ⅲ 犯行現場
「現場に行きたい?」
そう言うと同時にNo.18こと黄暁龍は眉を跳ね上げ、眼鏡の奥の瞳を細めた。
そのあまりの鋭さにNo.21ことデイヴィット・ローは反射的に姿勢を正し、こくこくとうなずいた。
朝っぱらから面倒なことを。
そう言いたげなのを隠そうともせずに、暁龍は行儀悪く机に腰をおろすとデイヴィットの顔を上目遣いにみつめた。
蛇ににらまれた蛙のように硬直するデイヴィット。
そんな様子に暁龍はやれやれとため息をついてから、受話器を取り上げ何やら話し始める。
待つこと数分。
現れたのは美貌の捜査官、No.17こと楊香だった。
いたずらっぽい笑みを浮かべながらご用でしょうかと冗談めかして言う楊香に、暁龍は面白くなさそうにぼそりと告げた。
「お客人が現場視察をご所望だ。頼めるか?」
瞬間、楊香の瞳がきらめいた。
良からぬことを感じてデイヴィットは思わず身構える。
が、戻って来たのは生真面目な言葉だった。
「差し支えありません。ですが、本日はここ数日博士と接触した人物を再び洗うことになっていましたが?」
「俺が代わりにやる。何より現場に出向くなら、俺より貴官の方が適任だと思うが」
「確かに無愛想な男性よりはたおやかな女性の方が都合良いこともありますね」
「……何か?」
「いいえ、何も」
不機嫌そうな暁龍の視線を真正面から受け止めて、楊香はにっこりと微笑んだ。
これは役者が違う。
そうデイヴィットは理解した。
しかし、これ以上ややこしいことになっても困るので、無関係を装って両者のやり取りをやや離れた所で静観することに決めた。
が、そんなデイヴィットの視線は不幸にも暁龍のそれとぶつかる。
気が付いた時にはもう手遅れだった。
「……まだ他に何か?」
ぎろりと睨み付けられて、デイヴィットは再び硬直する。
そして慌てて首を左右に振った。
そんな様子に暁龍はつまらなそうな表情を浮かべ、腕を組みながら言う。
「昨日の調査結果と会議の内容を室長に報告しないとならないんだ。何もないなら早々に……」
「はいはい、了解しました。さ、ご案内します。どうぞこちらへ」
暁龍の雷が落ちる前に楊香が助け舟を出す。
この上なく不機嫌な暁龍の視線を背に受けながら、デイヴィットは楊香に手をひかれその場を後にした。
※
本部ビルを出て目抜き通りを進むことしばし。
渋滞にはまることなく、車は楊香の運転で快調に飛ばしている。
「ハイウェイに入って一時間半くらいかしら。帰りもこの調子なら、夕食は首都で取れるわよ」
が、助手席のデイヴィットの表情はいまいちすっきりしない。
どうしたの、と言うように首をかしげる楊香に、デイヴィットはすみませんと断ってから切り出した。
「先ほど大尉殿がおっしゃっていた、室長という方は一体……。昨日の会議ではお見かけしなかったようですが」
その言葉が終わるやいなや、楊香は破顔した。
車内には明るい笑い声が響く。
何が何だか理解できずにデイヴィットは押し黙る。
バックミラー越しにその戸惑いを見て取ると、楊香は言った。
「室長はね、私達の直属の上司。でも、退官間際の事なかれ主義者。おかげで彼とはしょっちゅう対立してるの」
そうですかと相槌を打ってから、改めてデイヴィットは第一捜査室長なる人物のデータを検索した。
弾き出された経歴によると、長年事務畑を可もなく不可もなく勤め上げてきた人物らしい。
「先方が名誉職と割り切って何も口出ししなければ、ややこしいことにはならないんだけど、何かにつけてチクチク言ってくるのよね。で、あいつが切れかけるって訳」
もっともそれは自然な反応だから、怪しまれなくて良いのかもしれないけれど。
そう締めくくる楊香の横顔をデイヴィットはまぶしげにみつめていた。
そのまま他愛のない会話をすることしばし。
話が彼らの『生みの親』であるジャック・ハモンドの近況に及んだころ、車はハイウェイを降りた。
惑連を初めとする首都の超高層ビル群ほどではないが、片側三車線道路の両脇にはビル群が立ち並んでいる。
こちらはぱっと見た限り、煤けた様子は見受けられない。
首をかしげるデイヴィットに気づいたのか、楊香は前を見たまま口を開いた。
「こっちを開発したのは、テラの資本が入っていないルナの企業なの。I.B.が求めているのは、テラからの独立でしょ? ここの街には追い出すモノが無いから、テロの対象にはならないって訳」
なるほど、とうなずいてからデイヴィットは窓の外に視線を巡らせた。
気のせいかもしれないが、道行く人々の表情も心なしか生き生きとしているように見える。
そうこうするうちに楊香はハンドルを切った。
車はマンションの一つに入っていく。
「ここがアダムス博士のマンションよ。管理人さんには話ついているから」
地下駐車場に車をとめると、二人はエレベーターに乗り込み事件現場へと向かった。
※
五十階建ての三十六階に目指す一室はあった。
さすがに遺体は片付けられていたが、廊下のタイルの目地には、まだ生々しく血がこびりついている。
察するに、犠牲者はおそらく即死だろう。
苦しまずにすんだのが、せめての救いかもしれない。
「同じ階に住んでいる方々は? 何か証言は取れたんでしょうか」
この状態ではいい思いはしていないでしょうと言うデイヴィットに、楊香はわずかに肩をすくめて見せた。
「この階は、惑連の借り上げ状態よ。四六時中博士の動向を監視するために、隣室にはMPや捜査員が詰めていたの」
