ⅻ 最悪の予想
──すまん。遅くなった──
きっかり二時間経過した頃合いで、一旦通信を切ったジャックが灰色になっていた画面に再び姿を現した。
疲労の色は、心なしか先刻よりも濃くなっている。
その様子に口をつぐむルナの面々に、彼は単刀直入に本題に入った。
──まだ奴らは何も言ってこないかな? ──
「内部の様子は一向に不明です。ですので、動きようがありません」
そう言う楊香。
状況がわかっていたら、一人でも乗り込んで行ってたかもな。
そんなことを分析しながらデイヴィットはモニター越しにジャックを見やる。
果たして彼らの生みの親は、やや間を置いてから口を開いた。
──これからする話は、最悪な条件が揃ったら、という仮定だ。年寄りの想像で、上に報告できるような代物でもない。だが、今の状況からするとこれ以外の可能性は考えられない──
神妙な面持ちで楊香はうなずいた。
それを確認し、ジャックは言葉を継ぐ。
──わかった。……ちょっとこれを見てくれないか? ──
言いながら彼はデスクの上から小さな何かの破片のような物を取り上げた。
大きさ、形を例えるならば、カッターナイフの刃を一折りした位だろう。
──これが我々が研究していたチップの現物だ。物持ちが良くて助かったよ──
冗談めかして言うが、ジャックの顔は笑ってはいない。
そして、ルナの両者は小さなチップを凝視している。
だが、それがいくら小さな物とはいえ……。
「あの……拒絶反応とか、細胞組織の癒着とか、そういったことは……?」
デイヴィットの問いかけにジャックは首を振った。
──もし万が一彼……No.3が生存しているとすると、レディ、頼む──
──わかりました──
その言葉に応じ、No.14は端末を叩く。
と、脳のCG画像が映し出された。
前頭葉には、先ほどの小さなチップ。
そして、その周囲が暗い色で塗りつぶされている。
「あの、ᒍ、これは?」
首を傾げる楊香に、ジャックは苦虫を噛みつぶしたような表情でこう答えた。
予想される壊死範囲だ、と。
──奴の命はチップで辛うじて保たれていると言っていい。だが、長期間に渡りメンテナンスしなかったことで脳本体の壊死が起き、かなりまずいことになっている可能性が大きい──
ジャックは言葉を切り、ルナの面々を見つめる。
両者が一言も聞き漏らすまいとしているのを確認すると、言葉をついだ。
──エルウィン……No.3がドライだとする。彼はルナで消息を絶った後も生存し、I.B.へ身を投じた。彼は生き長らえるためにある人物に目を付け拉致を計画し、行動に移した──
「惑連から離れ、かつ自分の蘇生時の状況を知っている人物で、脳神経の専門家……」
「それがアダムス博士、ってわけですか……」
ルナの両者が導き出した答を、ジャックはうなずいて肯定した。
──あくまでも最悪な条件が揃ったら、という仮定だ。あちこちに根を張っているI.B.のことだ。……可能性は低いが、完全に不可能とは言い切れない──
「必要な物はすべてそろってる。有能な医者、そして惑連病院の設備。そこにドライが来れば……」
「I.B.ならばそれだけの技術力はありますよね。後は移植時を知っている人にアドバイザーになってもらえれば……」
一見無関係に見えていたこれまでの出来事が、仮定のこととはいえ一本の線でつながった。
しかし彼らが得た物は、謎を解き明かしたという快感ではなくて、何とも言い難い後味の悪さだった。
──……こんな事件が起きたのも、そもそも奴を作った我々……惑連の責任だ。もっとも、これだけですめばいいんだが……──
ジャックの独白の後半はあまりにも低く、ルナの両者には聞き取ることができなかった。
しかし、音声としては伝わらなくとも、その苦悩は痛いほど伝わってきた。
と、その時だった。
重い空気に包まれた室内で、デイヴィットが驚いたように顔を上げる。
どうしたのよ、と言わんばかりに見つめてくる楊香に、デイヴィットは決まり悪そうに頭をかき回す。
「ルナ支局の非常回線からです。黄大尉殿が……。ですが、かなり複雑な暗号で……」
「コードなら私がわかるから、そのままこの携帯端末に回して。何とかするから」
緊張が走る室内に、楊香の鋭い指示が飛ぶ。
あわててデイヴィットが従うと、新しく立ち上がったウィンドウに意味不明な電文が表示されはじめた。
──どうした? 何かまずいことでも起きたのかい? ──
異変に気付いたジャックが、画面の向こうで身を乗り出す。
返答したのは、端末を操作している楊香だった。
「ルナ支局の大尉から緊急通報が入りました。暗号化からの復元作業はすぐに完了しますので、終わり次第そちらに転送します」
簡潔に答えると、楊香は端末に指を踊らせる。
意味不明な電文は、すぐさま状況報告書へと姿を変えた。
時間にして、数十秒。
転送しますと簡潔に告げると、楊香は漏洩を防ぐため再び簡易的な暗号化を施すと、テラへと送信する。
受け取ったジャックはNo.14を見つめる。
と、次の瞬間にはプリントアウトされた報告書が手渡される。
文章は目を通すなり、ジャックは深々とため息をついた。
──おい、こりゃあ……──
苦笑になりきらない表情を浮かべたジャックは、目に見えてまた疲労の色を濃くしたようだった。
──暁龍が戻って来る時が思いやられるよ。……嫌われるだろうなあ……──
「今は、そんなことを言っている場合じゃありません」
ジャックの愚痴をぴしゃりと封じながら、楊香は自らも真剣に復元された電文を目で追う。
「どうやら大尉殿は無事なようですね」
先にそれを読み終わったデイヴィットに、だが視線は画面から離さず楊香は答える。
「でも、あまりそうとも言い切れないみたい」
確かにその通りである。
緻密なまでな状況報告はいかにも生真面目なNo.18らしい。
だが、決定的な……何か根本的な所が、いつものNo.18、黄暁龍とは異なっていた。
──今後、各地に配備された防犯システムの安全性を再確認するよう、上申する必要があるな。……地下か。狐につままれた気分だよ──
呆れたように言うジャックに頷いてみせてから、デイヴィットは楊香に向き直った。
「そうですね……あの、どうします?」
遠慮がちに尋ねるデイヴィットに、楊香はぎっと鋭い視線を突き刺した。
「装甲部隊はそのまま惑連前に待機。できるだけ敵の視線を引き付けてもらう。動ける機動隊は、今どのくらいいるの?」
矢継ぎ早に飛んでくる楊香の指示に、デイヴィットは口をつぐみ、すぐさまその脳裏で惑連軍及び機動隊の配置状況を確認する。
数秒後弾き出されたそれを、デイヴィットは機械的に音声に表した。
「機動隊の第一と第四が現在配置についています。数はそれぞれ五百」
その言葉に呼応するように楊香は端末を操作する。
と、新たに開いた画面に支局周辺図と、そこに展開する戦力配備図が写し出された。
楊香はしばらくそれを眺めていたが、やがてある一点を指差した。
「ここなら内部から死角になるわね……両方の隊長につないで」
そういう彼女の瞳には、いつになく好戦的な光が宿っている。
どこか楽しそうなその様子に空恐ろしさを覚えつつ、デイヴィットは次の言葉を待った。
「突入はG区画の地下道から。送られてきたデータによると、複数の脱出口があるから、第四部隊にそこを守ってもらう」
予想通りの展開にため息をつきながらも、彼は双方の隊長に回線をつなぐ。
テラとつながっている画面の向こうでは、ジャックが頭を抱えているのが見えた。




