私のエッセイ~第十弾:「ギャップ」のついての小噺(こばなし)
こんばんは!いかがお過ごしでしょうか・・・?
今宵は、短めの小噺です。
タイトルどおりの、何の「ひねり」もないお話なんですが・・・「ギャップ」と聞いて、皆さんはどんなイメージが浮かびますか・・・?
正式な「定義」によりますと、「すき間。間隙、考え方や意見などの隔たり,また食い違い。」・・・こんな意味らしいですね。
でも、もっと一般的なイメージとしては、「落差」という感じの、高い場所から低い場所へと落っこちるような、そんなイメージを持つ方が多いのではないでしょうか・・・?
「ギャップがある」なんて表現を持ち出す場合、ある「物や人」に対して、自分が最初に抱いていた「イメージ」と、実際の物や人の「実態」があまりにもかけ離れていた場合、「え~、マジかよ。ちょっと幻滅・・・がっかりしちゃった。」なんて感じで、悪い方の「物や人」に焦点を当ててマイナスイメージを持つ場合が多いものと思われます。
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なんか、ワケワカラン前フリになっちゃいましたが、本日取り上げたい「ギャップ」のテーマは、TVドラマなどで演じる俳優と劇中の人物、小説に描かれる人物と作者の間の「ギャップ」についてでやんす。
これは、皆様もよくご存知でしょう。
たとえば、コメディアンの加藤茶さんは、「カトちゃんぺ!」などのギャグをコントで連発し笑わせてくれますが、普段は非常に険しい表情で、ムッとした印象すら受けます。受け答えも、真面目そのもの。
カトちゃんの例の場合、前述のような「え~、期待ハズレェ・・・。」という「落胆」の意味合いよりも、「つーか、なんか違くね?」的な「違和感」って感じの意味合いが強いですな。
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こういった、「作品と作者(役者)間のギャップ」というものは、江戸時代にも見られます。
「東海道中膝栗毛」という十返舎一九作の滑稽本があります。
「弥次さん」・「喜多さん(あるいは、北さん)」という二人の男が東海道徒歩の旅に出て、行く先々で面白おかしい騒動を巻き起こすという話です。
この本は当時「スマッシュヒット」し、一九は一躍流行作家となりました。
今で言うところの、「ベストセラー作家」ってヤツですかな。
「こりゃ、面白い!」と、作品にほれ込んだある人が、「こんな面白い作品を書ける人物だから、一緒に旅をしたら、さぞかし愉快だろうな。」などと考え、一九に一緒の旅を申し込みました。
・・・ところがところが。
いざ実際に旅に出てみると、当の一九は、全くの無口。
おまけに、いつも苦虫を噛み潰したようなしかめっ面で、全く楽しそうな様子が見られない。
あまりの退屈さと居心地の悪さに我慢できなくなった申し出者は、旅の途中で、たまらず一人で逃げ帰ってきたそうです。
なお、この一九。火葬にされた際、あらかじめ自らの体に仕込んでおいた花火に点火し、それが上がったという逸話が残されています。
お・し・ま・い。