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五龍奇譚  作者: 剣の杜
第一章 白き龍は約束を果たす
5/21

題5話 剣舞~闇に踊る~

同日 PM9:39


1歩踏み出すごとに、暗闇に床のきしむ音が響き渡る。龍真はこの家の構造を思い浮かべながら、ゆっくりと歩いていく。

足音をたて自分の気配を消さずに、狙ってくれといわんばかりに無防備を装って、薄く月明かりの照らす縁側の廊下を歩いていく。

わずかに照らし出された顔の半分には、険しい表情が浮かんでいる。


(迂闊だった…!)


そう、迂闊だった。相手はこの家の所在を既に知っていることを考慮して行動するべきだった。

悠里にかけた『呪』が払われれば、かけた本人はそれを感知して当然のこと。相手も何らかの行動を起こす事を忘れるべきではなかったのだ。

故郷に帰ってきたせいか、それとも数少ない『家族』にあったせいか、気が緩んだそのツケがこの状況だ。

今、龍真が感じ取れる気配は4つ。うち3つは大希・悠里・春奈の3人、最後の1つは非常に微弱な気配。

並以上の人間でも、気付くか気付かないか難しいレベルの気配が、ある場所に留まっている。今のところ動きだそうとはしていない。

龍真の気配にはとっくに気付いているはずである。それでも動かないというのは待ち伏せをしているのか、あるいは――動けないほど衰弱している誰か。

前者であるならば誘いに乗らずに一旦引くか燻りだせばいい。しかし後者であるとすれば急がなければならない。

悠里の母親の死という最悪の結果を避けるには、気配がどちらであるかと考えている余裕はないのだ。

そう、選択肢はただ一つ。こちらから、その気配のある場所へと進むだけだ。


(敵ならば逃がす前に捕縛、師匠(せんせい)なら手遅れになる前に助け出し、すぐに大病院に連れて行く)


龍真は自分のやるべき事を再確認し、気配の留まる場所へと駆け出した。


第5話 剣舞~闇に踊る~


(此処か……)


龍真は例の気配の感じる場所でその足を止めた。縁側の一部から、渡り廊下で続いている通路の先にあるのは、道場だった。

学校などの鉄筋コンクリート製の武道館とは違い、広いながらも板張り・純木造の本格的なものである。

まるで、薄く墨を塗りこんだように黒ずんだ木の板が年季を感じさせるこの道場は、この家が受け継いでいる『和泉心刀流』の道場だ。


(厄介だな……)


龍真は心の中で舌打ちをする。

一部分を見ただけではあるが、雨戸は完全に閉められており、わずかな月明かりですらもその中へと通そうとはしていない。

さらに、龍真の記憶では入口は正面のみ。出入り口が1ヵ所の上に、暗闇のせいでこちらから相手の正確な動きを把握する事は難しい。

待ち伏せをするには、これほどおあつらえ向きな場所はないだろう。しかし、出入り口が1箇所という点はそれが相手の手を限定できる事にもなる。

ここで龍真が横から壁を切り裂いて突入でもしない限りは、攻撃を仕掛ける位置とタイミングは絞られてしまうのだ。


(相手の行動を読め――、得物は何だ?)


『敵』を仮想し、思考をめぐらせる。体は若干左半身を引き、正中線を戸の正面からずらした姿勢で、摺り足で扉へと近づいていく。

『敵』と思われる気配との距離は戸を挟んでの約6m。戸まで3m、『敵』まで3mだ。まだ『気配』が動き出そうとする様子は見られない。


(ここまで接近を許すなら、銃器の類ではないか。ならば、白兵戦武器か――徒手空拳か。戸に式神の罠が貼られている可能性もあるな)


龍真の頭の中で、槍に刀に剣、果てはトンファーまで古今東西の武器が次々と浮かび上がっていく。

それと共に、その武器を扱う流派とその型も並行して浮かんでくる。それに式神による罠を含めて総合し考え、相手の動きを予測していく。


(槍ならば、戸ごと俺を突き抜く。刀や剣ならば、突くか、戸を開く直前か直後に薙ぎ払う。打突系武器なら戸ごとぶち破る。罠ならば絶対回避不可能の間合いで発動させる)


