第8話 治療~傷と誓い~
PM 3:10
龍真と大希と共に悠里が保健室に入ってから約30分、春奈は教室に戻り、次の授業の担当教師に2人が休む旨を伝え、とりあえず普通に授業を受けていた。あの後、教室に戻る途中その場にいた生徒たちを観察してみると、やはり龍真と大希に対して、妙な疑いをかけ始める者達が出始めていた。
その内容のほとんどは、あの2人が、ここ最近起こっている連続殺人事件の犯人ではないか、というものだった。
現実離れな事件なだけに、それを可能にするのも『普通』という枠組みから外れたものだけ。
故に、自分たちが目にした、非現実、または非日常を実行可能な人間に疑いをかけたくなるのは仕方のないものであろう。
春奈授業を半分聞き流しながら考える。
(もしかしたら、龍真君たちはもともとこの事件を調査しに来たのかもしれない・・・)
漠然とした推測。春奈は龍真達が何者か、少しとはいえ知っている。だからこそ出てきた推測ではあるが、それは本心ではない。
(それに、どこの誰かは知らないけど、悠里脅かして、龍真君たちに余計な疑いかけさせて・・・、ホントムカつくわねっ!!)
これが本心。悠里はともかく、龍真たちに関するものは逆恨みとしかいえないが、それに気付かないほど、彼女は腸が煮え繰り返っていた。
PM 2:40
龍杜高校の保健室は、運動部での怪我人を考慮して、1階のグラウンドと体育館の中間辺りに置かれている。
そのため、比較的保健室までの距離は近く、余計に人と顔を合わせることもあまり無い。
そうでなくても、次の授業が始まるせいで、ざわめきは聞こえるものの人影のほとんど見えない廊下を龍真たちは歩いていた。
3人の内、誰も口を開こうとしない。そんな、無言のまま保健室へと着いてしまった。
「すいません」
大希が一言挨拶をして中に入って、龍真に手招きをする。龍真はそれに頷くと保健室に入っていく。続いて、悠里が入ろうとした時、大希が再び顔を出した。
「和泉先輩、ちとお願いが・・・」
「何?」
大希の表情は、悠里が知り合って始めてみる真剣なものである。
「諸々の都合上、龍真の治療する時に和泉先輩も一緒にいてもらうことになるんだけど・・・」
歯切れ悪く、大希はそこで言葉をとめる。
「私、そういうことなら気にしないけど・・・」
「いや、そうじゃなくて。あいつの身体を見ても怯えたりしないでくれません?」
「え?それってどういうこと?」
「見れば分かる、としか言えないッス。とりあえず、お願いします」
「う、うん」
悠里は大希の言葉の意味を理解仕っていなかったが、とりあえず首を縦に振った。
「んじゃ、入ってください」
大希はそう促し、保健室の方へと引っ込んだ。悠里は、保健室の扉に手をかけ軽く深呼吸をすると、緊張しながら扉を開いた。
「あ・・・」
悠里は、扉を開いた先にあるものを見て、言葉を失う。
部屋にいるのは龍真と女性の保健医――奇麗というより可愛いという方が合い、年より若く見られることにコンプレックスを持っている――の2人だけ。
そして彼女の視線の先にあるのは、上半身をさらけ出した半裸の龍真の姿と、龍真を治療している保健医の姿だった。
「あ~~、女医と患者のイケナイ関係なんてどうでしょう?」
場の雰囲気を軽くしようとして、大希が苦い笑みとでもいえばいいのだろうか、気まずい表情のまま茶々を入れる。
しかし、そんな流れを無視した無理なボケには誰もついてはこなかった。
「龍真君、その身体・・・」
口元を両手で覆い、思わず言葉を漏らしてしまう。
龍真のさらけ出された上半身には、引っかき傷のようなものから抉られたような物まで、大小様々の傷跡が、それこそ縦横無尽に走っていた。
特に酷いのは右腕。肩の付け根辺りから、まるで蛇が這ったような引き攣れた縫い後が螺旋状に手の甲まで続いている。
