ⅱ 会議
事件が起きたのは、一週間前のことだった。
ルナ第二の都市であるブランカ地区在住の勤務医キャスリン・アダムス博士が、自宅マンションの部屋から突如姿を消したのである。
博士はかつて惑連に研究員として勤務していた経歴があり、その職務内容は惑連の機密事項に関わるものであった。
博士を介してその機密が流出するのを未然に防ぐため、彼女の行動や交流は惑連の監視下に置かれており、常時惑連が派遣したMPが警備をしていたにも関わらず、だ。
当初、事件はすぐに解決するであろうとみられていた。
が、その見通しは大きく外れた。
今現在に至るまで、ルナ惑連は犯人はおろかその手がかりさえ見つけられずにいた。
遅々として捜査が進まない理由の一つに、博士がどのような機密に関わっていたのか捜査本部にすら公開されていないことがあった。
それもそのはず、博士達が行っていた研究は惑連が定めた生命倫理基準に抵触していたのだ。
公にできるはずもない。
しかし、それはルナのテラ惑連不信の感情を高めるには充分なことだった。
上座で捜査の進展状況を聞いている暁龍の顔を見ながら、デイヴィットはふとそんな分析をしていた。
潜在的な反テラ感情も手伝って、捜査に本腰が入っていないのだろう。
そう結論付けると、改めてデイヴィットは黄暁龍という人物を気付かれないようにそっと見やった。
それにしても、誰かに似ている。
整った顔に浮かぶ不機嫌な表情を差し引いて、顔面骨格パターンを蓄積されているデータベースと照合する。
作業はさして時間はかからなかった。
何故なら比較的最近出会った『人物』……No.5と一致したからである。
表情を動かすまいと細心の注意をはらいながら、デイヴィットは暁龍のデータを確認する。
と、あることに気が付いた。
暁龍作成の原型になった遺伝子は、他ならぬNo.5だったのだ。
通りで既視感を覚える訳だ。
納得してデイヴィットは、ようやく落ち着いて手元にある事件資料に目を落とす。
先程配られた、今日午前中にまとまった最新のそれには事件現場の画像が克明に記されていた。
室内にまったく荒らされた形跡は無いのだが、玄関の付近には飛び散った血痕がある。
聞けば、失踪当時任務にあたっていた二人のMPが、この場所で殺害されていたのだという。
気が付けば、事件の第一発見者となった交代のMPが起立し発言していた。
「正直、現場の状況はひどかったです。血の海なんて生易しい物じゃありません」
一度言葉を切って、男はぐるりと周囲を見回す。
暁龍が無言でうなずくのを確認してから、男は息を飲み込んでから言葉を継いだ。
「血だけじゃなくて内臓は飛び散っているし……。オレ……ではなくて自分は未だにミートソースのパスタは食えません」
男が額に浮かぶ脂汗をぬぐうのとは対照的に、暁龍は無表情を保ったまま発言を聞いていた。
手元資料によると、交代のためにこの男が現地に到着した時にはすでに博士の姿はなかったという。
「行き違いに博士や犯人の姿は見なかったか?」
じっと暁龍に見据えられて、男は首を力強く左右に振る。
「まさか! エレベーターは一階と最上階に止まっていました。動いてはいません」
彼の言う通り、防犯カメラには不審な人影は映ってはいない。
奇妙なことに、出て行く姿も入ってくる姿も、である。
マンション内に犯人や博士が残っている可能性を視野に入れて捜査をしたのだが、徒労に終わった。
仏頂面でしばし黙考していた暁龍であったが、その指先を机上の端末に走らせた。
同時に各人の前に据えられているモニターに、何やら浮かび上がる。
と、人々の口からどよめきがもれた。
まったくそれを意に介することなく、小龍はおもむろに切り出した。
「I.B.による犯行声明です。便乗か否かは定かではありませんが、以後念頭に入れて捜査を進めます」
※
ようやく重苦しい空気から解放されて、デイヴィットは大きく伸びをした。
