第29話 同族:僕達-1
がやがやとうるさい高校の教室。
昼休みとなって席を立つ生徒が多い中で、僕は一人机の前で弁当を広げていた。
入学して間もなく、地元から遠い高校へ入学したことから友人や知り合いが誰一人としていなかった。だから、この頃の僕は一人弁当をしていた。
トイレに行ったりはしない。
臭いで弁当がくさくなるのは嫌だし、教室に戻った時に自分の席が誰かに座られていた場合の対処が面倒だからだ。
入学当初は、高校デビューということで髪にはツーブロックが入れられている。
身長が低いからあまり見えないかもしれないが、不良かもと一応の警戒する人も少なくなかっただろう。
一人でいることは、かなりいたたまれない気持ちだった。
恥ずかしい気持ちが一番だけど、信じたくはない想いもあるが、寂しいって思われるのも嫌だった。
一人は好きだ。
人の顔色を気にしなくていいし、下手な愛想笑いを振舞わなくていい。悪乗りがあったなら、弄られる標的になる。
友人関係というものが悪いものとは思っていなく、それとは全く逆だった。
だけど、恐れていたのだ。
ただ話すだけで壁があり、真の友情を勝ち得ない立場に立たされることに。
それは、結局一人だから。
そこら辺から見えない表情で、見えない態度で、楽し気な声が耳障りに入ってくる。
どれも僕とは関係のない灰色な景色の一端。
気にしたら負けなのだ。そう思って、僕はいつでも一人を貫く。
忘れ物をしたならば、教師に隣に見せてもらえと言われる可能性がある。
だから忘れ物には毎日注意した。できる限り周りと関わらないようにしようと。
僕は、前の世界で周りに絶対的な距離を置き、1ミリたりとも期待をしていなかった。
周囲の人は、関わらないでくれと僕の雰囲気から察して声を掛ける者もいなく、楽だった。
――楽だった…………。
入学してから1週間が経ち、来てしまったかと、僕の席に二人の男子が集まった。
それが、末堂雄介君と真島連君だ。
あの頃から二人とも出来上がっていた。
雄介君は髪を染めてチャラそうで、真島君は真面目な雰囲気で眼鏡をして頭が固そうだけど、
二人共、その奥に見える瞳は優しそうであった。
最初は怖かった。
いきなり僕の周りに集まって「金出せ」とか言われるんじゃないかと警戒した。
しかし、それ以外にいくらか残っていた期待が顔を出していた事に初めて気付いた。
――僕は、彼等を待っていたのだと。
「部活、何にした?」
雄介君から最初に出た言葉は、ただの日常会話だった。
もし、「数学のノート貸してくれ」とかだったなら、僕は彼を信じなかったかもしれない。
何かを意図して出た言葉ではないだろうが、この時の僕にとって、それは最善だったのだろう。
「ぼ……僕は、部活には……帰宅部にするつもりだよ」
久しぶりに人と話した気がして一瞬言葉が詰まったけれど、変な人だとは思われたくなくて、直ぐに言いなおした。
「じゃあ、俺たちと一緒だ」
雄介君は近寄りがたい雰囲気があったけど、真島君は口調もゆったりとしていて優しそうだった。
ただ、真島君が「俺」と言うのは、当初はちょっと違和感があった。
天才っぽくて、僕と同じで一人称が「僕」じゃないんだと心の中ではちょっぴり意外に思っていた。
それからは、一緒に遊ぼうという雄介君の流れに付いて行くことになった。
雄介君とはちょっと距離を感じたけれど、真島君はどちらかと言えば僕に近しい感じがして、彼がいれば大丈夫だろうと考えた。
その考えは改めることになった。
遊んでみると、雄介君とはかなり話が合った。
ゲームに始まり、漫画、映画と趣味が結構合うので話も弾み、僕達三人が一緒にいることが多くなっていった。
結果、この時の僕にあったのは運だ。
話しかけてくれた言葉が偶々僕が警戒したものではなく、偶々部活を決める方針が同じであり、偶々趣味が合った。
この運が僕に心の通った友人を作れたという結果を得られたのだ。
◇◇◇
プニーは、まだ来たるべき運が訪れていないのだ。
僕は、偉そうに、これがチャンスですよと上から目線で手を差し伸べたりはしない。
