xv 突入、そして
G35排水口から件の非常通路まで、驚くほど順調に事は進んだ。
つまりは敵からの何ら反撃も無ければ、監視カメラの類も一切無い……文字通りそこは、単なる排水口に過ぎたかったのである。
「なんてこと? ここまでの警備はまったくザルじゃない!」
これならある程度まとまった部隊を動かしても気づかれるはずもない
言いながら楊香は唇を噛む。
「ここまで手薄なら、侵入を許されても仕方がないかもしれませんね……」
ライフルを構え、注意深く周囲を見回しながらデイヴィットはつぶやく。
こんな所から侵入されるはずがない、という先入観が招いた結果だろうが、あまりにもお粗末すぎる。
呆れたとでも言うようにため息をつきながら彼は先を行く楊香に声をかけた。
「敵さんも、やっぱり地下経由でしょうか?」
「中に手を引いた奴さえいれば、一番安全な通路……」
楊香が言い終わる前に、一条の光が頭上の空間をつらぬく。
薄暗がりに浮かび上がるのは、紛れもないバリケードだった。
足を止める機動隊。
再び先刻と同様、光の筋が空を切る。
だがそれに続く物は、無い。
盾を持った防御班が前方を固める。
それに守られるように、射撃班が狙いを定めた。
痛い程の沈黙が流れる。
と、その時である。
「……生体反応、ありません」
辛うじて聞こえるくらいの小さな声で、デイヴィットが告げた。
思わず楊香は振り替える。
「何ですって?」
「前方のバリケード内には、生体反応が認められません」
サーモグラフィによるサーチでも、人間らしき発熱源は認められない。
そう告げるデイヴィットに、楊香は再びバリケードを見やる。
「なら、さっきの発砲は?」
「センサーを使った初歩的なトラップでしょう。この熱源の大きさからすると」
そう、楊香より若干機械に近いデイヴィットは、目視の他にも熱源反応の感知が可能になっている。
その彼が言うことなのだから、まず間違いはないだろう。
そうとなると、楊香の決断は早かった。
「攻撃開始!」
「ちょ……待ってください!」
デイヴィットの言葉を無視するかのように、楊香は飛び出すなりバリケードに向かい発砲する。
わずかに遅れて攻撃部隊による斉射がそれに続く。
幾筋もの光が闇を切り裂く。
やはり、反撃はない。
攻撃を停止させると、楊香は一人、ぼろぼろになったバリケードへ向けて歩み寄る。
あわてて後を追うデイヴィット。
ようやく追い付いた彼に、楊香はあるものを指し示した。
柱にくくりつけられたレーザーライフルが、二挺。
それらの引き金は針金がくくりつけられ、その先には先ほどの攻撃で破壊されたモーターが有った。
「ご覧の通りっていう訳ね……」
「短時間の足止めにはなりますね」
デイヴィットがうなずくのを確認してから、楊香は更に深部……ルナ支局へ向かう判断を下した。
ちらりとも振り返らない楊香が『不機嫌』であることは、端から見ても明らかである。
防御班も極力盾がぶつかり合う音をたてないよう、細心の注意を払っているようだった。
時折散発的な発砲があるものの、それらはすべて先ほどと同様の仕掛けによるものだった。
ここまで敵に出会わないのはおかしい。
敵は最初からこの経路からの奪還を想定していないのか。
そんな考えが一瞬脳裏をよぎったが、デイヴィットはすぐさまそれを否定した。
I.B.が自ら侵入に利用したルートを、ここまで無防備にしておくなど思えない。
ではなぜ守備部隊が配置されていないのだろう。
よほどの少数で占拠が行われたため、こちらまで手が回らないのか。
あるいはもう彼らの目標は達成され、ここは守るに値しない場所になっているのか。
様々なケースをシミュレートするうち、前方に強硬な扉が姿を表した。
これが暁龍の『開放したゲート』すなわち惑連への通用口なのだろうか。
機動隊達を後に残し、楊香とデイヴィットはそこに歩み寄る。
