第15話 助け助けられ
瞬間移動だ。
すぐにミラ姉さんの所へ瞬間移動して、更に最初の路地へ瞬間移動する。
そう考え、それが正解と思っていた。
しかし、僕は既に詰んでいたのだ。
ミラ姉さんの頭上からさっきの男達と似た服の上に黒いコートを着た男が降って来た。
「誰だ? このガキは?」
「なっ、何よ、アンタ!? 何すんの!?」
短い金髪に目には黒いゴーグルをして、口の端には切れたような切り傷、テナンさんほどあるかに思える大きな体格の男だった。
男は、ミラ姉さんの首の後ろを掴んでこちらに見やすいように掲げる。
ダメだ!
ミラ姉さんに触れられては瞬間移動する意味が無い!
「なぁ? ハイエナ。
いや、こっちの名前の方が馴染みか? シータさんよぉ!?」
男がミラ姉さんを掴みながら近づいてくる。
女の人の方は、傷が痛むのか腹の方を抑えながら屈みながらも前へ出てくる。
僕は、心臓が破裂しそうなくらい波打って目の前が朦朧とし、呼吸が止まる。
汗が頬を伝って地面に落ちるまでの時間が凄く長く感じた。
ミラ姉さんが人質に取られて緊張しているのと、この状況に慣れていないことで僕自身が自分を追い込んでいるような錯覚を覚える。
「さっきの、あなたがやったの?」
頭が混乱し体中が緊張する中で隣に来た女性が小声で問いかけてくるので咄嗟に左を振り返る。
彼女の口は開いているだけで動いていなく、この人が話しているか分からなくなるくらいだった。
すごい……まるで腹話術だ。
って、今はそんな事はどうでもいいんだ。
この問にはイエスかノーの選択肢しかない。つまり、頷くか首を振るかの二択だ。
状況証拠だけでそれを直感したのだろう。
しかし、今は隠してなんかいられない。
ミラ姉さんを助けるのが先決だと僕はゆっくりと少しだけ頷く。
「もう一度できる?」
再び同じように頷くと女性が少し笑った。
「何を笑ってやがる?」
「そんな他人を人質に取って何か意味があると思う?
それとも、あなたはそんな女児とイチャイチャしたい生癖があるキモ男なのかしら?」
ちょ、挑発!?
この人、慣れてる……。
誰にでも人質が取られている時に冷静に話すなんてことはできない。
「ハッハッハー…………そんなので丸め込めると思っているのなら、腕が落ちたんじゃないか?
さっきこの娘が『いた』と言ったのを俺は聞いていたぞ」
男は冗談に対して少し笑った後、余裕ぶって耽々とした目で睨み付ける。
下手なハッタリや揺動はこの者には効きそうになく、僕はほとんどを大人であり慣れていそうな彼女に任せることにする。
先程の笑みと僕への質問から何か策があることは想像できた。
僕は、その時を待つように無表情で構える。
女性は、僕から距離を取るようにフラフラと路地裏を広く使って歩き出す。
「あら、それはこの子供の事を言っていたのでしょう? 髪色も似ているし、姉弟といったところかしら。
どこから迷いこんだのか知らないけど、あたしとは関係ないわ」
「ハッ! 確かにな! そういうこととなれば、関係は無さそうだ……。
しかし、それはそれで俺の盾になると思わないか? ん?
お前は、魔法も使う厄介な女だ。4人も野郎を送り込んでやったのに、それをもろともしないなんてなぁ……。
感心を通り越して、あそこに這いつくばっていやがる奴等を殺してやりたくなるよ」
「ちゃんと目は付いているのかしら?
