stage,25 サアル編②
いなくなってたシロモフと再会したサアルは、突然酔っ払ったかのように顔中の筋肉をゆるませて、ニヤニヤしながら勢いよくシロモフを抱き締める。
「ああ、シロモフ! 一人で帰って来られたんでちゅねぇ、偉い偉い!」
「で、でちゅ?」
「でも勝手にいなくなっちゃダメでちゅよー?」
突然、赤ちゃん言葉でしゃべりだすサアル。問答無用でぶん殴りたくなったのは気の迷いか……
抱き締められているシロモフは窮屈そうにチウチウと鳴いている。嫌がってるようにしか見えないんだが。
「…………」
しばらくの沈黙。
サアルは幸せそうにシロモフに頬ずりしてるが、オレ達は状況が理解しきれてなくて、呆然とそれを眺めることしかできなかった。
「えっと……モンスターって飼えるノカ?」
ようやく、と言っていいほど時間が経ってリゼが口を開いた。
「いや、無理だろ。だってモンスターだぞ?」
オレは即座に否定する。
これまで色々な本を読んできたオレもモンスターを手なずける方法など知らない。そもそもモンスターの生態すらよくわかっていない現状だ。
「大丈夫なんだ。危害はない」
と、いきなりいつもの口調に戻ったサアルは、シロモフの両脇に手を回して抱き上げる。まん丸の毛玉だったそれは、まるでつきたての餅のようにびよーんと楕円形に伸びた。
サアルの胸に宙吊り状態になったシロモフは、ピンク色の小さな手足をしばらくジタバタ動かしていたが、やがて落ち着いたのか抱えられたままこちらをジッと見つめて動かなくなった。
「わぁ、本当に大人しいですね。毛並みも綺麗ですし、なでてみても平気ですか?」
「おい、シェルティ。やめとけよ、噛まれるぞ?」
「大丈夫だと言ってるだろう。シロモフは俺が子供の頃に偶然見付けた卵から孵って、それからおよそ二十年、ずっと一緒に暮らしているのだからな」
「ネズミなのに卵生なのかよっ!」
オレはつっこむが、シェルティは怖がることもなくシロモフのお腹をなでる。くすぐったそうに手足をジタバタさせるシロモフを見て、シェルティは頬を赤らめる。
「フワフワしててかわいいですねぇ。ほら、皆さん、触っても大丈夫みたいですよ?」
「リゼはいい……ネズミ、苦手……」
リゼはオレの後ろに隠れ、アスカは笑顔でシロモフを見つめている。
「やっぱり大きなハムスターだったのね。ちょっと大きすぎるけど、かわいいじゃない」
「物好きだな、お前達……」
女は大抵かわいいもの好き、とは思うけど、大型の犬より大きいネズミをよく平気でなでまわせるな……
「なんじゃ、あんたら。『魔物調教師』って知らんの?」
「テイマー? そういう職業か? サーカスの猛獣使いなら知ってるけどよ」
「昔はモンスターを手なずけて戦わせる人間を魔物調教師って言うたんよ。モンスターは卵を孵した人間の言うことを聞くようになるらしいけんの」
「そんなモンスターの生態は初めて聞いたぞ」
オージンは二千年間も機界人と共に眠っていた。その間に世界の習慣や文化も変わりきってしまったのだろうか。魔物調教師なんか、存在どころか名前すら聞いたことがなかった。
「儂も詳しい生態は知らんけどな。この様子だと卵を孵らせた人間の言うことを聞くというか、凶暴性自体がなくなっとるようじゃの」
「確かに……サアル以外が触っても平気そうだしな」
「ほら。ガウルもシェルティみたいになでてみなさいよ。反応がかわいいわよ?」
「いや、誘われても……」
困るオレ。ラットは故郷の村にもよく姿を現していたが、畑を荒らして作物を食い散らかしたり、突進して人間に危害を加えるモンスターだった。いくら凶暴性が消えてるといえど、そんなイメージが強くて触るのには抵抗がある。
しかし、戸惑ってるうちにシロモフと目が合った。潤んだつぶらな瞳を輝かせ、鼻とヒゲをヒクヒク動かしている。