傍らの端末に、楊香は向き直った。
そして、自らのシリアルIDを入力する。
〇一二・〇・〇一七と。
情報局員である証の〇一二、そして有り得るはずがない『モノ』である証の〇、さらに個体識別番号である〇一七。
この三つの前に、果たして扉は抵抗することなく開いた。
背後からざわめきが聞こえる。
楊香は振り向くなり、機動隊員らに告げた。
「皆さん、ありがとうございました。私達は友人の救出に向かいます。建物内のI.B.掃討の指揮権は、皆さんにお返しします」
※
銃声が聞こえた。
闇にたたずむ彼は、はっきりとそれを耳にした。
ようやくの到着か。
彼は、唇の端に薄ら笑いを浮かべる。
ここでの任務は完了した。
次は博士の救出と、非常事態の解除及び改ざんされたシステムの復旧が当面の目標か。
彼は再び、非常階段へと消える。
そして、一階の防火扉を開け中央ロビーへと向かう。
常ならばひっきりなしに職員が行き交っているエントランス。
薄暗い非常灯の光の中、見張りと思しき男達が、退屈そうに立ち尽くしているのが見えた。
まずはあいつらから排除しよう。
薄笑いを浮かべながら、彼は見張りに歩み寄る。そして……。
※
鈍い衝撃とそれに続く呻き声で、黄暁龍は我に返った。
そこは紛れもなく、惑連のエントランスロビーであるが、そこには凄惨な風景が広がっていた。
壁際には胸を撃ち抜かれ事切れたた男が数名倒れ伏し、そして足元には前歯を折られた男が転がっている。
「きさふぁ、たふぁふぇすむとはおもふなひょ!」
凄んではみるものの、折られた前歯の隙間から息がもれ迫力に欠けるその姿には、そこはかとなく笑いを禁じ得ない。
暁龍の右手には敵から奪ったと思しき銃が握られており、左の拳には唾液と血糊がついていることから、これらを成し遂げたのは彼自身であることはまちがいないだろう。
しかし、なぜここにいるのか。
自らの手と、ロビーに広がる惨劇とを交互に見やり、暁龍は自問した。
何故なら、彼にはアダムス博士が部屋を出ていった後の記憶が、無い。
そんな時、彼の内なる混乱を煽るかのように、手を叩く音、そして足音が近づいてくる。
「いやあ、お見事。私服組最強のお手並み、確かに拝見させていただきました」
わざとらしい称賛の言葉と同時に現れたのは、他でもないDだった。
一番会いたくない人物の登場に、暁龍は密かにため息をつく。
そして投げやりな口調で言い捨てた。
「あいにく、レクチャーはできない。何せ重度の記憶障害なようだからな」
暁龍はDに背を向けると、銃を投げ捨て両の手を頭上へと掲げた。
けれど、その言葉に嘘はなかった。
本来ならば一連に繋がっていなければならないはずの記憶回路が、所々虫食いのように欠落している。
早くも自分は限界か。
ならばテラへ強制送還後スクラップになるのも、ここで殺られるのも同じだろう。
いや、むしろここで殺られれば、表向き『ヒト』として死ねるから、マシかもしれない。
そう半ば自棄になっていた暁龍の背に、Dの言葉が投げかけられた。
「相変わらず気に食わない野郎だな、ええ?」
その声には、先ほどまでの嫌味混じりの自信がない。
不審に思い振り替える暁龍の視界に入ってきたDの顔には、あの不敵な笑みはない。
そして、続けざまに発せられた言葉は、想定外のものだった。
「……着いてこい。ドライがあんたに会いたいらしい。……連れてこいとの命令だ」
そう言い捨てると、Dは暁龍に背を向け歩き始めた。
突然のことに立ち尽くす暁龍に、Dは振り向きもせず、釘を刺すように続ける。
「俺は反対したんだが、ドライの命令は絶対だ。仕方がないから連れていってやる。俺の気が変わらねえうちに早く来い!」
ヒトの言うところの『八つ当たり』とは、こういうことなのだろうか。
深々とため息をつくと、暁龍はDの後を追った。




