プロットは必要か否か?
小説を書くにおいて、“プロット”という考え方がある。
小説本編を書く前に、あらかじめおおまかなストーリーを考え、書き出しておく方法だ。
世の中には、プロットを必要とする作家と必要としない作家の2種類が存在する。
たとえば、ミヒャエル・エンデ、レイ・ブラッドベリ、スティーブン・キング。こういった作家は、プロットを否定する。そんなものがあると、ストーリーはわざとらしくなり、キャラクターは死んでしまい、作品は“いかにも、作られた感じがする”というわけだ。
それに対して、「プロットこそが命!小説において、核となる部分!」と声高に叫ぶ作家もいる。クーンツなどがその代表的な例であり、日本の多くの作家もそう考えているだろう。
ま、どちらかが正しいのかという結論は人によって異なるだろう。
それはいい。それはいいとして、とりあえず、それぞれの利点と欠点を書き出しておこう。
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まず、あらかじめプロットを作っておく方法の利点だ。
これは、わかりやすい。
最初に書くべき小説の内容を決めておけば、後から困ることはない。
「ああ、この後の展開をどうしよう!?ここから先、何を書けばいいのだろうか?」なとと迷うことはなくなる。
ただ、機械的に書いていけば、確実に作品は完成するだろう。
逆に、欠点は何か?
それは、“飽きてしまいがちだ”ということだ。
「もう書きたいコトは書きつくしてしまった。プロットの時点で、書き出してしまった。今さら、小説など書く気にはなれない」
そんな風に感じてしまいがち。
詳細なプロットを作成すればするほど、その傾向は強くなっていく。
それでは、プロットを作成しない利点は?
もちろん、その逆だ。この後、どうなるかはわからない。だから、読者と同じようにワクワクしながら小説を書くことができる。先の展開がわからないから、人生を歩むように書き進められる。道の世界へと突入していける。これは、楽しいに決まっている!
人は、この先の展開がわからないからこそ、新鮮な気持ちで生きていくことができるのだ。
もしも、それが決まりきった未来だとしたら?世界最高の占い師に“あなたは、この後、これこれこういう人生を歩むように決められています”と予言されたとしたら?
そりゃ、そんなものはツマラナイ。当然だ。
では、プロットを作成しない欠点とは?
この後の展開がわからない。だから、書けなくなる。何を書いていいのかわからなくなる。そうして筆は止まる。しまいには、小説を書くのが嫌になってしまう。
それだったら、あらかじめ決められた運命でもいい。先が決められている方がいい。
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結局の所、どちらの道を選ぶかは、人それぞれだとしか言いようがない。
それぞれの道に利点はあり、欠点はあるのだから。
ただ、できることならば、両方のやり方で小説を書けるようになった方がいい。
あらかじめプロットを作ってから小説を書き始める方法と、そうでない方法と。
その方が応用のきく作家になりやすい。