……くそ。かわいいじゃねぇか……
「ちょっとだけなら触ってやるよ」
「ガウル。なんでそんな上から目線なのよ……」
オレがワクワクドキドキしながらシロモフの頭にそっと手を伸ばした瞬間、突然シロモフはサアルを見上げてチウチウと激しく鳴き始めた。
「おわっ!? こいつ、仲間を呼び寄せてるんじゃねぇか!」
「大丈夫だ、これは俺を呼ぶ声。モンスターの仲間を呼び寄せる方法は知らないようだ」
ラットはすぐに仲間を呼び寄せる。本当に大丈夫なんだろうか。まあ、二十年間なんともなかったなら平気なんだろうけど……
「シロモフ~。ひょっとしてお腹空きましたかぁ? すぐご飯にしてあげまちゅねぇ!」
「ガウル。なんか私、無性にサアルを殴りたくなったわ……」
「悪い、アスカ。オレはもうとっくにそう思ってる……」
ウザったいサアルに目を据わらせるアスカ。まさか気が合うとは。
オレとアスカににらまれてても気にせず、サアルはシロモフを抱えたまま歩きだす。
「皆、すまないが先にシロモフ達のお家に寄らせてもらうぞ」
「お家って、ネズミ小屋とかじゃないのかよ……って、シロモフ達?」
オレとアスカは顔を見合わせる。たぶん、同じことを思ったに違いない。
嫌な予感がする中、オレ達はサアルの後に続いた。
――庭の中の丘を越え、その向こうには白亜の館が見えた。三階建てで赤い屋根が鮮やかな大きなお屋敷。
サアルはあそこにお母さんと少しの使用人と暮らしていると言っていたが、オレが今まで暮らしてた騎士の寄宿舎と大差ないくらいの大きさじゃないか。
「まるでホテルみたいですねぇ」
「あれがサルの家か?」
「サアルだ! 語弊しかない言い方をするな!」
シロモフが見付かったからか、いつもの調子を取り戻してリゼをにらむサアル。
「で、ネズミ小屋はどっちなんだよ」
「シロモフのお家はネズミ小屋などではない! 改めたまえ!」
「ウザッ……。つーか、この前だって平気でブラック・ラットを倒してたじゃねぇか」
この前、とある洞窟でブラック・ラットの大群に襲われたオレは、皆の手助けもあってなんとか窮地を脱していた。
サアルの奴、あの時は平気な顔でラットを銃で撃ち抜いていたはず。
「モンスターを倒すのは当然だろう」
「いや、ラットを抱えたまま真顔で即答されても……」
「シロモフは家族だ! シロモフ~、怖いお兄ちゃんは放っておいて行きましょうねぇ~」
真顔で答えてからすぐにデレデレ笑顔に切り替わり、サアルは胸に抱えたシロモフに話しかけながら家の裏の方へと歩きだす。
「……マジでぶん殴りたくなった」
「ガウルさん、抑えて抑えて」
シェルティになだめられながらオレはサアルを追って家の裏手にやってきた。
そこには、大きさは物置小屋くらいだったが、外装はサアルの家と何ら遜色のない家が建っていた。立派なミニチュアハウスだ。
「ホントにお家だな。どんだけ金をかけて作ったんだ……」
呆れてもう頭を抱えるしかない。金持ちの考えることはよくわからんのが世の常だ。
「シロモフが帰って来まちたよ~」
とサアルがネズミ小屋の玄関を開くと、中にはもう二つの毛玉が転がっていた。一方は真っ黒、もう一方は白地に黒い斑点模様がある。
「おい、ちょっと待て! シロモフ達って言ってたから一匹じゃないとは思ってたけど、それブラック・ラットにマーブル・ラットまでいるじゃんか!」
「ガウル。マーブル・ラットって何?」
やっぱり何も知らないアスカがのんきに首をかしげる。
「村の近くにいたラットの中じゃ一番獰猛で危険な奴なんだ。襲われたら大ケガじゃすまないぞ!」
昔、オレの故郷の村がマーブル・ラットに襲われて大変な目に遭った。まだ小さかったオレもよく覚えている。この乳牛みたいな柄のもふもふ毛玉こそ、マーブル・ラット!
