第四話「命の代償」
月の光が木の葉の隙間から覗く夜、俺とゲルニカは森の中で魔物の群れと戦っていた。
大体戦闘が始まってから、一時間ぐらいは経っていたと思う。
いくら倒しても湧き続ける魔物は、じわじわと俺達の体力を奪っていく。
「どれだけ湧いてくるんだよ、これじゃきりがないぞ」
俺は剣を振って、魔物を退ける片手間に呟いた。
獣型の魔物に対しての戦い方には慣れてきたが、それでも厳しいところがある。
長期に渡って戦い続けるのならば尚更だ。
「あの魔物達に触発されたのでしょうか……もう一発、ペインショット!」
ゲルニカも森の中ゆえに、得意の炎魔法を使えなくて苦戦している。
しかし中級魔法ながらも、的確に急所に当てて一発で仕留めている。
この調子なら数が多いとはいえ、確実に減っていくだろう。
そんなことを考えながら、俺は剣で地面を抉って砂煙を立てる。
それは魔物達の視界を塞ぎ、大きな隙を作っていった。
後は力に任せて一気に薙ぎ払うのみ。
剣を水平に振り、魔物を三匹同時に弾き飛ばす。
「……ギッ、ギャギャッ!」
そんな歯を擦るような声を立てながら、魔物達は吹っ飛び、大木にぶち当たる。
それらは激しく痙攣を起こしながら、血の泡を吹いて死んでいった。
俺は周囲を見渡し、残党がいないかを探す。
しかし周りには魔物の死骸が転がるばかりで、生存者は見当たらなかった。
「これで終わりか、手間をかけさせやがって……」
俺は剣に付いた血を一振りで払い、鞘に収める。
ゲルニカも地面にぺたんと座り込んで、大きい欠伸をした。
「つかれたーっ、もう魔力がほとんど残ってないですよぉ」
ゲルニカがそう言って、背伸びをする。
先ほどまでの騒がしさから一変、森は草の擦れる音すらもよく聞こえるほどの静寂に包まれた。
心地よい風は、熱くなった体を冷やすのに丁度よかった。
するとその静寂の中で、俺達の後ろにゆっくりと近づいてくる足音が聞こえた。
「グリリィ……」
静寂を切り裂く声、そちらに俺達が振り向くと、今までより二回りも巨大な魔物がいた。
その全身には赤い模様が入り、前脚は筋肉で異様に盛り上がっていた。
「注意してください、このサイズの魔物になると魔獣と呼ばれ、力と知能が他とは桁違いです!」
ゲルニカがそう言い切る直前に、魔獣は地面を強く蹴り込む。
そして勢いよく俺に向かい、拳をぶちこんできた。
ぎりぎり剣でガードできたが、俺は結構な距離を飛ばされてしまう。
そこで魔獣は即座にターゲットを変更し、ゲルニカに向かい走る準備を完了させる。
「グァオオオオオオ!!!」
魔獣は凄まじい咆哮をあげ、その体型からは想像のつかない速度で突進をする。
「この親分あって子分ありってところですか……ダブルペインショット!」
ゲルニカは冷静にため息をついて、杖の先から魔力の塊を放つ。
黒い魔力の塊は、地面すれすれで魔獣に向かい飛んでいく。
そしてその途中で二つに分裂して、跳ねるように打ち上がった。
平らな三日月型に湾曲したその塊は、魔獣の前脚にそれぞれ当たる。
「ギャッ、ギイィィィ!!!」
前脚にダメージを受けた魔獣はバランスを崩し、身体を地面に擦りつけて勢いを失っていく。
前足の着弾点から刃物で抉ったかのように抉れ、血が溢れ出ていた。
ゲルニカがそれを見て、少し困ったような顔をする。
「これは骨まで入ってしまいましたね。僕にもそこまで回復する力は無いのですが……」
ゲルニカがまた大きなため息をついて、魔獣の目の前にゆっくりと近づいていく。
すると先ほどまで小さく唸っていた魔獣が、ゲルニカに向かい連続で噛みつこうとする。
しかし脚を動かすことのできない魔獣の攻撃は、ゲルニカに軽くかわされてしまう。
そんな魔獣を、ゲルニカは憐れむかのような目で見ていた。
「あまり動くと本当に治らなくなりますよ。――せっかく仲間を復活させられるかもしれないのに」
ゲルニカがそう呟くと、魔獣の攻撃がぴったりと止まる。
しかし俺には、その意味が理解できなかった。
生命を蘇らせることは、かつての賢者でさえできなかった技術だった。
顔をしかめて怪訝そうにする俺に向かい、ゲルニカがにこやかに笑って、魔獣の横に移動して体毛を掴む。
「この体毛を頂けないでしょうか。そうすればあなたの仲間を蘇らせてあげますよ。さあ、どうしますか?」
ゲルニカの自信満々な発言に、魔獣の表情が変わる。
魔獣はじっとゲルニカの顔を窺っているようだった。
「ガグゥゥ……」
魔獣は目を閉じて、返事をするかのように小さく吠えた。
獣型の魔物にとって、体毛というのはプライドの塊、ましてやリーダーとしての証、それを奪われるのは凄まじい屈辱であろう。
しかしそこまでしてでも、この魔獣は仲間を取り戻したいのだろう。
「良い答えです。では、ペインダガー!」
ゲルニカは魔法を使い、杖の先に魔力の刃を作り出す。
それで魔獣の体毛の赤い部分を少しずつ刈り取っていく。
「グッ、グゥ……」
魔獣はその間も、悲しみのためか小さく唸り続けていた。
ゲルニカは皮膚には全く傷を付けずに、綺麗に切断していった。
数分後、魔獣は全身の体毛の赤い部分を、全く残さずに刈り取られてしまっていた。
