stage,24 サアル編① 窮鼠、猫を噛む
「家に招待したい?」
王都ドミル・サントロウの騎士の寄宿舎の食堂にて、オレは日替わり定食の鮭の塩焼きを頬張りつつ、同じテーブルでミートスパゲティを食べていたサアルにそう言った。
「そうだ。英雄であるお前はもちろん、シェルティやリゼ、そしてオージンにも母上は会いたいようでな」
「へぇ。でもそれって晩餐会とか、そういう貴族っぽい催し物ってことか?」
騎士の家の誘いなら、そういう格式張った堅苦しいものだというイメージ。正直、田舎の村を一歩も出ずに育ったオレには難度が高いし面倒だ。
すると、サアルは笑う。
「誘うのはお前達だけだから、そんな構えることじゃない」
「ただの夕食会か。それなら気軽だな」
「それに、よければ皆には今後、我が家で寝泊まりしてもらいたいと母上がおっしゃっている」
オレは今、騎士の寄宿舎の一室を借りて暮らしている。本当は王城の一室をあてがわれるところだったんだけど、オレには広すぎ豪華すぎでとても落ち着ける空間ではなく、丁重にお断りしていた。
シェルティは魔導大学院の学生寮、リゼとオージンは研究所の部屋を一時的に借りていると聞いている。
「シェルティ達も全員か? それって大丈夫なのか?」
「部屋数だけは多い家だ。今はそこに俺と母上と少しの使用人が暮らすのみ。むしろ母上は賑やかな方がいいらしい」
さすがは王国のエリート騎士。家もさぞ豪邸なのだろう。
「それならオレもみんなも断らないんじゃないかな?」
「では、他の皆には俺から声をかけておこう」
こうしてオレは、サアルの家に招待されることになったのだが──
「──何の話?」
「どわっ!」
声はいきなり隣から聞こえた。アスカだ。中断してからそろそろ一時間が経つことを忘れていた。
いきなり驚いて漬物を箸から皿に落としたオレに、サアルは顔をしかめる。
「どうした?」
「あ、ああ。戦女神様の突然のご帰還です……」
「なるほど、いつものか。おかえりなさいませ、戦女神様」
「どうも、ただいま~」
オージンとは違ってアスカのことは見えていないのに、サアルは丁寧に頭を下げる。そして、アスカも彼には声が届かないと知っていて挨拶を返す。この一連の流れもいつもの光景となっていた。
「しかし、ガウル。早く慣れたらどうだ? 毎回毎回驚いていては疲れるだろう?」
「いつも突然なんだから驚くし、慣れるのも一苦労だっての」
アスカが時々消えては一時間後に復帰するシステムは、もうサアル達には常識と化している。毎度毎度驚くオレの不審者っぷりも、もはや日常的光景になってしまったようだ。
オージンからアスカは戦女神ではなく、異世界の普通の人間であることを告げられてもサアルは信じておらず、今でも彼にとってアスカは戦女神のままだ。
「そうだ、戦女神様にも今の話を報告しておいてくれ」
「あ、ああ。そうだな」
「ねえ? だからそれで何の話?」
「サアルのお母さんが遊びに来いってさ。んでもって、今後はサアルの家に住むことになるかも」
と、伝えた瞬間、アスカのこめかみに青筋が立つ。
「はぁ? 何、私がいないところで勝手に話が進んでるのよ?」
「なんでお前が怒るんだよ……。お前がいなくてもオレは生活してるんだから当然だろ?」
「そうだけど、さあ……。それに何よ、この食事! 和風焼き魚定食の隣でミートスパゲティって、どれだけ落ち着きのない世界観してるのよ!」
「知るかっ!」
焼き魚定食なんて普通によくある定番メニューだというのに。わふーってなんだろう? 気が抜ける響きだが、また謎単語か。
「まあ、いいわ。寄宿舎の部屋はなぜか内装をいじれなかったし、サアルの家の部屋なら色々できそうね」
「内装をいじる気かよ」
「街で家具を売ってたでしょ。あれで自分好みの部屋にできるのよ。ゲームじゃよくある話よ。楽しみ!」
「いや、模様替えなんてゲームに関係なくよくある話だけどな……」
オレが頭を抱えていると、何もわかっていないサアルが首をかしげる。
「──どうした? 何か揉めているのか?」
「いや、大丈夫。アスカの変なやる気スイッチがオンになっただけだから。ただ、お前の家の部屋が変に改装されても、オレは責任を負いかねます」
「戦女神様の思し召しなら、なんだって受け入れる所存だぞ?」
「お前、絶対いつか後悔するぞ……」
アスカの言うことばかり聞いてたら、サアルはいつか痛い目を見るだろう。いや、見るべきだ。とにかくオレ、もう知~らない!