その間も、龍真は慎重に1歩1歩『敵』との距離を詰めていく。そして『敵』までの距離が5mをきったところで、その足を止めた。


(後3歩も踏み込めば槍の間合い――)


槍を使うとなれば、龍真が戸を開けようとする挙動のうちでその間合いへと入る距離だった。しかし、いまだ中で動く気配は全く感じられない。

龍真は気取られないようにゆっくりと深呼吸をし、急な動きに対応できるように軽く踵を浮かせた。

そして、1歩踏み込む。キシリ、と本人にしか聞こえない筋肉の軋む音が耳に響く。中の気配は動きだそうとはしない。

龍真は全神経を集中して、1歩また1歩と足を進めていき、扉との距離が1mほどになったとき足を止めた。


(此処からは俺の間合い――)


距離は4m。龍真が通常1呼吸の間に切りかかることの出来る距離がこれだ。だが、それは遮蔽物がない場合。今は目の前に1枚の戸とはいえ遮蔽物が在る。

左手を鞘に、右手を柄にかけると、音も無く玄の白刃を引き抜いた。扉を開くのではなく、切り裂くのだ。

扉を開き、刀を引き抜くまでの動作を省略するためだ。開いてから抜くよりかは先に抜いていた方が、1挙動だけとはいえ省略が利く。


(袈裟で戸を切り裂きまず1手、切り返しで敵の獲物を弾いて2手、そのまま右に薙いで3手――)


構えは右手1本での上段。隙無く構えた龍真は、淀みなく右足を1歩踏み込む。その踏み込みによって生じる捻りを膝・腰・肩へと滑らかに伝えていく。

その動きから1拍遅れて、中の気配が急に膨れあがる。さらにはわずかに耳に入った金属の擦過音。


(それは読みの範疇)


龍真は慌てる事も無く、戸に袈裟切りに剣閃を刻んだ。しかし、その一閃は全力で振るったものではない。始めから2撃目を放つことを前提としたものだ。

斜めに切り分けられた戸の向こうには、刀を引き抜き、飛びかかろうと身をたわめている黒装束の姿。

それから1拍もおかずに、床板を蹴る音を道場内に響かせ、黒装束は龍真へと飛びかかった。

刀を右肩に担いだ構えに低い跳躍。『敵』の狙いは突進の勢いを上乗せした斬撃による先手必勝である。

見敵必殺―― 暗殺の基本に実に忠実といえるだろう。龍真もその一撃を迎え撃つため、背筋と腰、そして右腕に力を込めて、燕返しのごとく玄を切り返す。



「むんッ!」

「ふッ!」


2人の斬撃が交わり、金属のぶつかり合う硬質な音が響き渡る。

競り勝ったのは龍真。切り上げた切っ先は、黒装束の袈裟切りを見事に弾いていた。さらに龍真は手首のスナップで刃を返し、峰での右薙ぎを繰り出そうとする。

殺さずに無力化をするためだ。だが、黒装束の動きはそれを許さなかった。再び飛び込むように、間合いを無理やり詰めてきたのだ。

龍真の胸に黒装束の左の肩がぶつかる。零距離ともいえる密着状態。この状況では刀は使えない。その間合いの中、黒装束は空いた左手の指を人差し指と中指のみを伸ばし、残りの指を握りこむ。

斬撃がぶつかり合った残滓の火花に一瞬照らし出されたその左手を龍真の視線は逃さなかった。


(――目潰し(サミング)、いや眼窩から脳を引っ掻き回すつもりか)