彼女は、あの一週間の僕と同じなのだろう。
そして、今の僕も変わらない。
「友達になってくれ」と恥ずかしくも言い放つ僕は、あの頃と何も変わってはいない。
しかし、それが普通なのだと今は割り切っている。
僕に満面の笑みで、更には偉そうにだとか、手を差し伸べるなんてことはできない。できるわけがない。
そんなの、僕にとっては、手を取ってくれなかった時が怖いだけだ。
表向きでは、僕を実験材料として割り切り、期待をせず、
されど、心のどかで「助けてくれ」と願うあの頃の僕と重なり、放っておけないと思った。
無理矢理かもしれない。
絶対にそうだと確証付けるものはなく、ただの感覚に過ぎず、不安はある。
彼女は、興味のあることならグイグイ理解を得られるまで追求することができる知識欲がずば抜けた存在であり、
他を、見下しているかもしれない。
違うんだ。
僕はそんな事を考えていない。
あの頃の自分は、別に関わらないでくれと心の中で思っていた訳ではない。
だれかに溺れた水の中から引っ張り出して欲しかったんだ。
僕も、灰色の世界から出してくれと、表舞台で色のある人の声を煩わしいものではなく、正しく耳に入れたいと。
それをしてくれたのが、雄介君と真島君。
今度は僕から、と目線が変わったけれど、彼女の本心が僕と同じであれと願って改めて目を開く。
中庭の端のベンチで繰り広げられていた確かなストーリーに一撃を落とすべく、
僕は立ち上がった。
ゆっくりと顔を上げるプニーと目が合った。
その表情には心配と警戒と心を閉ざすようで、彼女が言った言葉に焦燥感が募った。
その顔は、あの時の僕の顔であり、彼女が忖度の話をしたから。
「逃げないでよ!」
太股の横で構えられた拳が強く握り締められ、あの時の自分に説教するように怒鳴る。
あまり怒るとかは解らない。怒り方を知らない。
だけど、自分にイラつく事は度々あり、今はその状態だった。
プニーはポカンとして「どうしたの?」と言いたげであった。
「研究材料とか、割り切りとか、そんなのどっちでもいいけど、
僕を見てよ!
僕は、知らない人に力を貸すほどお人好しじゃない!」
息が切れそうなほど大きな声を出した。
だけど、まだ聞けていない。本題はこれからだ。
もう怒鳴るとか無意味なことをする必要はなく、息を整えて真直ぐにプニーの目を見た。
「打算とか、貸し借りとか、言い訳とか抜きにして――
君は……君自身は、僕と友達になりたくないのかい………?」
僕は、君の本心が聞きたいんだ。
彼女が俯き、無言で動かなくなった。
それが必要だと思った僕は、沈黙を尊んだ。
気づくと、彼女の肩が小刻みに上下、
いや、震えており、木製のベンチに水滴を零して色を暗く塗っていた。
◇
あたしには、親がいない。
物心がついた時、あたしは一人、街の中の人が寄り付かないゴミ捨て場のような場所で大きめのシャツにくるまれながら座っていた。
一応周りに人はいたが、生きているかどうか、男か女かも判らないボロ服を着た人族が建物の壁に首を預けて寝転んでいる。
しかし、周囲に家族と思われる者はおらず、あたしは生まれて直ぐに孤独を感じた。
その街は腐敗しきっていて、盗みが当たり前のように行われる最悪な場所だった。
だが、あたしが生き延びるのにはこれ以上なかったかもしれないと今では思っている。
あたしには才能があった。
誰かが盗みを行ってバレ、気を取られているうちに流れるように懐に物を入れる。
中には盗みのプロとも呼ぶべき手際がいい人がいて、その技も見様見真似で真似れば百発百中で成功させた。
盗みだけで生きてきた訳でもない。
時にはゴミを漁り、使える服や食えそうな物、なんでも手に入れ、生きる為にできる事はなんでもした。
時が経つに連れて同じ境遇の仲間ができて協力して盗みもしたけれど、
当然のようにそれが祟った。
仲間の腕はお世辞にも上手いとは言えないもので、あたしが8歳になった頃に盗みを失敗した。
バレて逃げ続けたけれど、入り組んだ街を子供が扱うには酷であり、直ぐに追いつかれてしまった。