それを出し抜かれたのだから本部が焦るはずよね、と笑う楊香に、デイヴィットはプログラムされた驚きの表情を浮かべる。
「そんな……じゃあ、博士の人権は完全に無視じゃないですか? なぜそこまでして……」
「それほどまでに惑連の秘密は守られなきゃいけないことなのよ。ま、無駄な努力だけれどね」
言いながら楊香は博士の部屋のドアにカードキーを通した。
短い電子音と同時にカチリと小さな音がする。
釈然としないと言った様相のデイヴィットをよそに、楊香はノブに手をかけた。
抵抗することなく開くドア。
まるでその部屋の主のような仕草で楊香はデイヴィットを室内へと招き入れた。
大きなリビングにキッチン、書斎と寝室にバスルーム。
ざっと見た限り室内には争ったような形跡は無く、女性の一人暮らしに相応しく明るく整頓されていた。
「博士は抵抗しなかったんでしょうか? まるで今にも戻ってきそうな感じですよね」
「ドアを開けたら血の海だったらどう? か弱い女性でなくても抵抗する気力は失せるでしょうね」
確かに楊香の言う通りである。
人であれば誰しも自分の命が大事と思うだろう。
目の前に死体を突きつけられては、恐怖で正常な判断ができなくなっても無理はない。
犯人は最も効果的な脅迫手段を使ったことになる。
だが、博士は医者だ。
血や死体に対しては、普通の人間よりも免疫があるのではないか。
しかし、明確な答えは出てこない。
やれやれと溜め息をつきながら、デイヴィットは書斎に足を踏み入れた。
失礼します、と声をかけてみても無論返事が戻ってくるはずもない。
苦笑を浮かべながらデイヴィットは室内を注意深く観察した。
壁には隙間無く本棚がしつらえてあり、電子書籍が主流な今時では珍しい紙製の本がびっしりと詰まっている。
どこかでこんな風景を見たことがある。
そう、あれは……。
記録を手繰り寄せようとした時、楊香の声が割って入った。
「さすがに元同僚なだけあるわね。似てると思わない? ᒍの部屋と」
なるほど、とデイヴィットは手を打った。
確かにその量の違いはあれども部屋にあふれる本の山という構図は、かけがえのない友人であり、かつ彼ら特務の開発責任者ᒍことジャック・ハモンドの研究室とどこか似通っていた。
納得してうなずくデイヴィットの脇をすり抜けて、楊香はデスク脇の椅子に腰かける。
わずかな振動でスリープ状態になっていた端末が起動した。
と、楊香はマウスに手を置き操作する。立ち上がったのはメールである。
受信リストを眺めながらデイヴィットは何とはなしに楊香に尋ねた。
「博士の行動は、どの程度監視されていたんです?」
「そうね、最低限のプライバシーが保たれる程度っていうところかしら。手紙の類は差出人のチェックが入るし、論文発表となると事前に機密に抵触しないか検閲が入る。もちろん電話の通話記録もね」
その言葉に、デイヴィットはそうなんですかと答えてから窓の外へと視線を泳がせた。
四角い窓の向こうには、四角い青空が広がっている。
惑連を辞めてこの星に移り住んでから、博士は本当に解放されたのだろうか。
いや、さぞや窮屈な生活を強いられていたことだろう。
そんな生活が待っていると知りながら、どうして博士は惑連を離れたのだろうか。
理解不能。
人間とは本当に複雑な生き物だ。
そんな分析をしながらデイヴィットは壁にしつらえられた本棚を見つめる。
半数は医学の専門書で、残り半分はどうやら哲学関係の書籍らしかった。
医学書はまだしも、なぜ正反対の分野とい言える哲学書を博士は揃えていたのだろう。
そして、どんな思いでそのページをめくっていたのだろう。
疑問は増えるばかりである。
頭を抱えるデイヴィットをよそに、楊香は勝手に端末をいじっていた。
「ちょ……良いんですか、勝手に?」
「データを改ざんしなければ問題無いでしょ。博士の交友関係はどっちみち今日調べる予定だったんだし」
そう言って楊香はさらに画面を展開させる。
まず目に付いたのは、通信販売関連のいわゆるダイレクトメールである。
飲料水をはじめとする生活用品、衣料品、古書などが主な利用目的だったらしい。
それらは店舗毎にフォルダが作られ、几帳面に整理されていた。
次に目を付けたのは友人関係のフォルダで、こちらは同窓会の知らせなどが主で、特別親しい友人はいないようだった。
「アダムス博士はお一人住まいですよね? 尋ねてくるお友達や……ご家族はどうだったんでしょうか」
首をひねるデイヴィットに、楊香は画面を注視したまま答える。
「ここに移ってきてから、交流は皆無。ご両親はご健在だけど、惑連入局後疎遠になっているみたい」
「なら……ならどうしてわざわざ、辞職後博士はルナに戻られたんでしょう」
そうね、と言いながら楊香は形の良い脚を組み直した。
しばしの沈黙の後、これは自分の立てた仮説だけど、と前置きしてから切り出した。
「何よりも大切に思っているからこそ、巻き込みたくはない。けれど、自分の寄りどころには変わりない。そんな複雑な感情が働いて、今の距離感を生み出したんじゃないかしら。……それよりも」
すい、と楊香は目を細める。そして肩越しにデイヴィットの顔を見つめた。
何事だろう。
反射的に身構えるデイヴィットに、楊香は妖艶な微笑を浮かべて見せる。
「テラは一体、何を考えているのかしら。惑連の元関係者とは言え、一介の町医者の失踪にどんな裏があると思ってるの?」
やはりその話か。
デイヴィットは納得した。