ゲルニカは、薄目を開けたまま虚空を見る魔獣に向かって笑いかける。
「最後まで終わりましたよ。よく耐えきりましたね」
そう言ったゲルニカは、杖の先に魔獣の前脚の傷口の血を塗り付ける。
そして血を塗った部分に、先程刈り取った体毛を纏わせていく。
「さあ、お待ちかねの復活の時です!」
ゲルニカは杖を天に掲げて、そう叫んだ。
すると、杖の先から真っ赤な魔力が溢れ出てきた。
その杖をゲルニカが軽く振った瞬間、周囲にその魔力が飛び散った。
飛んでいく魔力は魔物の死骸に当たると、その身体に吸い込まれていった。
それと同時に、その身体にあった傷がみるみる内に治っていく。
「……グ、グリィ?」
少し唸った魔物達は、何事もなかったかのように起き上がった。
そして何かを探すかのように周りを見回した。
その瞳に無残な姿になった魔獣を捉えると、一斉に飛びかかる。
「グオオォォォ!!!」
魔獣が今までで一番大きく、悲痛な叫びを上げて涙を流す。
それは、今まで仲間だった者に襲われるという、悲しみの叫びだった。
「……待ちなさい!」
ゲルニカが一言そう叫ぶと、魔物達はぴたっと止まる。
「僕達はもうすぐここから去ります。あなた達はリーダーを失って生きていけるのですか?」
ゲルニカが呼び掛けると魔物達が小さく唸りはじめる。
少しすると、魔獣が一吠えして、場を静める。
「僕達は危害を与えるつもりは一切ありません――ただ、ここで一晩を越し、遺跡を抜けるために通ることを許していただけないでしょうか?」
ゲルニカがそう言って、笑顔を見せる。
「グゥゥ……」
魔獣が了承したかのように一声吠える。
それを聞いたゲルニカは杖を振って、先に残っていた魔力を飛ばした。
それが魔獣に当たると、傷口がゆっくりと塞がっていった。
「グァッ……ガゥゥゥ!」
魔獣は驚いたように目を見開き、嬉しそうに吠えた。
「許していただけたみたいですね。ではハルトさん、行きましょう」
ゲルニカは魔物達かに背を向けて、苔の剥げた獣道を駆けていった。
俺もそのゲルニカに早足でついていった。
仲間で寄り添い合う、魔物達の安らいだ顔が目に残っていた。
俺達は、丁度良い洞窟を見つけ、そこで一晩を越すことにした。
「よし、必要分の枝を集めてきたぞ。点火してくれ」
俺は集めてきた石で簡易的な竈を作り、そこに木の枝を纏めて置いた。
「はい、ポイントファイアです」
ゲルニカが限界まで抑えた魔力を飛ばして、薪に火を付ける。
抑えているとはいえ、薪が一瞬で炎に包まれるほどだが。
俺は点火したのを見て、鞄の中からフライパンを取り出して油を引く。
「……魔物が生き返ったの、あれは一体何だったんだ? かつての賢者ですら到達できなかったんだぞ?」
俺は油を熱す片手間に言った。
ゲルニカは少し困った顔をして、首を傾げた。
「……言いづらいですが、あれは正確に言うと、蘇らせた訳ではないんです」
ゲルニカが悩んだ末に口を開き、そう言った。
「は? なら、あれは何だったんだよ」
俺が切り分けた野菜をフライパンに投入して言う。
野菜の焼けていく音が、洞窟の中をこだまする。
「魔物は魔人形と似ていて、その命は魔力で動いているんです。つまり、新しい命を作り上げた、あの魔獣を騙したんです」
ゲルニカが暗く、顔を落として言った。
いつもの明るい時とは全く違う、罪悪感が滲み出ていた。
「ああ、それは知っている。魔人形の応用で、魔物に命を注ぎ込んだわけだな」
それは俺の知っている知識の中でも理解できた。
最強の魔人形を倒しに来たゲルニカなら、それぐらいできてもおかしくない。
だとしても、一つだけ引っ掛かるものがあった。
「それならお前、魔力はどうしたんだ? 確か、ほとんど無いとか言ってなかったか?」
俺がそう聞くと、ゲルニカポケットの中から二つの小瓶を取り出す。
その中には、先程の血と思われる液体と、体毛がそれぞれ入っていた。
「魔獣ほどまで成長すると、力がとてつもなく増大することは言いましたね。つまりは、命の源の魔力も増大しているわけです。」
ゲルニカが俺に言い聞かせるように話し出す。
「その魔力は身体の中だけでは入りきらなくなり、体毛などに溜め込まれるようになるのです」
そう言って、ゲルニカは体毛を数本、口に入れて少量の血で飲み込んだ。
驚いて身を乗り出す俺に、ゲルニカは舌を出してきた。
「その魔力を、魔力の主の血液で魔物の肉体に縫い付ける。僕はそれの起動をしただけです」
ゲルニカが心地好さそうな顔で杖を回しながら、野菜の焼ける香りを楽しんでいる。
この辺りの野菜は、疲労回復促進と、魔力の供給ができる便利なものだ。
「完成、野菜炒めだ。ゆっくり食えよ」
俺はそれの半分を皿に持って、ゲルニカに差し出す。
フライパンに残ったのを、俺はそのまま箸で摘む。
「……凄くおいしい、いい味です。」
ゲルニカが喜びを抑えられずに呟く。
旨くできたことに心の中で喜びながら、俺も箸を進める。
ここでしっかり腹を満たして、明日の戦いに備えてゆっくり休まなくてはいけない。
俺はそう思いながら、口の中の野菜を噛みしめる。