第三十四話「無謀の追跡」
「時限獣についての資料と、鉄氷軍を動かす際に必要な情報を、一晩の間に纏めておいた。そして今日、大臣達に直接交渉に行ってくる」
ハピュリス国王はそう言い、スープを掬っていたスプーンを置く。
今日の朝食は特別に、俺の指揮で作ったものだったが、それどころじゃない空気の重さだった。
「その口調からすると、交渉は困難を極めるいうことですか?」
ゲルニカが不安そうに聞くと、ハピュリス国王は首を横に振る。
「いや、私の予定では、今日一日だけで終わるはずだ。そのために一晩かけて、資料を集めたんだからな」
そう言って焼きたてのパンを千切り、口へと運んだ。
そして少し咀嚼して飲み込むと、ぱっと目を見開いて、明るい表情になる。
「ほうなるほど、このパンはまろやかな甘みなのか。さっぱりとしたスープと引き立て合っていて、とても美味しいな。流石本職は料理人なだけある。できるならばもう一セット、おかわりしたいところだぞ」
ハピュリス国王はそう言い、にっこりと笑って料理を指差す。
「あっ……ありがとうございますぅ!」
俺は嬉しさのあまり、舌足らずに感謝の言葉を述べる。
そして肩の荷が一気に降り、胸を撫で下ろしてた。
するとハピュリス国王は呆れたように笑う。
「いやいや、そんなに畏まらなくても大丈夫だぞ。ハルトは料理の腕も良いし、剣の腕前もアレッドに並ぶ程に立つからな。雇えるものならば、うちで雇いたい程だ」
低い声を弾ませて、楽しそうに言ったハピュリス国王だったが、俺の心情は複雑だった。
「そういうわけには……」
俺が言葉を紡ごうとした時、ハピュリス国王は話を遮るように口を開く。
「まあお前のことだ、そう言うだろうな。だが私も王とはいえ、形だけのものだ。もはや外交の役割しか持ってはいない。それに、お前達とは同じ食卓を囲んだ仲だ。家族のようなものだと認識しているぞ!」
ハピュリス国王は親しげにそう言って、スープを飲み終える。
そして残っていたパンを一口で頬張り、味わうように噛み締めると、静かに飲み込んだ。
「……はい」
例え本人が実際にそう思っていようと、国民の象徴であるハピュリス国王に親しみを持ってもらっているというのは、実感が沸かないものだった。
感覚のままに、素っ気ない返事をしてしまうと、ハピュリス国王は満足げに頷く。
すると横からトレーを手に持った、メイド服の少女が現れる。
その少女――アリアはにっこりとこちらを向き、トレーの上からガラスの器を取り、机へと並べていく。
「おはようございます。こちらはハルトさんが昨晩作っていたプリンでございます」
そう言って順番に、プリンの入ったガラスの器を、俺達の前へと並べていく。
それを見たハピュリス国王は、顎に手を当てて考え込む。
「……そうだ、アリア。今日はハルト達に、街の案内をしてあげなさい。この街にも、アクシア王国に負けないぐらい良いところがあるのを見せてあげるんだ」
「ですが……」
少しどもるアリアに、ハピュリス国王は少し考え込むように顔を伏せる。
そしてすぐに、何かを思い出したかのようにぱっと顔を上げた。
「そういえば、今日は準備の日だったろう? それならば大丈夫だ。ただでさえこれから忙しくなるんだ、今日ぐらいは休んで、英気を養っておきなさい」
ハピュリス国王がそう言うと、アリアは目を見開く。
そしてにこやかに笑って、大きく頷いた。
「はいっ!」
その声は明るく、とても楽しみにしているようだった。
「ここがこの街一番の見所、聖域の噴水です!」
アリアに案内されるがままに広場の入り口で止まると、そこには真っ直ぐに噴き上がる、綺麗な水の柱があった。
その周りは綺麗な彫刻で彩られ、見る者を圧倒する凄みがあった。
「噂には聞いていましたが、凄いですね……とにかく凄いとしか言えません……!」
ゲルニカが感極まったように、絞り出すような声で言った。
「本当に、悔しいけれど、荘厳さでは間違いなく、ラングリラ以上ね……」
シグレは内容の割には、嬉しそうに言った。
一方の俺は、凄すぎて声を出すことすらできなかった。
普段彫刻を見る時にはこんなことはない、だが何か惹かれる物があったのだ。