「そんな・・・、ひどい・・・・・・ッ」
見る見る間に、大きく見開かれた瞳に涙が溜まっていく。
「おちついて、和泉さん。彼の身体のはほとんど傷痕よ」
保健医が、泣き出しそうになる悠里を落ち着かせる為に言葉をかける。龍真もそれに同意するように頷く。
「分かってます。分かってます、けど・・・こんな・・・・・・」
そこから先には声になっていない。悠里の嗚咽だけが、シンと静まり返った保健室に響く。保健医は溜息を一つ吐き、
「龍真君、とりあえず包帯巻いちゃうから、後どうにかしちゃって」
龍真の右腕の切り傷にガーゼを当てるとテキパキと包帯を巻きつけていった。話をふられた龍真は困惑した表情になる。
「何故、俺ですか?」
「泣いてる女の子慰めるのは、男の子の役目よ」
手を止め、当然といわんばかりに保健医は答える。龍真の頬が引きつる。龍真は一つ咳払いをして、大希に「今はお前で何とかしろ」と視線を向けた。
大希は深く溜息をついて、仕方ないといった雰囲気で一度目を閉じると、泣いている悠里の肩に手を置いた。
「和泉先輩、龍真の治療が終わるまで、ちょっと話しません?」
悠里は何も言わない。だが、大希は置いた手を肩に回すようにして、強引に壁で区切られたベッドの所まで悠里を連れて行った。
龍真と保健医の二人きりになる。どちらも無言。聞こえてくるのは悠里のか細い嗚咽と授業が始まった近くの教室からの黒板にチョークの当たる音だけ。
そんな沈黙を破ったのは保健医の方だった。悠里に聞こえないようにか、小さく呟くような声だった。
「ねぇ、龍真君。私も彼女と似たような気持ちよ。なぜ、君はそこまで傷つく道を選んだの?
あの事件の後、何もしなければ、もっと穏やかに生きていけたかもしれないのよ」
問い掛けに龍真は答えず、口を固く結んでいる。その様子に、保健医は悲しそうに目を伏せる。
「言えない、か・・・」
「誓い」
龍真が一言呟く。
「誓いを護る為だ・・・。俺もあなたに聞きたい、ゆうひさん。どうして、あなたはそのように考えられる?」
保健医こと、ゆうひは少しばつの悪そうな顔をすると、
「私は、傷つくのも、傷つけるのも嫌な弱虫だから」
寂しげに苦笑を浮かべると、手近に在った缶の中から包帯止めのピンを取り出す。
「私は臆病者だから・・・、数少ない生き残りだけど、君のようにはなれなかった。だけど、私も彼らが憎くないわけじゃない。
私は私のやり方で、彼らに復讐していこうと思っただけ。こうやって普通に生きて、人を癒して、お前たちとは違うって、あいつらを否定する。
これが私の復讐で、こんなふうに考える理由」
そう締めくくると、包帯をきゅっと強く締め上げて緩まないうちにピンを使ってとめた。
生き残り――龍真とゆうひにとって、いや大希にとってもこの言葉の意味は重い。
「はい、終わりッと。あんまり無茶な動かし方すると、また傷が開くかもしれないから。符で癒せるといっても完全じゃないんだから無茶しないこと。
分かった?」
「善処します」
龍真は痛い顔ひとつもせずに立ち上がると、ゆうひに背を向ける。そのまま、大希と悠里のいる休憩室へと進む。
「大希、俺の治療は終わったぞ」
覗き込むようにして龍真は大希に声をかける。
「ああ、ちょうど、こっちも話し終わったとこだ」
大希が龍真のほうに振り向き、やや陰鬱な顔で答えた。
「そうか、それでこの後のことなんだが・・・」
「『Harvest』に行くんだろ?」
大希はズボンのポケットから式符を取り出しひらひらさせる。龍真は頷き、肯定の意を示した。
「犯人についても知ることは多いが、それを流通させるような輩がいるとしたら、そちらもどうにかしなければならないからな」
「ついでに、和泉先輩と佐伯先輩に心配かけた侘び、入れとけよ・・・」