──その日の夕方、オレはサアル指定の待ち合わせ場所にやって来た。王都中心部から少しはずれた場所にある公園の噴水前だ。
ちらほら人の姿は見えるが、オレ以外まだ誰も来ていない。
「というか、アスカすらいないし。また便利なスキップ機能か?」
何かイベントが起こるまでいなくなるシステム。どういう理屈かさっぱりわからんが、オレが特に何もしてない時は暇だから消えてる印象だ。
あくまでもアスカにとってこれはゲームだ。ゲームとは楽しむために時間を使うもの。オレからしてみたら、オレの人生で遊ばれてる気がしてなんか釈然としないけども。
「アスカがいないと世界救えないし、でも我慢してるオレにも、誰かどうか救いを……」
「──何の話?」
「ぎゃあっ! 戻ってるなら『ただいま』の一言くらい先に言えよ!」
「ごめんごめん。だけど、今さっき気付いたのよね。陰口叩いても履歴に残ってるってことに……ね?」
と、闇を秘めた微笑みを浮かべたアスカが言った。
発言の履歴を残されるとか刑務所かな。何それもうヤダーッ!
「なんで泣きそうなのよ。ほら、みんな来たわよ」
アスカの指差す先を見れば、シェルティとリゼとオージンが並んで歩く姿が見えた。でも、サアルの姿はない。
「ガウルさーん! なんだかお久しぶりですねぇ」
「よう、シェルティ。そうだな、大学院は騎士の寄宿舎から遠いし、なかなか会える機会がなかったな」
オレはしばらくリゼと交代でオージンを監視している。オージンの人柄はわかっているが、鬼人を単独で行動させるのはサアルが許さなかった。
すると、そのオージンはヘラヘラと笑いだす。
「交代々々で監視しとるけぇ、リゼともゆっくり会えとらんじゃろ。婚約者ならもっと会ってやりんさいよ? 儂は一人で大丈夫じゃし」
「いや待て。オレはリゼの婚約者じゃないし、あんたを一人にもしておけないだろ」
「悪いことはしゃあせんよ。鬼じゃあるまいし」
「そうやって時々、自分が鬼だってこと忘れるのやめろって!」
相も変わらず、なまりがキツい口調でわざとらしく飄々としているオージン。そして、リゼはなぜか胸を張る。
「『しゃあせん』とは『したりはしない』のコトだな。リゼ、オージン語の通訳ができるようになったゾ!」
「そんな鼻息荒く自信満々に言われても……」
そばにいたから身についたんだろうけど通訳って……。それに、オージンのなまり言葉はオージン語でいいのか?
「リゼってば、ガウルに誉めてもらいたいんじゃないの? 気が利かないわねぇ」
「ほ、誉めろって、今のオージン語の通訳を? 年下なら誉めてもいいけど、リゼって年上だぞ?」
「バカ、誉められたい気持ちに年齢なんて関係ないわよ。ほら、減るものじゃないんだし誉めるくらい簡単でしょ?」
「バカって言うな! ったく、なんでそんな前のめりなんだよ、お前……」
簡単ではないだろ、今の誉めるのって。えっと、どうすりゃいいんだ。とりあえず、無難に──
「た、助かるよ。オージンって時々何言ってるかわからない時があるからさ。頼りにしてるぜ?」
「うん、承知シタ!」
満足げに微笑むリゼ。これでよかったのだろうか?
