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司のさっぱりとした性格は涼にしっくりと馴染んだ。
司が実年齢より精神面で大人だった所為だろう。
涼は時々司を試すように無茶を言った。
その度に司は仕方ないというように淡く苦笑するのだ。
涼は司のそんな苦笑が好きだった。
だから今回も苦笑しながら許してくれる気がしたのだ。
まともに好意を伝えられない臆病な涼を受け入れてくれる。
そう勘違いしてしまったのだ。
しかし、実際には違った。
司を怒らせてしまったと涼は酷く後悔した。
しかし、涼は望みを捨てられずにいる。
今日の天気予報は雨では無かった。
以前司は、雨の匂いが分かると言った。
口で説明するのは難しいが、湿った大気の匂いが分かると言った。
いつも理路整然としている司があやふやな事を言うので珍しいと涼は感じたからよく覚えていた。
司は拒否を示しながら、涼を完全に拒否し切れない。
そんな司の態度が涼を期待させるのだ。
手の中にある折り畳み傘を涼は見つめる。
「お勘定!」
涼は短く言うと、勇気が溜め息を吐いてチェックする。
「今回ばかりは素直にな。後悔するなよ」
勇気が伝票を差し出した。
涼は曖昧に返すと、スポーツバーの入り口を出る。
扉に付けられたカウベルが涼やかな音色を奏でる。
★
「司!」
今からタクシーに乗り込む寸前の司を呼び止める。
駅ロータリーは、タクシー待ちの人々が列をなしている。
次々とヘッドライトとテールライトを靡かせて軽やかに水しぶきを上げながらロータリーにタクシーが滑り込んでくる。
雨がしとしとと霧のように細かな雫となって辺りをしっとりと包む。
傘を差しているのは、涼と司以外見当たらない。
本当に予想外の雨だったのだ。
そんな光景に、涼は十代の少年のように胸を熱くするのだ。
司は少し戸惑いながら、タクシー待ちをしている次の待ち客に座を譲っている。
その頰は涙の筋がある。
綺麗に化粧で整えてあった顔が化粧崩れする程に泣いていたのか、司は慌ててハンカチで目元を拭っていた。
その涙は一体何の為だろう。
友情を踏み躙られた所為だろうか?
それとも涼との事は全く関係無いのだろうか?
もし、少しでも。
涼との事に心を痛めてくれているのならば。
涼は、期待せずにはいられないのだ。
この恋は、いつも期待と失望の繰り返しだ。
司の思いやりに喜ぶ。
しかし、その思いやりは涼にだけ与えられたものではないと知り、絶望する。
司はいつも優しい。
しかし、それは誰に対しても優しい。
涼だけのものではない。
二人で、沈黙し、雨に濡れた地面を見つめていた。
涼は意を決して、タクシー待ちの女性に傘を押し付けた。
「使ってください」
慌てる女性を無視して、司の傘に飛び込むと、司の肩を強引に抱いた。
「涼くん?」
慌てる司。
名を呼ばれたのは久しぶりだ、と涼は少し感慨深い気持ちになる。
司にはいつも神田くんと呼ばれている。
慌てた時や驚いた時に司は不意に涼を下の名前で呼ぶのだ。
つまり、素の時は涼と呼んでいてくれているのだ。
司の肩を抱いたまま、涼は歩き出す。
「どこに行くのよ?」
司は困惑しているようだ。
構わず涼は歩き続ける。
「私、絶対嫌だからね?」
拒否の言葉に涼は堪らない気持ちになる。
もし、司と真っ新な状態で出会えていたら。
これ程に後悔する事になるなど、ほんの子どもだったあの時の自分には分かりもしなかったのだ。
司を強引に連れて歩いていると、司が涼をつき飛ばした。
「……あっ」
突き飛ばされた衝撃で、涼が濡れた道路に尻餅をつくと、司は小さく動揺した。
「突然どうしたの?」
雨に濡れる涼に傘を差し出しながら、目線を合わせるように司はしゃがんだ。
「……きだ」
涼が呟く。
しとしとと降る雨に小さな涼の呟きは吸い込まれていく。
「えっ?」
司に呟きは届かない。
いつもそうだ。
素直になれない涼の淡い恋情は司に届かない。
司がクラッチバッグから取り出したハンカチで濡れる涼を拭いてくれる。
もう一度、涼は意を決して言葉にする。
「好きなんだ」
ハンカチを持った司の手をしっかりと握る。
涼は初めて司の瞳をしっかり見つめた気がした。
いつも凛とした横顔ばかりが鮮明に焼き付いている。
横に並ぶ友人の距離から、正面から瞳を見注める男女の距離に。
十年来の友人は、関係を変えようとしていた。
了