……いや、こんなに丸かったか? やっぱり太らせすぎだろ……
「紹介しよう。黒いのが『クロマフ』、斑模様のが『モコブチ』だ」
「満面の笑みで紹介されても困るわ! というか、なんだよその残念なネーミングセンスッ!」
「ふたりともシロモフのオトモダチなのだ」
「なのだ、じゃねぇっ! オレの話を聞け!」
サアルの奴、ペットの前だと人格が崩壊してるぞ……
サアルはオレの反論を気にも留めずに、しゃがんでクロマフとモコブチの頭をなでる。すると、その二匹は気持ちよさそうにチウチウと鳴いていた。
「マ……マジでなついてるんだな」
「当然だ。この二匹はシロモフがどこかから持ってきた卵から孵った、いわばシロモフの子なのだから!」
「そ、それは何よりで……」
ガミガミと突っかかる気力も失せてきた。まあ、害がないと言うなら、このままでもいいか。
「ただ、ここで見たことは他言無用で頼む」
「そりゃあ、モンスターを飼ってるとなると普通は怖がられるしな。まあ、言ったところで誰も信じないだろうし、言わないよ」
「サアルさんが鎧姿なのも、いなくなったシロモフを捕まえるところを誰かに見られてもいいように、カモフラージュするためだったのですね」
鎧姿でモンスターのそばにいても成敗しているようにしか見えないし、捕まえて歩いてても〈王国聖騎士団〉の騎士なら、何か国の意図があってそうしてると思ってくれるかもしれないな。限度はありそうだけど。
シェルティの指摘にサアルがうなずいていると、その足元でシロモフ達が合唱するようにチウチウと鳴きだした。
「そうだった。エサの時間であったな」
と、サアルは立ち上がって壁際にあるクローゼットに似せて作られた戸棚を開ける。そして、その中か何かを重そうにずずずぃっと引っぱり出した。
それは、両手で抱えなければ持ち上げられないほど大きな植物の種。いや、それほど大きければ一目で植物の種だと判断するのは難しいだろうが、特徴的な縞模様のお陰でそれだと判断できた。
「ひ、ひまわりの種か……それ?」
「この縞模様の種が他に何の種だと言うのだ?」
「いや、真顔で問い返すな! 大きすぎるだろ、それ!」
人の頭の一回りも二回りも大きいんですが……
「これは『ギガントひまわりの種』。王都はひまわり油が名産品なのだが、その原料がこれだ!」
「またなんとも言いがたいネーミング……」
サアルはそのギガントひまわりの種を両手で頭上に掲げ、目を輝かせて宣言する。
「――そして、ラットの大好物なのだっ!」
「なんかもう……疲れてきた」
さっきから何なんだ、このテンション……
オレは呆れ、シェルティ達も苦笑しているが、サアルはそんな場の空気も読まずに種を床にゴトリと置く。
「さあ、ご飯の時間でちゅよ~」
その瞬間、飛びつくように三匹のラットが一つの種に群がる。そして、ギラリと目を光らせ、鋭い二本の前歯をむき出しにしてヨダレを垂らしながら、ものすごい勢いで種をガリガリと削り食べていく。
その時、オレは思い知った――やっぱりこいつらモンスターじゃんっ!
「私、食べるところは見たくなかったわ……」
「アスカ。なんか今日はよく意見が合うな……」
惨烈なラットの食事風景にドン引きするオレ達を無視して、サアルはとろけるような笑顔でそれを眺めていた。
あっという間に殻だけになったギガントひまわりの種。満腹になったのか、三匹のラット達はまん丸に丸まって眠りだした。
「平和じゃのぅ」
床に転がる三つの毛玉を前にして、オージンがのほほんと笑っていた。いや、こっちはモンスターの食事シーンに恐怖してるのですが……
「ひまわりの種は栄養価が高いから、ハムスターにあげすぎると太っちゃうって聞いたわ」
「なるほど。だからこいつら、ボールみたいにまん丸なのか……」
アスカよ。今さら、実にどうでもいい情報をありがとう。
サアルはオレ達を小屋の外に出し、自らもシロモフ達を起こさないように静かに外に出ると、扉にしっかりと鍵をかける。
「さて、俺の家の方へ行こうか。母上もお待ちだ」
「そうですわね。それにしても可愛かったです」
少し名残惜しそうにシェルティは答える。今の食事風景にドン引きしてなかったのか、この子。
そして、シェルティ達はそろって玄関の方へと向かう。オレもそのあとに続こうとしたのだが、サアルに肩をつかまれた。
「ちょっと待て。あとで頼みたいことがある……」
「は? オレに?」
サアルは真剣な眼差しでまばたきひとつせずに、コクリと小さくうなずいた。
な、なんか重要な任務なのだろうか……。オレが尋ね返す前にサアルも玄関の方へと歩きだした。
「とにかく、今夜はゆっくりしてくれ」
「な、なんだよ……あいつ」
「サアルからの依頼みたいね。クリアすれば好感度アップ間違いなし!」
サアルの背中を見送りながら、やっぱりムダにやる気を出すアスカ。別にサアルの好感度が上がっても嬉しくないんだが。
当面の目標はみんなとのコミュレベルをあげること。そうと決められてはどうせオレに拒否権はなさそうだし、とりあえず今はサアルのお母さんにあいさつして、おいしい料理でもごちそうになるか。
――オレ達がサアルの家に入る。玄関、といっても田舎の家のオレの部屋の五倍以上あるんじゃないのって広さ。まっすぐ伸びる廊下と二階へ続く階段が二カ所に見える。
その階段の上から待ち構えていたかのように女が早足で降りてきた。
見た目は三十代だろうか。頭の上に盛りに盛った髪に白い花飾りをつけている。コルセットで締めているのかウェストは細く、花のように広がったドレスの裾が、これまた花びらのように揺れている。
絵本から飛び出してきた優雅な貴婦人、そんな感じがする。
「サアルちゃ~ん。おかえりなさ~い!」
一階の床を踏むとドレスの女は気の抜けた口調でそう言った。
「……誰? サアルの恋人?」
思わず声を漏らすオレをサアルは呆れて見下ろした。
「母上に決まっているだろう」
「はっ!? だって、サアルの母さんなら四十超えてるだろ? この人、どう見ても三十歳くらいじゃあ……」
「やだ、お上手なお兄さんね。私、もう五十前のおばさんなのよ」
近寄るや否や、なぜかいきなりオレの頬をなでながら、サアルの母さんは明るく笑っていた。
言われてみればサアルと同じ若草色の髪だ。しかし、近くで見ても若い。サアルの奥さんって言っても通用するだろう。
これが世に言う――化粧の力っ!?
