xvi 生ける伝説
非常灯がともる薄暗い廊下を、Dは足早に進んでいく。
先を行くDの姿を見失わぬように、暁龍はその後を追う。
非常階段を上り、たどり着いたのは三階。
そこにあるのは、ただ一つ。
「……中央司令室、か」
つぶやきながらも暁龍は、あいかわらず振り向きもしないDを追う。
おそらく、占拠時に戦闘となったのだろうか。
そこここの壁は焼けただれ、足元には使いきった光線銃のエネルギーパックが転がっている。
それらに足を取られぬようさらに進むと、見慣れた中央司令室の扉が目の前に立ちふさがった。
薄暗がりにそびえる扉は、いつにない威圧感を漂わせている。
背後で違和感を覚え戸惑っている暁龍をよそに、Dは入室用のパスワードを打ち込んでいる。
おそらくそれは、暁龍が知るものとは変更されているのだろう。
果たして、支局機能の完全復旧と、セキュリティシステムの強化にどれほどの予算と日数が必要だろう。
暁龍がそんなことを計算しはじめた時、扉は音もなく開いた。
「……何突っ立ってんだ? 早く入れよ」
Dの機嫌はさらに悪くなっているようだ。
これ以上それを損ねるようなことがあれば、本当に分解されかねない。
何より伝説の指導者を見てみたい。
不謹慎な『期待を抱いて』、暁龍はさらに深い闇の中へと足を踏み入れた。
見慣れたはずの中央司令室も、メインの照明が落ちるとその雰囲気はまったく異なる。
眠らないはずのこの部屋が、今その活動を完全に停止している。
さすがにテラを始めとする各惑連も、こちらの異変に気が付いた頃合いか。
いや、それ以前に外にいるはずの『二人』が動いているだろう。
いずれにせよ、そろそろ何らかの動きがあるころだ。
それを見越してこの会見を設定したのだとすれば、ドライはかなりの策士だ。
いや、ひと度壊滅状態に陥ったI.B.をこれだけの軍団に仕立てあげた時点で只者ではない。
その『人物』が、ここに来ているのだろうか。
だが、と暁龍はその可能性を否定した。
脳に埋められたというAIの不具合を修正するなどという大事を行ったにしては、術後の回復が早すぎる。
それに、隣に併設されている附属病院ならまだしも、どうしてこのような医療とは無縁の場所へ呼び出すのか。
様々な分析不能な事柄が、暁龍の思考回路に浮かび、消えていく。
その時だった。
「こっちよ」
不意にアダムス博士の声が響く。
はっとして暁龍は声のした方……メインディスプレイへと視線を移す。
しかし、ドライの姿はどこにも無い。
不審げに周囲を見回す暁龍をよそに、アダムス博士は軽やかにキーボードを叩く。
と、メインディスプレイは仄明るく光る。
──なるほど……君が、噂の……ホープか……──
かすれがちな声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
目前のディスプレイに映し出されたのは、長椅子に長身を預けた細身の男だった。
こちらを見つめる鋭い瞳は、一切の感情を写さない鈍い硝子色。
それは紛れもなく『人形』の証である。
けれど、その身から発せられる言い難い雰囲気は、本調子では無いにも関わらず数々の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の猛者のそれである。
その二つがあいまって、常人とは異なる奇妙な空気をまとったその男こそ、I.B.の指揮官なのだろう。
その威圧感に気おされ、わずかに後ずさりながら暁龍は問うた。
「こちらにいらしていたのでは無かったのですか……ドライ……?」
敵であるにも関わらず、無意識に口をついて出たのは敬語である。
相手の気に気圧される状態とは、まさにこのようなことを言うのだろう。
暁龍の精一杯の虚勢をどう思ったのだろうか、ドライは再び笑う。
それはどこか死神を思わせる陰惨な笑みである。
けれど、暁龍の問いに答えたのは、ドライではなかった。
「私が止めたの。今の状態でここまで来るのは、危険と判断して」
博士の言葉に、暁龍ははからずもそちらに視線を向ける。
「もうすぐ最後のヘリコプターが出るの。それで潜入部隊は皆退却するそうよ。それを指示したのはサード……ドライだけれど」
再び暁龍は、ディスプレイに浮かぶドライを見つめた。
伝説と恐れられる司令官は、あいかわらず剃刀のような笑みを浮かべてこちらを見つめている。
だが、ドライに巣食う死神は、確実に彼を蝕んでいるようだった。
先ほどに比べ、その息はわずかに荒くなっている。
──博士は、実に的確な指示を……してくれた。それに従って、施術すれば……じきに、もっと動けるように……なるだろう……──
「さっきの助言は、あくまでも応急措置よ。根本的に治せるのは……」
──全ての記録……を持っている、ᒍだけか……。わかった。近いうち……に直接、会いに……行こうか……──
「な……!」
声を荒げる暁龍に、ドライはさも面白くて仕方がないとでも言うように声をたてて笑った。
そして、ふと思い立ったかのようにこう切り出した。
──せっかく、ここまで……来たのだから……良い機会だ。何か、私に……聞きたいことは……無いかな? ──
突然の言葉に、暁龍は姿勢を正す。
そしてドライの目を見据えながら問うた。
「では、一つだけお尋ねします。何故貴方は惑連と袂を分かち、そして反旗を翻したのですか?」
沈黙。
しばしドライは右手を顎に当てていたが、ふっと息を吐き出すと言い難い表情を浮かべて言った。
──決まっているさ……私から、すべてを奪い……搾取し続けた……惑連に対する、復讐のためだよ──
いい終えてドライは暁龍を見やり、再び低く笑う。
直後、それを書き消すかのように、室内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
ドライは唇の片端を上げる。
──時間切れ……のようだ。君の同胞達が、突入を開始……したらしい──
「待て! 話はまだ……!」
──私は、単なる時間稼ぎ……だ。そろそろ配下の脱出も完了、する頃合い……だろうから……──
その言葉を受けて、暁龍はあわてて振り返る。
戸口に立っていたはずのDの姿が、いつの間にか消えている。
会談の最中に最後に残った人員を率いて、退去したのだろう。
──……君と話せて、良かった。最後に、もう一つ……──
ドライの息が、さらに荒くなる。
画面の外にいるのであろう近寄ろうとする何者かを手で制止しながら、彼はわずかに目を細め囁くように言った。
──君は……エドに……似ているな……──
ディスプレイはその言葉を最後に闇に染まる。
何を言われているのか訳がわからないまま、漆黒のディスプレイを見つめたまま暁龍は立ち尽くす。
その直後駆け込んでくる複数の足音は、だが暁龍の耳には入らなかった。




