プロローグ02
今、僕は絶望している。
雄介君に無理矢理つれてこられてしまったからだ。
明かりがスマホしかない真っ暗な廃ビルの中に。ホラーの巣窟に。
興味があるのは分かるけど、
いや、本当は分かりたくないけれど、
こんな場所に足を踏み入れる時が来るなんて生まれてから一度も想像したことなんてなかった。
何も出ませんように。何も起こりませんように。
心の中でそう何度も願いながら僕は真島君の腕の袖を掴み、真島君と一緒に一番後ろを付いて行く。
真島君は優しい。僕がこんななのに嫌な顔一つ見せずに了承してくれる。
テスト前だって勉強を教えてくれるし、僕も得意な数学を教えてあげたりして助け合いが成立している関係だ。
高校では、この真島君と出逢えた事が唯一誇れる事かもしれないと思える程に今は逞しく見える。
雄介君は頑固だ。一度決めた事を変えようとしない。
僕をいじるのが日常茶飯事で面倒な面はある。けど、本当は周りを良く気付かい、礼儀も弁えている。
成績も悪くないし、高校に入る前は、サッカーで結構スゴイ人だったらしい。
尊敬できる時も多々ある。僕をいじろうとする時に頑固な面を出してくれなければもっといい人だと思えるのに……。
「よし。
まぁまぁ広いし、こっからは男子と女子を一人ずつ入れた二人ずつに分かれて行こうぜ」
真直ぐ三階に上がったところで雄介君が提案する。
「は?」
せっかくこんな場所で怖いこと考えたくないからって君の美徳を掘り出していたのに台無しだ!
こんな廃ビルの中で二人?
何を考えているんだ!
幽霊にあったら一発で僕が死ぬか連れていかれるじゃないか、もうっ!
「んじゃ、あーし雄介と行くわ」
「それじゃあウチは真島君と」
「え、え、えー!
っていうことは、わたしは…………」
はいはい見なくても分かるよ。どう見ても頼りない僕なんかと一緒にいたくないよね。
僕はこんな所に居たくないんだけどね。なんで君もこんな場所に来たんだろうね。
「ビビり同士でお似合いなんじゃね?」
さっきから言葉遣いが引っ掛かる女子の言葉には恐怖しか感じない。
最初からこの人達は僕を見下して面白がっている。こっちがどんな気持ちで連れてこられているのか知らないのに。
「男を見せろよ」
雄介君が楽し気に僕に耳打ちする。
僕の心の中での返しはこうだ。
僕は女の子でいいから帰らせて!
◇
◇
◇
初めて気付いたことがある。
それは互いに震えて手を取り合いながら歩くと、歩き難いという事だ。
初めて女子で同じ気持ちの人を見つけた。
そう。見ただけで分かる。この人と僕の考えていることは同じ。
怖い。
死にそう。
死んじゃう。
これに尽きる。
それと、互いを心許ない人だと思っているのもあるだろう。
もし他の四人の誰かが脅かしてこようものなら瞬時に二人して気絶、最悪は死んでしまう。
僕も早く終わらせたい気持ちで一杯だったが、足は震えるばかりで一向に前に進まない。
これは震えているのだろうか。それとも禁断症状で痙攣を起こしているのだろうか。
「ひっ」
僕にしがみ付き、僕が不甲斐なくも服の袖を掴んでいる女の子から声が漏れるのを察知し、何か見つけたのかと僕は機敏に顔を女の子の方に向ける。
「どどど、どうしたんですか……?」
「ひ、一人でどっかに行かないでね」
目を潤ませて願われる。
うっ……。
そんなことを言われても、やろうと思ってもできない。
なんせ足がガクガクだ。これで逃げようものなら、途中で転んで置いて行かれるのは僕の方だろう。
だから僕は当たり前のように答える。
「そんなことしませんよ」
だから君も僕を置いて行かないで!
