ⅹ 被害者
「……そういう訳だったのか」
ハイジャック事件のあらましと、その後の処理に関する情報を眺めることしばし。
つぶやくと楊香は頬杖をつき、大きく息を吐き出した。
『特務』という機密保持のため惑連がもみ消した事実は、一人の少年にとってあまりに大きく重い物だった。
年端もいかぬ少年の言葉など、誰もまともに取り合わないだろうと踏んでのことだったのだろう。
実際、世論は惑連の読み通りに動き、少年の目撃証言は闇に葬られた。
しかしその結果として、罪もない人間の人生を大きく狂わせてしまったのだから。
それが許される行為かと問われれば、その答えは間違いなく『否』である。
「被害者ね、みんな」
「どういう意味ですか?」
問い返すデイヴィットを顧みながら、楊香は整った顔にわずかに苦笑を浮かべる。
「ダン・ロイス……あのMPも、アダムス博士も。もっと言えば、No.3大尉殿もね。もれなく惑連の被害者だってこと」
結果としてテロ組織に加入するところまで堕ちたかつての少年。
惑連での研究に疑問を感じ、組織を離れた後もそれを後悔し続けたであろうアダムス博士。
そして、人体実験にも等しい『治療』を受けた後惑連に利用され続けたNo.3。
果たして惑連は犯した罪に見合うだけの働きをしているのかしら。
そう自問するようにつぶやいてから、楊香は再びキーボードの上に指を走らせる。
今度の接続先は、彼らを統括する情報局だった。
「とにかく早いところ、ᒍの見解を聞いて現状に対処しないと。あいつが暴走したら、そっちの方が厄介だわ」
楊香の言うところの『あいつ』とは黄暁龍以外の何者でもない。
しかしその言葉に引っかかりを覚え、デイヴィットは首をかしげた。
「失礼ですが、暴走とはどういうことですか? あの沈着冷静な大尉殿が暴走とか……。自分にはまったく予測もつかないのですが」
と、ぴたりと楊香の手が止まる。
そして振り向くなり、まじまじとデイヴィットの顔を覗き込んだ。
そして、呆れた、とでも言うように口を開く。
「……ってことは、あなた本当に知らないの?」
はい、と言いながらうなずくデイヴィット。
楊香は、ならばᒍがデータベースから消去したのかしら、とつぶやき、小首をかしげてみせる。
そして、やや黙考した後他言は無用よと念をおしてから、ようやく重い口を開いた。
「古いテラのことわざに『火事場の馬鹿力』っていうのがあるんだけど、それは知ってる?」
一体目の前の先輩は何を言い出すのだろうか?
そんな疑問を隠そうともせずに、デイヴィットは一つうなずく。
それを確認してから、楊香は形の良い脚をを組み直しながらながらさらに続けた。
「あいつの開発中に、妙な好奇心を抱いた研究員がいたの。果たしてどれくらい人間に近いプログラムが組めるだろうかってね。で、彼はᒍの目を盗んでそれを実行しちゃったの」
ことの顛末を聞いたデイヴィットは、ははあと吐息を漏らす。
この前振りでは、嫌な予感しかしない。
『先輩』の恐らく汚点であろうことを当人以外の口から聞くことに、若干の罪悪感すら覚える。
しかし好奇心に抗うことができない。
黙りこくり、楊香の言葉の続きを待つ。
「この裏プログラムがかなり厄介でね。本人が危機的状況に陥ったときに発動するようになってるの。発動したら最後、常識人のあいつの人格はスリープ状態になって、ひたすら解決に向かい突っ走るって訳」
「その……それが『火事場の馬鹿力』とやらなんですか?」
理性を失い暴走する『Doll』。
本来隠密行動を主体とする彼らとしては、あまり褒められた行動ではない。
「そういうこと。で、幸か不幸かあいつの稼動試験の時、それが発動しちゃったのよ」
果たして予想通りの展開にデイヴィットは唖然として立ち尽くし、わずかに身震いする。
そして、ついに核心に触れる問いを投げかけた。
「それじゃあ、作戦は……?」
やや色を失うデイヴィットに、楊香は苦笑を浮かべて見せる。
「作戦自体は失敗すれすれでどうにか解決したのよね。でも、試験官のNo.10大尉殿とᒍが合格の判定を下さなければ、まちがいなくコレだったでしょうね」
言いながら楊香は、手を首の所で真横にすいと横に引いた。
その様子に、デイヴィットは恐る恐る尋ねる。
「あのぅ……それってひょっとして、廃棄処分ってことですか?」
が、楊香はあっけらかんと答えた。
「そう。確実にそうなっていただろうってあいつは言ってたし、むしろそうなるのが当然だったと理解してるみたい。だからあいつは上……特にᒍに対して反抗的なのよ」
そうなんですか、と言いながらデイヴィットは腕を組みつつ首をかしげた。
かく言う彼自身も、稼働試験は失敗すれすれの状況に陥ったものの、そこからひっくり返し合格を勝ち取ったのだ。
けれどデイヴィットは上層部には感謝こそすれ、そのような複雑な『感情』はこれっぽっちも抱いていない。
さしずめヒトで言うところの、親に対して抱く複雑な感情に似ているのだろうか。
あるいはヒトが成長期とやらに通るという『反抗期』という類のものなのだろうか。
そこまで分析したところで、デイヴィットはふとある疑問を口にした。
「ええと、もう一つお伺いしたいのですが、そのプログラムを組んだ研究員殿は、その後一体どうなったんですか?」
「ああ、彼? 彼ならまだ惑連にいるわよ」
「……はい?」
想定外の返答に驚いたようなデイヴィットに背を向けたまま、楊香は再びキーボードを叩き始める。
そして、視線はモニターに固定したまま続けた。
「さすがに責任を問われて開発部門からは外されたけれど、研究部で私達のメンテナンス担当になってる。一度惑連の重大機密に触れた以上、上層部も下手に野に放り出せないっていうのが本音でしょうね。……と、つながった」
その言葉に応じるかのように、モニターが瞬いた。
現れたのは、軍服に身を固めたどことなく冷たい雰囲気を持つの美しい女性である。
が、こちらをみつめる瞳は硝子色に鈍く輝いており、所属を表す徽章は硝子の目を持つ鋼鉄の鷲だった。
そう、彼女は本部付きの『doll』、通称レディことNo.14である。
その姿を認め、楊香は笑いながら語りかけた。
「ハイ、レディ、ご機嫌いかが? ᒍは今、出られるかしら?」
画面越しに無機質な視線を投げかけられて、デイヴィットは反射的に身を固くした。
何故だろう、彼はどうもこのNo.14が苦手なのである。
が、それをまったく意に介するでもなく、No.14からは機械的な答えが返ってきた。
──主席技術士官殿は現在休憩で外しておられます。戻られるまで、約三分二十四秒ほど……──
「そんなこと言わないでよ。緊急事態なの」
モニターに向かい楊香は合掌して取り次ぎを請うが、No.14は首を縦には振らない。
──ですが、規定ですので……──
──おいおいレディ、何を固いこと言ってるんだ? もう少し融通をきかせても……──
堂々めぐりになりそうな両者のやり取りに、突然おおらかな声が割って入る。
奥から姿を現したのは、褐色の肌に癖毛の白髪頭を持つ、白衣をまとった恰幅のよい男性だった。




