ⅸ 不幸な出会い
モナート空港におけるハイジャック犯とのにらみ合いは、事件発生から二日経ってなお好転する気配はなかった。
けれど膠着状態に陥っていた事態が急展開をみせたのは、この日の昼過ぎのことだった。
『人道的観点』から、病人、怪我人、妊婦、そして子どもの合わせて十数名が前触れもなく解放されたのである。
犯人達も追い詰められて来たのだろう。
上層部はそう予測し、一時は楽観視する空気が流れたが、それ以上の変化は見られなかった。
このままでは惑連の権威に関わる。
そう判断した対策本部は、解放された人質のうち、入院加療が必要な者を除いた全員を司令部へと集めた。
彼らのいた機内が今どのような状態なのか、聞き出そうという寸法である。
だが、集まったのはほとんどが親から引き離された子どもだった。
見知らぬいかつい大人に囲まれて、幼い子どもは怯え泣き叫ぶばかりである。
慣れぬ子どもの扱いに、『お偉いさん』がほとほと困り果てて頭を抱えていた時だった。
それまでじっと黙りこくっていた一人の少年がおずおずと歩み寄ると、卓の上に広げられた機体の図を指さしてこう言った。
「銃を持ったおじさんは、そことここにいたよ。僕たちはこの辺に集められてた」
どうやらハイジャック犯は計三人で、操縦室に一人と客室に二人、という布陣らしい。
サーモグラフィを使った大まかな内部状況の観測結果とも、この証言は概ね一致する。
何気無い少年の言葉に、周囲は色めきたった。
大人達は、矢継ぎ早に少年に質問を投げかけた。
「で? 銃を持ったおじさんは、他に何か持っていなかったかい?」
「ナイフは持ってたよ」
「爆弾を手に持っていたり、身体に巻いていたりはしなかったかな?」
「カバンの中に入ってるって言ってた。けど、全然見せてはくれなかった」
「変な物を機内に撒いたりはしていないかい?」
「うーん……僕がいるところでは無かったけど」
質疑応答を繰り返すことしばし。
少年は非常に冷静な目で機内を観察していたようで、逐一簡潔な答えが返ってくる。
そして、少年の言葉を総合すると、心配されていた引火性物質の機内散布は行っていないらしい。
犯人が爆発物を身に着けている、といったことも無さそうだった。
惑連軍、そして警察との間でしばしの話し合いが行われた。
そしてついにある命令が下された。
「大尉、出番だ」
その声に応じて、先ほどから話の輪から離れた所に座っていた一人の男が、音も無く立ち上がる。
指揮官と思しき人物から状況の説明を受ける間も、生気の無い硝子色の瞳が鋭く目標を見つめている。
存在自体が不自然で、人形が動いているようなその男は、説明が終わるなりおもむろに口を開いた。
「連中もそこまで馬鹿ではなかったようだな」
その声も、口調も、どこか作り物めいて不自然なものだった。
けれど、少年は謎の男に釘付けになっていた。
一挙手一投足に至るまで見逃すまい、とでも言うように、少年は不思議な男を凝視する。
「ご託はいい。お前が腕前を見せつけてくれさえすれば、すべてが終わる。早くしろ」
けれど男の上官らしい軍人の言葉には、皮肉と嫌味とが必要以上に加味されていた。
そして、期待を一身に背負っているはずの男に向けられる視線は、等しく冷ややかであり、恐怖や嫌悪といったあらゆる負の感情までもが含まれていた。
何故だろう。
訳がわからないまま、だが少年は男から視線を外すことができない。
当の本人は周囲を気にするでもなく、レーザーライフルの類の物を軽々と担ぎ上げると、大股で窓際へ歩み寄った。
「おい、大丈夫なのか? そんなに堂々と……」
不安げな上官の言葉に、男はわずかに薄い唇の端を上げてみせた。
「これだけ離れていれば、肉眼でこちらを確認できない。普通の『ヒト』ならば。そして話を聞く限り、敵はこちらを狙える火器を持っていない」
そう言い捨てると、男はライフルを構えた。
その異質な神秘さに誰もが釘付けになった。
そう、先程までさんざん嫌味を言っていた上官でさえも同様だった。
そんな外野の様子などまったく意に介することなく、男はスコープを通して狙いを定める。
刹那、硝子色の瞳がわずかに細められた。
それから引き金が引かれるまで、さほど時間はかからなかった。
ためらいや迷いといった『感情』は、その間まったくと言ってよいほど感じられなかった。
一本目の軌跡が消えぬうちに男はライフルを構え直し、二度、三度と引き金を引く。
再び男はスコープを通して機体を見やる。
やがて、男がうなずくのを見て指揮官はあわてて出撃の命令を下す。
すぐさま無数の装甲車、そして救急車や消防車が機体に向かい走る。
わらわらと軍人達が機体に乗り込む。
そして、ブルーシートに包まれた『モノ』が三つ、機体から運び出されるのが見えた。
二日に渡ったにらみ合いの結末にしては、それはあまりにも呆気ないものであった……。
※
「最初は夢を見ているのかと思った。なんせニュースじゃあ、そんな人のことは何一つ言ってなかったから」
Dは何かに憑かれたかのように話し続けていた。
「あの人は確かにいた。けど、俺はいつの間にか大嘘つきにされていた。そう仕組んだのはあんたらだ」
そう言うと、ようやくDは顔を上げた。
「それからはお決まりのコースさ。嘘つきとそしられ、落ちるとこまで落ちた俺はI.B.に拾われて……あの人に再会した」
