stage,38 シェルティ編②
──とある一室で教授に書類を渡したあと、オレはシェルティに連れられてさらに廊下を進み、数ある校舎のうち一番西側にある棟までやってきた。
その棟の一室、まるで図書館のようにズラリと本棚が並んでいる部屋の扉を開けて、シェルティはニコリと笑う。
「着きましたよ。この一室をお借りして、わたくしはいつも勉強させていただいてます。ちょっと机の上を散らかしたままになっちゃってるので、パパッと片付けちゃいますね」
見れば、机の上にはたくさんの本が無造作に積まれていて、ノートや筆記用具も散乱している。
「思いっきり慌てて忘れ物を探した痕跡があるな……」
「うぅっ……そこには触れないでください……」
恥ずかしそうに苦笑して、慌てて机の上を片付け始めるシェルティ。オレも手伝おうと、開きっぱなしで置かれていた本を拾い上げる。
その本には絵らしきものはなく、びっしりと文章が書かれていて目が痛くなりそうだ。
「自由研究とか言ってたけど、何の研究をしてたんだ? これって……『詩』みたいだけど?」
「ああ、それは詩ではなくて『呪文』ですよ」
「呪文? それって魔法を使う前に唱える、あの呪文か?」
「はい。あ、魔法に詳しくないと見ただけじゃわかりませんよね」
と言ってシェルティは本のページをめくり、ひとつの詩を指でなぞる。
「たとえば──ここに『其は激しき水流、飛沫の刃』と書かれているでしょう? これはわたくしがよく使う〈スラッシュ・カーラント〉の呪文の『〈上の句〉』です」
「上の……句?」
「はい。呪文には、その魔法がどういった効果を現す魔法かを表現する〈上の句〉と、その魔法をどこにどう使うかを表現する〈下の句〉があるんです」
「なんか短歌みたいね。川柳だったかしら……?」
担架……占有?
えぇい、アスカのやつ。ただでさえわからんシェルティの話に謎単語で茶々を入れるのはやめてほしいんだが……
「えっと……、どこにどう使うか?」
「〈スラッシュ・カーラント〉でしたら、下の句は『彼の者を斬り裂き、押し流せ』です」
「ああ、なるほど。確かにあの魔法は、水の刃と水流で目標を斬り裂きながら押し流してくな」
何度も巻き添えをくらったので、あの魔法の特性はよく覚えている。泣きたい……
味方認証されてると斬られはしないんだが、思いっきり水の勢いで押し流されるんだったな、アレ。
「魔法の性能にも左右されますが、『彼の者』のところを『彼の者達』と呪文を変えると、複数の標的に攻撃できるようになります。『此の者』に変えると着弾点が近くなりますね」
「ほほう、わかりやすいな。今までよく聞こえなかったけど、後ろにいるシェルティが何か難しそうな呪文を唱えてるな──とは思ってたけど、詳しく聞いてみれば案外そのまんま言い表してるだけなんだな」
「はい。実は魔法ってそれほど難しいものじゃないんですよ」
とシェルティは笑顔のまま、うなずいた。
話は聞いてみるものだ。呪文の法則や内容を知れば、魔法もずっと身近になった気がする。
「だけど、魔法には全部こんな呪文があるなら、シェルティはその全てを暗記してるってことだよな? それは難しそうだ」
全部暗記して、使いたい時に唱えるって相当大変そう。オレに真似ができる自信はない。
しかし、シェルティは微笑んだまま本のページを元に戻す。
「今ちょうど新しい魔法を覚えようとしていたのですが、呪文を暗記している最中なんです。高位の魔法ともなると呪文も長くなって大変なんですよ」
そこにはさっきの呪文の倍はありそうな長い呪文が書いてあった。ちょろっと読んだ感じだと、雪を降らせる魔法のようだ。
「王国には王国にしかない魔法があって、これもそのひとつなんです。わたくしの故郷、首長国には雪を操る水魔法はほとんど無かったんですよ。出身地は温暖だったので、自然の雪も降らない場所でしたし」
見た目通りの少女のように新しい魔法に憧れを抱いて微笑むシェルティ。
なるほど、魔法の種類には国によって違いがあるのか。シェルティが大学院では色々勉強になると言っていたのは、そういうことだったのか。
「でも、これを暗記するのか。どうやってんだ?」
「暗記といえば暗記なんですが、魔力で頭の中に直接呪文を書き込んでいる感じですね。なので、そうやって記憶してしまえば、使いたい時に脳裏に文字列が思い浮かぶんです。それを読んで声に出している感じですね」
「わかるようで全然イメージできない話だな……。オレもちょっと魔法を覚えようかなぁとか思ったけど、無理な気がしてきた……」
と、肩を落とすオレ。本を読むのは好きだが、暗記が得意かどうかは別の話だし。
そんなオレを励まそうとしたのか、シェルティは本を置いて慌ててオレの前に立つ。
「そんなことないですよ! 呪文を覚えるのは簡単ですし、魔法は発動させるのだって簡単ですよ。だって、さっきの呪文を唱えたあとに〈スラッシュ・カーラント〉! って叫ぶだけで──」
とシェルティが叫ぶと、彼女の周囲の空間に水の粒が現れ、それが一気に集束していく。
『あっ……』
オレとアスカとシェルティの気の抜けた声が見事に重なった。
直後、放たれた水流に「ごばぁっ」とのみ込まれたオレは、部屋の外の廊下まで流されて壁に後頭部を強打して止まった。
「……何度目かしら、この流れ……」
水流だけに、この流れ! って、目が回って言葉に出す気力もないわ!