あたし達、子供が盗みで生き抜こうとするならば、絶対にバレてはならなかった。
走力では、大人に絶対に勝てないから。
屋根によじ登ろうとして腕のリーチが長い大人に捕まった。
ああ――やっと殺される。
死のうとしたことはあったが、自害という逃げをするのは絶対に嫌だった。
あたしが世界に負けたという事実を受け入れたくなかったからだ。
店の番をしていた小太りのおっさんの肉付きのいい拳が振り上げられ、死を覚悟する。
もうこれで終われると、半分開く目で見届けながら嘲けるような笑みを浮かべた。
しかし、その拳はこの辺では見ない兵隊の一人によって止められた。
上等な装備を着用しているあたりは、貴族の類だと思われる。
「なんなんだ!? 俺は盗人を捕まえただけだ」とあたしを殴ろうとした男が戸惑いながらに説明すると、兵隊は金のコインを男に渡す。
男は二度見すると察したように去って行った。
そうか、あたしは留置所にでも入れられるのかと考えたが、兵隊の後ろから出てきた高齢のお婆さんを見て、違うと思った。
お婆さんは、あたしを和やかな笑みで見てきた。
誰もあたしにそんな顔をしたことはなく、何を考えているのかは解らなかった。
次の日、あたしはどっかの貴族の家にいた。
豪邸のようなその場所で目覚めると、助けてくれたのだろうお婆さんがあたしに言う。
「あなたを家の養子にします」
「養子」が何か解らなかったが、あたしの表情から察して説明もしてくれた。
前よりいい暮らしができるのならとそれを了承した。
生活は一変する。盗みの技量を上げる生活から、礼儀や学術を学ぶ生活へと変わり、最初は違和感しかなかった。
その家は、よく見ると色々な顔や体をした者達がおり、あたしが人族でないことも知った。
そして、人族ではない故に外では迫害を受け、蔑まれる対象であるのを教えてもらった。
意外ではなかったが、おかげで人を信じることをしなくていいのだと安堵するに至る。
数年後、あたしはあるものに憑りつかれていた。
それは、魔法学。
貴族邸ということもあって、お婆さんはあたしに必要な書類を与えてくれ、魔法について学び、研究することができた。
未知の知識に囚われた。
知らないことを知りたいと時が経つにつれて好奇心が増していき、今では誰も見つけたことのない大発見を成し遂げたいと思うようになった。
だけど、それで今までの人生が無くなった訳じゃない。
人に聞いたりするのは、あたしにはできない事で、個人での研究が主になっていた。
人を信じることは、生まれてこの方一度もできはしない。
ゼクトを見つけて話し掛けたのは無属性魔法が使えると思ったから。
そのはずだけど、もう一つ理由があった気がする。
それは、一瞬思って忘れようとしたことだから覚えていない。
いや、知っているけど……
有り得ないし、信じたくないから理由にしたくないんだ。
最初は、拒否された。
慣れていたし、その態度は当然だと思ったからあたしから追っていった。研究材料を逃したくない一心だった。
そして、やっともう一度面前に立ったこの時、ゼクトはあたしに言うのだ。
「僕の、友達になって」と。
たった一度話し、その話した内容もあっちからしたらどうでもいい事のはずなのに。
今度はあたしが警戒するのは普通で、言葉を信じないのも普通。
だけど、何故だろうか。
初めて見た時から、ゼクトという男に吸い寄せられるようにもっと近づきたいと思う自分がいる。
研究材料だからだと思っていた。
けど、何か違う。何かが違うんだ。
「君自身は、僕と友達になりたくないのかい………?」
あたしは、この人と友達になりたいのか?
同族や仲間を二度と必要とせず、限りなく誰とも接しようとしてこなかったはずのあたしが、
このゼクトという男だけを特別視しようとしているのだ。
今まで一度も言われたことのない「友達」という言葉を嘲笑する側の人間のはずなのに、
信じてもいいかもと心の底から思ってしまっている。
――あたしは、今、この時を待っていたと。
言葉が詰まる。
どう答えていいのか、あたしには解らない。