにデイヴィットが派遣されてきたということは、この事件の解決にはそれなりの危険を伴うと惑連情報局は踏んでいるのだろう。
「聞かなくてもご存知なのではないですか? 上はI.B.の関与を疑ってますし、事実犯行声明も出ています」
やっぱりそうか、と楊香はうなずく。
だがすぐにやっぱりおかしいとでも言うように首をかしげた。
「じゃ、仮に犯人はI.B.だとしましょうか。だとしたら、その目的は何?」
問いかけられてはたとデイヴィットは固まった。
そんな彼に、楊香は腕を組みながらさらに続ける。
「昨日も言ったけれど、彼らが何らかの研究開発をもくろんでいるのなら、主流を外れたアダムス博士を狙うより新進気鋭の研究者を取り込んだ方が、手間もかからないしリスクも低いんじゃないかしら」
確かに楊香の言う通りである。
何故危険をおかしてまで惑連の監視下にある博士を拉致したのか。
疑問と言えば疑問である。
「確かにそうですが……と、これは何ですか?」
おもむろにデイヴィットは画面を指差した。それは、未分化というファイルである。
ああ、と言いながら楊香はそこをクリックした
「アドレス帳に登録していない所から来たメールが入るみたい」
その言葉の通り、ずらりと並んでいるのは、いわゆる古典的なフィッシング詐欺と思しきものや出会い系への誘導等々、なかなか怪しげな物である。
それらフィルタリングの網をかいくぐったメールの中、少し奇妙な物がある。
差出人及びタイトルは、未記入である。
一体これは何だろうか。
両者は顔を見合わせた。
「着信日時は……失踪推定時刻直前、か。何か関係あるのかしら」
そうつぶやくと、楊香はメールを開こうとする。
と、その時だった。
突如画面は暗転し、どのキーを押しても反応しない。
楊香の表情が、わずかにこわばった。
冷静にリセットボタンを押し、再起動させる。しかし画面に表示されるのは、OSの再インストールを指示するメッセージだった。
黒いモニターを前にして、楊香は短く舌打ちした。
「これは、一体……」
「やられたわ。データをすべて消去されてる。たぶん、一定回数以上閲覧されたら自己破壊するプログラムが添付されてたのね」
さも悔しいと言わんばかりに楊香は爪を噛む。
だが、すぐににらみつけるようにデイヴィットの顔を見上げた。
「私の端末を持ってくる。データの復元ができるかどうか、試してみるわ」
立ち上がり、楊香は室外へと消える。
玄関先に置いた鞄の中にある端末機を取りに行ったのだろう。
その後ろ姿と、黒いモニター。
双方を見比べてからデイヴィットは深々とため息をつく。
とりあえず報告をしなければ。
デイヴィットは目を閉じ、ルナ惑連経由で所属する情報局のホストシステムに接続を試みた。
しかし……。
「どうしたの?」
背後からの問いかけに、デイヴィットは首を傾げながら振り返る。
困惑する、という状況はまさにこんな事態を指すのだろうと分析して。
「今、惑連と定時報告をしようとしたんですが、反応がないんです。妙だな、と……」
「ビジーなんじゃないの? ほら、端末をつなげるからちょっとどいてくれるかしら」
後でもう一度試してみたら、と軽く受け流し楊香は小型端末機とケーブルを引っ張り出した。
そしててきぱきと配線を完了すると、双方の電源を入れる。
軽やかに彼女がキーボードを叩くと、黒いモニターに白い文字が浮かび上がる。
「物理的にハードディスクを破壊しない限り、データを完全に消すことは難しいからね。もっとも相手がそこまで入念なプログラムを組んでいたらお手上げだけど」
そうでないことを祈ってちょうだいね、と言いながらも、楊香の視線は画面に固定されている。
延々と連なる文字列を眺めやることしばし。
その中にある一文を認め、瞬間彼女の表情はぱっと輝いた。
「見て、これよ!」
あわててデイヴィットも画面にかじりつく。
そこに浮かんでいたのは、不気味な一文だった。
「……助けてくれ、Third……。これって、一体……?」
誰か、というのは愚問だった。
このルナにおいてThirdと言えば誰をさすか、幼い子どもでも知っている。
I.B.の指導者であり、伝説の闘士ドライ。またの名をThird──サードである。
「これでI.B.と博士がつながったわね。でも、一体どうして……」
楊香の言葉を受けて、デイヴィットは手持ちのデータからアダムス博士の経歴を再確認する。
ハイスクールまでをルナで過ごし、大学でテラに留学。
医学部を優秀な成績で卒業後惑連に入局するも、研究方針の不一致から辞職。
その後ルナに戻り地域の診療所へ勤務、となっている。
その経歴や親戚知人には、I.B.の影を見ることはできない。
それ以前に万一関係があったとしたら、惑連に入局できる訳がない。
あいかわらず爪を噛みモニターを見つめていた楊香は、おもむろにキーボードを叩き始めた。
現れたのは、メール発送元の情報だった。
「このホスト、あなたのデータにある?」
声をかけられて、デイヴィットはあわてて画面を見つめた。
数秒の空白。
デイヴィットはその情報を自らが持つデータベースと照会したが、首を左右に振った。
「色々なサーバを経由していますね。しかもすべてレンタルです。おそらく登録情報はすべて虚偽の可能性もあるでしょう」
「やっぱり駄目か。ま、これだけのプログラム能力があるならそのくらい小細工してて当たり前ね。どうもありがとう」
再び吐息をつくと、楊香は自らの端末機に該当のデータをコピーし始めた。
それが終わるまでの間、デイヴィットは再びホストへの接続を試みる。
しかし、やはり反応は無い。
いかに大量のデータを処理しているとはいえ、天下の惑連である。
それなりの処理能力は備わっているはずだ。
これほどまでにビジー状態が続くことなどあり得るのだろうか。
おかしい。
何かあったのではないだろうか。
虫の知らせ、という言葉はこういう状況を指すのだろうか。
言葉を失うデイヴィットに、楊香は声をかける。
「どうしたの? 何か問題でも?」
「惑連からの応答がまったくないんです。ビジーにしても、少し長すぎるのではないかと……」
そうなの、と言いながら楊香はポケットを探った。
手にしたのは携帯電話である。
そして通話ボタンを押して耳に当てる。
待つことしばし。
沈黙のままその姿勢を保っている彼女を、デイヴィットは固唾を飲んで見つめている。
が、一向に応答は無いらしく、会話が始まる気配は無い。
「……確かに妙ね。あいつはどんな時でも五コール以内には出るはずなのに」
あの几帳面な黄暁龍は、会議などで出られない時は、必ず留守電に切り替えているはずだ。
そう真剣な面持ちでつぶやいて、楊香は電話を切った。
「そういえば今日、大尉殿は上席の方に報告に行かれるとおっしゃっていましたよね?」
それが長引いているのではと言うデイヴィットに、楊香は首を左右に振った。
「あの室長とまともに話し合いしてるとは考えられないわ」
自分達が離れている間に、惑連の中で何かが起きたのかもしれない。
その結論に達したのだろう。
楊香は乱暴に配線を引き抜くと、端末機を抱えて立ち上がる。
「行きましょう。何かが起きたなら、それなりの対処をしないと」
踵を返し歩き出す楊香の後を、デイヴィットはあわてて追う。
楊香の予想通り、彼らの目に見えない所で事態は静かに動き始めていたのである。