「――サアルが老け顔すぎて、相対的にかなり若々しく見えるわね」
「なるほど、アスカ。そういうことか」
オレがアスカのつぶやきに納得していると、サアルのコホンという咳払いが聞こえると、彼の母さんは慌ててオレから離れてドレスの裾を整える。
「ごめんなさいね、いきなり。まず、自己紹介しませんとね。私はアリア・A・モンターニュと申します。サアルの母ですわ」
「では母上、皆の紹介は俺がしましょう。まずはガウル。彼があの伝説の英雄です」
と、紹介されたのでオレは慌てて笑顔を作って会釈した。すると、アリアさんは飛びつくようにオレの両手を握って喜ぶ。
「想像以上のイケメンね! このまま、うちの子になっちゃう?」
「い、いや、それは……」
「……貴様は俺から英雄の座だけでなく、母上すら奪うというのか……」
上からサアルの冷たい視線が突き刺さり、地獄の底から漏れ出す怨念の声を聞いた……
頼むから、こいつの嫉妬心をあおらないでーっ!
「……次に、彼女がシェルティ。首長国の召喚士です。隣がリゼ。森使国の暗さ――戦士といったところでしょう」
震え上がるオレをガン無視して冷静に紹介を続けるサアル。リゼの紹介に言葉を詰まらせたが、さすがに暗殺者って紹介はできないよな。
アリアさんはシェルティ達にも両手で握手をし始めた。
「まあ、可愛らしいお嬢さん達。サアルちゃんったら今まで女の子を連れて来たことがないんですの。それが今日はお二人も。新鮮ですわ~」
「は、母上っ……それは言わないでください!」
サアルは顔を真っ赤にして反論している。
あれれー? これってまさかひょっとしてー?
「サアル……、二十五年も苦労してるんだな!」
「貴様……。言いたいことは率直に言うべきだぞ……」
肩を震わせるサアルをニヤニヤ見詰めていると、隣からアスカの声が聞こえる。
「――サアルってモテないのね。納得」
「お前、サアルに聞こえないからって平気で残酷なこと言うんだな……」
この世は常に無慈悲である。なんか今さらサアルを応援したくなってきた……
「全く、母上。紹介を続けますよ! 最後に彼がオージン。敬虔な神官――とでも言えばいいでしょうか……」
オレは田舎育ちだからよく知らなかったが、この国の場合、回復魔法使いは大抵、僧侶とか神官といった聖職者だというイメージらしい。
オージンも回復魔法使いである以上、そう言った方が自然ではあるが……、鬼ですよ、この人。
「オージンが鬼人だって言ってねぇのかよ……」
「言えるわけがなかろう……」
オレとサアルがヒソヒソと話してるうちにアリアさんはオージンの手を差し伸べる。
「まあ、こちらもイケメンね。よろし――」
アリアさんがそう言いながらオージンの手に触れた瞬間、オージンの体が強く光りだした。
その光はすぐに弾けて消えたが、オージンは元の鬼人の姿に戻ってしまっていた。
「あら……?」
「ほぁっ!?」
オージンの両手を握ったまま固まるアリアさんと、両手を握られたまま変な声をあげて驚くオージン。
そして、オレもどうしたらいいのかわからない。サアル達もポカーンと口を開けて立ち尽くしている。
サアルの家の玄関の空気が明らかに凍り付いていた。