あたしはこの通り、もう瀕死もいい所よ。さっきの4人で限界。
あたしもバカじゃない。これ以上戦えても、それがあなたとなれば流石に無理と思うのが普通でしょう?」
「俺はな、用心に用心を重ねる男よ」
僕には分かった。
視線とかじゃない。それじゃあ男に気付かれる恐れがある。
この女性は、そんな分かりやすい方法を取ることはしないと予め予想していた。
女性が逆の壁に寄りかかるように体勢を崩して倒れ込む。
僕はそれを合図と解釈する。
男の視線は女性への警戒心から僕を向いてはいない。
彼女にかなりの腕があると理解しているのと、子供を警戒する必要性はないと考えているからだ。
実際そうなのだろうが、今のダークホースは警戒心を抱かないであろうたったの4歳児なのだと証明する。
僕の異能は詠唱魔法ではない。
無詠唱魔法にも似ているが、今はそう解釈してもらってもかまわない。
【透明化】
僕は自身の体を影に潜めるように透明にさせる。
口で叫ばなくても異能の定義はできる。
その違和感を男が持たないことを確認して次の段階に移った。
【身体強化】×2
全身の運動能力を飛躍的に上昇させ、貧弱な4歳児から大幅にグレードアップさせる。
それは一応に一応を重ねた異能の使い方でオーラを隠せないほどのレベルに達するが、身体強化二倍であっても透明化はオーラでさえ隠す。
そこに誰もいないように見せるのが透明化の醍醐味だ。
この身体強化ともなれば、この距離での瞬間移動は必要ない。
僕の体感からすれば跳躍するだけで瞬間移動と同義だからだ。
走り出す瞬間に身体強化の影響あって軸足を置いていた地面が凹んで音が出る。
「な、なんだ!?」
それがなんだと相手が一瞬でこちらを向いてしまうが、今の僕は透明であり、直線的に進んでも気付かれず、戸惑い顔が目に映る。
修行で培った流れるようなステップで男の懐に潜りこむと、左手でミラ姉さんの服を掴み、もう片方の手は拳を握った。
人を殴るなんてしたくない。
僕が殴る側でも、殴られる側でも嫌だから。
だけど、あなたは僕の大切な人を盾代わりと言って傷付けようとした。
それで黙ってるほど、僕も人間できてないぞ!
「わぁあああああっ!!」
地面を蹴って拳を上へスライドさせる。
「ズッ!!?」
目を瞑って無心で殴った男は、空へと吹き飛んでいってしまって見えなくなっていく。
当たったのは、狙った頬ではなく顎だった。
暫く拳を突きあげて当たった事を認識できていなかったが、目を開くと男がいなくなっていた。
ほっぺを狙ったんだけど、ちょっとズレた。でも、なんかとりあえずは良かったかな。
警察とかに連れ出すとかした方が良かったんだろうけど、子供の僕達や手負いの女性だけじゃ無理だったかもしれないしね。
異能を全て解除させると、透明化も解けてミラ姉さんが涙目で僕に抱き着いてくる。
「カエデー! ありがどう、怖がった、怖がった……!」
うっ、ここまでくっつかれると意識が…………。
「ミラ姉さん、今は落ち着いて。まだやる事があるから」
「う……うん…………」
儚げな表情の彼女を引き離すのは気が引けるが、本能に従い直ぐに距離を取る。
なんとか意識は保った僕は、怪我をしているだろう女性が心配になって直ぐに駆け寄り、状態を窺う。
「大丈夫ですか?」
意識はあるが壁に背中を預けて座り込んでおり、息をしているだけとなってさっき言っていた瀕死状態というのがまんざら嘘ではなかったのだったと気付く。
男達からかなり攻撃を受けたのか唇や額の方から血が出て苦しそうでもあった。
「あなた、何者?
ただの子供じゃ……ないわね」
男との会話は全部ハッタリではなかったが、一番のハッタリは自身の状態だったのだろう。
僕が隙を突いて逃げ、それに気を取られた男を自分で、という作戦だったのだろうが、
そうなっていた場合は、十中八九やられていたのはこの女性の方だっただろう。
そこまでして助けようとしてくれた女性に名前を名乗るのを拒みたくなかったが、流石にミラ姉さんの素性までバラすのは気が引け、
「カエデ・ウメミヤ。いずれ、この世界で凄くなる予定の者です」
「っ!?」
僕と一緒に近くに来ていたミラ姉さんが驚いていた。元の世界の名前を使ったからだろう。
こっちの世界でのゼクトジュニアは、魔法は一切使えないという設定だ。こうした方が後々になっても楽できるという思惑もどこかにはあった。
「そう、カエデというのね。
あなたには感謝しなくちゃいけないわ。あたしの命を二度も救ってくれたんですもの」
「そんなのいいですよ。それより、怪我が酷い。
すぐに治る傷じゃないなさそう。お腹の骨もいくつか折れているかもしれません」
「そうね、あばら5本に内蔵出血もありそう。
あたしは回復魔法は得意じゃないし……。
でも、こんなのは数日あれば治るものよ。
……気にしなくていいわ。
