第三十一話「氷仙流の王子」
俺達は喫茶店から出て、街をゆっくりと歩いていた。
あれから太い道を途中で曲がり、何本かの大通りを越えた。
「おう、アリアちゃん! 今度ケーキ焼くから、取りに来てくれよ!」
するとパン屋からひょっこりと顔を出した男が、嬉しそうに声をあげる。
いきなり話し掛けられたが、アリアは驚く様子がなかった。
それどころかアリアは、にっこりと笑って手を振っていた。
「ありがとうございます! ぜひ行きます!」
アリアがそんなことを言うと、男はぐっとガッツポーズをして店へと戻っていく。
それだけではなく、街を歩く他の人も、アリアへと手を振っている。
アリアはそれに手を振り返し、明るく笑っていた。
「……かつて噂程度に聞いたことがあった、国民に愛される少女の話。すっかり忘れていましたが、アリアさんのことでしたか」
ゲルニカはその様子を感心したような顔で見て、ぼそりと呟いた。
俺も三年ぐらい前に、ハピュリスに旅行した友人から、少しそんな話を聞いた気もする。
するとアリアはこちらに顔を向けて、不思議そうな顔をする。
「私に、そんな噂があったんですか? まあ皆、私に優しく接してくれているのは事実ですがね!」
アリアは笑顔へと戻り、周りをキョロキョロと見回す。
それはまるで、自分が認識できていない人がいないかを確認しているかのように。
この気の回り様が、その人気を作り上げているのだろう。
俺がそんなことを思っていると、シグレが小さくため息を吐く。
「私もそんな、皆に大切に思われるような人になりたかったなぁ……」
シグレがそんなアリアを見ながら、羨ましそうに呟いた。
それは俺の目には、悲しそうにも見えた。
それを聞いた俺は、シグレの肩へと腕を回す。
「大丈夫だっての。少なくとも俺は、シグレのこと、大切に思ってるぜ?」
そう他に聞こえないように呟くと、シグレの顔がぼおっと赤くなっていく。
そして驚いたように目を見開いて、口をぱくぱくとさせる。
「えっと、ありがとね……」
シグレは俺から目を逸らしながら、ぼそりと言った。
そこからは、少しだけど元気が戻ったように感じられた。
俺はそれを聞いて安心すると、肩から手を除ける。
するとそのタイミングで、アリアが足を止める。
「はい、到着しました。ここがハピュリス共和国の、お城ですよ!」
アリアがそう言うと共に、俺は目の前の建物を見上げる。
そこには立派な城が、歴史を感じさせる姿でそびえていた。
すると急にシグレが前に出て、きらきらとした目で王城を見ていた。
「これが、ハピュリスのお城……! アクシア王国のも綺麗だったけど、こっちも素敵……」
うっとりとした声をあげながら、その城を眺めるシグレ。
どうやら、調子は完全に元へ戻ったようだ。
その様子を見たアリアは、にっこりと笑った。
「はい、アクシア王国程ではありませんが、これでも長年続いてる国ですからね。別の良さは出ていると思いますよ! それでは、入りましょうか」
そう言って門の前に立っている兵士に話し掛ける。
そして少し待つと話し終えたようで、こちらへと笑顔を向ける。
すると後ろで扉が音を立てて、ゆっくりと開いていく。
その中へ、すたすたと歩いていくアリア。
俺達はその後を、遅れないようについて行った。
城の中は、落ち着いた装飾が所々に施され、見ているこちらも気持ちが落ち着いていくようだった。
そんな廊下を歩いていると、十字路でアリアが立ち止まる。
「すいません、私が案内できるのはここまでです……真っ直ぐ行けば玉座まで辿り着けますので、ここからは皆さんだけでお願いします」
アリアはそう申し訳なさそうに言って、ぺこりと頭を下げる。
「ああ、そうか。そんな謝らなくても大丈夫だぜ。ここまで案内してくれて、ありがとな」
俺は少し悲しそうな顔をするアリアに向かい、頷いて感謝を示す。
するとアリアは顔を上げて、笑顔を見せた。
「そう言ってもらえると、ありがたいです。また後で、会うことになるでしょう。それでは、失礼しました!」
元気を取り戻した様子のアリアは、再度頭を下げる。
そして廊下を右へ曲がって、すたすたと歩いていった。
俺達はそれを見届けて、また真っ直ぐに歩き出す。
そうして少し歩くと、すぐに一際豪華な装飾がされた入り口が見える。
その先には、赤い絨毯が敷かれた、玉座の間になっていた。
絨毯の先、部屋の真ん中にぽつんと椅子が置かれ、そこには優しそうな顔をした男性が座っていた。
「おお、お客人か……よく参られた。今日は一体、どのような用ですかな?」
ハピュリス国王は俺達の方を見て、不思議そうな顔をする。
するとゲルニカは前に出て、膝を突いて頭を下げた。
「僕達は、アクシアの王様からの使者として来ました。これは、世界の存亡をかけた話になります」
ゲルニカはそう、ゆっくりと話しはじめる。
俺とシグレはその後ろに、しゃがみ込み頭を下げる。
その様子に、ハピュリス国王は真剣そうな顔をする。
「そうか、とりあえず話を聞かせてもらおうか……」
ハピュリス国王がそう言うと、ゲルニカは話し始める。
「単刀直入に話すと、伝説の時限獣が甦ったかもしれません」
ゲルニカはそう言いながら、例の本を開いて見せる。
それを見たハピュリス国王は顔をしかめて、唸り声をあげる。