そんな呆気に取られる俺を見て、ゲルニカは不思議そうに首を傾げる。
「あれ、どうしたんですかハルトさん?」
ゲルニカに声を掛けられて、俺ははっと我に帰る。
そして溢れ出す思いを吐き出す。
「かっこよすぎじゃねぇか、この彫刻! まるで騎士のようにたくましく、剣を構えているみたいなデザイン! そこに噴水が合わさってさぁ……」
興奮する自分に気付き、捲し立てるような演説は尻すぼみに終わる。
そして不思議な程のシンパシーを掻き消すため、照れ隠しも込めて顔を伏せる。
するとゲルニカは大丈夫とでも言わんばかりに、俺の肩を叩いた。
「中々良いコメントですね。流石料理人として感性を磨いているだけあります」
そう励まされて、俺は少し顔を上げる。
「確かに、とても良い感想でしたよ! これを作った、昔の彫刻家の人も喜ぶと思います!」
アリアはそう言って、にこやかに笑いかけてきた。
その笑顔に俺の恥ずかしさはさらに増したものの、その国の人に言われるなら悪い気はしない。
ぼんやりとそう思いながら少し見上げると、視界の端で黒い点が揺らめく。
それは屋根の上を高速で走る、黒いローブを着た人だった。
性別はよくわからないが、体格からすると男性のように見える。
そのローブの男が、こちらの方向に走ってきているのがわかった。
「……なあアリア、この国の屋根の工事は、ローブを着込んでやる決まりでもあるのか?」
俺がぼんやりと聞くと、アリアは怪訝そうな顔をする。
「えっ? そんな決まりなどは無いですが……どうしたんですか?」
そう言われて、ぼやけていた視界を冴えさせる。
明らかに異常な速度で駆けてくるローブの男。
それはローブをひらめかせたかと思うと、こちらへ何か輝くものを投げつけてくる。
その光るもの、ナイフは真っ直ぐにに飛んで、シグレの首元へ向かう。
「……っ危ない!」
俺はそう叫びながら剣を引き抜き、ギリギリでナイフを撥ね飛ばす。
ナイフは軽い音を立てて宙を舞い、カラカラと地面を滑っていった。
それを見たローブの男は少しびくりと跳ねたかと思うと、来た道を帰るかのように走り去っていく。
「あいつ、不意打ちとは卑怯な真似してくれるじゃねえかよ、畜生が!」
俺がそう言って駆け出そうとすると、ゲルニカが俺の肩を掴む。
「待ってください! ハルトさんが直接行ってどうするんですか? シグレさんを確実に守れるのはハルトさんだけです!」
ゲルニカにそう言われるも、焦る俺は手で振り払う。
「といっても、元を断たないとどうしようもねぇじゃねえか! 俺なら奴に追い付くことができる、いやむしろ俺じゃないとできない! ゲルニカはこの場で結界を張って、シグレを守っててくれ!」
俺が荒く言うと、ゲルニカはしゅんと顔を暗くする。
そして杖を取り出し構えると、ぼそりと呟き黄色い魔力の結界でシグレを包み込んだ。
「……悪いな」
俺はそう呟いて、屋根の上をじっと見る。
影は既に遠く、ぽつんと見える程度になってしまっていた。
「ちっ……相当に速いが、まだ間に合う」
俺は剣を鞘に戻し、大通りへと走り出す。
人混みの隙間を縫うように踏み込み、回避していく。
そしてじわじわと距離を詰めていくと、壁際に積んである大きな木箱が目に映った。
「くそっ、まてやそこの奴!」
俺はそう叫びながら、木箱を踏み台にし、駆け上がっていく。
飛び上がった俺の身体は、ふわりと弧を描き、屋根の上へと着地する。
バリンと屋根瓦が嫌な音を立てると、ローブの男は驚いたように踵を返す。
「まさか、ここまで追ってくるとは驚きです。何のために、そんなに焦って来たんですか?」
ローブの男は肩をすくめると、飄飄と尋ねてくる。
「そりゃあ決まっている。お前を捕らえるためだ! 覚悟しろ!」
俺が剣を振り抜きながらそう吐き捨てると、ローブの男は鼻で笑う。
「確か、ハルトさんでしたっけ? 一国を救い、それどころか魔物との懸け橋を作った英雄! そんなあなたとはいえ、この屋根の上ではまともに戦えないでしょう?」
ローブの男にそう言われ、俺は眉をぴくりと動かす。
足元を見てみると、ひびが入りへこんだ屋根瓦が見える。