それより、あなた達は早くここから立ち去りなさい……。さっきの、奴の仲間がここへ来るとも限らない……から」
彼女は体中が痛むのか辛そうに話している。状況はかなり切迫しているようだ。
この世界に病院という病院はない。
薬屋でゲームでも出てくるポーションが売っていたり、教会や偶に冒険者ギルドにも回復魔法が使える者がいるが、元の世界みたいに気楽に救急車を呼べたりはしない。
ポーションは高価だし、この街にギルドや教会は無い。
しかし、今はヒールが使えるミラ姉さんがいる。
「ミラ姉さん、ヒールを使えたはずだよね? お願いできる?」
「いいけど…………」
ミラ姉さんを僕の隣に屈ませて魔法を掛けさせようとした。
「いいのよ、お嬢さん」
しかし、女性は薄っすらと笑みを見せてそれを断る。
それは明らかにミラ姉さんを気遣ったものだと僕はすぐに気付いた。
彼女の状態は、ヒールで治せるレベルを超えているのは明らかだった。
全部が治らないわけではないが、肝心な部分を治すのには無理があるだろう。
回復魔法が万能ではないのは知れているところだが、その要因となっているのが回復魔法のレベルに関係する。
ヒールは初級魔法。擦り傷など軽度のものは治せるが、骨折といったものは治せない。
それを治すには、少なくとも中級魔法は必要となってくる。
骨折の度合いによっては、上級魔法も必要かもしれない。
いくらミラ姉さんに才能があるとしても、ヒールでは物足りないのだ。
しかし、放置というのは愚策な気がする。
腹の骨が折れているとなれば、どれかが心臓に刺さる恐れもあるはずだ。
それを放置しておくのは危険。僕が言うところのリスクがあるということになってしまう。
せっかく助けたのに、それは後味が悪い。
となれば、僕の異能しか頼りがないが…………。
暫く悩んだ。
途中早く行ってと女性に言われたが、
それでも尚、放ってはおけないと決心する。
「任せて!」
「カエデ?」
「何を…………」
「あなたを僕が治します!!」
「何を言っているの」という顔で僕を見ていたが、ミラ姉さんは理解したようで頷いてくれる。
頷き返すと、集中するように深呼吸をした。
お願い、言う事を聞いて!
僕はこの女性を助けたい。
なんで狙われてたとか、そんな事はどうでもいいんだ。
放っておけない。
既に関わっておいて放置なんて、僕にはできない。
僕の力なんでしょ。僕にしか使えない力なんでしょ。
だったら、僕に力を貸して!
この人を助けたいんだ!
命を張って僕達を救おうとしてくれたのに、僕からは何もできないなんてそんなの嫌だ!
お願い!
来て!
願いを込めて掌を女性の方に向ける。
すると――僕の掌から回復魔法特有の緑色の光が現れる。
それは、まるで踊るように揺ら揺らと動いて彼女の全身を覆っていく。
「もしかして、回復魔法!?」
「それに、これはただのヒールじゃない」
誰にも真似できない僕だけの回復効果のある異能――【超回復】。
全身を覆っていた光が止むと女性は立ち上がり、拳を握る。
「すごいわ。あなた、中級以上の回復魔法が使えたのね。
ただの子供ではないと思っていたけれど、これは英雄勲章ものだわ」
おだてられた僕の方は、成功して良かったとホッと肩を撫で下ろしていた。
回復魔法ではなく、攻撃魔法なんか出てしまったら回復させるどころか殺していたかもしれなかったから。
「まだこっちの方は名乗っていなかったわね。
あたしは、ヴィーナス・ラバーハット。
これ、本名だから誰にもいっちゃダメよ?」
復活したヴィーナスさんという女性は、先程までの辛そうな表情は一切なく、むしろ妖艶な感じが増して無意識に胸に目が行ってしまった。
およそ母さんと同等の豊満な胸にあてられたのか、はたまた疲れてしまったのか僕は五歩ほど後退りする。
「あなた、何者?」
ミラ姉さんがこれまた率直な疑問を投げつけるが、ヴィーナスさんは大人の余裕を表すように目配せを混ぜながら答える。
「女は秘密が多いものよ、あなたもいつか分かるわ。
それより、もう帰りなさい。こんな危ない場所に長居してはいけないわ。
カエデ君と、ミラお姉さんだったかしら?
覚えておくわよ。いつか感謝を倍にして返してあげるから」
「いえ、そういうの気にしてないので」
今回助けた理由ももう忘れてしまったし、あまり大人の人と関係を作りたくない。
ヴィーナスさんは再び目配せをすると、また屋根の上へと上がって姿を消す。
それを見送り、僕の方も電池が切れたようにドッと疲れが押し寄せてきた。
まるで老化したかのように腰がひん曲がり、顔の筋肉が垂れ下がる感覚があった。
「カエデ、帰るわよ」
「うん」
もう移動も面倒だし、瞬間移動をしよう。
ルーナさんを気配探知で探って、近くの路地に瞬間移動するんだ。
もう疲れすぎて睡魔がヤバい……。