xiii 因縁と情
──では、これからルナ支局突入及び内部に取り残された職員救出の準備に入ります。ご助言ありがとうございました──
「あ、小香、おい……」
ジャックの返答を待たずに、ルナの楊香は通信を切ったようだ。
灰色になったモニターを前にして、ジャックは深々とため息をつき、癖毛の白髪頭をかき回す。
そして、がっくりと肩を落としたなり一向に動こうとしない。
その様子をじっと硝子色の瞳で眺めやっていたNo.14は、背後から抑揚のない口調で声ををかける。
「主席技術士官殿、いかがなさいました?」
「ん? ああ、今回はさすがにこたえたよ。まったく、因縁って言うやつは本当に存在するんだなあ」
振り返るなり、困ったように笑うジャック。
が、No.14は理解不能とでも言うようにこっくりと首を傾げる。
「すまない、年寄りの愚痴だよ。忘れてくれ……と、君達にはそれが不可能なんだっけね」
そう、目の前のNo.14を始めとする『Doll』達は、経験を記憶ではなく記録として蓄積する。
その記録の容量は、多少の差はあるが彼らが稼働を停止するまで上書きの必要がない程度を想定されている。
その事実をついうっかりジャックは忘れていたのである。
照れ臭そうに苦笑いを浮かべると、おもむろにジャックは歩き出す。
再び首を傾げて、No.14はすぐさまその後を追った。
「失礼ですが、どちらへ行かれるのですか?」
平板な口調で訪ねてくるNo.14を、ジャックはわずかにかえりみる。
そして、彼にしては珍しく鹿爪らしい表情を浮かべながら答えた。
「情報局長の所へさ。状況次第では惑連事務総長からも呼び出しを食らうかもしれないな」
下手すると今度こそ自分の首が飛ぶ。
そう冗談めかして言ってから、ジャックは白衣のポケットからIDカードを取り出す。
それから白衣を脱ぎ、いささか乱暴にデスクの上に放り投げた。
IDカードを首から下げながら、独白のようにつぶやいた。
「とにかく、後悔だけはしたくないからね。できる限りのことはするよ」
「と、申しますと」
その言葉にNo.14は、生真面目に問い返す。
ジャックの顔には、いつになく厳しい表情が浮かんでいた。
「キャス……アダムス女史の助命を嘆願に行く」
予測外の返答だったのだろうか。
ジャックの言葉に、No.14は数度瞬きを返す。
そして、硝子色の瞳でジャックを見つめながら至極当然の返答をした。
「ですが、機密がこれ以上漏洩しないためにも、アダムス博士の存在は危険以外の何物でもないと思われますが……」
一瞬の沈黙。
だがジャックはすぐさま首を横に振る。
「確かにその通りだ。けれど、はいそうですかと簡単に切り捨てられないのが、人情ってものなんだ」
「人情……ですか?」
向けられてくる硝子色の瞳に、ジャックは疲労の色の濃い顔に苦笑いを浮かべながらうなずいた。
「本来ならばサード……No.3のターゲットになるのは自分だったはずだ。けれど、自分が安全な所にいたばっかりに身代わりになった彼女を、見殺しにする訳にはいかんだろう?」
そう言いながら片目をつぶって見せるジャック。
No.14は、理解不能とでも言うようにその顔をしばらくじっと見つめていたが、ややあって端末機に向き直り、キーボードに細い指を走らせる。
「……I.B.にセキュリティシステムに関する情報が漏洩した事実を、安全保障議会へ報告します。よろしければ事務総長へもこちらから……」
「そうだなあ。その方が、確実か」
その言葉を受けて、No.14の手が止まる。そして再びじっと硝子色の瞳でジャックの顔を見つめた。
「どうしたんだい、レディ? 続けてくれないか?」
「確実、とおっしゃいましたが……。それは一体どういうことなのでしょうか?」
無表情な顔から投げかけられるその問いかけに、ジャックは困ったように再び頭をかき回す。
「ん……ああ。いずれサード……いや、エルウィンは、テラ……ここに来る」
それは何気ない口調だった。
が、その言葉の裏に何かを見出したのか、No.14は大きな瞳を見開いた。
しかし、ジャックはそれを意に介することなく淡々と続ける。
「キャス一人じゃ、瀕死のサードを完全に助けることはまず無理だ。一命をとりとめたら、彼はおそらく……」
「おそらく、どうなるのでしょう?」
そう尋ね、No.14はジャックの返答を待つ。
わずかな沈黙の後、ジャックは不承不承重い口を開いた。
「ああ。奴さんはここに来る。確実にね。被害を最小限に収めるためにも、システムの穴の存在ははっきりさせて、今のうちにふさいでおいた方がいい。……いや、むしろ……」
「むしろ、何でしょう?」
平板なNo.14の声に毒気を抜かれたかのように、ジャックは柔らかい微笑をその顔に浮かべる。
そして、ややためらった後口を開いた。
「諸悪の根源は他ならない、彼を作り出してしまった自分だ。極論を言えば、その芽を積んでしまえば……」
「それはつまり、主席技術士官殿の死を意味するのでしょうか」
単刀直入にこう切り出されて、ジャックは思わず口を閉した。
そんなジャックの顔を真正面から見据えながら、No.14は常のごとく平板な語り口で続ける。
「主席技術士官殿は、なくてはならない方です」
その言葉に言い難い揺らぎのような物を感じ、ジャックは思わず息を飲んだ。
が、言葉とは裏腹にNo.14は無感動にジャックを見つめている。
返答がないことをどう受け取ったのだろうか、No.14はさらに続ける。
「主任技術士官殿は私達特務にとって、なくてはならない方です。ご自身をそう軽々しく言うのは、お控えください。くれぐれも……」
不意にその言葉は途切れた。
すい、と伸ばされたジャックの手が、優しくNo.14の頭をなでていたのだ。
またしても予測外の出来事に、最適な反応をすることができず口をつぐむNo.14に向かい、ジャックは寂しげに笑う。
「ありがとう、レディ。その言葉だけで充分だ。じゃあ、ちょっと行って来るよ。怒鳴られる程度ですむように祈ってくれないか?」
冗談めかしてそう言うと、ジャックは部屋を後にする。
残されたNo.14はその後ろ姿をしばし凝視していたが、扉の向こう側に完全に見えなくなると再び端末機に視線を落としキーボードを叩き始めた。
感情を写さないはずの硝子色の瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。