アスカはあきれて笑っているが、シェルティは部屋の中から顔だけ半分のぞかせて、死にかけてるオレを見て目を泳がせる。
「──と、ご覧の通り簡単に魔法が発動します」
「ご覧の通りじゃねぇし! あっ……ってなんだよ! なんでオレ、学校の廊下で死にかかってんの!?」
「ひえぇっ! ごめんなさいごめんなさいぃっ!」
飛び起きてオレが詰め寄ると、シェルティは震えてお辞儀を繰り返す。
「さっき〈上の句〉も〈下の句〉も唱え終えてたのに魔法名を宣言したら、そりゃあ発動しちゃいますよね。迂闊でした」
「魔法ってこんな簡単に暴発するんだな……」
身をもって思い知る魔法の簡単さ。でも、もっと別の知り方があったはずだろ……
「杖がないと魔法は発動しないと思ってたから油断したじゃねぇか……」
「杖は魔法の発動を補助する役目の物で、持っていないと発動しないというわけではないんです。持っていれば魔法の威力が上がったりしますので、持っているに越したことはないんですけど」
「なるほど。つまり、杖を持ってたら壁ごと吹っ飛んでたかもしれないんだな、オレ……」
直後、全身ずぶ濡れの体に寒気を感じ、オレは「ぶぇっくし!」と盛大にクシャミをした。
「あわわ、風邪ひいちゃいますね。今、〈ドライ・ウインド〉の魔法を使いますね!」
〈ドライ・ウインド〉とは──温風を当てて濡れた物を乾かせる洗濯乾燥魔法。
前にも一度、使ってもらったことがあるが、シェルティはあの時、気になることを言ってたような……
「待て! その魔法って時々、洗濯物を燃やしちゃうとか言ってなかったか!? ここで使ったら本が全部燃えて大火事になるじゃねぇか!」
もう、そういうフリにしか思えない疑心暗鬼!
「大丈夫ですよ。学校の本は魔法でバリアが張られていて、ちょっとやそっとじゃ燃えませんから。ほら、さっきの魔法でも本は濡れてないでしょう?」
と笑顔でパラパラと本をめくるシェルティ。確かにオレと一緒に水をかぶったはずの本が全然濡れていない。
魔法の力ってスッゴい──じゃなくてっ!
「だったらオレの体にもバリアを張ってくださいませんかね……」
「無理ね。私、そういうスキルは持ってないもの」
「アスカ。そういう話でもないんだけど……」
どいつもこいつもオレを守ってくれない冷たい世界。濡れた体も相まって凍え死んでしまいそう……
「とりあえず乾かしてもらうにしても、一度外に出ようか。ちょっと吹っ飛んでも大丈夫なくらい広い場所へ……」
「では、中庭に出ましょうか。案内しますね」
「だからって本当に吹っ飛ばさないでくれよ……」
こうしてオレ達は中庭に移動することになった。
──長くまっすぐ続く廊下を中庭に向かって再び歩きだすオレ達。
右側の窓の外には公園のような広場が見える。おそらく、そこが中庭なのだろう。そして、反対の左側には部屋が連なっているのか、いくつも扉が並んでいる。
ここにはどれほどの学生がいて、どれほどの部屋に分かれて研究や勉強に励んでいるのだろうか──などと気を散らしていると、
「ちょっと、ガウル。シェルティに置いて行かれてるわよ」
「あ、悪い。ちょっと通り過ぎてく部屋が気になってな」
いつの間にか歩く速度が落ちていたのか、先導して前を歩くシェルティの背中が離れてしまっていた。
慌ててオレが早足で歩きだした瞬間、通りかかった部屋の扉が開いて中から誰かが飛び出してきた。
『──っ!?』
その誰かとオレは、見事に出会い頭に衝突する。
オレが「おわっ!」っと尻もちをついて床に倒れると同時に「きゃあっ!」と声が響いた。見れば、オレと同じく尻もちをついて倒れている女の子がいた。
まだ十代らしきその子は、鮮やかな桃色のショートヘアーで、服は制服と思われる紫のローブ。胸元には緑のリボンをしている。
「……痛た。おい、大丈夫か? 急に出てきたら危ないだろ。まあ、オレも急いでたんだけど……」
「……あ、あ……」
女の子は転んだままオレの顔を見て、口をパクパク動かして言葉にならない声を出している。なんだか様子がおかしい。
そこへオレ達の声が聞こえたのか、前からシェルティが慌てて戻ってきた。
「大丈夫ですか、ガウルさん!」
「オレは平気なんだが。なんかぶつかった子の様子が……」
「あれ……? 『フルール』さんじゃありませんか!」
その女の子の顔を見たシェルティが驚く。彼女の名前は『フルール』というらしい。
「って、シェルティの知り合いか?」
「はい。先ほどお話しした学生寮で相部屋だった人ですよ」
「あー……」
なんかシェルティから話を聞いた時には、すでに出会うことが決まってたようなこの感じ。これはオレの思い込み? 被害妄想?
とりあえず、そのフルールって子は、なぜかずっと口をパクパクしながら震えていた。




