xiv 衝突
一触即発。
緊急事態。
そんな単語がデイヴィットの脳裏をよぎった。
彼の目の前にいるのは、楊香と危うく難を逃れた機動隊の隊長達だ。
共に協力し、I.B.に立ち向かわなければならない両者の間には、どこからどう見ても険悪な空気が流れていた。
原因は他ならない、彼自身と楊香にある。
正体はどうあれ、彼らは表向き一介の捜査員……私服組に過ぎない。
その外見も手伝って、歴戦の猛者達からすればひ弱な若造達にしか見えないだろう。
いきなり現れたそんな二人が指揮をとると言うのだから、機動隊としては面白くないというのはデイヴィットにも理解できる。
出来る限り穏便に。
そんなささやかなデイヴィットの願いは、楊香の無神経とも言える一言によってあっけなく打ち砕かれた。
開口一番彼女はこう言ったのである。
自分達が先頭に立つ、と。
突入経路の詳細を隊長達に伝え、細かい現場の指揮はすべて任せる。
それが一番丸く収まる方法であるし、当然楊香もそうするとデイヴィットは予想していた。
けれど、よりにもよって自分が先頭に立つと言い出すとは。
よほど楊香は今回の襲撃が我慢ならなかったと見える。
が、ここでデイヴィットが口を挟んでも事態は悪化こそすれ、好転はしないだろう。
仕方なくデイヴィットは無言でことの成り行きを見守ることにした。
精悍な顔立ちをした第一機動隊隊長は、先程から苦虫を噛み潰したような表情でデイヴィット達をしげしげと眺めている。
そして、しばしの沈黙の後こう言った。
「失礼ですが、おたくらは自分の立場ってのを理解してるんですか?」
一体どういうことでしょうとわざとらしく首を傾げる楊香。
その時遂に隊長の堪忍袋の尾が切れた。
ばん、と壁を殴るなり、彼は顔を真っ赤にして一気にまくし立てた。
「都合が良すぎるんですよ! 危ない橋はいつも我々に渡らせといて、肝心の手柄はいつもあんたらが持っていく。こちとら事務方の尻拭いするために存在してる訳じゃないんだよ!」
もっともな言い分である。
常に最前線に置かれ命を張っている実働部隊からしてみれば、デイヴィット達私服組は安全な所で胡座をかいているように見えるのは当然のことだ。
けれど緊急時なのだから、それらのわだかまりは棚に上げておいて、一丸となってI.B.に立ち向かおうという気概があるのではないか。
そんなデイヴィットの期待は、はかなくも粉々に砕け散った。
どうします、とでも言うようにデイヴィットは楊香に視線を投げかける。
受け止める側はまったく臆する様子もなく、長い黒髪をかきあげると静かな口調で切り出した。
「おっしゃる通りです。が、今は眼前の敵を叩くことが先決ではありません?」
「その敵を呼んだのは、どこのどいつだよ?」
再びの怒声が乾いた空気を切り裂いた。
確かにその言葉には一理ある。
元を正せばテラの植民支配という歪みがI.B.を生み出したのだから、生粋のルナ人が誰しも抱く正直な感情なのだろう。
内心頭を抱えるデイヴィットをよそに、楊香の顔にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「ではお尋ねしますが、あなた方の使命は一体何でしょう?」
「……はあ?」
呆れたような隊長に向かい、楊香はさらに続けた。
「秩序を守ること……善良な市民を守ることが、私達の使命ではないんですか?」
この期に及んで何を言い出すのだろう。
こちらを見つめる隊長は明らかにそう思っている。
そしてデイヴィットも楊香の真意を判断しかねていた。
けれど相変わらず美貌の捜査員の顔には、どこか不敵な笑みが浮かんでいる。
「では手短に言います。ここで立たなければ、ただの給料泥棒です。ご理解いただけます?」
隊長の顔が、わずかに歪む。
その体躯から殺意に似た湯気が立ち上るのを、デイヴィットは見た。
どうにかして楊香を止めなければ。
が、そのきっかけを与えることなく、楊香は容赦なく言葉の爆弾を投げかけた。
「私達は、あなた方の嫌いなテラの人間です。本部職員も少なからずそうです。けれど、生粋のルナ市民もあの中にいる。違いますか?」