隣を見れば、ほくそ笑むアスカがいた。
「ふっ……。これでリゼとの好感度アップね。今後が楽しみだわ……」
「何を企んでるんだよ、お前……」
まんまとアスカの陰謀に乗せられてるぞ、オレ。
「儂の言葉なんか、みんなと大して違わんじゃろ」
「いや、違うから。わかんないから!」
本人は直すつもりなさそうだし、今後オージン語でわからないことがあったらリゼを頼るか聞き流してしまおう。たぶん、きっとそれで大丈夫。
「うーん、そうかのぅ? でも、そんなはっきり言われると傷付くのぅ……」
「リゼの好感度上昇のかわりにオージンの好感度は下がったのかしら? 鬼人の好感度が下がると怖いわね」
「何、そのジレンマ……。というか、オレの人間関係で楽しみすぎだろ……」
アスカが怖い。この世界のシステムが怖い。オレの未来が怖い。もうこの世界じゃないどこかに行ってしまいたい……
それからしばらく、オレとシェルティ達はお互いに近況を話していたのだが──
「それにしても遅いですね、サアルさん。待ち合わせの時刻は過ぎてしまいましたのに……」
「サル、時間は守るタイプだと思ってタ」
「ああ、オレも同感。あいつ、バカ真面目で几帳面そうだし」
オレが一秒でも遅刻すると一時間は説教してきそうなイメージだったんだが。何かあったのだろうか?
オレ達が顔を見合わせていると、オージンがいち早く何かに気付いて指を差す。
「噂すりゃあ、あそこに来ょーるんはサアルじゃねぇんか?」
きょーるん? オージン語が気になって仕方がないが、彼が指差す先には、こちらに向かって慌てて走って来ているサアルの姿があった。
今日は休暇をとってるはずなのに、なぜかいつもの白い鎧姿だ。城にいる時は、いつもまるで制服かのように鎧を着ているが、まさか鎧が私服ではあるまいし、やっぱり何かあったのか?
そうこう考えているうちに、オレ達の前まで駆け寄って来たサアルは、ぜぇぜぇと肩で息をしながらしゃべりだす。
「す、すまない。四分十六秒も遅刻した……。俺としたことが……」
「いや、どうやって秒単位までカウントしたんだよ……」
やっぱり几帳面だ。頭にバカが付くくらい無意味に几帳面だっ!
そう思って言葉を失うオレだが、シェルティ達はサアルの姿を見て目を丸めていた。
「どうしたんですか、その格好。汚れちゃってますけど……」
そう、サアルが近付いてからオレも気付いたんだが、彼の白い鎧には所々に泥汚れがついていて、サアルの頭には草か木の葉が引っかかっている。まるで草むらの中に転げ落ちたような様子だった。
「あ、ああ。これはその……ちょっとうちのペットが逃げ出してしまってな……」
なぜか言いにくそうに目を泳がせるサアル。体が汚れているのも遅刻したのも、逃げたペットを探していたからだったのか。でも、鎧を着て探す必要ってあるか?
「本当に待たせてしまってすまないな」
「いや、五分も待ってないから。それで、ペットは見付かったのか?」
「まだだ……。先に皆を家に案内してから、あとで俺がまた探しに行くつもりだ」
「それならリゼ達も協力するゾ。いなくナッタのは犬? 猫?」
リゼに尋ねられてサアルは口をつぐんで再び目を泳がせる。
──あやしい。たぶん、オレ以外のみんなもそう思ったに違いない。オレやシェルティ達からいぶかしげな視線を浴びせかけられたサアルは、頬に脂汗をにじませながら答える。
「こ、ここではなんだから、家に着いてから話す……」
「まあ、それでいいけどさ。お前、なんか落ち込んでないか?」
「……大丈夫だ。さあ、行こう。我が家はこっちだ」
と、先頭を切って歩きだすサアルは肩を落としたままだった。
オレ達はもう一度顔を見合わせてから、そのあとに続いて歩きだした。
──城にも通じている大通り。馬車と人が行き交う賑やかな道の脇には白亜の壁がまっすぐ延びている。
オレが王都に来てからしばらく経ったが、この道のこの長く続く壁は、ここを通る度に不思議に思ってたものだ。一体、この壁の向こうには何があるのか、壁の長さからして大規模な施設でもあるのだろうか、と。
「さあ、着いた。ここだ」
と、サアルがその壁の門の前で立ち止まる。門の向こうには小高い丘と果てなく広がる芝生の大地、そして、まっすぐ続く石畳の道しか見えない。