慌てて龍真は、首をそらせて指の軌道から逃れる。


「ちっ!」

「しぃっ!!」


龍真の舌打ちと、黒装束の呼気が重なった。黒装束の左手は、龍真の左頬を削っただけ。薄く赤い線が生まれるがそれだけだ。

相変わらず間合いは零距離、徒手空拳の中でも短打の間合いだ。体勢は黒装束がサミングの姿勢で左腕が伸びきっている状態、龍真のほうが首と体をそらしているような状態だ。

不利なのはもちろん龍真。体が開いてしまい急所をさらけ出してしまっている。

龍真は踏み込んで前に出ている右足を円の動きで後ろへと回す。結果、左足を中心としてコンパスのように反転する。

伸びきった左腕に背を向けるような形で1歩引いた位置に移動する。だが、間合いはまだ刀を扱うには近い。


「コォォ――」


龍真は息を吸い、体をわずかに沈み込ませる。それはほんの半歩分のばねを蓄えるため。そのばねを迷わずに解き放つ。

左足で前方への推力を生み出し、右足は黒装束の開いた足の間に投げ出すように振り上げる。


「セイッ!」


呼気とともに右足を床へと叩き付けるように踏み込ませる。そのわずか半歩を詰める瞬間に、右腕を折りたたみ、前方向へベクトルがかかった瞬間にひじを振り上げ突きこむ。

半歩拳法とも言われる八極拳の裡門頂肘にも似た動作。その一撃を迷いなく叩き込む。


「ぎっ!?」


苦悶の声とともに、黒装束は後方へと吹き飛びひざを付いた。左手は右のわき腹を抑えている。肘は黒装束の開いた脇腹を確実に穿っていた。

しかし、その割には龍真が感じた手ごたえは軽かった。


(後方に飛んで威力を殺したか。あのタイミングでよくやる)


間合いは開き、約10mほど。黒装束の体勢は崩れている。と、なれば為すべきはただ1つ――、追撃あるのみ。

間をおかずに龍真は飛び出す。同時に右手首にセットした鋼糸を左手で引き抜き、分銅を手首のスナップだけを使い黒装束に向かって投擲。

狙いは右手に持つ刀。黒塗りの分銅と鋼糸はその狙い寸分たがわず、空を走っていく。

黒装束はそれをすばやく右半身を刀と一緒に引き込み回避。そのまま、距離を離すために後方へと飛ぼうと身をかがめる。

その動きに反応して、龍真の指が鋼糸を繰った。人差し指と中指で強く鋼糸を押さえ、分銅の軌道を右側へと変化させ黒装束を追わせる。

それよりも、一瞬早く黒装束は跳躍。しかし、


「チィッ!」


黒装束の姿勢が空中で崩れた。鋼糸が右足首に巻きついている。両足捕縛を狙っていたところだが、体制を崩せたのなら結果に変わりはない。

龍真はそのまま鋼糸をつかみ、力任せに引っ張った。さらに大きく体勢が崩れ、床へと叩きつけられる。


「か…は………」


先ほどの龍真に肘で一撃を加えられたところにも落下の衝撃が響く。その痛みに肺から酸素が搾り出され、さらに息を吸うことも出来ない。

呼吸が出来なければ、大きな動作を行うことは不可能になる。本来であれば、二呼吸するだけのわずかな時間。それが決定的な隙になった。


「王手だ」


黒装束が身を起こそうとしたときには、両足は鋼糸で縛り上げられ、刀を持った右腕は押さえつけられ、首元にも玄が添えられていた。


「正体を明かさせてもらうぞ」


短くつぶやき、仰向けに転がしている黒装束の正中線に沿うように刃を滑らした。

数瞬遅れて、衣服と顔を覆っていた布に切れ目が入り、ゆっくりと落ちていく。

最初に衣服が分かれおち、闇になれた龍真の目の前に女性特有の柔らかい肢体と胸があらわになる。


(女か……)