「終わったとたんに大あくびとはいい身分だな、No.21」
冷気さえも感じられる、だがどこか耳慣れた声に、彼は振り向く。
死角から姿を現したのは他でもない、黄暁龍大尉……〇一二・〇・〇一八、通称No.18である。
先ほど同様に、一片の愛想も感じられない視線を正面から受けてデイヴィット……No.21は無理矢理笑顔を返そうとしたが、不発に終わった。
「……いきなり妙な所から出て来ないで下さいよ、大尉殿。趣味を疑われますよ」
「そんな物好きな憶測をする奴なんざ、ここにはいない。まあいい。こんなところじゃあ安心して話せやしない」
無愛想に言い放つと、無言でついてくるように促し黄大尉は先に立って歩きはじめた。
No.21はあわててその後を追う。
「待って下さいよ黄大尉。こっちはまだ来たばかりで不馴れなんですから……」
「いちいち名前で呼ぶな! いいから早く来い!」
振り向きもしない『先輩』の姿に、No.21はため息をつくしかなかった。
※
「で? 本当の所、当局はどう思っているんだ?」
主の性質を写しているかのような無機質な個人執務室に入るや否や、黄大尉は切り出した。
だが、No.21が答えるよりも早く、デスクに腰をかけた先客が妖艶な笑みを浮かべながら口を挟む。
「まったく、さっきまでの常識人はどこへ行ったのよ。そんなんじゃ、出世しないわよ? 大尉殿」
出鼻をくじかれた黄大尉ことNo.18を尻目に、楊香……No.17はさらに笑った。
「一つ事件を片付けてきたばかりだっていうのに、ねぎらいの言葉さえないなんて。ねえ?」
急に話を振られて、勢い良く首を横に振るNo.21に対し、No.18は相変わらず面白くなさそうだった。
「いい加減にしろよ中尉。どうせ俺らは使い捨ての道具に過ぎないんだ。気を使うだけ時間の無駄だ」
「え? それ以前の問題じゃないの? 円満な人間関係無くして任務の完遂はできないと思うけど?」
まったく動じる様子の無いNo.17に対する反論を諦め、No.18は改めてNo.21に向き直り、先刻の質問に答えるよう促した。
噂通りの両者のやり取りに沈黙していたNo.21は、あわてて姿勢を正した。
「犯行声明が出る前から上はI.B.を疑っているフシはありましたから……もっとも『あの事件』にもテロ組織が絡んでいるんじゃと考えてたようですから、何とも言えませんが」
「実際はテルミン博士を焚き付けた一企業の単独犯というわけか。しかし、今回関与を疑う根拠は? 奴等に何かメリットがあるのか?」
解らない、とでも言うようにNo.18はNo.17を顧みる。
だが、No.17も等しく首を横に振るだてだった。
「キャスリン・アダムス博士は研究面では主流派ではないわよね? 仮にI.B.が何かを企んでいるなら、別の研究者を巻き込んだ方が、色々な面でリスクが少ないと思うけど」
「あの、ᒍから聞いた話なんですが……」
何気無くNo.21が口にした彼らの『生みの親』の名に、No.18は明らかに『嫌悪の表情』を見せる。
が、辛うじてそれを押さえ込むと、続きを促した。
「アダムス博士は自分たちの開発計画発足当時のメンバーだったそうです。方針の不一致で辞められたそうですが」
「でも、そんなデータ、こっちの資料にはなかったじゃない。第一、それを先方が知っていたとしても……」
当然の疑問を口にするNo.17。
だが、No.18はゆっくりと頭を揺らした。
「確かにアダムス博士が過去にあった事実を告発するようなことになったら、惑連の弱体化や支配体制の崩壊を招くのは簡単だろう。法的にも人道的にも、許されない事をしているんだから」
そう皮肉な笑みを浮かべつつ吐き捨ててから、No.18は静かに言った。
「しかし、残念ながらこれだけの材料では、真犯人がI.B.だという決定的な根拠にはならないな」
事態は再び、振り出しに戻ってしまったようである。