一方の相手の足元の屋根瓦は、何の変わりもなく綺麗なままだった。
明らかに相手の方が、こういう場所での戦いに慣れている。
真っ向勝負を仕掛けたところで、俺の負けは見えていた。
「……といっても、ここまで来て引き下がるわけにもいかないだろ?」
ローブの男に説明するように、どこか自分に言い聞かせるように呟き、一歩前へ進む。
音は鳴らない、どうやらゆっくりならば、何とか割れないようだ。
ふっとため息を吐き、しっかりと男を見据える。
「なるほど、それはごもっともです。ですが屋根の上ならば、私に負けは無いですよ?」
ローブの男はそう言って、こちらへと駆け寄ってくる。
そしてローブの中から、腕と銀に輝くナイフを覗かせる。
だが俺は、剣を構えたまま動かない。
その間に男は、俺の目の前まで踏み込み、ナイフを横に構えていた。
俺の腰元より低い踏み込み、ただ剣を振っただけでは受けられないだろう。
それを見た俺は、剣を少しずつ傾けていく。
「……今だ」
剣を一気に加速させ、数センチまで近づいてくるナイフの腹を捉える。
そこから身体を捻らせて、ナイフを上へと撥ね上げた。
その高く振り上げた剣を止め、落下させるように男へと振り下ろす。
「カウンター狙いなのは読んでましたが、ここまで引き付けてくるとは、正直驚きです!」
ローブの男は低い姿勢のまま、後ろへと軽く引き下がっていく。
そこに落ちてきたナイフを掴み、こちらに真っ直ぐ向けてくる。
「……かといって、遠距離からナイフを投げたところで、弾かれてしまうのは目に見えてますし……ねっ!」
ローブの男は声に少し力を入れたかと思うと、キャッチしたナイフを真っ直ぐに投げつけてきた。
風切る音を立てるそのナイフを俺は、剣で軽く横へと撥ねさせる。
するとその瞬間、男はローブをひらめかせ、その中から数え切れない程のナイフを放つ。
そのナイフはばらばらに散らばり、こちらへと真っ直ぐに進み始める。
俺はまばらに並んだナイフを睨み、ぐっと集中する。
――暗刀流奥義其ノ八、幻影
ナイフの速度が、世界の時間がゆっくりになっていく。
ナイフの列は屋根の横幅を埋め尽くし、逃げ場は無い。
一直線に薙いだところで、全てを止めることは到底できないだろう。
少し舌打ちをして、必死に突破口を探し出そうとする。
これを全て払うためには、一瞬で何度も攻撃を繰り出すしかない。
天龍撃は瞬時に数十発の攻撃を放てるが、一点に集中したものしか使ったことはない。
……だがやるしかない、いつも通りの行き当たりばったりの賭け。
俺には攻撃を的確に捉える目、幻影がある。
ならばその読んだ場所に、剣をぶち込んでやればいい。
ため息を一つ吐いて覚悟を決め、目をぐっと閉じる。
そしてくわっと開くと、ナイフは徐々に加速していく。
ナイフの雨が俺の周囲を包み込む時、俺は剣を動かす。
「……天龍撃!」
突き出される五月雨の連撃は、ナイフの進行方向を逆に覆い尽くしていく。
そして鳥を石で撃ち落とすように、ナイフは弾かれていった。
ナイフを全て叩き落としたのを確認し、俺は腕をぴたりと止める。
「……ぃよし! 思い付いたばかりだが、何とかなってくれた! そのままだが、五月雨天龍撃とでも名付けるか!」
俺はガッツポーズと共に、そう宣言する。
するとローブの男はわなわなと肩を揺らし、じりじりと後退りをする。
「な……そんな馬鹿な!? 逃げるっ!」
ローブの男は震える声でそう叫び、くるりと方向転換した。
そして屋根を伝って、素早く走り出した。
「ちぃ……まてやこらァ!」
俺は腕を伸ばし、追い掛けるために一歩踏み出す。
すると足の裏から、嫌な感触が伝わってくる。
軽く目眩を覚えて唸り声を上げるが、俺はそのまま走り出す。
「ぐぅ……仕方ねぇ、ただでさえ店の改築で金が無いってのによぉおお!」
俺は怒りの雄叫びを上げて、ローブの男の後を追っていく。
踏み出すたびに屋根瓦の割れる音がするが、もはや俺の耳には届かなかった。
男は不穏な音に気付いたのか、顔をこちらに向けると、引きつった口を覗かせる。
「なんで慣れてない屋根の上で、そんな走ってこれるんですかぁっ!?」