言葉にはしなかった。
ここでだけ男としてのプライドが出てしまったのだ。
しかし、初めて女の子の顔をこんなに間近で見た気がする。
少し茶色掛かった髪はおそらく地毛。女子高生は皆なぜかスカートの丈を短くしているものだが、この子は膝までスカートで隠れているし、先程の女子達と違ってチャラさが無い。
なんでこんな子がこんな場所に来ることになったのか疑問でしかない。
そういえばこの子、眼鏡なんて掛けてたんだ……。
チラチラと右にいるこの子をチラ見しながらゆっくりではあるが、足を進めてそんなことを考えていると、異様な雰囲気が一掃濃くなって時間が止まったような感覚に陥ったことに気付いた。
寒気がする。
悪寒もする。
命を狙われているような、生きている心地のしないそんな――
隣の女の子を見ると、赤い眼鏡の奥で目を見開き、通路の奥を指差して固まっている。
見たくはなかった。しかし、異様な空気にあてられ、見ろと言われているような気がした。
ゆっくり視線を通路の奥の方へと向ける。
そこには、長く濁った白い髪で顔が覆われ、汚れた白いワンピースを着た、いかにもな女性――幽霊がいた。
身も気もよだつ目の前のものを見て鳥肌がこれでもかと逆立ち、息が詰まって呼吸しているかどうかすら怪しい程に肺が強張る。
「きゃぁああああああっ!!!」
いくらか時間が経ってから誰かの悲鳴が聞こえたことを実感して右を見た。
既にさっきの女の子がいなくなっていた。
アレを見た衝撃で僕の全身の力が抜けて握りしてめていたはずの女子の袖から手を離してしまっていた。
この時、自分には一人でどっか行かないでねって言ったくせに、とかそんなことは考える余裕はなく、僕も逃げないととまたアレを見る。
アレは、僕の方へと移動している。
足を使った動きではない。悠然と漂うかのように空中を浮いてそのままこちらへ移動している。
殺す気だ。
スプーンとかを皿に擦り付けたような声に出ない悲鳴を出しながら振り返り走り出す。
直ぐに後ろを見た。アレが僕を追って来ているか気になったのだ。
アレは、僕が走り出すと同時に移動速度が速くなっていた。
まるで陸上選手。それを彷彿させる移動の速さ。
「ひぃ!」
僕は足が速くない。運動は苦手だ。
けれど、生きる為ならばと必死に。
もはや後ろは見ずに走ることだけ、逃げることだけを考えた。
呼吸が難しい。
吐いて吸うの一連の流れのはずなのに、僕の呼吸はずっと吐くだけで呼吸になっていない。
足がガクガクして転ばないように気を付けるのも難しかった。
がむしゃらに走ってやっとの想いで階段へと行きつく。
ここは三階。一番下に行くには二階分下りなくてはいけない。
考える余裕も無く下へ下りようとすると――階段の踊り場からさっきのアレの白い頭が顔を出してきた。
嘘でしょ!!?
さっきは僕を追っていたじゃないか!!
咄嗟の拒否反応で僕は階段を上って行ってしまった。
しまった!
なんで僕は階段を上っているんだ!?
別の階段を探すにしてもそのまま三階で良かったんじゃないか!?
いやでも、今のアレは三階のとは別ものかもしれない。これで良かったんだ。
四階へ到達し、このまま四階で逃げようかと考えるが、階段から下を覗くともうすぐ傍まで来ており、直ぐに階段を上って行く。
バカだ僕は!
最初からこんな所に入らなければよかったのに、雄介君のいつもの調子に乗せられて。
こんなことなら、もっと色々やっておけばよかった。できることを色々やって、生きていくうえで成長することを楽しめばよかった。
《新たにスキルを獲得しました》
何かが頭の中で声がしたような気がしたが、気にする余裕はなかった。
まだ僕は何もしてない。
何もできてない。
ただ17年間を生きてきただけ。
こんなのは嫌だ。こんな、こんな……………………こんな人生は嫌だ!
だから、助けてよ神様!!
階段の先は扉だった。おそらくは屋上への扉。
希望があるならばここしかないと思った。
外に出れば神様が助けてくれるかもしれない。そんな打算から僕は屋上へ出ることを選んだ。
錆びているのか扉を開けるノブの回りが悪い。
「お願い、開いて!!」
過呼吸になりながら両手で願うように扉のノブを回す。
ガチャ。
開いた!
ドアが開くと同時に僕は屋上へと身を乗り出す。
屋上には柵が無く、今にも雨が降りそうな天気で薄暗い。
しかし、外には出ることができ、これで幽霊も付いてこられないと決めつけていた。
やった! これで――
確認の為に後ろを振り返る。扉の前でアレが立っていた。
待って…………来ないでよ。
ゴロゴロと空で雷が鳴っているのが耳に入り、次の瞬間には大量の雨が降り注ぐ。
雨で瞼が何回か塞がりそうになるのを我慢して目の前の幽霊を見続けた。
瞼を閉じて次に開いた時に目の前にいるという状況になるのが怖かったからだ。
アレは何の躊躇いも無く、屋上へと出てきて僕へ向かって移動してくる。
膝が限界だった。
運動をしない僕がそう長く、それも階段なんかを走らされて持つわけがなかったのだ。
地面に尻を付き、震える手を少しでも離れようと動かすが、それに意味はなくアレは僕に顔を近づけ、手を伸ばす。
僕の心臓は頭がうるさくなるほどバクバク脈打ち、死を連想させる。
腕から力が抜けて体が倒れていき、これは気絶するなというところまで意識が朦朧とする中で頭の中で声が素早く行き交う。
《ボディを取得しました》
《精神のアップデートを開始します》
《完了しました》
《ステータスを――》
《エラーを発見》
《直ちにリブートします》
《完了しました》
《ステータスをオプティマイズ》
《バグを発見》
《介入が不可》
《ビルドに問題無しと判断》
《そのまま継続します》
《完了しました》
《転送を開始します》
誰の声だろう。層間桐にしても、こんな声の人に会ったことがあるだろうか。
多分、ものごころがつく前にあった事だろう。死の間際に思い出すとかそんな感じの。
でも、何の意味もない層間桐だ。だって、こんな声をした人なんか僕は知らないんだから。
また、それとは違う声を僕は聞いた気がした。
「やっと見つけた」
その声は幽霊から出たには思えない、安らかで可愛らしい女の子の声だった。
それがアレから出た声かは分からないが、なぜか僕はアレが言ったのだと感じた。
雷が光る中、目の前の女性の顔を見た気がした。
それは、顔のパーツが整った容姿で綺麗。
誰もが惚れてもおかしくない美女が、安堵したような笑みを浮かべているような気がした。