「あぁ・・・」
龍真はそう言って、大希との会話を締めくくると、悠里の方に視線を移した。
どうやら泣き止んでいるようではあるものの、まだその表情からは暗いものが抜けきっていない。
龍真は深呼吸をして、表情を真剣なものからいつもの優しいものへと無理矢理戻す。
「和泉さん、今日部活が終わった後、一緒に食べに行かないか?」
できるだけ穏やかな口調で悠里を誘った。悠里は沈んだ表情で、龍真のほうを見ないままこくりと頷く。
「それじゃ、俺は先に戻るよ。和泉さんも、落ち着いたら戻ってきて」
龍真はそう言って、保健室を出て行く。続いて、大希も立ち上がる。
「とりあえず、今話せるのはそれだけです。それに、嫌な言い方かも知れないッスけど、必要以上に俺たちの事を知るのは止めといた方がいいです。
そこから・・・、また喪う事に繋がるのは嫌ですから、俺も龍真も・・・」
大希もそうとだけ言うと、静かに保健室を出て行った。残された悠里の表情は、悲しさに歪んで、今にも泣き出しそうだった。
クラスメートの疑惑の視線が遠慮なく注がれる中授業を終え、時間は放課後になっていた。
龍真と大希、そして春奈は3-Bの教室に集まっていた。空は夕焼けで赤く染まり、室内も朱に染められている。
「ところでさ、これから行く『Harvest』ってどんなお店よ?」
苛立った口調で春奈が、保健室にいた間のノートを書き写している龍真に問い掛けた。
今、彼女が苛立っている原因は一つ、龍真が戻ってきた時、クラスメートの大半が龍真に向けた嫌悪の視線だ。
「知らないかな? 龍杜駅前の喫茶軽食屋。結構人気あるって聞いたんだけど」
「知ってるわよ。でも本当にそこなの!? この非常時に!?」
噛み付かんばかりの勢いで春奈は龍真に食って掛かる。そこに大希がなだめるように割り込む。
「本当ッスよ。あそこの店長とオレ達昔からの知り合いですから」
「あたしが聞きたいのはそういうのじゃなくて・・・!!」
「あぁ、そういう意味ね。あそこの店長、歌って踊って闘えると、3倍お得な情報屋で・・・」
大希の台詞が、やけにいい殴打する音で中断された。殴ったのは春奈である。
頬を抑えて床を這っている大希を見るその視線は不気味に輝く眼鏡に隠され、今さっき大希を殴りつけた拳には炎すら纏いそうな気配がある。
「年上からかってるんじゃないわよ!!」
さすがは『ペン先のヒットマン』と言う所だろうか。だが、龍真からその気迫を消し去る一言がとびだす。
「佐伯さん、大希の言っていることあながち間違いじゃないんだけど・・・」
動きを止めた大希を見て苦笑しながら、龍真は、きょとんとしている春奈に説明を始める。
「あそこの店長の雷覇さんは、俺たちと昔からの付き合いがあってね。歌って踊るはともかくとして、闘う、と言う事に関しては、腕前は俺が保証するよ。情報屋としての信用もかなりのものだしね」
「本当・・・なんだ・・・・・・」
呆気にとられた表情でそう言うと、春奈はちらりと床に倒れている大希を見てみる。いい具合に入ってしまったらしく、大希は起き上がる気配が無い。
そんな大希を完全に無視して、説明を終えた龍真は黒板の上の時計を見やる。時計の針はもうすぐ6時を指そうとしている。
「悠里のところ、行ってみない?」
「まだ部活中なんじゃないのか? 部外者が行っても問題ないのか?」
「割と私が出入りしているから、1人2人増えたとしても問題ないわよ」
「なら、お邪魔してみるか」
2人は立ち上がり、自分の荷物を持つと、悠里の待っている武道館へと向かっていった。夕日に照らされた教室に、ぶっ倒れたままの大希をおいて・・・。
「放置プレイですか~~~・・・・・・」
情けない声が無人の教室に木霊する。当然、答えるものなどはいない。あぁ、哀れ・・・・・・。