間抜けな声を上げながら、ローブの男はさらに加速していく。
「知るか! こちとらもはや意地なんだよ! 金かけてるんだから、さっさと捕まれや!」
俺はそう返し、男の速度に合わせて蹴り足を強めた。
屋根すら突き抜けそうな音が、延々と響き続けていく。
俺は左腕をポケットに突っ込み、その中から赤い魔混石を取り出す。
「そろそろ止まれ! こっちの残金も割とカツカツなんだよ! っ――ポイントフレイム!」
胸の前に魔混石を掲げ、魔法を唱えると、目の前が一瞬明るくなる。
そして魔混石から撃ち出された拳大の炎は、男へと間合いを詰めながら向かっていく。
光に気付いた男はこちらを二度見し、口をあんぐりと開ける。
「ええっ!? ハルトさんって魔法使えない、剣一辺倒って聞いてたんですけどぉ!?」
ローブの男は疑問を叫びつつも、振り向きざまにナイフで炎を切り裂いた。
すると炎は真っ二つになり、男の横を綺麗にすり抜けていった。
その直後、男の進行方向で炎が膨らみ、小さな爆発を起こす。
こちらを向いていた男は、爆風に背中を押される形になり、こちらへと倒れ込みそうになる。
「よっしゃぁああ! ポイントファイアと勘違いして、ぶった切ってくれたァ! これで終いだ暗殺者!」
爆発の間も駆け寄っていた俺は、男へと飛び掛かり、剣をぐっと振りかぶっていた。
男は体勢を何とか立て直すと、落下していく俺を見上げる。
「仕方ない、最終手段ですが、この場所だからこそ……!」
にやりと笑った男は両手にナイフを持ち、目の前でクロスさせて振り上げる。
その先には、俺の振り下ろした剣があった。
ガキンと音を立てて搗ち合う鉄と鉄、だがこちらの一撃の方が重い。
俺は力を込めて、剣をじりじりと沈めていく。
「――ペインダガーブレイク!」
男がぼそりと呟くと、ナイフが灰色の魔力に包まれていく。
そしてその魔力は弾けて、こちらへと強い衝撃を与えてくる。
衝撃は剣から俺の身体へと伝わり、俺を宙へと浮かせる。
そこで男は飛び上がり、身体の制御が利かない俺に追撃を加える。
「もう一発です!」
そう叫んで、俺に向かい交差させたナイフを振り下ろす。
それを剣で受け止めると、発生した灰色の魔力は弾ける。
叩き落とされる俺は屋根を越え、裏路地の中、小さな広場へと真っ直ぐに飛ばされていく。
その先には、一軒の家の壁が聳えていた。
「くそっ……水切!」
ぶつかりそうになる勢いを、壁に剣を叩きつけて受け止める。
ガリガリと音を立てて、傷の入っていく壁に、俺は舌打ちをする。
すると横にあった扉から、巨体の男と女性が出てくる。
「な……何だ!?」
その二人は広場まで出てくると、きょろきょろと周りを見回す。
そして巨体の男が俺の方を見ると、目を血走らせて近寄ってくる。
「何してくれてんだ、俺らの酒場に!」
巨体の男は俺の胸ぐらを掴んで、ぐわんぐわんと揺らしてくる。
「何って……暗殺者を追い掛けてて、屋根から叩き落とされて……」
俺がたどたどしく答えて、落ちてきた屋根の上を指差す。
するとそこから、ローブの男がひょっこりと顔を出す。
「それは追っ手です! 英雄のハルトさんだけあって相当にしぶとくて……なので倒すのを手伝ってください!」
ローブの男はそう言い、屋根の上から身軽に飛び降りてくる。
その言葉に反応して、巨体の男は俺を壁へと投げつける。
背中を打ち付けた俺は息を溢して、痛みに歯を食い縛る。
「へぇ……英雄とはいえ、私達ボーンダンスに喧嘩を売ろうなんて、良い度胸じゃない」
女性はそう言って、ローブの男と巨体の男の真ん中へと進み出てくる。
「疾風のギブリス!」
ローブの男はナイフを構えて、そう名乗る。
「粉砕のパルヴァ!」
続いて巨体の男が拳を突き出しながら、高らかに叫ぶ。
「そして不可視のベルシア! さあ、かかってきなさい!」
最後に女性がそう名乗って、こちらに手招きする。
俺は痛みを堪えて、剣を構えてそれに対峙する。
「暗刀流のハルト……とでも名乗っておこう」
三対一、まだ屋根の上よりはましな地形とはいえ、この状況から勝てるのだろうか――