「は? 家らしき建物なんかないじゃないか」
「ここは入り口だから、家はあの丘の向こうだ」
「おい、まさかあの丘と芝生の広場もサアルの家の敷地……とか言わないよな?」
「庭だから敷地だが?」
庭……? 牧場かよ! 長い白い壁に囲われた場所が全て庭だと言うのだろうか。一キロメートル四方は優に超えてそう……
呆然と広大な庭を眺めるオレと、アスカ達もぼんやりした顔で黙っている。
「『モンターニュ家』。王国じゃ指折りの騎士の名家でサアルが十三代目。国王も一目置いとる実力者──って言うんはホンマじゃったんじゃな」
「え、マジかよ。つーか、なんでオージンがオレ達も知らないそんなこと知ってるんだ? 二千年も眠ってたのに」
「二千年も眠っとったけんこそ、今は王国史を勉強中なんじゃ。まあ、しっかりした記録が残っとるんは五百年前くらいまでで、それより前はアテにならんテキトーな記録しかないようじゃけぇどな」
オレが監視してる時は、よく王立図書館に入り浸っていたオージン。目的は歴史の勉強だったのか。
やっぱりオージンはいい加減そうに見えるけど、結構真面目な奴なんだろう。
「サアルさん、そんなすごいお方だったのですね。こんな広くてご立派な庭をお持ちなのも納得です」
「……我が家の話はいい。さあ、行こう」
あれ、自慢が全くない。オレを田舎者呼ばわりしてたこともあったし、「貴様の田舎の家の何倍だ? ぐっへっへ」とか、絶対何か言われると思ってた。
サアルにとっては自慢するほどのことでもないってことか? それはそれで腹立つが。
「サル。背中が元気ナイ。どうしたんだ、本当に……」
「リゼさんにサルって言われても訂正しませんね」
「ただペットがいなくなっただけじゃなさそうね。何か事件の予感よ!」
リゼ達に紛れてやる気を出すアスカ。厄介事を引き寄せるのは本当に勘弁してもらいたい。
庭内の丘を越えようした時、オージンがふと立ち止まった。
「なんじゃろか、あれ」
と、つぶやくオージンと同じ方を見ると、一面緑の芝生の上をこちらに向かってコロコロと転がって来る何か。えっと──毛玉か、あれ?
真っ白い毛で覆われたボールみたいな謎の丸い物体が転がっている。抜け落ちた動物の毛が丸まった毛玉にしてはやたら大きい。直径は一メートル近くあるだろう。
「こっち来てるけど、マジで何だ?」
「ガウル! あの毛玉、ホワイト・ラットってターゲッティングされてるんだけど。ホワイト・ラットって、よく見かけるネズミの敵でしょ?」
「そうだけど、毛玉のどこがラットなんだ? それにターゲッティングって?」
「敵認識されとるってことじゃ。アスカには敵の名前が見えとるんよ」
「って、じゃあ本当にホワイト・ラットか!」
かなり接近されてから、その毛玉には黒くてつぶらな大きい瞳と小さなピンク色の耳と鼻があり、二本の長い前歯もある。そして、ヒゲをヒクヒク動かしているところが見えた。
確かに、ホワイト・ラットの顔に見えなくもない。蹴ればどこまでも転がっていきそうなまん丸な体は、とてもラットには見えないんだけど。
「みんな、気を付けろ! あれ、ブクブクに太ったホワイト・ラットだ!」
「どういうことダ! ここはサルの家の庭なのに!」
「突然変異体かもしれない。とにかく倒さないと、こんな所で仲間を呼び寄せられたら大変だ!」
オレ達は戸惑いながらも武器を構えるが、サアルがオレ達とラットの間に駆け込み、大の字に手足を拡げて立ちふさがった。
「ま、待て! やめろ!」
「サアル、邪魔だ! そいつ、モンスターだぞ。どこかからか庭に入り込んだに違いない!」
「違うんだ、こいつは──『シロモフ』はっ!」
サアルの叫びにオレ達はそろって目を丸くした。
「しろ……もふ?」
「名前ですか? まさか、いなくなったサアルさんのペットって……」
シェルティの指摘にサアルはバツが悪そうに目をそらした。
「……そうだ。こいつ──シロモフは俺のペットなんだ……」
「ペットってモンスターだったのかよっ!」
驚愕の事実にもう一度驚くオレ達だった。
……というか、太らせすぎでは? ボールみたいになってるよ?