男だったら思わず食い入るように見てしまうであろうそれを、龍真は何の感慨もなく見ている。

頭にあるのは、自爆を含めた暗器などの有無だけである。龍真にとって、目の前のものが『敵』であれば、性別や年齢などというものは関係のないもの。

ただ、倒すべきものであるという事実があれば十分だった。

ほとんど感情のない目で女の肢体というよりは、そこにあるかもしれない武器を見ていた龍真だったが、女の右肩にある引き攣れた傷を見たときに動きが止まった。


「あ……れ………?」


感情を消した目に、動揺が映り始める。それにあわせるかのように、戦闘とはまた別の緊張感が龍真にかかり始めた。

背中と顔には、もうなんともいえない嫌な汗がだらだらと流れていたりもする。そして黒装束の顔を隠していた布が落ちたとき、龍真の動きが止まった。


「な、ななななななな……………」


口から出てくるのはわけの分からない驚きの声ばかり。

龍真の視線の先にあったのは、背の半ばまである長髪を色っぽく胸の前に流した美女の妖艶な笑みだった。


「5年ぶりね、(たつ)の字♪」


美女は微笑みかけるが、龍真はそれと入れ替わるように表情がこわばっていく。

それを見た美女がおかしそうに笑う。


「あらぁ、どうしたの? 久しぶりの再会なんだからいうことがあるでしょ?」


まるで出来の悪い生徒をたしなめるかの口調。だが、その口調は龍真を激しく怯えさせた。

熊に出会ったときのように、龍真はゆっくりと後ずさりをしている。


「こらこら。逃げる前に鋼糸外しなさい。こんなとこ春奈ちゃんとかに見られたら、今後の学校生活おしまいよ♪」


楽しげに言ってはいるが、その実脅迫以外のなんでもない。こう言われては、言われたとおりにするしか成す術は無い。

あっという間に形勢が逆転していた。この戦闘は最初から、龍真が勝てるようには出来てはいなかった。むしろ、龍真が勝利した時こそが真の意味での敗北だった。

何故なら目の前の人物は龍真にとって敵ではない上、彼にとって一番逆らえない人物。


「あ、あの華穏(かのん)さん…。どういう理由で、俺に襲い掛かってきたのでしょうか?」


名前は和泉華穏。まだまだ20代前半にも見える若々しい顔立ちと体とは裏腹に、姓が示すとおり悠里の母親。

性格については――


「んー、なんとなく? 龍の字の成長具合も見てみたかったし。だけど、まさかこんな辱めを受けるなんて、よよよ~~~~……」


まぁ、娘とは似てもにつかず、面白おかしくお気楽といったものである。

なんというか、ノリがまるで学生以外の何者でもない。付け加えるなら、エロ学生のノリである。

そんな彼女が、今度はいたずらを思いついたような含み笑いを浮かべた。


「ところでぇ~~、どうだった?」

「どうだった…って、何がです?」


含み笑いに警戒をしながら龍真が問い返す。だが問い返したこと自体が間違いだった。


「ん、だから私の、は・だ・か♪」

「………………」

「ね、もしかして発情した?」


邪悪な笑顔を浮かべながら、とんでもないことを口走る。龍真はすばやく余計な思考を排除。目に焼きついたものを機械的に情報処理する。

旅をしている間に、危険とはまったく関係ないことで覚えてしまった技術。見事役に立ってしまっている。


「上から90・58・84――」

「数値言えって、言ったわけじゃないんだけど……。まぁ、見事に的中しているわ――、眼力を上げたわね」


華穏が感心してうなずく。龍真が『こんな眼力いらねー』と思ったのは言うまでも無く、その思考も隅に追いやって続きを口にする。


「注意事項として、全体的に肌の張りが5年前より減衰。乳房も少し垂れ始めの兆しあり。体型を維持するなら、胸筋のトレーニングとコラーゲンの摂取を薦めます」


ふぅ、と龍真が一息ついた。見事すぎる視覚メジャーと身体的特徴への注意事項。ただ、この特技にも欠点がある。

この特技はあくまでも機械的に情報を処理し、その事実をそのまま伝えてしまうものだ。要は言いにくいことだろうがなんだろうが、歯に衣着せぬ言い方で伝えてしまうということである。