言い終えて楊香は漆黒の双眸をすい、と細める。
一方それまで威勢の良かった隊長は、決まり悪そうに目を伏せた。
いかがです、と言わんばかりにぐるりと楊香は視線を巡らすが、武骨な機動隊の面々に受け止めた者はいなかった。
それを認めた楊香は、たたみかけるように言葉を継いだ。
「下らぬ意地を張っている場合ではありません。今何をするべきか、皆さんが一番わかっているはずです。事態は一刻を争います」
「し……しかし……」
未だ煮え切らないと言ったような隊長。
やれやれとばかりに吐息をついてから、楊香はとどめを刺した。
「あなた方はどうして入隊を志願したのです? 権力を盾に武力を振りかざしたかったからなんて、馬鹿な理由ではないでしょう?」
「まさか! 我々はこのルナ市民の為に命をかけているんだ! それを……」
反射的に叫ぶ隊長。その様子に、楊香はにっこりと笑った。
はめられた事に気が付いた隊長は唇を噛み締める。
「はっきりしましたね? 私達の目的は同じです。……私もあの中に、助けたい『友人』がいますから。それに……」
一端言葉を切った楊香は、わずかにデイヴィットをかえりみる。
「こう見えて、彼はフォボス帰りです。私も一応、前線の経験を持っています。下手な制服組より、よほど使えると思います」
静かなざわめきがうねりとなって、空間を支配する。
と同時に疑いと羨望が入り混じったような視線がデイヴィットに注がれた。
そう、マルスの衛星フォボスはルナと同様、テロ組織の脅威にさらされた星なのである。
口を挟む機会を完全に失ったデイヴィットは、決まり悪そうに目を泳がせた。
こうなったら成り行きに任せるしかないのだろう。
観念する、というのはこういうことなのだと学習したデイヴィットは、気付かれないようにため息をついた。
※
「まだ怒ってる?」
用意された防弾チョッキを身につけながら、楊香は言う。
その隣でデイヴィットは、レーザーライフルを確認していた。
「……ごめんなさい。あれ以外に方法が思いつかなくて」
「怒るも何も、自分達にはそもそも感情自体ありませんよ?」
ぶっきらぼうな口調で事実を述べるデイヴィット。
楊香はぺろりと舌を出して言った。
「……怒ってるんだ」
悪びれることない楊香に、反射的にデイヴィットは苦笑を浮かべた。
そしてふと思考を巡らせる。
自分達が『ヒト』ではないと知らされて信じる者は、果たしているだろうかと。
正確に言えば、『生物』ですらない自分達が、『仲間』を助けるために敵陣へと斬り込む。
端から見れば、奇妙なことだ。
「……矛盾することを言っちゃったわね。私達は戻ることが難しい状況下に投入される『モノ』なのに、助けるだなんて……」
珍しく湿っぽい口調の楊香に、デイヴィットはゆっくりと首を左右に降った。
「確かにそうかもしれませんが、けれど……。もし大尉殿が戻らなかったら、ᒍが泣くでしょうし。第一、ᒍの悲しむ顔を自分は見たくありません」
言い切って、デイヴィットはライフルを肩にかけると、片目をつぶって見せた。
おそらく自分たちは安っぽい三文芝居を演じようとしているのかもしれない。
けれど、自分の判断は間違っていない。
今のデイヴィットはそう断言することができた。
「……ありがとう」
しおらしくつぶやく楊香に、デイヴィットは混ぜっ返した。
「らしくないですよ? どうしたんですか、一体」
本当にそうねとつぶやくと、楊香は自ら先に立って歩き始めた。
「……極力こちらの人的被害は出さないように。万一攻撃があった時は私達が矢面に立って彼らの盾になる」
声の調子を聞く限り、楊香はすっかりいつもの調子を取り戻したようだ。
肩越しに振り返り背後の機動隊をうかがいながら、デイヴィットは訪ねる。
「けど、万一のことがあったら……その、ばれませんかね? 自分達が『ヒト』ではないってことが」
「平気よ。さすがに頭を撃ち抜かれたら、普通に機能停止するから。私達そこまで化物じゃないし」
ひとしきり笑い合うと、彼らは戦場へと足を踏み入れた。