「ほう、何故そう言えるんだ?」
ハピュリス国王は椅子から身を乗り出して、怪訝そうに問う。
するとゲルニカはシグレの方を見て、目線で合図を送る。
「……私の住んでいる大陸、ラングリラの時が止まってしまったんです。ゲルニカさんによると、聖域から供給されている魔力が止まり、大陸全体の魔力が枯渇したのが原因と思われるらしいです」
シグレは悲しそうな声で、そう言った。
だがその奥には、強い思いが込もっているように聞こえた。
それにゲルニカは、続けるように口を開く。
「その状況が、時限獣がある決まった場所にて時間を止めるという状況に酷似していると思われたからです」
ゲルニカは確信を持った口調で言い、ゆっくりと頷いた。
ハピュリス国王はそれを聞き終えると共に、玉座へ座り込む。
そして息を吐き出すと、細めた目で遠くを見る。
「時限獣の伝説については、私も昔聞いたことがある。相当厄介な相手で、うちの国きっての剣術、氷仙流の始祖も決戦に出たのだったか……さて、話をしにきたということは、何かしら考えがあるのだろうな?」
ハピュリス国王はそう言って、玉座に座り直す。
そこでゲルニカは、持たされていた白い封筒を、鞄から取り出す。
そして数歩前に出て、王様へと手渡した。
ハピュリス国王はその封筒を開け、中の紙をすっと引いた。
その紙を眺めて、王様は目を閉じる。
「なるほどな、各地の島にこの国の兵士を送ってほしい……か。確かに当時に比べれば、氷仙流もだいぶ洗練されているだろう。できれば倒したい、それでなくとも消耗戦になれば、確実に時限獣を倒せるという考えなのだな。魔物達の協力もあれば、それも確実なものになる……ということか」
ハピュリス国王は悩んでいるように、ゆっくりと言った。
そして急に立ち上がり、こつこつと歩き出す。
その先、部屋の右側にあった扉に、軽くノックをする。
「おい、アレッド、お客人が来ている。いるなら出てきてくれ」
ハピュリス国王がそう呼び掛けて十数秒後、扉は音を立てて開いていく。
そこから出てきたのは、鎧を全身に纏い、肌の一部すらも見えない人だった。
カチャカチャと音を立てて、その鎧は少し前へと歩いてくる。
「アレッド……この国の王子でしたね。それに氷仙流の暫定最強……!」
ゲルニカはそう言って、ぺこりとお辞儀をした。
するとアレッドは、一つ頷いてこちらへと歩いてくる。
「……ハルトとゲルニカ、でしたね」
そう中性的な声で呟き、立ったままこちらをじっと見てくる。
「はい、よくご存知でしたね」
ゲルニカは嬉しそうに笑って、アレッドの冑を見上げる。
するとアレッドは驚いたように、両手を胸の前に上げる。
「……ええ、そりゃ、有名ですもの!」
そう早口で言うと、王様が後ろからぬっと出てくる。
「さてアレッド、時限獣の伝説は知っているな?」
ハピュリス国王はそう言って、玉座へと座り込んだ。
その言葉にアレッドは、鎧を鳴らして頷いた。
「……はい、昔話として、何度も聞かされましたからね」
アレッドの返事に、ハピュリス国王は安心したような顔になる。
「それなら話は早い。これからお前達、鉄氷軍には、その時限獣から世界中の聖域を守る任務に就いてもらう。出発には大臣からの許可が必要だが、これは至急を要することだ。早速準備にかかってくれ」
鉄氷軍は、ハピュリス共和国の持つ兵隊の名前だ。
統率された動きと、洗練された実力で、世界的に有名だった。
ハピュリス国王が早口にそう言うと、アレッドはゆっくりと首を横に振った。
そしてガッツポーズをして、自信満々に頷く。
「……それについては大丈夫です。鉄氷軍はいつでも、どんな状況にも対応できるように準備してあります。許可さえ取って、父さんが一声掛けるだけで、即座に出撃できますよ」
そう言うと、ハピュリス国王は少したじろいでいるようだった。
「ああ、そうだったか。だが許可を貰うのに準備が必要ゆえ、大臣に当たるのは明日になるだろう。それまでの間、お客人達にこの街を案内してあげなさい」
ハピュリス国王は気を取り直して、そう言うとアレッドの頭を冑越しに撫でる。
するとアレッドは無言でこちらを向き、冑の隙間から、ぎらついた目を覗かせる。
「私はアレッド、ハピュリス共和国の王子をしています。気軽に呼び捨てで呼んでもらって構いません。ハルト……英雄だとはよく耳に入っていますが、確か暗刀流の使い手でしたっけ」
アレッドはそう言って、俺に手を差し伸べる。
俺はそれを掴んで、ぐっと力を入れて立ち上がった。
「ああ、一応実力だけなら、師範代レベルにはあるらしいぜ。まあ、他に使ってる奴なんて見たことないから、正直言って微妙なところだけどな……」
俺が目を細めてそう言うと、アレッドは軽く頷いた。
そしてゆっくりと歩き出して、外へと進もうとする。
「ならばその実力、実際にこの目で見てみたいものですね。ついて来てください、鉄氷軍を、氷仙流の力というものを見せてあげます」
アレッドは落ち着いた口調で、それでいて奥底に力のこもった台詞を言う。
俺はその言葉にため息を吐いて、大きく頷く。
無言で火花を散らす俺とアレッドに、ゲルニカは闇を抱えた目をらんらんと輝かせる。
その横で困惑した顔で、シグレはため息を溢した。