華穏は笑みを浮かべた表情で固まっている。同時に、龍真も自分の伝えたことを反芻して固まっていた。


二人とも言葉が出ない。嵐の前触れとも取れる不穏な静けさが双方の間に流れた。

まるで、死合においてどう機先をとろうかと隙を探りあうような、張り詰めた緊張が2人を支配し始める。

この緊張の中、先手に回ったのは華穏。


「龍真くぅん、『口は災いの門』ってことわざしってるかなぁ?」

「い、イエス・サー」

「女性への敬称は『サー』じゃないわよ?」

「い、イエス・マム!」


突っ込みすら入れる余裕を持って、華穏は龍真に詰め寄っていく。


「うんうん、じゃぁ次にどんなことが待っているか良く分かってるわよねぇ?」


その言葉に龍真の表情が引きつったまま凍りついた。師事していたころの悪夢が走馬灯のように駆け巡る。

一も二もなく逃げ出そうと、きびすを返して駆け出そうとする。だが、遅かった。


「逃げれると思って?」


龍真の左手を骨がきしむほどに握り締めて、華穏が言った。その顔には悪魔のような笑みを浮かべている。


「や、やっぱり駄目ですか……?」

「うん、だ~~~め♪」


怯えた表情と茶目っ気たっぷりの笑みが交差した。その笑みに龍真の中の何かが終わった。そして、華穏が動きを見せた。


「んのリャァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」


怒声と共に、固まっていた龍真の股間に蹴りを入れる。華穏の変貌振りに反応の遅れた龍真は、腿を閉じて勢いを殺すことも出来ずに直撃を受けた。


「!!!?」


股間から上り、腹を絞るような痛みに声を出せぬほどに悶絶。だが、華穏の攻撃はやまない。零距離まで密着すると同時に、水月へ肘を叩き込む。


「ガハッ!」


背中まで尽きぬける衝撃に、わずかに肺に残っていた息が吐き出された。さらに呼吸が一瞬とまり、顎が落ちる。


「いっぺん――」


落ちた顎に狙いを定め、華穏の体がまるでたわんだバネを思わせるように深く沈みこむ。彼女の腿の筋肉はギチギチと音を立ててきしんでいる。


「三途の川ァ――」


そのバネの力を一気に解き放ち、カエル跳びアッパーの如く体ごと右の掌を突き上げる。


「泳いで来ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!!」


伸び上がった体は綺麗に龍真のあごを打ち抜いた。掌底による見事なアッパーカット。その芸術的なモーションからの破壊力は押して知るべし。

骨が砕かれるような湿った粉砕音が響き渡り、龍真の体が綺麗に宙に浮いた。

そして、ひゅるひゅると落ちてきたかと思うと、思い切り頭から床に突き刺さった。どこか前衛芸術にも見えそうだ。


「ったく、このガキは………」


華穏は、さらにヤキを入れようと、突き刺さっている龍真に歩み寄ろうとして止めた。2人分の足音が近づいてきているのだ。


「んー……、1人は春奈ちゃん。もう1人は龍真のツレかな?」


華穏が若干警戒をしながら道場の入り口を眺めていると、大柄な影が飛び込んできた。


「龍真ッ!」


飛び込んできたのは大希。急に龍真の気配が消えたため駆けつけたのだ。が、彼の目に映ったあまりにも異様な道場内の光景に、目が点になる。


「はい?」


思わず間抜けな声を漏らす。まぁ、自分の相棒が半裸というか、ほぼ全裸に近い女性の目の前で床に頭ブッさして倒立している。

常人であろうがなかろうが訳がわからないのは無理も無い。だが、大希の脳はその状態からすぐに脱出すると、素早く状況を読み出した。

当然のようにろくでもないものでは有るのだが…。

大希はどこか憐憫を含んだ目で龍真を見るとそっと呟いた。


「ちゃんと、定期的に処理しとけー。真面目なのもいいけど、たまには弾けねぇとな」

「何抜かしてんのよ!!」


大希の背後から突っ込みと同時に小気味いい炸裂音が道場に響き渡った。

走ってきた勢いをブレーキングで殺しながらも、すれ違いざまに突っ込みを入れる。なかなかの妙技。

<

「痛ってぇ…」


恨みがましい大希の視線の先には、サンダルを持って腕を組んでいる春奈の姿があった。小気味いい音の原因はこれだ。

ちなみに、彼女の後ろには引きずってきたのだろう、いまだに眠りこけている悠里の姿もある。


「春奈ちゃん、そのいいガタイの青年がもう1人の?」


衣服を適当に結び合わせて、何とか見れるような状態になった華穏が、大希を指差して春奈に尋ねた。


「は、はい…。北神大希君です」


春奈の答えに華穏は頷く。さらに春奈は大希に華穏の紹介も始めた。


「大希君、この人が悠里のお母さんの華穏さん。えーと、ちなみに年齢は今年で34歳」

「……………マジデスカ」


春奈からの驚愕の事実に思わず片言になる大希。高校3年の娘を持って34歳という年齢も驚きだが、外見がそれ以上に若いことがさらに驚きなのだ。


「た、確かに禅鎧さんも37歳で見た目20前半だが、子持ちでそうなると……むぅ…………」


にわかには信じがたい現実。それを突きつけられて大希にしては珍しく黙り込んでしまった。

しかし、その沈黙を華穏が破った。


「確か…、北神の姓は黒龍院の、それも本家の方の仮名だったね」

「!?」


その言葉に大希が一瞬動揺した。表情に出してはいないが、気配が警戒するように強張っていた。


(仮名のことを知っている? この人はどこまで知ってる?)