「会った……だって?」
かすれた声でつぶやく暁龍に、Dはどこか引きつったような笑みで応じる。
「あの人……ドライはすべてを教えてくれた。あんたらが善人面して裏で何をやっているのか……。その結果出来上がったのが自分。『人形』の三番目だ、とな」
言い捨てるDに胸ぐらを掴まれ、暁龍は成す統べもなく揺さぶられていた。
間近に見るDの瞳に、暁龍は狂気を見出していた。
「あんたらは研究とか治療と称して、回復の見込みがない脳死状態の患者に妙な手術をして『人形』に仕立ててるんだってな。しかも使い物にならなかったら廃棄処分か。それが全宇宙の仲裁者をほざく奴のやることか? え?」
確かにDの言うことは、間違ってはいない。
事実暁龍の存在は、Dの言うように惑連の非人道的と言っても良い研究の積み重ねの結果生み出された『モノ』だ。
そして、いつ何時用済みと判断され廃棄処分を言い渡されてもおかしくない立場にあるのも事実だ。
滑稽なことに、テロリストであるはずの目の前の青年のほうが、正論を口にしているのである。
「エリートさんには信じられないかもしれないが、事実は事実だ。もうすぐドライが来る。生きるために。あんたも、自分の忠誠心がいかに無駄なものか、早く理解するんだな」
笑いを残してDは部屋を出ていった。
一人取り残された暁龍は、大きな窓にもたれかかる。
と、かすかにヘリコプターのプロペラの音が耳に入って来た。
次第にその音が離れていくところから察するに、屋上に配備されていた機体がどこかに飛び立ったようだ。
どうやら他にも内通者がいたようだ。
そう理解し、暁龍は腕組みしながら苦笑いを浮かべた。
とにかく現状を知り、いち早く外に伝えたい。
どうにかして……。
行き交う足音に、思考回路は中断させられた。
扉一枚隔てた向こう側では、空気が次第に慌ただしくなって行くのがわかる。
Dはドライが来ると言った。
先ほど飛び立ったヘリコプターは恐らくドライを迎えに行ったのだろうか。
暁龍は歩み寄った扉に手をかけ、こじ開けようとする。
けれど流石に警戒されたのか、扉は内側から開かなくなっていた。
無論力任せに開けようと思えば開くだろうが、それでは彼が『ヒトならざるモノ』であるとバレてしまう。
状況がはっきりしない現状では、それだけは避けなければならない。
腹いせにドアに蹴りでも入れてやろうか。
ふと浮かんだそんな『人間的な考え』に、No.18は苦笑した。
Dにやられてからどうもおかしい。
外因性ショックでシステムに何らかのバグが発生している可能性もある。
一番厄介なのは、とある研究員が暇潰しに組みこんだというプログラムの存在だ。
万一暴走が起きてしまっては、自分では手の打ちようがない。
それは稼働試験で嫌というほど身にしみている。
気が進まないが、一旦ᒍの顔を見に行く必要がありそうだ。
この状況を打破し、無事テラに帰還出来たなら。
次の瞬間、暁龍は再び苦笑した。
本来危機的状況に投入される自分が、帰還を望むとはおかしなものだ。
「さて、どうするか」
他人事のようにつぶやくと、No.18は室内をぐるりと見回した。
外側のシャッターが閉まり鏡のようになった大きな窓に、全身が写りこむ。
その自らの姿に彼は一瞬身じろぎした。
眼鏡のない顔は、嫌と言うほど『あの人』……No.5に似ている。
無理もない。
もともと彼はNo.5の遺伝子を利用して作られた人工生命体なのだから。
事実を目の前に突き付けられ、苛立ちを抑えきれず暁龍はガラスに激しく手をついた。
窓の向こうからは、眼鏡というフィルタを失った人工眼球が無感動にこちらを睨み付けている。
その背後で前触れもなく扉が開いた。
振り向きざまに放たれた視線が、アダムス博士の驚いたようなそれとぶつかる。
何事かと思いつつ、暁龍は尋ねた。
「何かご用ですか? 頻繁にここへいらしては、危ないのでは?」
「皆、サード……ドライのことでそれどころじゃないわ。仕事が始まるまで、私は煙たいみたいだから」
目につかないようにしている。
そうアダムス博士は言い、寂しげに微笑んだ。
そして、今のところ職員の中で制裁を受けた者はいない、と付け加えた。
「何とか重症者だけでも解放するように掛け合ったけれど、駄目。一応、応急措置だけはさせてもらえたから、皆今のところ命に別状はないけれど」
「非常事態解除後、無事でいられる保証はないですからね。用済みになった人質はどうなるか解らない」
言ってしまってから、暁龍はあわてて口を閉ざした。
その意図はなかったとはいえ、明らかに博士への当て付けとも取れる発言だと分析したからだ。
けれど、予想に反して博士は同意するように寂しげに微笑んでみせた。
「確かに、すべてが終われば私も用済みね」
だからといって、博士はドライに対する処置をおざなりにすることはないだろう。
しかし、それにしても。
「ですが、博士。なぜ貴女はそこまでI.B.に……いえ、ドライ自身に必要とされているんですか?」
ごく当たり前な質問を暁龍は何気無く口にした。
けれども、いかにも当然とも言える疑問は、予想外の効果をもたらした。
アダムス博士は大きく息を飲み、再び視線を暁龍からそらした。
心なしか青ざめたように見えるアダムス博士は、ようやく重い口を開いた。
「彼は……『サード』は、私達……惑連の犠牲者だから。せめてもの償い、かしら」