同業者ですら、まず知ることのない真名と仮名の関係。それを何故一般人であるはずの華穏が知っているのか。

いくら龍真が親しい人であるとはいえ、仮名の関係まで知らせていることはまずありえるはずのないことなのだ。


「黒龍院?」


そばで2人の会話を聞いていた春奈が、聞きなれない言葉に首をかしげる。


「ん、春奈ちゃん聞きたい?」

「!!」


焦らすようなその台詞に、大希は思わず嶽丸を抜いて詰め寄った。仮名と真名の関係は一般人が知るものではない。

情報が漏れるところは最小限にする必要性と何より巻き込まないためである。


「あらぁ、お姉さんの魅力にもう我慢できないのかなぁ?」


小馬鹿にしたような口調。それを大希は無視し、押し殺した声で問い掛けた。


「あんた、その名が意味することが何なのか分かっているのか…!」

「…………」


華穏は何も答えずに大希の目を見つめる。大希も、にらむような視線でじっと見つめ返す。


「ふっ――」


急に華穏が吹きだす。


「ふふっ……、あはははははははっ」

「?」


何がどうしたのかわからない大希は怪訝な表情で、笑い始めた華穏を見ている。


「あははっ、ゴメンゴメン。その様子だと、龍の字は悠里があたしの娘ってことに、ここに来るまで気付いてなかったんだね?」

「はぁ?」


大希は脈絡のない話の飛び方に首をかしげた。


「あぁ、ちゃんと説明させてもらうよ。とりあえず、大希君だっけ、あの馬鹿引っこ抜いて居間に来てくれないかい?」

「は、はぁ・・・」


とりあえず大希は頷く。


「春奈ちゃんは、悠里運ぶの手伝って。最近、この娘も発育がよくなって一人で運ぶのは大変でね~」

「確かに、平均よりはるか上だったな…」

「運びながらなに確認してんのよっっ!!」

「あだぶぁっ!?」


余計なことを言った大希に再び春奈のサンダルチョップ! 気持ちのいい炸裂音が道場に木霊する。ちなみに顔面直撃。

真っ赤になっている顔面を押さえてうずくまる大希を、春奈は勝者のごとく見下ろす。


「アンタ、悠里を見ながらそんなこと考えてたの?」

「え、あぁ…いや、龍真は役得だなぁ~なんては思ってたけど…、あ……」


嘘をつけない男である。または、ただのバカなだけなのか。この場合は後者よりであることは言うに及ばず。


「「「…………………」」」


3者沈黙。まるで嵐の前の静けさ、とでも言いたくなる嫌な感じの沈黙だ。


「大希君……」


ポン、と華穏が大希の肩に手を置く。その表情は笑顔である。しかし、その笑顔は大希にとっては比較的見慣れていて、尚且つとてつもなく嫌な物だった。

わずかに浮いている青筋は怒りの象徴。次に発せられる声は、間違いなく怒声か冷たい声だ。


(う~~わ、またやっちまったぁ)


投げやりにそんなことを考えていると、龍真を沈めた必殺の掌底が顎に飛んできた。


「お前も一辺、三途の川見学逝ってこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっ!!」


岩を砕くような衝撃と共に、大希の身体が宙に舞った。


(もう、何十回も三途の川は見て、見飽きているッス……)


天井が近づいて、視界が反転するなか大希は、いい加減別の物を見たいと思っていた。


(たまには、別のところがイイっす………)


近づく床、薄れ行く意識で大希が望んだのはこんなことだった。

ちなみに、彼はこのとき見慣れた河を見て、思わず橋渡しの人間に尋ねてみたら、アーケロンの河と返されたらしい。



合掌。


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